第15話 収束(2)


 パオラ・フォン・タマチッチ。旧姓はベネリ。

 ベネリ家はヴェネーシアで海運業を営む大商家だった。


 パオラは十九歳にして、すでに結婚歴が三回。

 初婚は十五歳で、前二回の夫とは死別。相手は貴族当主の六三歳。二度目が十七歳の時に夫が五八歳だったというから、結婚生活は三年もたなかったことになる。


 若い幼妻の精気を狒々爺ひひじじいが吸い取ろうと目論んだ結果、逆に妻にナケナシの精気を財産ごと奪われたとなれば、いとすさまじきばかりだが、性生活はなかったそうだ。


「貴族と商家の結婚というのは、純粋に伴侶はんりょとなるだけでなく、その後ろ盾である家の財産が目的となる場合もあります。

 ですので、ベネリ家は海運業をうまくやっていたのでしょうが、名声と子供に不自由していたのでしょうね」


 というのが、貴族社会に造詣ぞうけいの深いシャラモン神父の推測だった。


「でもパオラさん、可哀想」ティーカップを両手に持ってハティヤが呟く。「相手がお爺ちゃんでも、結婚した相手に二度も先に亡くなられるなんて」


 シャラモン神父は顔を振る。


「ハティヤ。夫人は割り切っていましたよ。婚姻とは、家の存亡を左右するものだと。だからこそ、彼女は実家のベネリ家を潰したウスコクが許せなかったのです」


「どういうことでしょうか」俺は訊ねた。


 シャラモン神父は紅茶を一口すすると、嘆息に近い鼻息をついた。


「三年前。ヴェネーシア共和国からアスワン帝国に向けて航行していたアスワン船籍の輸送船が、ハドリアヌス海の共和国領海を出た直後に、ウスコクによって拿捕だほされたそうです。その船の船主が、ベネリ家だったそうです」


 便宜置べんぎち籍船せきせん

 事実上の船主の所在国とは異なる国家に船籍を置いた船のことをそう呼ぶ。

 利点としては、運搬する輸出入品の関税が安かったり、積載量別に課される船の税金も安くなる。

 この際、運航も実質的な所有主の国籍旗ではなく、便宜的に船籍を置いた他国の旗を付けることになる。


 ウスコクはヴェネーシア共和国と海賊契約を結んでいたが、〝獲物〟の便宜事情などは考慮せず、アスワン船籍と見なしてこれに襲いかかった。

 対して、ベネリ家はもちろん海賊対策を取っており、アスワン帝国に手を回して護衛艦を要請した。


「三年前。もしかして、その護衛を担当したのが〝ハドリアヌスの海虎シャチ〟ですか?」


「おや。ご存じでしたか。そしてウスコク側に、たまたまムラダー・ボレスラフが乗っていたようです。メドゥサさんが証言してくれました」


 メドゥサ会頭の武勇譚によれば、海戦は旗艦同士の船上一騎打ちになったそうだ。

 そして、対ウスコクに絶対的な信頼のあった海将が討ち取られた。


 この報せをヴェネーシア共和国の捜査当局からもたらされ、ベネリ家当主はその場で嘔吐して卒倒したほどだったというから、驚天動地のことだったらしい。


「これにより、ベネリ家は、武器の密造並びに密輸出の罪で逮捕されたそうです」

「武器の輸出、ですか?」

「ええ。それが……〝キャノン〟という武器だそうです」


 俺は目を見開いた。

 シャラモン神父はさらに説明を続ける。


「ベネリ家は、〝青銅製の装飾柱〟という美術品の交易認証を受けて、運んでいたようです。実際、ドラゴンの装飾が施された円筒柱だそうです。

 ところが、捜査当局から紛れもなく兵器だと指摘を受けたと、夫のタマチッチ氏が確認したそうです」


「待ってください。三年前というと、十六歳? 夫人はタマチッチ長官と最初の結婚からの面識があったのですか」


「タマチッチは地方長官になる前は、民事と海事を専門とする法律家バルトールスだったそうです。ベネリ家だけでなく、パオラ夫人の嫁ぎ先の家財管理もしていた人物でもあるそうです。

 夫人にとっては公私にわたるパートナーのようですね。タマチッチ氏と正式に結婚したのは、昨年だそうです。それまでは……まあ、愛人関係だったようです。

 事件発生当時、彼の赴任先であるこのセニの町に付いてきていたので、捜査範囲から外れたそうです」


 俺は下あごをもふった。


「もしかして。ベネリ家ははかられたのですか?」

「ええ。今となっては、そう見ることも可能。というだけですが」


 シャラモン神父は俺を一瞥してから、話すのをためらう表情を見せた。


「ここからは、私の経験則になりますが、おそらくヴェネーシア共和国だけに留まらず、ジェノヴァ協商連合全体も、以前からこの件に静観の構えをとっていたと見てよいでしょう」


 俺はうなずいた。いろいろ合点のいくことが多い。


「ベネリ家は、政治上の敵対国への密貿易を貴族に娘を嫁がせることで、貴族特権の威を借り、法の目をかいくぐってきた。ということですね」


 シャラモン神父はうなずく。

「推測の域は出ませんが、ベネリ家が年をおかずに二つの貴族の家に同じ娘を嫁がせたことからも、貴族権威に寄生していたことは明白です。

 にもかかわらず捜査当局は、尻尾を掴むほどの決め手がこれまでになかった。あるいは、自国領内で密造だけを立件しても、発注元アスワンへの抑制にはならない。といったところだと思います」


 だから当局は、受け渡しとなる海で現行犯逮捕するほかなかった。


 アスワン帝国への輸送段階。それもヴェネーシア領海を出た直後の、アスワン艦隊が護衛についた瞬間に武器を差し押さえ、今後の外交交渉の材料に使おうとしていたのだろう。


「でも、急に乗り込んでいって武器が見つからなければ、ベネリ家の思うツボですね」


「そのために当局は、海賊ウスコクに襲われたところをあくまで救助するという自作自演の筋書きを作ったはずです。

 ヴェネーシア共和国政府は、海賊がアスワン海軍に勝てないことが分かっていたので、足止め口実くらいに考えていたのかもしれません。ところが、たった一人の勇士のお節介のために、海賊が勝ってしまったわけです」


 よその密輸も政治的陰謀もうっかり全部ぶちこわしていくムラダー・ボレスラフ。英雄すぎる。そこでふと辻褄つじつまがあわないことに気づいて、俺はシャラモン神父を見た。


「それじゃあ、どうして〝キャノン〟は共和国本国に押収されずに、アスワン帝国に渡ってるのですか?」


〝キャノン〟は今や、カーロヴァック城塞にむけて〝ディナル・カルスト〟を通って運ばれようとしている。それを奪取するのがカラヤン奪還計画のキモだが、それが実は海を渡っていたとは数奇な運命をたどる兵器だ。


 すると美麗なる賢者は、ティーカップに微笑を浮かべて俺を見つめてくる。

 答えは言ってくれない。自分で思考することを促してくる。俺にも英才教育かよ。


「おじさんがアスワン帝国と戦ってる間に、武器はアスワン帝国側に渡っていたんじゃないの?」


 ハティヤがソファで船を漕ぎはじめたスコールにブランケットを掛けながら言う。

 海戦の最中に取引なんて……。俺は、ハッと気づいた。


「それだっ。カラヤンさんは一騎打ちに勝った後、船員をウスコク達に殺させずに護衛艦ごと本国へ返したんです。武器は、その船だ」


「えー? でも、護衛艦って軍船なんでしょ。どこにのせるの?」


 ぐぬぬ。それは……それは……っ!? もしかしてっ。


「海だ。網だよっ。武器は船の下に網をつけて海の中を運ばれていった。武器の受け渡しは一騎打ちが始まる前から、護衛艦と合流した時点で既に終わってたんだ」


 具体的には、船の右舷と左舷にマストほどの長い棒を設置し、ゾウの牙のように前へ伸ばす。棒には海中に沈めた網を張るかぎフックをかける。網の中に武器を入れて、海水の浮力を利用して輸送。


 やがて輸送船は船首を護衛艦の船尾に接舷する。護衛艦はその伸ばされた棒先を受け取り、自分の舳先に再設置して、その鉤フックを滑らせて受け取る。十五分もあれば、密輸完了だ。


 船の積載量にもよるが、両者が示し合わせていれば同じ高さになる船を用意していたはずだ。だから、アスワン海軍の護衛艦は過重積載で足が鈍って逃げ切れないから、手っ取り早くウスコクを撃退するため、旗艦と一騎打ちに持ちこんだ。


 そして、ムラダー・ボレスラフに負けたのだ。当然、あのお節介焼きが密輸事情まで知っているはずもないから現物は見過ごされた、ということか。


 教育パパを見る。褒賞の微笑が、傾けられたティーカップに隠れた。

 この美しい笑顔を勝ちとるために子供たちは毎日知恵を絞り続けるらしかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る