第23話 夜の雪は残心を語らない


 降る雪を見あげると、ツカサと京都駅で待ち合わせしたことを思い出す。


 ツカサの自宅は、京都府左京区の北白砂しらさごという古くからある閑静な高級住宅地にあった。

 そこからバスで三〇分かけて駅まで、俺を迎えに来るという。


 年の瀬は、十二月二三日。二人で誕生日を祝う夕食会ということで。

 

「それだったら、レンタカー借りてそっちに行くよ」

『なに言うてんの。ぼくんち。駐車場あらしませんえ』

「えっ。そうだっけ。それじゃあ。周辺にコインパーキングとかは」

『そんなんありますかいな。そないな俗っぽいもの』


 コインパーキングを俗って。時代錯誤にも程があるだろう。


「せんせぇ。せやったら、うちにどないせぇ言わはりますのんや?」

 例によって俺の京都弁は棒読みである。


『せやから、うちがバスで行きます言うてるやないの』

「本当に大丈夫か? ちゃんと来れるか?」


『あほ。ぼくいくつや思うてんの、あと五日で二十三です。地元の大学もちゃんと出てます。そんくらい君のお世話にならんでも、行けますっ!』


 かんしゃくに近い捨て台詞を最後に、通話を切られた。


「ったく。〝行けます〟の間にあった若干の間が頼りないんだっての」


 ちなみに、ツカサは大賞受賞式典当日。

 東京駅地下構内で迷って一時間も遅刻した。


 五日後──。

 二三日を完全に空けるために来年の新刊準備や作家さん挨拶回りに忙殺。そのことがあって待ち合わせ場所の詳細確認メールを打たなかった。


 待ち合わせ当日の東京駅で、その不作為が急に俺自身を不安にさせた。


 事ここに至り、なお確認メールを送らなかったのは、当日の土壇場でむし返して、ツカサを怒らせると後が恐いと考えたからだ。


 今日の主賓はあっちで、ご機嫌を損ねればせっかくの祝宴がラーメンで終わったり、豆腐づくしになりかねない。

 豆腐に恨みはないが、俺は祝い事には肉が食いたい主義だ。


 誕生日の夕食を京都で奢ると言った手前、費用を惜しんだと思われるのも癪だ。いやそんなことよりも、あいつが二三年暮らした地元市内で迷子になっていないかが不安で仕方がない。京都とは町そのものがダンジョンのようなものだからだ。


 そして、その夜。細雪が降った。

 ホワイトクリスマス。この時期の雪だけが都市部で積もった記憶は、なぜか俺にはなかった。きっと日本のクリスマス行事が、降った後の雪にフォーカスされることがないからだろう。


 そして、待ち合わせ時間から遅れること、一時間──。

 

「やっぱり来ない。おい、うそだろ」


 退社直前に、編集長から「お前は白鷹先生に過保護すぎる」と苦言を呈されたが、知ったこっちゃない。心配なものは心配なんだ。

 俺は京都駅バスのりばで、缶コーヒー片手に連絡をいれる。だが留守電になる。それでも辛抱強く待ち続けた。腕時計を見ながら、捜索願の届けが頭にちらつく。

 その時だった。


「タクロウーっ。助けてー!」


 名前を呼ばれて、俺は飲みかけの缶コーヒーの穴を親指で塞いで、声の方へ駆け出していた。

 バスのりばからホテル側へ、年の瀬の人混みをかき分けて声の主を探す。


 あれか。だが、そこにツカサの姿はなかった。

 かわりに若者三人組が、女の子一人を口説いてる現場に遭遇した。

 あれ、聞き違いか。心配をこじらせて幻聴まで聞こえるなんて。


「なんや、おっさん。オレ達の楽しみを邪魔しないでくれませんかねえっ」


 俺は、ちょっと待てと手で制すると、缶コーヒーを飲み干した。


「ふぅ。悪い。待ち人来たらずで、ちょっと今イライラしててな。手加減できないんだ」

「あぁ? それがどないしたぁっ!」


 俺は突っかかる若者の顔の前で、コーヒー缶を両手でメキメキとし潰した。現役時代。先輩に教わった一発芸だ。円筒形の天面と底面を合わせるように圧壊させる。アルミ缶では割と簡単だが、スチール缶だと技術タネがいる。


「次は、きみの頬骨か? あごでもいけるぞ。──さあ、他を当たってくれ」


 若者たちは無言でその場を後にした。テンプレの〝覚えてろよ〟もなかった。


「きみ、ケガはなかったか──いいっ!?」

 俺は言葉尻とともに後ずさった。


「えへへ。面目ない。あいつら、ひつこうてなあ」


 人懐っこい笑みを浮かべるのは、ツカサだった。グレイのダッフルコートにカーキ色のワークキャップ。下はハイネックの白セーター。

 そして、顔には桜色の口紅とチークまで。


「おっ、お前っ。なにしてんねん!」

「あ、今のイントネーションは良かったわ……で、その動揺はどっちなんやろなあ」


 ひらりと口許に桜色の笑みを浮かべる。俺はツカサの頬を両手で挟んで圧縮した。

「んはっ!? タクロウ。ひたひっ、ひたひっ!」

 ツカサがぴよぴよ口で両腕をバタバタさせる。


「うるせぇ! 人がどんだけ心配して待ってたと思ってんだ。どうやってきた!」

「せやから、ちゃんとバス乗って来たてぇ」


「うそつけ。俺はずっと北白砂からのバスを見てたんだぞ」


「それはタクロウが、間抜けなだけや。ぼくがいつもの格好で来ると信じきっとると読んだから、その裏をかいて……いだだだっ!」


 手にファンデーションがついたので、今度は耳を掌で包むように掴む。


「今日本日〝にじゅ~さん〟になるが、晩飯を食うのに一時間もかけて俺の裏をかく理由がどこにあったんだ。言ってみろよっ。さあっうたえ!」


「ごめんて。悪かったて。でも、ちょっとだけ……今のぼく可愛いて思ったやろ?」

「つ、ツーカーサぁ!」

「わーい。どもったどもった。タクロウのすけべぇは~ん」


 その後、俺は逃げるツカサを追って京都駅構内をかけ回った。


 最後は女子トイレに籠城されて、京都鉄道警備隊に「せっかくの祝日なんだから、おたくら仲良くしなさいよ」と標準語で叱られるまで、追跡は小一時間ほど続いた。


 雪に思い出なんかない。

 ただ、その消えて名残なごる雪影の冷たさが、骨身にしみるだけ。


  §  §  §


「狼……部屋を暗くしてどうしたの?」

 窓から振り返ると、ハティヤがコーヒーを淹れて持ってきてくれた。


「雪。降り始めたんだね」

「まだ積もる雪じゃないけど、今夜は冷え込みそうだ」

「だね。……ねえ、何考えてたの?」


 俺はカップから少しだけ口先に流し込むと、


「昔のこと。こんな雪の日に、友達と待ち合わせをしたんだけど、結局ドタバタして、あやうく夕食を食べ損ねかけたことがあった」


「ふふっ。狼が思い出すのって、いつも食べ物のことよね」

 そうかな。俺は首を傾げた。

「いや、ちゃんと友達の思い出だよ。……こっちに来る前に、死んじゃったけど」


「あ……そうなんだ」

「うん。病気でね。気づいてから、あっという間だった」


「好きだったんだ」

「え? 相手は男だよ?」


「でも、ほら。馬が合うって言うか。一緒にいると楽しかったんでしょ?」

「ああ。うん。それはね。楽しかった。俺の意表を突くことばかりして、驚かされっぱなしだったけど」

「また、会いたい?」


 俺は窓の外を眺めながら、


「会いたいな。生きてるとわかったら、今すぐにでも会いに行きたい」

「それが敵国の兵士だとしても?」

「え?」

「たとえばの話」


 ハティヤがまっすぐ見つめてくる。俺は黒く輝く光を意外そうに見返し、そして言った。


「もし、きみ達が俺の前に、彼を──白鷹しろたか月冴つかさを連れてきてくれるのなら、俺はきみ達の願い事をなんでも叶えてみせるよ」


「そんなに……っ」


「掛け替えのない、唯一無二の親友だった。家族や恋人、伴侶とも違う。魂の兄弟だった。でも最近やっと、少しだけ気持ちの整理がつき始めてもいるんだ。三年以上もかかって、ようやくゆっくりとね。……ハティヤ?」


 俺は急に黙り込んだハティヤを不審に思って近づいた。次の瞬間だった。

 柔らかい衝撃に俺は戸惑った。


「……好きなのっ。私、狼のことが、好きだからっ」

「ハティヤ。どうしたのっ? 俺は……」


「いいのっ。狼が魔改造人間だろうと魔物だろうと、悪魔でもかまわない。カーロヴァックの牢屋にいた時、不思議と恐くなかった。狼が近くにいるってわかってたから。あなたなら絶対私をここから出してくれるって信じてた。そして、それはその通りになった。嬉しかったし、確信したの。……ねえ、狼。ずっと私たちの、私のそばにいてよっ」


 俺は少女の背中に腕を回して抱きしめた。耳許で息を詰める、声がした。


「いいよ。俺は君のそばにずっといる。だから、ついてきてくれるかい?」

「うんっ。いくよ。ずっとついていくっ」


 俺は少女の身体をゆっくり引き離すと、頬の毛で彼女の頬を拭った。


「やだっ。あはは。私、なんで泣いてるんだろう。馬鹿みたい……っ」

「もう、おやすみ。シャラモン神父は、俺が看ておく。朝になったら交替してくれるかな」


「うん。了解。……じゃあ、おやすみ」

 ハティヤは俺の首に腕を回して抱擁し、頬にキスをして部屋を出て行った。


 愛おしい。大事にしたい。守りたい。と。──でも。


 ごめん、ハティヤ。

 今の俺は、何も感じないんだ。

 過去の俺がもっていた感情の残滓をつなぎ合わせて、真似ているだけなんだ。


「まるで幽霊……いや生体ロボットだな」


 俺はまた、窓の外を見あげた。

 闇夜に降る細雪は、姿を闇に溶かして舞う気配を見せる。

 けれど決して、俺に何かを語ってこようとはしない。

 いつまでも……いつまでもしずかに舞っていた。

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