第16話 動乱の中を行く(14)


 長テーブルの俺側に、マクガイア。

 ライカン・フェニア側には、マシューとオルテナが腰掛ける。

 飛んできた給仕に、ビールとニジマスの油掛けなる料理を頼んでいた。


「その節は、お世話になりました」

「ああ。……ベッピンの娘っこはどうした」

「部屋で寝てます。湯あたりしたみたいで」


「がっははっ。温泉は初めてか」

「そのようで……。しかし、ここは随分な発展ですね」

 俺は食堂の天井からぶら下がる電灯を見上げた。

「まあな。地熱発電がこの町の生活水準を押し上げたんだ」


「それと、ダンジョン整備の罰を受けても、ここまで作り上げたドワーフの心意気。ですかね」


 俺が目を向けると、マクガイアは誇らしげにニカリと笑った。


「モノを作るのもなおすのも得意だったし、この世界にもドワーフはいた。だから見て見ぬふりはできなかった。それだけだ」


「ええ。そのお陰で、俺たちも助かりました」


「マクガイア。なぜ、我々を助けたのじゃ」

 テーブルの彼岸からライカン・フェニアが下心を探る目をする。

「何か魂胆があったのじゃろう?」


「うるせぇな。ガキんちょ。……それはそうと、エミー・ネーターには会ったか」

「会ってはおらん。じゃが声は聞いた。それがどうしたのか」


「あの女、今じゃ帝国情報局長なんだとさ」

「帝国? なにゆえ公国のダンジョンなどに帝国が出張ってくるのじゃ?」


「さあな。だが、ちょっとばかりムカついた態度に出られたんでな。塩対応させてもらったってわけだ。それよか、お前。狙われてる自覚、あんのか?」


「さあのぅ。あるようで、ないのぅ」


 つむじをまげたまま、顔をそっぽ向ける。

 ドワーフ三兄妹は面倒くさそうに、俺を見る。

 いや、俺はこの子の保護者じゃない……はもうダメそう?


「狼。来て早々でアレだが、ティミショアラに戻ってくれねぇか」

「えっ」


「オイゲン・ムトゥの行動限界時期をこちらで概算してみた。もってあと、五日だ」


 その場の空気が緊張を帯びた。


「兄貴、いつの間に」

 二男のマシューが、ライカン・フェニアの皿にあったフライドポテトをつまみ食いしながら、呆れた声を洩らす。長兄はずっと俺を見つめてくる。


「いいか、狼。ヨハネス・ケプラーは死なねえ。けどオイゲン・ムトゥという賢者はこれで仕舞いだ。次の複製個体については、オレの口からは言えねえが。再び家政長に就くまでに何年かかるかわからねえ。それまでオレ達は大公の名の下にこの公国を守る義務がある」


「はい。わかります」

「だから、その……お前はライカン・フェニアを守ってやってくれ。守り切れなくても、必ずあすこへ迎えに来てやってくれ」


 俺は神妙に頷いた。


「なんじゃ、マクガイア。急に吾輩の心配などして、どういう風の吹き回しじゃ」

「うるせぇ。オレだってこんな小っ恥ずかしい真似したくて頼んでるわけじゃねえ」


「ガイ兄ちゃん。もしかして帝国の狙いって、やっぱりあそこの施設じゃないのかよ」


 オルテナがきな臭そうに顔をしかめた。

 マクガイアは供されたビアジョッキを受け取ると、ひと息にあおった。


「ぷふぁあっ。くぅ……こいつはまだオレの推測の域を出ねぇ話だがな。帝国は公国が持ってる高度知識者を拉致って帝国へ引っぱろうとしてるんじゃねえかと思った。その手始めが、公国の外でうろちょろしてた、おめーだよ。リトルジーニアス」


「うろちょろなどしておらん。吾輩なりに計画を持ってアスワンに行ったのじゃ」

「三〇〇年もか? そんなだからケプラーの旦那も、おめーみてぇな頭でっかちの科学者に、ベビーシッターを付けたくなんだろうがよ」


「なんたる屈辱じゃ! 吾輩は、そこまで子供では、ない……のじゃ」

 自分の見た目を思い出して、ライカン・フェニアはしゅんっとうつむいた。


「ふんっ、ようやく自覚したか」

「実は、そのことで今問題になってまして」


 俺はライカン・フェニア暗殺の経緯を話した。聞き終わったドワーフ三兄妹はビアジョッキを持ったまま凍りついた。


「オイゲン・ムトゥの子飼いの監視役が裏切りたぁ、やられたな。こいつはオレが思ってたより毒の巡りが早ぇぞ」

「ガイ兄ちゃん。だったら、兄ちゃんも危ないんじゃないのか?」

「っ……だが、オレはドワーフだ。やつらにしてみれば順番は後だろう」


 俺は顔を振った。


「気をつけた方がいいかもしれません。エミー・ネーターという人物。今回ライカン・フェニアに逃げられたことで、マクガイアさんを恨んできてもおかしくないです」


「あたいも狼の意見に賛成だね。とくに、兄ちゃんはグラビティブラスターの基礎理論を持ってるじゃないか。帝国に捕まったら、マジヤバだよ」


「グラビティブラスター? 重力波動砲?」

 驚きの余り口走ったら、ごつい手で口吻マズルを掴まれた。


「おい。なんでおめーがそのことを知ってるのか大体の想像はつくが、それ以上はこの場で言うんじゃねえ」


 こくこくと頷くと、手を離された。小声で訊いてみる。


「ちなみに、ですけど……それって、実用化、しちゃったりとかは?」


「だいぶ昔に宇宙域で試射した。その時に事故って死傷者が七人くらい出た」


 ううっ。割と大惨事。マクガイアは大きなため息をついた。


「上層部は、計画の無期限凍結を決定した。オレもさすがにこれ以上の研究は無理だと思った。実用化できたにしても、コストパフォーマンスがべらぼうだったしな」


「じゃが、マクガイア。反重力制御装置を作った其許そこもとじゃ。重力収束放射理論の完成まであと一歩だったはずじゃろう?」


 ライカン・フェニアが珍しく真摯な眼差しで食い下がる。だがマクガイアは疲れた目で見返した。


「うるせぇよ、チビ助。今はテメェのことを考えろ。話はこれだけだ。メシ食ってクソして寝ろ」


 憎まれ口を叩いたあと、俺たちの前にニジマスの油かけなる料理が置かれた。

 蒸したニジマスの上に野菜のネギとショウガの千切りを並べ、そこへ熱した油をかけた料理だ。


 ほぼ中華料理の〝清蒸〟チンジョンだ。ただし、紹興ソースの代わりだろうトマトソースがからい。まさに寒い冬にぴったりといえる料理だ。

 セニでは唐辛子を使った料理が少ないので、実に刺激的だ。


「すまねえ。狼はネギはダメだったな。で、どうだ?」

「カラうまいです。かけた油はピーナッツ油ですね。あと醤油の代わりにナンプラー(魚醤)ですか」


「ほう。そこまでわかるとはな。いやな。故郷の周りに広東カントン省出身の移住者が多くてな。毎日のように食ってた。こいつは見よう見まねってヤツだ」


 マクガイアは嬉しそうに笑った。ナンプラーを記憶だけでこの世界に再現したのだ。やはり技術職。最強だ。


「ワインとトマトソースの主張が強くて、魚の淡泊な味がぼやけておる。やはり醤油ソイソースがほしくなるのう」


 子供の邪悪が、俺の純粋な感想を台無しにする。


「ったく。無茶言うなよ。味噌や醤油ができてりゃあ苦労はしねえ」

 マクガイアは悔しそうにごつい肩をすくめて見せた。


  §  §  §


 ところが翌朝、奇蹟が起きた。


 とてとてとてとてっ! どんどんどんどんっ!


 廊下を走ってきてドアを叩く音に、俺は目を覚ます。


「おおかみーっ。起きよ、おおかみっ。奇蹟じゃ。奇蹟が起きたのじゃーっ!」


 俺はベッドから下りると肩を少し回す。背中の傷もようやく気にならなくなってきた。


 ドアを開けると、小さな〝なまはげ〟が立っていた。

 赤褐色のざんばら髪を爆発させて、手に水桶を持っている。

 でも、黒眉の瞳は純真無垢に爛々と輝いていた。


「どうしたんです、博士。こんな朝早くから」


 ライカン・フェニアは俺を押しのけて部屋に入ってくると、床に水桶を置いた。中に布巾でくるんだ丸い物を入れていた。

 子供の生首……なわけないか。


「博士?」

「はよ、ドアを閉めるのじゃ。鍵もかけよ。これから緊急秘密会議なのじゃ」


 まるで子供がどんな胸躍る悪戯を始めようかと意気込んでいるようだ。

 俺はやれやれとドアを閉めてかんぬき鍵をかける。それから、あくびまじりに水桶の前に屈んで子供会議に参加する。


「それで。朝っぱらからどうしたのです?」

「見つけたのじゃ! この偶然を奇蹟と呼ばずして、なんというべきか、なのじゃ!」


「ですから、なにを……え、嘘でしょ。まさかアレですか? 昨日、話題に挙げただけですよ?」


 俺が醒めたばかりの目を見開くと、それと同じくらいライカン・フェニアも目を見開いて顔を輝かせた。


「マジもマジの、大マジなのじゃ! この狼の作ったレンズで拡大しても見たのじゃ」


 ポケットから取り出して見せたのは、馬車のどこにあったのかユミルが割って、外していたひび割れた望遠鏡のレンズだ。

 ああ、帰ったら、博士のために高倍率ルーペを作ってあげたい。


「見ていいですか」

「うむ、見てくれ」


 俺は水桶に収まっている布巾をそっと引きはがした。

 濡れ布巾でくるまっていたのは、大きなパンだ。その表面にびっしりと黄緑色の粉が付着していた。転生前の俺が自宅の台所で見たら悲鳴ものの量だ。


「これが、〝コウジカビ〟ですか?」


「そうじゃ。パン全体を満遍なく覆うように繁茂しておるじゃろう。青カビはもっとべちゃっと水滴のように点在するコロニーで覆う上に、青銅のような青みががった緑色をしておるのが一般的じゃ」


 なるほど、わからん。やっぱり俺には区別がつかん。


「でも、どうして……。あ、もしかして、地熱ですか?」

「うむっうむっ。その推測は正しいのじゃ」


 ライカン・フェニアは人差し指を立てながら、床を歩き回る。俺は菌が飛ばないようにカビパンの濡れ布巾を戻しておく。


「この土地は地熱のおかげか、カビの活動限界の温度まで下がりきらぬようじゃ。さらに湿気も凍らずに蓄えられておる。もしかすると、ここの環境はコウジカビにとって、セニよりも上かもしれんのじゃ」


「でも、これどうします?」

「それを相談するためにここへ来たのじゃ」


 俺は下あごをもふって、軽く唸った。

 正直、ティミショアラの様子が気になっている。だがこのカビを長期間持ち歩くのは危険だ。とくに完璧主婦超人のハティヤがいい顔をするはずがない。このパン全面に着いたカビを持って帰るどころか、馬車に置くことさえ猛反対されそうだ。


「昨日の今日で、マクガイアさんとか興味を持ってくれませんかね」

「なに、あやつに売りつけるのかや?」

 もったいないと、黒眉をハの字になる。


「いいえ。あげるのです」

「えぇ~。タダぁ?」


 今にも泣きそうな顔で難色を示すライカン・フェニアに俺は言った。


「知識も技術も、活かしてこそ価値が輝きはじめるものですよ。でも、俺たちじゃ知識があっても、活かせる時間と人手が足りません。

 今日はティミショアラへ向けて町を出ます。そこで問題を解決し、前の博士を暗殺した犯人達も締めあげたい。博士も〝ケルヌンノス〟の調査に出かけなければならないのでしょう?」


「う、うむぅ。狼ぃ、約束じゃったぞ。吾輩に味噌や醤油でご飯を作ってくれるのであろう?」


 俺は力強く頷いた。そんな切なそうな目で見つめるなよ。抱きしめてしまいそうになるだろ。


「ご飯は作りますよ。でも、味噌と醤油を作るのは手間暇と根気のいる大変な作業です。でも、人々を美味いと唸らせるモノづくりができるのであれば、誰が作ってもいいはずです。

 そうだ。それなら、昼までになんとか俺が製造レシピを書きますよ。それでマクガイアさんに気に入ってもらえたら、そのレシピを買ってもらいましょう。お金は博士の今後の調査費にでも使ってください」


「調査費! ううむ……そこまで狼が言うのなら、仕方ないのじゃ」

 研究費とか調査費という言葉に弱いのは学者の性か。


「ところで、博士。これ、どこで見つけたのですか?」

「厨房の外にあった、くず箱じゃ」


 なんで朝っぱらから、そんな所を覗いてたんだろう、この人……。


「博士が外にいたということは、ハティヤも起きているのですね」


「うむ。弓の稽古をすると言うておったのじゃ。イフリートは、地熱バイナリー施設のほうへ向かっておった」


 なにげに起床は俺が最後か。頷くと、朝の支度に取りかかった。


(地熱バイナリー施設か……地熱、バイナリー? 加熱源系統と媒体系統……発電? 発電所ッ!?)

 

「あいつっ!」

 俺は急に覚醒して、部屋を飛び出した。

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