第17話 古狸(ふるだぬき)の皮算用


 スペルブ・ヴァンドルフ中将、死す。


 この凶報は、秘匿され、王宮議会にも箝口かんこうれいが敷かれた。婚約者であり、国王の第一王女オクタヴィアにさえ伏せられた。


 ネヴェーラ王国旗には、王冠を支える二頭の〝鷲獅子グリフォン〟が描かれている。

 左が、エスターライヒ家であり、右がヴァンドルフ家である。と豪語する市民は多い。無論、根拠などない。


 彼らがそれを誇るほどに、王国は二大貴族によって治世を支えられた。彼らこそ鷲獅子本来の「黄金を見つけて守る。富と知識の象徴」を体現していたからであった。


 だが、その双頭の一郭が崩れた。


「報せに参った義勇軍の名は何だったかな」

 国王カロックⅡ世が疲れた声で尋ねる。


「パラミダ義勇団でございます。陛下」

「うん。鏖殺おうさつせよ」

「……っ!?」

「スペルブの死を帝国や七城塞公国だけでなく、エスターライヒにも報せてはならぬ」


「恐れながら、陛下。お待ちください。それは危険にございます」

 宮廷魔術師ボーラヴェントがすぐにいさめた。

「危険?」


「はい。聞けば、その者。アスワン軍の要衝ビハチ城塞を落としただけでなく、旅団から兵を起こし、既に兵七五〇〇を超え、システアの奪還にも成功しております。


 カーロヴァック戦役において彼の者の貢献は小さくはありません。その上で、ヴァンドルフ中将の遺体を王都まで秘密裏に運び、王国の事情を忖度そんたくできる機微もございます。


 所詮はどこの馬の骨かもわからぬ田舎の小僧。ヴァンドルフ家の代わりなど務まるはずもござりませんが、当座、東の駒としてお使いなさるが肝要かと」


「ふむ。だが旅団のかしらごときが、二六〇年続いた王国貴族の末席に名を連ねられると夢を見られても虫酸むしずが走るわ」


然様さようにございます。それゆえ、ヤツらを使い潰すほうがいくらか有用かと」

「……グラーデンへの備えか」


「ご明察にございます。旅団とは本来、どの国の法にも従わぬ無法者。わが王国の軍制に照らして部隊配属を切り分け、パラミダという小僧には不満が出ない程度に手勢を残しつつ、無用の兵力を与えてはなりません。

 それよりも、今はスペルブ・ヴァンドルフ中将の遺骸が還されたこの上は、死を国民にいつ報せるか。その頃合いが肝要にございます。この訃報で陛下の悲しみを伝え、国民に英雄の死をもって挙国一致を促し、東方面の防衛を再編。その頃には、冬。戦争も休戦となり。貴族達も落ち着く頃でございましょう」


「なるほど。からすよけの案山子かかしも、用が過ぎれば土に帰すか。後腐れがないな」


「ご明察にございます」

「よかろう。善きに取り計らってくれ」

「ははっ」

「それでは、これより対アウルス帝国の講和条件策定会議を始めよ」

 会議に参加した閣僚は、座席の彼我で意味深長な目線を交わした。この場にいない誰かを嘲笑する表情を一瞬顔によぎらせたが、すぐにそれも消えた。


   §  §  §


「予想はしてたけど。こいつは参ったね。どうも」

 システアに向かう荷馬車を見送りながら、エチュードは頭を掻いた。


「兄さん。おれ達。食糧と馬をくれって頼んだんだよなあ」


 弟のポロネーズが不安そうな顔で寄ってきた。兄弟でならぶと兄の短躯肥満がはっきりとわかる。似てもいない。そんなことを気にする様子もなく、弟はきな臭そうに顔をしかめた。


「頼んでもいない武器まであったよ。しかも中古品ばっか」


「食糧の荷駄にだも発注より多いが、内容はとうが経ったものばかりだったよ。こいつはていよく口止め料にして、あしらわれたかねえ。貴族の死体と下手人を差し出した代金としては悪くないけど、パラミダくんの貢献を認める気は更々さらさらないらしい」


 システアで起きた事件から、まだ七日しか経っていない。

 最初、被害者は牢屋に入っていた。

 軍務局に死体を引き渡し、顔を確認してもらって初めて上級将校スペルブ・ヴァンドルフ中将だと知った。


 エチュードも、被害者の軍服に縫い付けられた襟の徽章きしょうを見て尉官佐官でないことがわかったから、将官だろうというところまでは察しがついた。

 だから遺体を王都へ送ることをパラミダに進言した。それがまさかカーロヴァックでアスワン軍八万と戦っているはずの、東方面軍総司令官だとは。驚きを通り越して、あ然とした。


 システアはカーロヴァックの主戦場からは七〇キールも離れている。敗残兵を集めたアスワン軍駐留都市の粗末な牢屋で孤独に横死しているなど、夢にも見なかったことだ。


 牢番につけた連中は、エチュードの指示だった。ちょっと頭が鈍い上に、ネヴェーラ王国の公用語が話せない塩担ぎ人夫ら四人だった。ようは、厄介払い的に牢番をさせていた連中だ。


 彼らの間で、どんな諍いがあったのかわからない。

 牢番らはただ「馬鹿にされた」と連呼するばかりだ。


 弟ポロネーズを走らせて牢番らの知り合いを探させ、事情を訊かせた。だがやはり同じことの繰り返し。要領を得ない。


 その膠着こうちゃくを氷解させたのは、同席したパラミダのひと言だった。


「こいつ、今〝水をくんろ〟って何度も言ってるよな。ありゃあ、どういう意味だ?」


 それは帝国語の古いスラングだ。だがその単語は、牢番達の民族通用語では、その……男色を揶揄やゆするひどい侮蔑を意味する発音になる。


(嘘だろ? そんなささいな聞き間違いで、こいつらは人を殺す……かもなぁ)


 彼ら旅団との交流は数年に及んだが、こんな言葉の聞き違いは滅多に起こることではない。ましてや、一流貴族が低俗な平民の言葉に合わせようと心を砕いて古いスラングを口ずさむなど、聞いたことがなかった。

 そんな不慮の事故が、上流貴族と塩担ぎ人夫という、戦場でなければ生涯出会うことのない人種の間で起きてしまった。


 これだから人生は面白い。だが事態は限りなく、最悪だ。


 牢番達四人は即刻、逮捕した。王都には三人送った。

 一人が歯向かったてきたので、パラミダが短剣で顎から脳天へ刺し貫いた。


 なんなんだ、この強さは。エチュードが止める間もないほど躊躇いがなく、いっそ清々すがすがしいほどに人を殺す。


「通訳しろ。──お前らがやったことは、お前らの名誉を守った。だがオレの掟に違反した。捕虜を殺すなと言ったはずだ」


 言われた通りに通訳した。残った三人は仲間の死体を見て、意気消沈した。

 パラミダはそれで満足して手下二人を引き連れて、その場を立ち去った。


「兄さん……」

「後のことは、僕たち〝グルドビナ・ヴェルス〟でなんとかしろって事だろ? お有難ありがたいことだねえ」


 エチュードは丸っこい肩を落とした。

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