第13話 魔狼の王(12)


 ──その発想はなかった……っ。

 俺は自分の迂闊うかつさに、天をあおいだ。


 城塞都市ティミショアラ。


 居酒屋〝タンポポと金糸雀亭〟にチェックインすると、女将イルマから鳩屋の伝文を渡された。手間賃を渡して受け取ると、内容を解読して先の感想をため息に変えた。


 部屋で着替えをすませ、ティミショアラ軍務庁に向かう。

 もちろん私服は厳禁なので、市民正装を調えている。


「都督補ヴィクトール・バトゥ様からの召喚で参りました。狼ですが」


 受付係は慣れた様子でリストをチェックして、


「後ほど案内が参るので、あちらで待つように」

「わかりました」

 窓ぎわの待合席に向かう。その前に死角からティボルが肩を叩いた。ニオイで分かる。


「俺をずっと待ってたのか?」

「生憎。オレは女以外、待つ趣味はねーよ」


 軽口をたたき合って、二人で軍務庁舎を出る。ティボルが前、俺が後ろ。庁舎を出るとしばらく無言のまま歩いた。


「マンガリッツァの末っ子を使いに出したんだってな」

 肩ごしにティボルが話しかける。


「耳が早いな。さっき鳩で到着の報せがきたよ」

「到着ってセニにか? 出したのはこの前だろ?」

「ああ、一昨日おとといの昼前だ」

「オラデアから最短でも七日はかかるぞ。今度はどんな魔法を使ったよ」


「こっちが聞きたい。けれど俺の手紙は確かにセニに届いた。セニ・カラヤン隊が一個小隊。昨日の午後にセニを発ったそうだ。この望外の時間の短縮はありがたい」


「なんで一個小隊なんだ? 全部連れてこなかったのか」

「うん。最初はそのつもりだったんだ。けど、ペルリカ先生に俺の計画の死角を指摘されてね。半分割ることになった。まったく、あの先生には頭が上がらないよ」


 俺がペロイの森で初めて出会った〝ケルヌンノス〟のことだ。あの存在も狙われる可能性を失念していた。とくに向こうは魔眼まで奪って追っている魔女がいる。

 元もとはあっちが本命だったはずなのに、いつの間にか目の前の〝魔狼の王〟で手一杯になって、視野が狭くなったことを痛感させられた。


「ふうん。お前にそこまで言わせんのかよ。あの先生」

「まさに賢者にふさわしい深慮だよ。また贈り物に手を抜けなくなったなあ」


「ほう。なら、今度はミスリルでも贈るか?」

「実は、もうマクガイアさんに発注してある。この件が片付いて、帰る頃には受け取れると思う」


「ほほぉ。お前にしちゃあ、女絡みで手回しがいいな」

「ブローチ一つに二ヶ月待ちだって言われた。マクガイア宝飾工房は大人気らしい」


「は~、マジか。うーん。どうすっかなあ。うちのおひい様も、ちったぁ宝飾に興味を持ってくれると、オレも貢ぎ甲斐があんだけどよぉ」


「興味ないのか?」

「どうもな。金銀宝石より、小麦の黄金原に勝る輝きはないのじゃあ。っと、こうだ」


「なら、動物とかは? 好きそうだったけど」

「もう、猫を四匹と犬を二匹飼ってるよ。そのうち老犬の方がおひい様の夕食をダメにしたとかで問題になった。しかも〝翡翠荘〟から移ってから、一度や二度じゃないらしい。

 ついに侍従らから殺処分を嘆願されたが、その目の前でメドゥサ会頭が犬をしきりに褒めた。すると、ついこの間だ。その嘆願した給仕係の一人が首をくくって死んだそうだ。その件はうやむやになったらしいがな」


「それじゃ。その人が、おひい様に毒を……?」


 歩きながら俺は前を行く背中に言う。ティボルは無言でうなずいた。


「死んだのは生まれも育ちもティミショアラ生まれだったが、両親がヴァンドルフ領出身だったよ。んなことよりな。あの、ヴェルデって若造。おひい様の犬に、なんか入れ知恵したんじゃねーのかねえ」

「かもしれないな」

「おい。今のは冗談だぞ」

「いや。今晩、宿で合流するから聞いてみるよ」


「あっそーですか。あと、例のグリシモンにツナギかけたんだってな。ロシュから聞いたぞ」

「へえ。そんなことまで。耳が早いなあ」

「いいのか。あいつ、お前に徹底的にやり込められて恨んでてもおかしくねーだろ?」

「それでもさ。情報収集に人手が足りない。とくに中央都の動きを知る必要が出てきた今は、優秀な人材を下野させたままなのは損失だ。金で脅してでも雇いたいんだ」


 ティボルは撫でしつけた髪をかゆそうに掻いて、振り返った。


「実は合流場所に、グリシモンが来てる」

「マジか」


 俺は驚きを口にした。ティボルも意外そうにうなずく。


「なんか、向こうも渡りに船だったらしくてな。相談に乗って欲しいらしい。金のことだけじゃなさそうだ」

「わかった。……ところで、今向かってる場所って、どこかな?」

「この先の、娼妓館だ」

「あ、はい」


  §  §  §


 娼妓館。

 言わずと知れた性風俗店だ。弁明や正当化の余地がないほどに、売買春の営業所である。


 古代ギリシャ時代から国営の公共娼家が存在し、政治家(この場合は市民)が経営していることもあった。古代ローマ帝国時代にもあり人身売買奴隷や捕虜、誘拐の人質、孤児の行き着く先の職業として娼婦(夫)がある。


 中世期になると、フランスで公娼制度が確立して登録制となり、徴税の対象になった。これにより娼妓館は国家公認となり、大英帝国首都ロンドンには大規模な公娼街が、十九世紀末まであった。


 つまるところ、風俗営業には様々な思惑が集まることから、政治が絡んでいることが多い。


「低水準の識字率で職に就けへん。両親を早くに亡くして身寄りがあらへん。無理やり外国に連れてこられてどっちに故郷があるのかも分からへん。

 そんな生活困窮者が手っ取り早く収入を得るには、男は命を売る傭兵に、女は身を売る売春婦しかあらへんかった。政府も失業対策として売春を黙認せざるを得んかったんやねえ。フランスには国営の娼妓館なんかもあったらしい。でもな、身売り女の全部がそんな娼妓館にも入れるわけでもあらしまへんえ。

 せやから、保護のない女性売春従事者は町風紀や宗教上の理由から、私刑に遭いやすかったんやって」


 ツカサは淡々と言った。俺はその手の風俗史には弱かったから完全に聞き役だった。


「町ぐるみで半殺しにまですることは、ないんじゃないのか?」

「ところが、中世の売春従事者は、職業病とも言える性病や結核の保菌者として嫌われるのが運命の星。当時は、梅毒に代表される性病は、悪魔憑きと同列やったんえ」


「医療の未発達か。原因が分からないってことは、なんでも悪魔の仕業かよ」


「さよです。せやから当時は悪魔も仕事がしやすかったやろうなあ」

「そして、娼妓館は古代ギリシャ時代からなくならない職業施設だった。これは真理だな」


「お金はあるけど、娯楽がない。娼妓にお金を落とせば、人助け。そううそぶく男どもが千年近く経っても絶滅しーひんで。なあ、タクロウ」


「そこで俺を呼ぶんじゃないっ。俺が千年通ってたみたいじゃねえか」

「行かへんの?」

「昔、一度だけ行ったことは、ある。でも、もう行かない」


「いややわぁ。そんなあっさり自供しはってぇ。拍子抜けするわぁ。なんで、もう行かんの?」

「トラウマだ。初めて入った店で四〇分も待たされた挙げ句に、いざ入室となった時になって上司から呼び出しの電話を受けた」

「うっわぁ。なんで電源切ってへんの? タクロウもさぞお忙しかったんやねえ」


 ツカサはちょっと引き気味に見る。俺はムキになって抗弁した。


「その嫌味通り、本当に忙しかったんだよ。ちょっと重要な案件があって、慣れない接待して風俗オゴってやるって言われて、無理やり連れて行かれてさ。

 その情況で、上司に居場所を問い詰められて答えられずに風俗店内で電話越しに尋問だ。あの時は、マジで死にたくなったよ」


 ツカサはぷっと吹き出すと、きゃはははっと女の子みたいに腹を抱えて笑った。

 風俗店が悪いんじゃなくて、間が悪かった話だ。

 こんな時に、またツカサを思い出さなくてもいいだろうに。


 閑話休題それはさておき、だ。


 ティボルに連れて行かれたのは、看板も下がっていない普通の商館。でも扉には大理石で女性の横顔の彫刻細工レリーフが掲げられていた。


「あら。いらっしゃいませ」


 店内に入るなり迎えてくれたのは、薄い眼鏡をかけた三〇代の女性だった。露出の多い扇情的な衣装をまとっているわけでもなく、清潔で知的な印象を受けた。


「どうも。ポワソン夫人。この者が狼です」

 ティボルが女性に対して礼儀をわきまえて振る舞うところを初めて見た気がする。


「本当に、狼さんね。初めまして、ポワソンよ」

「初めまして」

 俺は床に片膝をつき、差し出された手を手のひらに載せるように包み、お辞儀する。


「あら。ふふっ。おもしろい。貴族の礼儀を知っているのね」

「夫人。あまり俺のことは他の客には吹聴なさいませんようお願いします」

「あら、どうして? こんなに面白い見た目なのに」


 いじわるだ。でも言葉の端々に織りなす品のよさに心を許してしまう。さすが……。


「この身は〝混沌の魔女〟の嫉妬を買っておりますので」

 ポワソン夫人は眼鏡の奥で目を見開き、それから俺の手から手をぬいて頬を撫でてきた。


「ごきげんよう、狼。この館には、いつも秘密で渦巻いている。隠し事は、あなただけではないわよ」

「……」

「今日は、一番奥の部屋から地下へ」


 案内されるまま、俺たちは部屋の奥へ通された。ドアを開けると普通の部屋。調度品とベッド。そして、板張りの床の真ん中に人ひとりが入れるだけの四角い穴が開いていた。

 ハシゴを伝って下りると、トイレぐらいの狭い個室。壁は土。正面に鉄の扉。


 開けると短い通路に扉が五つ。


 血なまぐさい。


(ここは本来、牢屋。いや拷問部屋、か?)


 ティボルはそこを突っきって、奥の石壁を押す。

 どんでん返し。

 そこを潜った後は無骨な坑道が続いていた。


「ティボル。どうした?」

「ん。いや……」


 閉じた石壁を見つめて、ティボルは不審な顔をする。


「オレも彼女と糸ができて数ヶ月なんだが……。彼女が初対面の相手の、お前の顔に触れたのは初めてだなってな」

「ああ、それは心配しなくていい」

「なんっで、一見いちげんのお前が常連みたいな顔で断言してんですかねえっ!」


「彼女は、魔女だ」

「へっ?」


「俺も頬に触れられてわかった。彼女は幻惑魔法で姿を変えていた。本物のポワソン夫人とは、別人だ」

「なっ。くそがっ!」


 石壁を押して戻ろうとするティボルを、俺は腕で制した。


「だから、心配しなくていい。大丈夫だ」

「なにが大丈夫だよっ。密偵だったらどうするっ!?」

「言ったろ。彼女は、魔女だ。たぶん俺の知り合いだ」

「はぁあっ!?」


 ティボルはワケがわからないと怒った顔を向ける。俺は手で道を譲った。


「さあ、もう行こう。あんたが次に会うポアソン夫人は、あんたがよく知ってる、俺の知らない人物に戻ってる」


「あーっくそっ! なんでお前が絡むと、いつもこっちが驚かされんだよ。面白くねぇ!」

 ティボルが前を歩き出したタイミングで、俺は握ったままの拳をポケットに入れた。


(ありがとうも言わせないなんて、許さないからな……アストライア)




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