第16話 空が明日を分かつとも(16)


 サヴァイア=アオスタ領。

 いわゆる自治地区で統治権は、商業都市テューリンの統治者サヴァイア家。


 領内は、三つの山裾やますそが押しくらまんじゅうしてできた隙間のような土地。古代から侵攻の足がかりとなった要害として、現在は宿場町として栄えている。


 北に帝国。西に西方世界東端の都市サクラメントをのぞむが、ここが戦場となった記録はない。あくまで戦略上の重要拠点となっているに過ぎない。

 左右を山崖さんがいに挟まれた道をジェノアから二日かけて領内に入る。


 入口には石造りの関門が設けられていて、ここで通行税を取っていた。


「ええっ、九ロット?」

「通行税に馬車税(大型)、積載荷重税五人以上で、九ロット二〇〇ペニーだ。さっさとしろ」


 嫌なら戻れと言わんばかりの強硬な態度。仕方なく、金貨九枚と小銅貨二枚を渡す。


「あの、これ出る時もかかるとか、ですか?」

「その時に訊いてみるんだな。次っ!」


 横暴だ。俺は関税支払所を出て、馬車に乗り込むと強めに手綱をあおった。

 見渡す限りの山肌から下っていく雲に手が届きそうだ。

 俺は幌カーテンをはぐって幌内に声をかけた。


「調子の悪い人いない? 気分が悪くなったり、胸が苦しくなったら言ってよ」

 するとフレイヤが速い呼吸で胸を押さえつつ手を挙げた。

「うん。領内に入ったから、すぐに宿か商館を探すよ」


 俺は頷いて、もう少しの辛抱だと宥めた。

 標高差六〇〇メートルだとカラヤンが言っていた。気圧環境の変化による高山病予備かもしれない。俺はすぐに宿を探すことを決めた。


〝白い荒野亭〟。

 帝国語で書かれた商館で、厩舎があるのでそこに決めた。


「いらっしゃーい。何名様ぁ?」

 ひどく酒灼けしたダミ声の女性が迎えてくれた。


「宿泊。八人で」

「寝床代七五〇ペニー。スープ代一五〇ペニー。ロウソク代は三五ペニー」

「自炊場はありますか?」


「なら、スープ代ナシの、薪代で四〇だね」

「四〇? なぜです?」

「かまど税が十八だよ」


 出たな、冬場の悪魔かまど税。くそっ。旅人の足下を見やがって。


「自炊場を借ります。ロウソクは三本。滞在は三日間」

「じゃ、二二ロットと三五〇ペニーだね」


 暗算が速い。俺は金貨を二三枚だしてカウンターに置いた。


「体調を崩した者がが一人います。毛布を一枚多めに借りられますか」

「あいよ。それじゃあ二〇三号室だ。あそこは隙間風が少ないからね。毛布はあとで持っていくよ」


「ありがとうございます。──スコール。荷物は後でいい、フレイヤを先に寝かせてあげて」

「うん。──フレイヤ。部屋行くぞ」


 鍵を手渡し、スコールはフレイヤの右を支え、左にエディナ様(化皮バフ済み)がついていく。


「ヴィヴァーチェ。荷物の運び出しを頼めるかい」

「わかったぁ、楽勝ぉ」嬉しそうにロビーを外へ飛び出していく。


 残ったラルゴとロギが俺を見つめてくる。二人に鍵を一本ずつ渡す。


「それぞれの部屋に風を入れておいてくれ。五分ほどでいい。それが終わったら、荷物の運び出しを手伝ってくれ。俺は夕飯の買い出しをしてくるから。──ヴェルデ。ついてきてくれ」

「……うん」


 初日から感動のご対面とはいかないらしい。まずはこの町に慣れないと。


  §  §  §


 辺境地の山間部といっても、町並みは整っていて宿場町としては清潔だった。


 石畳は古代からの物がそのまま使われているが、脆弱さは全くなく、生活の土台としてしっかり町を支えている。資材を運び入れる手間もあるが、先人の苦労を無駄にしない町の姿勢がうかがえた。


 そして、この町は絹製品の店が建ち並んでいる。


 色とりどりに染め上げられた絹布や装飾品が売られていて、目に刺激的だ。お値段もそれなりで、ハティヤとライカン・フェニアに買っていきたいがすぐに断念する。


 そして、腹が、減った。


 最初の市場メルカートで、直径二五センチほどのソーセージ──モルタデッラがうまそうだったのでそれを十枚ほどスライスしてもらって、長さ四センチほどの腸詰めフランクフルトをひと房分、十六本を買う。しめて八六〇ペ二ー。標準価格だった。


 対して、牛乳とバターが激安。思わず牛乳を二リットル買う。タリアテッレも安かったので、それを八人前買う。しめて五二〇ペニー


 タリアテッレは、フィットチーネの兄弟パスタで、いわゆる〝きし麺〟を思わせる。前世界では硬質小麦や軟質小麦とか微妙な違いこそあったが、この世界でそれを気にする人さえいないだろう。


 他にフレイヤの体調を考えてイチジクの干果実を一袋とビスケットを買った。野菜をジェノアで買っておいたのは正解だった。冬の山岳部は野菜果実が割高だ。残りは帝国に入って買い足せばいいかな。


 荷物を両手に抱えこんでから、そう言えば助手がいたんだと思い出す。

 振り返ると、いない。


「おーい、ヴェルデー?」


 返事がない。仕方なく来た道を戻ると、いた。

 最近は丸まった背中が、俺にとってのヴェルデの〝顔〟になっていた。

 近づくと、やたら騒がしくなる。鳥かごだ。ヴェルデの前で数羽のコマドリが籠の中で狭苦しそうに騒いでいる。鳥売りの露天商のようだ。


「ヴェルデ、なにやってるんだ?」


 声をかけると、よく言えば朴訥ぼくとつ、悪く言えばぼんやりした顔がばつ悪そうに俺を見る。


「鳥、見てた」

「そうか。何話してた?」冗談めかしに言ってみた。


 ヴェルデは鳥かごに顔を戻して、


「……公爵夫人が鳥かごの中で、弱り切ってるって」


 何ッ。俺は思わずヴェルデのとなりに屈みこんだ。鳥が籠の中で激しく飛び回る。


「狼。こいつら狼が来たって怖がってる。近づかない方がいいよ」


「あっ、ああ。ごめん」慌てて立ち上がって後ろにさがった。

「ヴェルデ。もう少し鳥の話で公爵夫人がらみの話を聞けないか」


 なんの取り柄もなさそうな青年は、怪訝そうに俺を見上げた後、鳥かごを見て、


「……あの緑の部屋、クサイって」

「緑の部屋?」


「おい、あんたらっ。買うのか買わねえのかっ? 買わねえんなら、さっさと他所へ行ってくれ。商売の邪魔だ!」


 露天のオヤジがいがらっぽい声を投げつけてくる。


「この鳥は食べられるのですか?」

「はあ? 何言ってるっ。こいつは放ち鳥だよ!」

「放ち鳥。あー。なるほどです」


 いわゆる、〝放生会ほうじょうえ〟というやつだ。


 空挺団にいた細川という同僚が「うちは〝ほうじょうや〟ったい」と微妙な訂正をして大きな祭りがあるのだと言っていたのをふと思い出す。


 古代インドが起源とされる仏教儀式の一つで、仏教の戒律〝殺生戒〟せっしょうかいを元にして、亀や魚、鳥獣を捕まえたものを解き放つそうだ。神仏習合によって神道にも組み込まれたので、日本では神社も行っている。

 福岡県福岡市の苫崎宮はこざきぐう放生会ほうじょうやの祭りが有名だそうだ。

 ちなみに、アユやサケの稚魚の放流は、これとは違うらしい。


 まさかサンクロウ正教が放生会を行事にしているとは思えないが、教義の中にそんな一説が出てくるのだろう。商売はアイディア一つで、どこからでも引っ張り出せるもんだ。


「ヴェルデ、やるかい? 放ち鳥」

「えっ……でも、こいつら。早くエサくれって言ってるけど?」


 俺は思わず声にして笑ってしまった。

 するとオヤジが額に青筋をたてて立ち上がったので、俺たちは慌ててにその場を逃げ出した。

 ヴェルデに牛乳とバターを持たせて、商館に戻る。


「なあ、ヴェルデ」

「ん」

「潜入探索ってできる?」


「え? そりゃあ……兄ちゃんほど早くは無理だけど」


 ヴェルデの兄はアルバストルだ。頭の回転が速く、能力も高い。


「なら、メシ食ったら。公爵家を覗いてきてくれるか。当然、警護はそれなりにあると思うけど。あとで詳細を話すよ」


「うん。わかった……あの、信じてくれるのか?」

「動物と話ができることか? じゃあ、ヴェルデは俺に、狼の会話が分かると思うかい?」

「う、うん……さあ」

「ふふっ。そういうことだ。だから確かめるんだよ。それで無駄骨になっても俺は気にしないよ」


 とはいえ、自信なさげなんだよなあ。いまいち頼りない。ジェノアの時もほとんど馬車や宿でじっとしてたし。念のためスコールを付けようか。


  §  §  §


 今日の夕食は、モルタデッラとタリアテッレのクリームパスタ/腸詰めのグリルを添えて。

 フレイヤは食欲がないと言うので、タリアテッレを二センチくらいに切り揃えてワンタンくらいのぷるぷるになるまで柔らかく茹で、腸詰めグリルは外しておいた。


 あと、水は一度沸かした鍋を雪につっこんで冷ましたものを水差しにそそぐ。とにかく旅の中で生水は極力飲まないように注意喚起している。


 女性二人には【火】マナで皿を保温しながら運んだが、男どもは自炊場で立ち食いさせた。そして、そのまま作戦会議である。


「狼。オレもオレも~っ、オレも行くーっ!」

 ヴィヴァーチェがフォーク片手に大アピールしたが、さすがに却下した。


「オメーが行ったら、忍び込んでんのかカチコミかけてんのかわかんねーだろうが」

 俺が説明するより先に、スコールが容赦なく払いのけた。久しぶりの仕事で気合いが入っている。


「あーん? なら勝負するかぁ?」

「ばーか。こっちは仕事だ。ガキのケンカは間に合ってんだよ。黙って部屋で大人しくしてろ」


「はいはい。傾注して」時間が惜しい。


「別に暗殺してこいとか、機密文書を盗んでこいとか、そういう話じゃないからな。ただ、短時間のうちに手っ取り早く情報収集するのなら、目的地に行って見聞きした方が早いってだけの話さ。──ヴェルデ、屋敷の間取りと使用人の数の把握してきて。とくに例の緑の部屋を探してきてくれ。正体が知りたい」


「うん。わかった」


「スコールは、ヴェルデのサポート。それから病人の女性を探してきてくれ」

「どういうこと?」

「黙って見つけてくればいいんだよぉ!」


 ヴィヴァーチェがどこかで学んだタテ割り台詞を言ったが、俺はそれを手で制した。時間は惜しいが、説明を惜しんだ時間は後でダメージになる。


「今回の旅の目的は二つ。帝国にいるハティヤに会いに行くこと。もう一つは、その途中にあるこの町だ。メトロノーラ公爵夫人が病床にあるという連絡を受けて、母親であるエディナ様のお見舞いだ。ここまでは言ったよな。

 この話にはもう少し先があって、エディナ様はこれまで貴族と庶民の身分が邪魔をして接見が認められなかったそうだ」


「おかしいだろ。親子なのに会わせてもらえないのかよ」

 スコールが不平を言う。俺は鼻先を横に振った。


「スコールの違和感と、俺の今抱いている違和感は少し違うんだ」

「どういうこと?」


「貴賤結婚って言ってね。身分違いの結婚は貴族の方にデメリットがある。それを推して結婚したということは、身分が低いほうが経済的に裕福だった場合だ。マンガリッツァ家の場合は、それですらないそうだ。

 元もとここの領主様は身分意識が一般的な貴族よりも薄い感覚をお持ちなんだ。エディナ様の娘に一目惚れなんだってさ。そんな人が、奥さんの母親が訪れたことを知って、今さら身分を理由に接見拒否するなんて妙な話だろ?」


「じゃあ……その人の家来が、貴族意識高いとか?」


 いい着眼点だ。俺は頷いた。


「その理由も考えられる。なんと言っても次期国王にも手が届きそうな公爵家だからね。そりゃあ庶民とは隔絶した世界だ。でも、今の俺はどうもそれだけという気がしていない。何かもっと他にトラブルがあって、エディナ様には会わせられないんじゃないのか。そう思ってる」


「そりゃあ、きっと狼の思い過ごしだなぁ」

「オメーは黙ってろ!」


 ヴィヴァーチェの発言をスコールがはたき落とす。カチ合う目線がだんだん不穏なモノになっているが、俺は嘆息でスルー。時間が惜しいんだってば。


「エディナ様によれば、公爵夫人への接見要請はすでに出してあるそうだ。その返事がいつまでも来なかったので、待ちきれずに今回腰を上げられた。本来の付き添いはカラヤンさんだから、礼節をもって接見を直談判する予定だったと思う。だからこの偵察も先方に気取られないよう、慎重に動いてくれ」


「わかった」

 スコールが頷く。その視線が、となりを突き刺す。


「慎重に動いてくれって、オメーのことじゃねーからな。オメーは動くなよ」

「それは、フリだよなぁ?」


 ヴィヴァーチェが口笛を吹きかねないほど気にしない顔をするので、俺は思わず耳の後ろを掻いた。なんだかなー、個性が強い問題児だらけかよ。

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