第17話 魔狼の王(16)


 カラヤンは、バトゥ都督補の世知辛い政治判断をやすやすと払いのけた。


「いいえ。そいつぁ違いますねえ。狼がオラデアで卵を殺したことで、巣がオラデアだけだったのか。それとも別に巣があったのかはっきりしたのです。結果は後者でした。ヤツらはデーバの地下水路で卵をかえす気だ」


「なんだと、卵?」


「一から十まで順序立てて考えれば、そんな難しい理屈じゃありません。ヤツらは邪神でもなんでもねえ。一動物として増えるんですよ。オラデアの女王アリは洞窟に籠もって産卵期に入った。なら、デーバの女王アリも産卵期に入ったと見ていいはずだ」


「でも、カラヤンさん」俺が口を挿んだ。「デーバの女王アリは産卵期に入るために、どこで養分を摂ったのでしょうか。彼らは温湿な環境を手に入れるために、地上の人間を襲撃するのを一時取りやめたという推測を乗り越えなければならなくなります」


「おい、狼。おめぇともあろう奇術師が、ヤツらの手品にひかかっちまってんのか」


 えっ、手品? あと、誰が奇術師だ。

 俺はバトゥ都督補と顔を見合わせて、次の瞬間、目を見開いた。


「あっ!? そうか、デーバの町を襲った〝魔狼の王〟護衛艦三隻っ」


「気づくのが遅ぇ。おめぇの推測通りなら、あいつらが喰った物がそのままテメェの腹に収まったはずがねぇんだ。ヤツらは女王アリだけを飢えさせないために食糧を運ばなければならない時期なんだからな」


 カラヤンが鬼の首を取ったように不敵に笑う。子供かよ。でもマジ悔しい。


「おい、二人とも。上官の私にも分かるように話せっ」


 俺はばたばたと執務デスクに駆け寄り、置かれた報告書をひっつかむとバトゥ都督補に見せた。ある一文を指さして、


「……町の中に入れてしまった三隻の魔狼が推定三〇〇人超を捕食。うん、さっき読んだ。これが?」


「先に突入した護衛艦三隻は、オラデアから女王アリである旗艦を失ったままデーバの町を襲いました。被害はデーバの町総人口の約二割。でもその護衛艦三隻は住民を食べてなかったんです。

 より正確には、栄養に変えた状態で自分の活動養分とせず、地下にいる旗艦の元へ運ばれていったんです。単体個体──ヒルに分離して」


 バトゥ都督補が軽く手で制した。


「待て。ちょっと待ちたまえ。この報告では、ヤツらは地上で死んだのだろう? 地下まで、どこを通って運んだのだ?」


「町の雨水を地下に通すための排水溝ですよ。ヤツらの原型はヒルやミミズといった環状型小動物です。それくらいの大きさであれば、難なく地下まで入れます。町中を人を喰らいながら走り回り、同時に栄養をもった単体個体を排水溝に落として回っていたのです。

 栄養を運んできた単体個体と結束した女王アリである旗艦は、その栄養を使って産卵期に入った。つまり、〝魔狼の王〟はデーバの町の地下で、もう産卵を始めているのです」


「ということは、どうなる?」


「デーバの町住民は早晩、凶暴化した〝魔狼の王〟の尖兵である駆逐艦によって皆殺しにされます。そしてデーバの町を足掛かりにその勢いを周辺都市にも及ぼし、邪神による食いつくしが始まります。叩くのであれば、今です」


 そこへ、ドアがノックされる。執事らしい老紳士が入ってきた。


「失礼いたします。館主。銀龍公主セレブローネ・アルジンツァン・ズメイ様。アルジンツァン家家政長ヴァレシ・アッペンフェルド様が、火急の用件と、お見えになっております」


「なに。龍公主様みずからだと。すぐに会議室を開けてくれ。あと飲み物の用意を、紅茶を頼む。紅茶には煮沸したブランデーを少量だ。香りの良いやつを使え」


「承知いたしました」

 老執事が退室するとと、バトゥ都督補は俺の書いた報告書を掴んで立ち上がった。


「狼。デーバの件。風呂屋営業を止めずに、なんとか地下だけを駆逐する方法を考えてくれ。三万の兵力を養うのにデーバからの歳入を止めるわけにはいかんのだ」


「おそれながら、中央都並びに他の三都市から軍の維持費の資金援助はないのですか」

「それが雀の涙だから、こうして頼んでいる。鎖国とは国を富ませる政策ではないのだ」


「……承知、しました」

 言いたくなかったけど、言わされた。恥も外聞もなく先立つものは、金っ、金っ、金である。


  §  §  §


 ロビーに現れたのは、老当益壮たる白髪の豪傑。その左腕には白銀糸のパオをまとった十二歳くらいのしとやかな少女を腰掛けさせていた。

 大きなユーカリの木に、コアラがしがみついているように見えた。


「おい、そこの畜生。当家龍公主様と同席するとは無礼だろうが。控えよ」


 会議室。

 なんの考えもなくカラヤンの横に座ろうとしたら、来客側の老将から叱られた。タバコと酒で燻されたハスキーボイス。やさぐれたヤンキー爺さん。


「これは身の程をわきまえず、大変無礼を働きました。お許しください」


 俺はすぐさま席を立ち、壁ぎわに立った。声で分かる。こういう人物とは喧嘩してはいけない。


「アッペンフェルド。いけず言うたらあきまへんぇ。あんお人はわっちの命の恩人ですのやろ?」

 龍公主セーレブロがはんなりした口調で家政長を窘める。だが家政長も負けてない。


「物事には序列ってのがあります。セレブローネ様にはそこんとこ、ご理解いただきますよう」

「なんや気詰まりやなぁ、もうっ。堪忍やで、狼はん」


「いえ。アッペンフェルド様のご指摘の通りかと」


 すでにこちらの素性を知っての叱責か。もしかして警戒されてるのか。俺。


「それでは、深夜の火急とは何事かな」

 バトゥ都督補が話を進めた。


「おい、バトゥ。客に茶の一つも出さないうちから本題に入るのか」

「眠い。寝つきの悪くなるような話なら、茶がくる前に聞いておきたい」


 セレブローネが袖で口許を隠しながら笑った。どうやら三人は長い交誼があるらしかった。


「まあいい……シャセフィエル様が〝聖掃の儀〟に失敗された。聞いているか」

「ああ。耳にはいっている。先例通り、年明け前だ。だが貴様からこんな夜分に持ち出される話題としてはいささか……」

「……」


 オッサン二人が目と目で通じ合う交信をする。


「大老が変わったのか。いつ。誰だ」

「兵を出す直前だ。ここの元宰相カシム・カリネスコだ。前任のエリアーデ枢機卿の指名だ。老衰で余命幾ばくもない。じきに弔旗の通達がこちらにも来るだろう」


 バトゥ都督補は忸怩じくじたる嘆息とともに、机を一度だけ軽く叩いた。


「もうじき、金龍公主様もこちらへお見えになる」

「なんだとっ。どういうことだ。貴様たち、何を企んでいるっ?」


「おや? バトゥ。我らはてっきり翡翠が狼煙のろしを上げたと思ったんだがな」


 ニフリートの四肢再生の件だということは察しが付いた。


「アッペンフェルド。れ言を吐くな。私が就任したのは、今月だぞっ」


「ふふふっ。ニフリート様に四肢が戻り、ムトゥが逝去され、シャセフィエル様が〝聖掃の儀〟を失敗された。もはや公国のたがが外れた。そう見る家政長が俺だけだと思うか?」


「何を言っているのかわからんな。それならオラデアの処遇はどうする」


「ふん。長生きだけが取り柄の民衆煽動家くずれには、我々の企画は荷が勝ちすぎる。それを話すために金龍公主をこちらにお呼びするのだ。旧王国反乱の対応に乗じてな」


「早い」

「なに?」


「その話をするには早いと言っている。貴様の口癖を借りれば、問題処理の序列が違う。〝魔狼の王〟の被害拡大を抑えるのが先だ。この際、シャセフィエル様には暗愚の汚名を着てもらうしかあるまい」


「暗愚なのは、〝魔狼の王〟の討伐如何いかんに関わらずじゃないのか」


「アッペンフェルド。なら言ってやる。デーバの町の地下に〝魔狼の王〟の巣ができた。部下の報告に寄れば、産卵が始まっていると推測される」


「なんだと。産卵? 冗談だろ。〝獣の神〟から分かたれたのは、邪神ではなく生物だとでも言い出すつもりか」


「気づいてなかったのか?」


「アッシマー男爵からの報告にそんな話は一度もない」

「ヤツはその重大な事実を知っていながら、売上げを伸ばしていたのかもしれんのだぞ」


「そういう言い方はよせ。アッシマーはあくまでも金儲けのうまい行政官だ。貴様のところのティボルだったか。あやつが持ち込んできた石けんで、デーバの国内知名度は急上昇した。

 アッシマーがデーバの町以外に石けんを売らせなかった戦略も功を奏した。その相乗効果で、貴様も随分潤ったんじゃないのか。アッシマー一人にその責を負わせるのは卑怯だろ」


「無論だ。外との交易収支だけで、親軍三万の兵を養えばすぐに力尽きていたからな。だがそれとこれとは話が違うし、別に責任転嫁を謀りたいわけでもない。

 とにかく、反乱軍との戦端が開かぬうちは、〝魔狼の王〟への対応が先で、そのための早急な協力を頼みたいと言っている。反乱軍どもの目先がグラーデン公に向いている間にな」


「具体的には」

「風呂屋〝セーレ・フローラ〟の七日間の営業停止。住民の一時退去。町の封鎖だ。それであとはなんとかこのカラヤンが対応する」


 隣に座るカラヤンを一瞥して、白髪の老将は鼻を鳴らした。


「馬鹿を言うな。七日だと。そんなことをすれば、せっかくできたばかりの流通が他へ奪われる。ここまでのアッシマーやティボル達の苦労を棄てる気か」


「魔物が出た町の評判など一日でとっくに地に落ちるものだ。長期的に考えれば根絶は今しかない。町の真下に〝魔狼の王〟が王国を作ってからでは遅すぎるのだ」


「バトゥ。まだ規模を確認したわけではないのだろう」


「アッペンフェルド。悠長な楽観論は、自滅への獣道の一歩だと知れ。入り込んだが最後、引き返せなくなり、迷走が続く。〝魔狼の王〟の生命力は貴様も忘れたわけではあるまい。私の部下はその産卵のタイミングを調査し、真実掴んできたのだ。叩くなら、今だ。

 先の御子様の時、我々がアレの始末をするのに何年かかった。何万の兵を使った。真実を見誤っていいタイミングはとうに終わっているのだっ」


「……ちっ。耳が痛てぇなあ」

 アッペンフェルドの口調が不意に砕けた。


 そのタイミングでドアがノックされた。

 執事がミールワゴンでティーポットを運んできて、給仕に取りかかる。


「あらあら。リンゴのええ香りやわぁ。……ほ~、温まるわぁ。よー眠れそ」


 白袖でカップを包み、セーレブロがほっこりと微笑む。匂いから、リンゴのブランデーを使ったようだ。龍公主が手をつけたのを見届けて、家政長二人もカップに口をつける。


「なあ、バトゥはん」

 龍公主が声をかけると、バトゥはカップを置いて居ずまいを正した。

「はい」

「たとえ話なんですけどなぁ。営業を続けたまま〝魔狼の王〟を討伐することは可能ですか?」


「それは……」

「アッシマーから町に魔物が入って、結構な火事があったいうて報告が来てますぅ。せやけど、この間、町に寄らせてもらいました折に、町衆さんはなーんとも困った様子もなく、お稼ぎのようでしたけどなぁ」


 セーレブロは笑顔のまま言った。


「わっちも広いお風呂に入りたい思て、あのお店建てましてなぁ。最近は冬でも三日に一回は入りたいんですぅ。なんとかその半分で、してくれませんやろかぁ?」


「っ……承知しました」

「おおきに。ほな、よろしゅう」

 セレブローネ・アルジンツァン・ズメイ。はんなりと癒し系の笑顔で、えげつない請求をしてくる、遣り手の〝お嬢さん〟だった。

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