第15話 魔狼の王(14)


 アルバ・ユリアは、丘陵の町だ。

 丘の上に城砦を建て、その丘下に公国最古といわれる聖堂があり、そこを中心とした宿場町として発展した。その流れで町の外には古代からびくともせず城壁があった。


 早朝。住民からの家畜被害の通報から、異常が始まった。

 町の郊外で育てていた豚三〇頭が、豚舎ごと襲われたのだという。獣は狼のようだったと。


「皆がやめろと言うのに日頃から水路に豚の糞尿を流してるから、ついに水の精霊の怒りを買ったのだ」


 領主フニャディ伯爵は一応、調査の上、山狩りを請け負った。町一番の器量好しモリガンの父親ステファンだ。撥ねつけるわけにもいくまい。騎士に招集をかけた。


 ところが、集まったのはわずかに十九名。集まりの悪い騎士道に毎度イラ立っても始まらない。まずは現場の被害情況だと思い直して、有志の手勢だけで現場に向かった。


(こいつが狼……だと?)


 潰れた豚舎の血溜まりを見てすぐに異常を感じたのは、フニャディ伯爵だけではなかった。

 建物が柱ごと潰れているのに三〇頭いたはずの豚は屋根の下に骨すら残っていない。そして周囲には黒い汚物のようなものがあちこちに残されていた。


 フニャディ伯爵は短剣の切っ先で慎重に掬い取ると、ニオイを嗅ごうと鼻を近づけてみた。

 と、その中に微かにうごめく脈動を見てとり、慌てて地面に落とし、従者の掲げる松明をひったくって投げつけた。


 黒い何かは、ギヂギチと墓石を擦り合わせたようなおぞましい音をたて、火の中でのたうち回って死んだ。

 そう、死んだ。生物だと思ったのは、本能的な恐怖からだった。


 フニャディ伯爵は、すぐに家来に振り返った。


「お前たち、この豚舎に火をかけよ!」

「えっ!?」

「それから誰か、わが館まで〝崖の下の婆さま〟を呼んでこい。一応丁重にな」


 婆さまは、町に一人はいる長老的な人物だ。


 崖下の洞窟に棲んで週に二度、すり傷や打撲によく効く軟膏なんこう薬を作って町衆から〝苦煙くえんババア〟で知られていた。


 この前の謝肉祭で、どさくさに上物ワインをボトル一本飲み干されてうんざりしたが、今回も上物を用意してやらなければなにも話さないだろう。背に腹は変えられなかった。


(いや、あの時の酒代の元をしっかり取り立ててやるっ)


 それからたっぷり二時間かけて、領主館に灰色ローブの背中が曲がった老婆が現れた。

 のろのろとした足取りで、いけしゃあしゃあと領主のそばに座り、銀のゴブレットにワインが注がれるまで貝のごとく口を開かない。


 根負けしてフニャディ伯爵がワインを注いでやると、ようやく顔を上げた。


「〝魔狼の王〟が来たよ」

「まろうのおう? なあ、婆さま。そいつは確かおとぎ話じゃなかったか?」


「ばかだね。ヤーノシュ坊や。おとぎ話が残るにはそれなりの理由ってもんがあるのさ」

「ふん、どんな理由だ?」


 老婆はゴブレットをひと息に乾すと、また黙り込む。仕方なくワインを注いでやる。


「大公がまた世継ぎの御子に、はた迷惑な試練を課したのだろうねえ」

「はた迷惑な試練? 聞いたことがないな」


「だろうね。あれはあんたが生まれる少し前さ。世継ぎの御子が試練に挑んで死んだのさ」

「そうなのか。で。その試練というのは?」


 老婆はまたゴブレットをひと息に乾す。注いでやろうとすると、しわくちゃの手が塞いだ。


「神殺しさ」


「神殺し? 森人が信仰する〝獣の神〟にか。あの神は誰にも見ることができず、できたとしても、それに近づくことさえ禁忌ではなかったか」


「そうとも。昔、大公はてめぇの男子おのこにそれを課して、結果、世継ぎを失ったのさ。大公は激しいご気性だよ。それで三〇年ぶりにまたぞろ世継ぎの試練を御子に課したのさ。おそらくこれが最後だろうねえ」


「もし今度もダメだったら?」


「大公の死とともに、四人の龍公主のうち一人が女公として立つ。そして龍の伴侶と呼ばれる男が選ばれ、公国の礎となる。大公が再誕するまでの間のツナギとしてね」


「再誕とは、なんだ?」


「生まれ変わるってことさ。肉体は滅びても魂は遺る。その魂が新しい肉体を得てこの地に産まれ出でる。肉体が滅びる前の記憶を持ったままね」


「そんなことができるのか?」

「大公はそうやって継がれていき、この公国は安定してきたのさ」


 老婆は自分の手をゴブレットからどかす。フニャディ伯爵はそこにワインを注いでやった。


「この間、エウゼンがこの町に帰ってこなかったかい?」

「あいつが? いや、そうなのか?」


 何も聞いてない。父の後を継いで領主についた自分に気兼ねしているのだとしたら、なんとも水臭いヤツだ。寂しいことだ。


「エウゼンに〝魔狼の王〟が出たから都へ行って人を集めてこいって伝えるんだ」

「婆さま。そりゃあ、あんまりだ。おとぎ話をネタに人を集めるのは、ワシでも抗うぞ」


「ヤーノシュ坊や。あんたが業突く張りのステファンの豚小屋が潰れた時、集まった兵はいくつだったか数えたのかい。手足の指で充分だったはずさ」


「うっ。婆さま。見てたのか」


「ばかだね。あたしゃあんたの祖父さんの祖父さんの代からここに住んでて、大抵のことはちゃあーんと見てるんだ。

 あのザマはあんたの父親てておやからの甘やかしがあるのもそうだけど、大きな騒動もなく暮らしてきた証拠さ。心に豚の脂がたっぷりついちまってるのさ」


「だから、当てにできないって?」

「当てにすれば、あんたが死ぬだけさ。坊や」


「フゥ……そうかもな」

「でも、あんたはしっかり働くんだよ。それが領主の務めってもんさ。その手先として、その若造を使いな。そして、魔喰らいの銀狼をここへ呼び込むのさ」


「魔喰らいの銀狼?」


「ヤツらは誇り高い狼の群れのようさね。できないならできないと言ってもいい。でもね。連中の前でヘタな見栄や誤魔化しをすれば、容赦なくその喉笛に噛みつくよ。そう見えたんだ」


 フニャディ伯爵は最近ようやく形になってきた口ひげをくゆらせた。


「狼の群れ。傭兵かな……去年の収穫で蓄えがようやく人心地つけたんだがなあ。フゥ、仕方ないか」


「領主が人前でため息ばかりつくんじゃないよっ。ところでデーバから行商人は来たかい? 頼んでおいた薬の代金を運んでもらう約束だったんだけどね」


「デーバから? そういえば謝肉祭の時は顔を見たが、ここ数日はまだ見てないな」

「悪いけど、使いを出して町の様子を見てきておくれよ」


「あ、ああ。わかったよ」

「一両日中に頼むよ。エウゼンにやらせればいいさ」


「ええっ? まったく。人使いが荒いって聞いてたが、本当なんだな」


「いいかい、ヤーノシュ坊や。よくお聞き。〝魔狼の王〟は町の全てを食っちまう邪神なのさ。いつもなら豚小屋だけで済むはずがない。多分、このアルバ・ユリアは味見で、もう周りの町で全部やられてる所があるかもしれないねえ」


 嫌な脅しをかけてくる婆さまだ。味見気分で主要財産である豚を三〇頭も食われたら、ステファンも立つ瀬がない。


「なら、世継ぎの御子様が、その〝魔狼の王〟とやらを退治してくれるんじゃないのか?」


「今のところ、失敗してるんだろうねえ。大公が尊かろうと、所詮人から出てくるのは人の子さ。だからこの国は鎖国して〝獣の神〟を外へ出さなかった。豊穣の神にいてもらわなけりゃ、今頃この辺は木が一本も残らない砂の荒野ができていただろうからねえ」


 はいはい。御託はもう結構。フニャディ伯爵は老婆を置いて席を立つと、従者を呼んだ。


  §  §  §


「デーバは城壁のお陰で残ってましたが、守衛兵の八割が死亡。残り二割が発狂。その後、市民義勇団がどうにか押し返して、連中を攻め飽きさせて朝までなんとか凌いだそうです」


 夜。〝タンポポと金糸雀カナリヤ亭〟


 俺の部屋に男六人が集まり、地図を取り囲んで香ばしい顔をつきあわせている。

 グリシモンの報告を聞きながら、カラヤンは胸板の前で腕を組み、地図を見下ろしている。


「攻め手は、西からか」


「はい。生き残った住民の話では、最初の悲鳴のあと、またたく間に町ごと黒い汚泥に取り囲まれた印象だったそうです」


「実害はどれくらいだ。お前が把握している範囲でいい」

「町の人口に対して、二割は食われた感じでした。少なくとも三〇〇人、五〇〇人は超えていたかもしれません」


「そこまで被害を出しながら、皆殺しに遭わなかったのはどうしてだ?」


「当初、西の城門から大型三頭の侵入を許したそうです。その後、城門兵が斧で引き上げ縄を切って城門の鉄格子をおろし、内扉を塞いだので、後続の魔狼の侵入を防げたそうです。

 あとは三頭と市街戦を展開。衛兵が明かり変わりに火矢を放ったことで弱点が露見。反攻に転じて撃滅に成功したそうです。ただ、かけた油が周辺の建物にもかかって延焼。二次災害を起こしながら、魔物と朝まで戦ったそうです」


「ふうむ。たった三頭で町の二割。その火事のお陰で夜を凌げたとも言えるな」

「はい」

「敵の数はどうだ」


「それがなんともはっきりしません。みな必死だったようで、三〇だったとも一〇〇だったとも証言はバラバラです」


「〝魔狼の王〟は、数を変えられる。アークスライムって分かるか?」

「アークスライム? あのダンジョンの掃除屋の?」


 グリシモンのたとえに、指揮官は満足そうにうなずいた。二本の指でサイズを作る。単3電池。


「原型はこれくらいの、小さなヒルやミミズの一種だ。それが集まって狼頭のバケモノになったり、離れてヒルに戻ったりして行動し、人を捕食する」

「ヒルっ……そうか。だから火なのか」


 カラヤンはうなずくと、地図を指差した。


「問題は、ヤツらの行き先だ。デーバを諦めたか。それとももう一度ここを襲うのか。そもそもなんでデーバを五〇〇人近く喰いあさっておきながら残りを諦めて、アルバ・ユリアをつまみ食いで終わせたの、か」


 アイディアが行き詰まった沈黙。会議が止まった時、部屋のドアがノックされた。


「開いてるよ」

 カラヤンが声をかけると、恐る恐るドアが開いてヴェルデが顔を出した。



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