第17話 地獄商人、石炭を運ぶ(3)


「ああ、もちろんだとも。ワシはとくに諦めが悪いことで成り上がってきたのさ」 

「ふんっ、左様か」


 女が興味が失せた様子で、布で口と鼻を覆い、後頭で結んだ。

 なんのつもりだ。もうしゃべらないという意味か。

 ズヴェズダンは一瞥して以後、無視した。


「お訊きしたいことが、二つあります」

「石炭の代金の心配か?」

「いえ。まったく別の話です」


「ちっ。ワシはさっさと商談に入りたいんだよ!」

 狗男は無言で頷くと、人差し指を出した。


「今朝。あなたはバチュカパランカ村に寄りましたか?」

「っ……なんだって?」


「バチュカパランカ村です。より正確には、宿屋です」


「ん? あー。あぁ、あのことか。聞いているとも。お前たちの雇い主は地獄まで石炭を運ばせてるんだったな。

 それで、お前たちが運ぶ荷は、ゴロツキの命より重い。近づけば地獄へ引きずり込む、だったか? はっはぁ。なかなか田舎のガキでも思いつかん啖呵だ」


「その話、直接あなたが宿主人から聞いたのではないのですか」

 だからなんだ。ズヴェズダンは笑顔を消し、不快な顔をした。


「ワシに、アイツからそんな与太話を聞いてやる義理はどこにもない。使いの者をやって聞いたに決まっているだろう。それがなんだ?」


「いえ。頭にこなかったのかなって。あなたではなく、その使いの人がです」

 唐突に、ズヴェズダンの脳裏に返り血を浴びたことにも気づかず興奮した様子で戻ってきた小男の顔が蘇った。そして、いくばくかの後悔も。


「……さあね。知らんよ。いや、まぁ。戻ってきた時には随分と腹を立ててはいたようだがな」


「使いの人は、その話をなんて言ってましたか」

「おい。それは商談に関係があるのか」

「もちろん、あります。それで、どう言ってました?」


 ズヴェズダンは舌打ちし、少し考えてから、言った。


「まあ、端的に言って〈ゼムンクラン商会〉に宣戦布告したも同じ……そう言ってた」

「どうかしましたか? あなたのその顔色、それだけで済まなかったみたいですね」


 女が狗男に振り返る。狗男は真っ直ぐこちらを見上げてきた。


「宿主人を殺したんですね? どうしてです?」


 ワシは関係ない。思わず叫ぼうとして、ズヴェズダンはぐっと飲み込んだ。肩越しに後ろの騎兵に振り返る。ワシをあいつらと一緒にするな。


「そっ、そんなことは些末なことだろ。もう商談に入ろうじゃないか。お前の言い値で買い取ってやる。どうだ?」


 女の切れ長の目が憤激に吊り上がり、前に出ようとする。

 それを狗男は制し、人差し指と中指を出した。


「もう一つ。質問があります。ごく単純な問いです」

「だから、なんだっ」


 狗男は彼の背後の騎馬隊を見回して、


「〈ゼムンクラン商会〉は、ですか?」

「は? ……そうだが」何が言いたい。


「そうですか。おかしいな。俺は宿主人からたくさんいると話を聞きましたが」

「ふんっ。三〇騎もいれば、村くらい一夜で潰せる。そうする価値もないがな」


「なるほど。一応、主従関係を結ぶほどの年月は積んだわけですか。だから〈ゼムンクラン商会〉への挑発が、宿主人を殺す動機にもなった」


 そう言うと、狗男はククッと喉を鳴らした。


「いやぁ、変ですよね。その話、無理があります。あなたの使いの人は、我々の挑発を伝えられただけで宿主人を殺すでしょうか。いいえ。そのためだけに殺したのではなかったのです。もしかして、宿主人は、我々が殺したことになっていませんか?」


「なあっ!?」女が目を見開いた。


 くそっ、勘のいいバケモノだ。


「あの宿は、客室の暖炉には石炭でなく、まきを使っていました。つまり、〈ゼムンクラン商会〉から石炭を買っていなかった。

 宿主人は、以前からあなた方の乱暴な商売をよく思っていなかった。一方、あなた方にしても彼は目障りな存在だった。

 そこへ偶然、やはりあなた方に石炭を売らなかった商家か石炭を積んだ馬車とともに泊まった。

 宿主人はここぞとばかりに〈ゼムンクラン商会〉の真実を暴露し、売らないよう入れ知恵しました。

 使いの人は、その挑発の内容と宿主人の表情から想像できたのではないですか? 

 だから、我々が未明に宿を出たタイミングで、使いの人が宿主人を殺したのです。殺人の罪を我々にかぶせるという、予め決まっていた計画通りに。

 未明に宿を出たところを見ていなければ追っても来れないでしょうが、あの極寒の夜中、ずっと宿を見張っていたのだとしたら、いい根性をしています」


「狼どの。こやつらは、なぜ石炭のためにそこまでしたのだ」

 女が覆面の下から問いかける。狼は見た目通りのあだ名だろう。


「商人の本懐である大きな儲けになるから。そして、その儲けを認めてくれる黒幕が後ろにいるからでしょうか。その黒幕とは、ティミショアラ都宰相カリネスコ──。〈ゼムンクラン商会〉は、また石炭の大口取引に応じてもらう見返りとして、俺たちに居酒屋殺しの汚名を着せて、殺せとでも命じられましたかねえ?」


「我々の石炭を奪うだけでなく、都宰相とも結託したのか。痴れ者め!」


 女が目に怒りを燃え上がらせて、こちらを睨み付けてくる。

 ズヴェズダンは馬上からその視線を手で振り払った。


「うるさいっ。〈ゼムンクラン商会〉は、このバチュカ平原の石炭販売を一手に仕切ってきた商家だ。ワシが石炭を売ってやらなければ、ヤツらは冬を越せないんだ。ワシの商売を余所者なんかに邪魔されてたまるか!」


「そうですか。ふぅ……本当に諦めの悪い人だな」


 狗男は斧を地面につき立て、両手を高々と挙げた。


「おいっ。今度は何の真似だ。降参か? 命乞いはもう聞かんぞっ」

「いいえ。そうではありません。これは──」


 狗男は再び、狼笑わらいかけてきた。


「あなたへ地獄の門を開く、合図です」


 挙げた両腕の間を、一陣の雪風が翔け抜けた。

 ズヴェズダンのひたいを矢が貫いたのは、その瞬刹しゅんせつの間であった。


 悪名高き〈ゼムンクラン商会〉会頭は、自分がいつ、どうして死んだかも自覚できないまま地獄の門をくぐったのである。


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