第18話 狼、温泉宿をつくる(12)


 二日後。ティミショアラ某所。

「失礼致します。太夫たいふ。デーバから書簡が参りました」

 執務デスクに座った直後に、ヤマガタ中佐が部屋に入ってきた。

「初めて見る封蝋です。狼の封蝋です」


 来たか。

 ダイスケ・サナダが手を差し出すと、その上に書簡が置かれた。


「あれ、この手触り……和紙だね」


「そのようです。この世界でも珍しい素材です。なお〝上肢〟からの報告では、至急・親展とのことです。太夫以外の者が見れば、字が消え、眼がつぶれる呪いがかけられている由」


「へぇ。それはそれは……ご丁寧に」

 ペーパーナイフで封蝋の帯を切る。

 開けて、思わず眉根をひそめた。思わずデスクに投げ出す。


(やってくれんじゃないの。〝タクロウさん〟)


「白紙ですか? 上肢どもに問い合わせてみますか」


「いや、ヤマガタさん。これでいいです。検閲した者がいれば、もうとっくに死んでるでしょう。ご苦労さまでした。ちょっと席外してくれます? あ、例の冬演習っすけど。ヤマガタさんとスワ中尉にお願いしていいっすかね」


「はっ。我々でよろしいのですか」

「ええ。その代わり、兵站は本領からしっかりサポートさせますんで」

「了解しました」

 ヤマガタ中佐が敬礼して出て行くと、ダイスケは大きなため息をついてから、クククッと笑った。


(土方副司令の言った通りだ。我らが勇者はまだ、死んじゃあいなかった)


 こちらの暗号を解いただけでなく、こういう「打てるもんなら打ってみろ魔球」みたいな変態球で仕返してくるのだから、面白い。


「さてさて。こりゃあどう読めばいいのかな、っと」

 デスクチェアをくるりと回転させて、ダイスケはウキウキした気分で正面に戻る。


「なるほど。呪い、か。なら、こういう手かな」

 ダイスケは目を閉じて、指で和紙をなぞった。

(確かにこれなら、バレない……かな)


【アッチョンプリケ野郎へ】


 ダイスケは思わずデスクに突っ伏した。起き上がる時に腹を押さえて部屋いっぱいに大笑していた。

「あー、やっばい。腹痛てぇっ!」


(発想が北千歳時代のタクロウさんのまんまだしっ。まったく……懐かしいなあ)


 土方の話では、あの狼男は自分たちの知っている勇者ハガネタクロウではないらしい。偽報かな?


【もし、この書き出しであんたが腹を抱えて笑ったなら、こちらでサナダという名前に聞き覚えがあるのは、一人しかいない。】


(えっ……?)


【そいつの名前は、真田泰輔。剣道で、高校三年間インターハイ、全国選手権で無敗。大学選手権で三連覇。国際大会で二連覇を誇る無敗の剣鬼だった。

 でもこの男はちょっと特殊な思考者で、高校時代、人から借りた金で五つ下の妹をご当地トップアイドルにまで推し上げた挙げ句、その妹と結婚してしまったアホだ。】


(あほっ?)


【その借金の取立てに俺が三度行かされて、木刀で斬りかかられた。抜刀からの右胴。知っていなけりゃ反応できなかった。】


 おれの太刀筋を知ってた。ダイスケは文面から指が話せなくなっていた。


【結局、俺は真田泰輔の両親に泣きついて返済に成功した。この男のお陰で、俺は金融と法律を学ぶきっかけになった因縁深い人物だ。

 だが最後の取立てで向こうから恨みを買い、高校三年間、大学四年はヤツの視界に入らないようにしていた。だが聞こえてくるこの男の破天荒な武勇伝には事欠かない。ここでは書かないが。

 俺はヤツをその所行から〝アッチョンプリケ野郎〟と呼び続けた。本人は喜んでいたが、とにかく無茶苦茶なヤツだった。

 あいつの名前を最後に聞いたのは、前職を辞めた翌年だ。北海道北千歳駐屯地に転勤になったと聞いた。】


(狼も、自衛隊に入隊していたのか。なら、もう〝タクロウさん〟でいいよね。そっちこそどんだけ勇者なことをしてたか言っちゃおうかなあ。特に総司令との馴れ初めとかさ)


【本題に入る。ニコラ・コペルニクスの居場所がわかった。】


(っ……マジか?)


【本人確認は未達。しかし、安全は確保されていると信じている。】

(未達なのに、安全確保がされているとなぜわかったか、そっち書きなよ)


【こちらからの頼みは、大公とその傍にいる宮廷魔術師エリス・オーの情報が欲しい。

 本名は、ディスコルディア。帝国魔法学会における〝黄金の林檎会〟の主宰。

 異名は〝混沌の魔女〟。この女が、〝星儀の魔女〟アストライアを追っている。】


(帝国魔法学会。帝国にある魔法界の権威組織。アストライア……なるほど)


【バトゥ家政長は大公に警戒されている。そちらからカラヤン・ゼレズニーに大公謁見のお膳立てを頼めないか。大公に近づけなければ反乱と口にするのも虚しい。】


(そう。ケプラーさんやオッペンハイマーさんが口にする反乱は、今じゃ大公側に無視されるようになってきてる。それが目的なんだけど、おじさん達は赤穂浪士が好きだよね。

 でも、ニフリート様の四肢再生と〝龍〟の復活で、大公サイドは再び警戒感を募らせ始めた。……あれ? でもあれってタクロウさんの仕業ってことになってなかったっけ?)


【最後に、あの会での暴言を謝罪しておく。すまなかった。 狼 】


「いいじゃないかぁ。愛する可愛い妹と恋愛結婚するのは男の夢だよ」


 ダイスケはちょっと不平を込めてアヒル口を作ると、インターホンで秘書課を呼んだ。


『はい』

「今冬に起きた、重力制御装置暴走終息のファイル持ってきてくれます?」

『承知しました。あの、太夫』

「ん? なに」

『ひと月ほど前に発生した、帝国特殊部隊侵入の件ですが』

「ああ。四人ともダンジョンに入ってすぐ、誰かにやられてタンパク質になったやつ?」

『はい。その同時期、監視カメラ映像ファイルに意図的な削除か所があったと警備部分析課から報告を受けています』


「発見はいつ?」

『二週間前です。警備部長のホンダが、発見遅滞の謝罪と釈明に面会を申請しておりました』

「削除したデータと削除者は誰か聞いてる?」

『削除データは二〇三四件。削除時刻の担当はマクガイア・アイザック・アシモフです』

「データ復元は?」

『九八%が不可能だそうです』


 あのおじさんも臥薪嘗胆が好きか。浪花節なんて、誰が得するんだか。


「わかりました。それじゃあ。ホンダさんに報告書提出するよう言っておいてくれます? 削除か所の詳細をつけてくれたら、厳重注意で決済するからって」

『承知しました』

 インターホンを切ると、ダイスケは和紙を摘まんで、デスクチェアをくるりと回転させた。

「いいねえ、久しぶりに楽しくなってきた。真田泰輔か……改名しようかなあ」


  §  §  §


 話は戻る。

 透かし彫りの手紙を入れた封書を持たせ、トビザルを返信に走らせる。

 合流場所はオラデアを指定して、路銀も渡した。

「こんなに……いいのか?」

「将来的に、お前を〝上肢〟にしたい」

「は?」

「これからは、密かにサナダ家政長と連絡をとりたいんだ。そのためにはお前を上肢にする必要がある」


「家政長が必要と感じたら、おれじゃない誰か上肢をつけるって……」

「だめだ。信用できない。俺専属の上肢が必要だ」


 トビザルがそこで初めて笑顔を作った。


「あんた、変わってるな」

「見た目通りだろ? オラデア新市街の〝クマの門〟という居酒屋に行けば、俺が捕えられるようにするから」


「わかった」

 トビザルは振り返らず、東を目指して走り去っていった。


「まぁた、メンバー増やしちゃってさ」

「そったいそったい。そのくせ、なんでんかんでん独りで動き回っとやもんねー」


 スコールとウルダが両サイドから目でチクチクと俺をさいなむ。

 ちなみに、馬車係はメドゥサ会頭に帰国の準備の手伝いを命じられ、ティミショアラに残った。その代わりニフリートが道中に加入する。携行武器は、クワとウサギキネである。


「ドワーフの町に行くのなら、わが相棒をちょっと直してもらおうかと思うてな」

「おひい様は、本当に農業がお好きなのですね」

「当然じゃ。わしの〝らいふわーく〟じゃからのう」


 これが米作りだったら、旅の途中で水の心配とかし始めそうだ。


「おひい様は、麦は作られますけど、米は作らないんですか?」

 その一言が余計だったらしい。

「うむ。カツドーンの米は確かにほかほかで美味かった。じゃがの。あの品種は寒冷地に向いた品種ではあるまい。そもそもあの米は水を多く吸っておったから、水稲米であろう。陸稲米はもっと粒が小さいしな。この地で作るためにはまず、寒さに強いきびなどの品種を交配させて寒冷地に耐え、虫に強い米の系譜を──」

 以下略。

 おひい様の中で、何かのスイッチが入ってしまったらしい。


(この旅で、ニフリートに農業関連の話題を振るのはやめよう)

 そう心に誓い、俺は北へ鼻向けた。もちろん、話題を振った責任をとって米講義を最後まで拝聴する。


   §  §  §


 太陽が中天を少し降りた頃だった。

 ふいに、うちの巨馬が足を止めた。アラム治領に入ってすぐの平原である。

 道の先は森林につながり、その森の中までは見通せない。

「スコール。ウルダ。偵察に出て」

「了解」

 二人は幌から出るなり、御者台を蹴って飛びたった。


 俺は幌の中に戻り、戦斧を手に取る。それからこちらをわくわくと見つめる龍公主二人に声をかけた。

「カプリル様。主戦力出撃の準備をお願いいたします」

「よっしゃあっ。待ってたでぇ。任しといて!」

「情報を集めたいので、敵は不殺でお願いいたします」

「わかっとるわかっとるっ」

「狼。わしも戦えるぞ」


 ニフリートも興奮に瞳を輝かせ、身を乗り出してくる。

 俺は幌カーテンの隙間から敵のニオイがする森林を見つめたまま頷いた。


「お二人にはこの馬車の防衛をお願いします。おそらく相手は騎馬で接近してくるでしょう。向こうはこちらの戦力を知りません。突っ込んでくる前に迎え撃ってください。こちらには非戦闘員も乗っています。近づけさせないように」


「承知したのじゃ」

 俺は最後にリンクス婆さんを見た。

「ちょっと荒事になる。すぐに終わらせるから」


 リンクスは横になり、モモチのももの羽毛に頭を埋めていた。


「そう願いたいね。終わったら起こしてよ」

「ああ。わかった」


「あとさ。この方角での応戦は、凶。この辺に少し小高い丘があったら、そこへ移動しておいたほうがいいかもね」


「小高い丘?」

 すると、ニフリートが背後を振り返った。


「それなら、狼よ。先ほど通った所にそんなのがあったぞ?」


 俺はうなずいた。領境の道標塚だ。再び御者台に座ると俺は手綱を返し、うちの巨馬に来た道を戻らせる。


「モモチとやら。そちは何もせぬのか」ニフリートが訊ねる。


「ほっほっ。あいにく荒事には向いておらぬ老骨ゆえ、ご容赦を。むしろ、伝説に鳴り響く龍公主お二方が御出ましになるのであれば、この年寄りに出る幕はありますまい」


「うむ。もっともなことじゃ。そなたらはそこでじっとしておるがよいぞ。われらが見事、守り切ってみせるのじゃからな。のう、リルちゃん」

 ニフリートが勇ましく請け負ったところで、敵が動いた。


 森の中から人馬混じった集団が横並びで進んできた。その数、五〇人。

 俺は御者台から振り返りながらそれを眺めて、うんざりした。


「敵前衛、前進を始めました」たった二日で、よく集めたな。みんな暇か。


「狼。ニフリート[プリティヴィーマ]──出るぞ!」

「狼。カプリル[パールヴァティー]──出るで!」

「武運長久を!」


 二人は馬車の荷台から飛び出して、ユニゾンする。


「「そは、星とそらに御働きを現じ給う、龍王なり!」」


 音声認証。二人の脚部レギンス腕部スリーブからマナが吹きだした。【火】と【風】が混じり合い、左右二対の火輪を顕現させた。火輪を得た二人の足は地に着かず、地表を滑るように飛びかけり、あっという間に敵陣へ突っ込んでいった。


「南無……っ」


 龍公主ドラゴンの餌食として食い散らかされるであろう烏合うごうどもに、合掌。


  §  §  §


「あーあ。あいつらもう始めちゃってるよ」


 スコールが針葉樹の間から阿鼻叫喚が沸きたつ平原を見て、嘆息した。

 ここから見ても一方的な戦力差だった。あの機動力差では、敵の士気が持たないだろう。こちらは量より質をとって、さっさとこの場を決めた方がいい。


 カッコー カッコー カッコー……。


 ウルダが呼んでいる。大将首を見つけたらしい。


 単独で仕留めないのは、敵が複数いるからだ。普段は狼にべったりな少女も、仕事は慎重で厳格だ。失敗・敗北という言葉を何よりも嫌う。〝魔狼の王〟の時は、お互いヤマビルに悩まされて大失態だったけど。


 やがて森の少し奥まったところで、地上に敵の騎影三つ。針葉樹の高位にウルダを見つけた。


 ホー ホー ホー……。


 スコールからも敵影捕捉を確認したことを伝える。


 視線が合った。スコールは手話で、ウルダに位置関係から、大将首を譲る。ただし、残りの二つはこちらが仕留める。タイミングはウルダの二秒後。それを指示。


 ウルダは即座に了解を送ってきた。そして、高枝から音もなく降下した。


「なっ。お前、いつの間──」


 大将の声を聞いて、側近二人が背後へ振り返るや、スコールはその一人の後頭部を膝頭で衝撃。その崩れかけた肩を踏み台にして跳躍。剣を抜きかけた男のあごを蹴り抜いた。男の顔は首が一周するほどの勢いでふっとび、馬上から地面へ頭をつっこませて動かなくなった。


「お見事」

 ウルダは早くも、大将首と見なした男の両手を後ろ手に縛り終えていた。


「なあ。この場の隊長は、あんたか?」


 スコールが凍りついた目で見据えると、男は馬上から唾を吐きつけてきた。それを躱して、小短剣を投げた。男の胸に浅く刺さる。


「ひっ! ひっ……あ、あれ。あんま、痛くねぇ?」


「あんまり余計な動きをするなよ。息も浅くだ。これ以上オレ達にヘタな真似をすると、その刃が身体の中で心臓を斬り裂く。……答えろ。ここの仕切りはあんたか?」


「そ、そうだ……っ」

「主人の名前は?」


「クリマス・ボッター。オラデアの町を治めている方だ」


 ウルダと目配せで通じた。


「襲撃隊はこれだけか。他に待ち伏せは?」

「……っ」


「なあ、状況わかってるか。あんたのその胸に刺さったナイフをきれいに抜いてやれるのは、オレ達だけなんだ。あまり舐めた態度をとってると、一生の損をするぜ?」


「が、ガキだからって〝銀狼団〟に盾突いてただですむと思うなよっ!」

 痛みがないことは、死から遠ざかっていることではないんだけどな。


「あっそ。じゃ、次の待ち伏せがあるってことでいいな? なら、あんたはもういいや」


 ウルダが小短剣をぬいて、軽やかに飛び降りる。着地する前に馬の尻を蹴った。

 男は後ろ手に縛られたまま悲鳴をあげて、馬の気まぐれに命運を託しつつ遠ざかっていった。


「スコール。こいつら銀狼団やて」

「なぁあ? 銀狼団なら、オレ達だよな?」

 二人は肩をすくめて、苦笑した。

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