第13話 〝黒狐〟と見えない買い物


「あっ、ハティヤ姉ちゃんだぁ!」


 ギャルプの大声で、シャラモン神父は目が覚めた。

 プーラの町。中央公園。


 夜通し馬車を走らせて、朝一番の開門でプーラの町に入った。

 商家街をぬけてすぐの公園ベンチでちょっと休憩。そのつもりで座っただけなのに、いつの間にか眠ってしまった自分を少し恥じた。


「先生。みんなも無事?」

「途中で変なオッサンに声かけられたぁ!」ギャルプが元気よく応じた。 

「変なオッサン?」


「ハティヤ。スコールと一緒じゃないのですか?」

 こちらの事情よりも先に、スコールの気配がないことの方が重要だった。

「スコールは、おじさんムラダーと狼と一緒にバルナローカ商会に行っています」


「バルナローカ商会……ああ、そういう話でしたね」

「おじさんから伝言で、先生にも来て欲しいと……先生、本当に大丈夫ですか」


 シャラモン神父は少し億劫そうにベンチから腰をあげた。


 足元がややふらつく。やはり魔眼がない中位魔法の発動には無理があったらしい。マナ制御が予想以上に不安定だったようで、眠気よりもマナ失調からくる倦怠けんたい感がひどい。


(それにしても、変態強盗の次は〝黒狐〟とは……厄介な)


 プーラの町には何度も訪れている。バルナローカ商会は有名だ。

 あの店の老獪ろうかいな主人に足下を見られたら最後、墓場の副葬品まで巻き上げられるとか。金のためなら女子供にも容赦がないとか。悪い噂しか聞いたことがなかった。


 そんな所にスコールまで出向いたのであれば、心配で居ても立ってもいられない。親バカと呆れられようと、それが今の自分だ。


「大丈夫ですか、先生」

「ええ。大急ぎで夜逃げ支度してきましたからね。バルナローカ商会でコップ一杯のお水の代金を請求されなければ良いのですが」


「あと、先生。書き置きを見ました。〝神に食われる〟というのは?」

 シャラモン神父は小さくうなずくと、


「私にはどうすることもできなかったのです。村の皆さんには申し訳ないですが」

「あの村で何が起きるんですか?」


 顔を力なく振る。話したところで……誰にも手の施しようがない。


「それよりも、今はスコールです。さあ、行きましょう」


  §  §  §


 バルナローカ商会の店主は、ゲルグー・バルナローカといった。

 通称を〝黒狐〟。六三歳の痩せぎすの白髪老人で、ワシ鼻と厚ぼったい唇。ぎょろぎょろと人の混沌のすべてを見透かすような鋭い眼光が特徴の、百貨屋の主人である。


 本業は、小物・雑貨・消耗品の仕入れ販売である。副業では、武具魔法具の中古買い取りと販売をしたり、ダンジョンから出土した骨董遺物の鑑定競売。さらには盗賊団が持ちこむ故買こばい業も営む。


 とにかく商売なら合法非合法の糸目をつけずなんでも買い取り、売りさばくことで有名だった。さらに金も貸す。その取立ては苛烈らしく、借金のカタに女子供を取り上げることも平気でやるという。

 だから町の者なら、バルナローカ商会から金は借りない。


「おい、ここは孤児院じゃねえぞ!」


 ドヤドヤと店先に入ってきた六人の幼子たちを見るなり、三〇代の番頭のいらだった声が店内に撒きちらかされた。 


「商品に触るな。ガキども! ――おい。今ポケットに入れた物を出しやがれ! ――そのポーションはガラス瓶なんだぞ、もっと丁寧に扱え! ――そこのおめぇ! そいつを口に入れるんじゃあねえ。それは食い物じゃねえ!」


 入ってきて一分と経たず、男の喉がかれた。恨みがましくこちらを睨んでくる強い視線を感じる。シャラモン神父は目が見えないので気づかないフリをした。


「ムラダー・ボレスラフからここへ来るように言われて参ったのですが」


「奥だ。──おい、マチルダ。ムラダーの旦那の客人だ。案内してやれ。神父さん。さっさとそのガキども連れて奥へ行きやがれ。商売にならねぇだろうが!」


(この店でムラダーさんは、客の扱いを受けていないのだろうか)


 シャラモン神父は素直に子供たちを連れて、店の奥へ歩いて行く。

 前を歩く下働きと思われる娘が、さっきからクスクスと笑っている。


「つかぬ事をうかがうようですが、先ほどの方は、いつもあんな感じなのですか?」

「まさか。でも、あのメドヴェさんがあんなに取り乱したの、初めて見ました」


 楽しそうな少女の声で、シャラモン神父もつい微笑んでしまう。


「あと、こちらでは水は有料なのでしょうか?」

「はあ? ぷっ。あー。そういう噂、町でされてますね。ご安心ください。無料です」


「では、あとでお水を一杯いただけますか。少し貧血気味なもので」


「そうなんですか? これからご案内するテーブルに水差しとグラスを置いてありますので、それをどうぞ。足りなかったら、お声をおかけください。無料ですので」


 前方でドアが開く音がして、子供たちに手を引かれながら部屋に入った。


  §  §  §


「おー、やっときたな。シャラモン」

 聞き慣れたムラダーの声にホッと息をつく。

「遅くなりました」


 ハティヤの手に導かれるままイスの背を引いて座る。すると、右肩に覚えのある手が乗った。シャラモンは微笑む。


「スコール。ケガはありませんか?」

「はい。先生。あの、オレ……」


「ええ。気配でわかります。ムラダーさんから多くのことを学んだと思います。それがあなたの人生に役立つことを祈っていますよ」


「はい、先生……。先生。少し顔色が悪いみたいですが」


 スコールが水差しから水を注いでくれ、グラスを握らせてくれた。

 ありがとう。シャラモン神父は受けとるや、それを一気に飲み干した。


「シャラモン。珍しいな。その真っ白いツラ。魔法を使ったのか」

 ムラダーの指摘に、意地を張る元気さえなかった。


「ええ、まあ……。それよりも、首尾はどうなりましたか」

「ここの腹黒店主の裁定待ちってところだな。ちょっと待てと言われて、かれこれ二時間もこの部屋で待たされてるがな」


「そういえば、狼さんはどうしました? 一緒なのでしょう。声がしませんが」


「今、この部屋の隅で寝てる。昨日、紅牙猪ワイルド・ボーの肉をたらふく食いすぎて、はらたを起こしたらしくてな」


「それは、なんとも幸せな天罰ですね。──スコール。子供たちも静かですが、どうしました」

「その狼にしがみつくなり、みんな一緒になって添い寝をはじめてます」


 無邪気な光景を想像しつつも、やはり慣れない夜行馬車の中での睡眠は浅かったのかなとシャラモン神父は申し訳ない気分になった。


 そこへ扉が開いて、靴音の種類が二つ入ってきた。


「ムラダー、待たせたな」

「待ちくたびれたぜ。とっつぁん。昼メシくらい出してくれても罰が当たらねえだろうが」


「ふんっ。ここが冒険者ギルドに見えるか」


 シャラモン神父は老店主の悪態が軽快であることを、聞き逃さなかった。

 誰にとっての良い報せだろうか。それとも、カモ客が飛び込んできて舌なめずりをしているのだろうか。


 テーブルの真ん中に、大きな革袋が静かに置かれた。

 袋の中が砂だったとしてもわからないほどに、そっと。


「まず、紅牙猪ワイルド・ボーの大牙二本と小牙八本。そして毛皮の売上げを言っておく」


「もう売り捌けたのか。さすがバルナローカ商会だ。二時間も待たされた甲斐があったな」


 ムラダーの嫌味を、黒狐はさっさと無視した。


「売却額は――、六三〇〇と八ロットだ」


「なっ。なにぃ!?」

 ムラダーは思わずイスから腰を浮かせた。

 黒狐の背後に控えているティボルが誇らしげな笑みを浮かべる。店主は続ける。


「尚、そこから当商会の取り分として、競売経費、手数料、税金を含め、一二六〇ロットをもらい受ける」


「ちっ。二割も持ってくのか。どうするシャラモン?」

「元もと紅牙猪は、あなた方が狩ったものです。私に否やはありませんよ」


 ムラダーが首肯して追認すると、黒狐はさっそく外から店員三人を呼び出した。

 精算に二人がとりかかり、大袋からじゃりじゃりと金貨がすくい出されては木製の計り箱の中に詰め込まれていく。

 その金貨の音がシャラモン神父には他人事に聞こえた。


 もう一人は手続担当としてムラダーに羊皮紙を提示し、各所にサインを案内した。

 

「残り五〇四〇ロット。こっちは約束の三〇だけもらう。残りは好きにしろ」

「まったく……。冗談ではないとわかっていましたが、冗談にしか聞こえませんよ」


 シャラモン神父は顔を振って、旧友の非常識を嘆いた。

 だが、ムラダーも頑として譲らない。


「悪いが、この大金袋を目の前にしても、おれは撤回するつもりはねえ。約束は約束だ」


「では、狼さんの意向を聞きませんか?」

「聞いてどうする」

「一応、貧乏人が身に過ぎた大金を持つものではない、という教訓があります」

「ああ、まったくもって同感だな」


 大金の押し付け合いをする二人など意に介さず、黒狐は商談終了のまとめに入った。

「久しぶりにいい仕事をさせてもらった。オレはこれで仕事に戻らせてもらうぜ。いっとくが、夕方までに話をつけて出て行かねぇと、ここのショバ代を取るからな」

「待てよ。とっつぁん。――シャラモン。お前は七人の子持ちだ。五〇〇〇ロットなんて三年もあれば使い切っちまうだろうが」


「心外ですね。私がそんな浪費家に見えますか。一五〇〇ロットもあれば、カーロヴァックに聖堂所を建物から設けて、そこに学校を併設しても充分子供たちを育てることができます。もうこれ以上あなたに迷惑をおかけしません」


「カーロヴァックだぁ? あそこは北のスロヴェキア王国という壁を失って北西のアウルス帝国、東南のアスワン帝国に挟まれたこの国の鉄火場だぞ。大体、学校開くって、お前。その目でどうやって町のガキ相手に字を教えるんだ?」


「それは」

「あのぅ。要は、二人はお金の使い道で、困ってるんですよね?」


 狼が腹を押さえて子供たちを起こさないよう、のそりと起き上がってきた。

 ムラダーとシャラモン神父の間に座る。


「だったら、ここで買い物していきませんか。五〇〇〇ロットから一五〇〇ロットを引いた、三五〇〇ロットで買い物です」


   §  §  §


「買うって、お前。この国……ていうか、世間のことあんまりしらねえんだろ?」

「はい。でも買ってみたいものは、いくつかあります」


「例えば?」


「情報です。この世界が今、どうなっているのか、その知識を買いたい」

「お前な、そんな魔法学会みたいなことが簡単にできるわけが――」


「二〇〇ロットもらおうか」


 黒狐が不敵な笑みを浮かべていった。

 ムラダーが頭皮をかきかけた手を止め、老店主をやぶ睨みにする。


「なあ、とっつぁんよ。世間知らずの田舎モン相手に、ぼったくるのは勘弁してくれねぇか」

「はんっ、馬鹿野郎。ウチで買いたいと言われたら、売れるモノならすべて売る。それがうちのモットーだ。ただし、仕入れに少々、時間をもらうがな」


「どれくらいでわかりますか?」

 俺が訊くと、黒狐は真面目な顔で思案して、


「そうだな。三月みつきもらおう。それで二〇〇ロット。この東方諸国を隈なく調べ上げて、簡単だが、地図もつけてやろう」


「とくに、食品物産を念入りにお願いします」


「ほう、おめぇ。オレの商売敵になろうってのか。カカッ。まあ、いいだろう。――ティボル。お買い上げだ。代金をいただけ」


 黒狐の指図で、ティボルは盗賊団にいた頃とは別人の所作で恭しく頭を下げると店員二名の横に立ち、金袋から金貨二〇〇枚かぞえ始める。


「狼どの。他には何か入り用かな?」

 黒狐に客と見なされたのか、対応がやさしくなった。


 俺は、ムラダーを見てお伺いを立ててくる。

 でも、どうでもいいのか、エスコートハンドで俺の勝手に任せてきた。


「本当にいいんですか?」

「ああ。おれは明日も知れない傭兵稼業や盗賊稼業を駆け抜けて、女房子供もいない天涯孤独だ。貯蓄など無意味でな。

 当然、資産管理も面倒だから、持て余す金は持ちたくねぇのさ。遠慮はいらん。宵越しの金を持たなくてもお前一人くらい、なんとかしてやる」


 侠気おとこぎの塊みたいな人だ。女じゃなくても惚れるな。これは。

 それならば。俺は言った。


「ここでは、〝魔眼〟というのは売っていますか?」

「えっ!?」

 テーブルの周りにいる人間たち全員がすっとん狂な声を発した。


「実は、シャラモン神父に、どうしても見ていただきたいモノがあります」

「なんだよ、突然。お前……聖堂所で俺たちの話を聞いてたのか?」


 ムラダさんが訊ねてくる。俺は首をさげて、


「すみません。魔法の専門家であるシャラモン神父だけに相談したいんです。俺のこの世界での出生に関わることかもしれなので。是非」


「お前の出生……? だが魔眼といやぁ魔法と無縁な〝表〟の市場には絶対出てこねぇシロモノだぞ」


 そう言いつつも、ムラダーは黒狐に目を向ける。

 黒狐は、シャラモン神父を一瞥し、それから俺を見つめてニヤリと笑った。


「あるぜ」

「なんてこった。マジかよ、とっつぁんっ」ムラダーが天井を仰ぐ。


「だが、元々そいつは売り物じゃあねえ。借金のカタに、魔法使いと名乗る男が置いていったものだ。その男には両目があったらしいから、男の眼でもない」


「らしいだぁ? とっつぁん、そりゃあいつの話だ」

 ムラダーが怪しむ目を向ける。黒狐はしれっと言った。


「帝国大粛清よりもっと前。三〇年も昔だ。オレの父親てておやが五〇〇ロットの質草にした」


「だったら、もうそれ、腐ってんじゃん!」

 ずっと黙っていたスコールがたまらず声を震わせた。


 シャラモン神父が熱のこもった声で言った。


「いいえ。スコール。魔法使いのマナを蓄えた魔眼は、適正な手続きで保存液につけておけば、最低一〇〇年は持ちます……ただ」

「た、ただ?」


「他人の魔眼を装着した際、目の持ち主の末期まつごを覗き見てしまう事故ファンブルが起きることがあり、最悪、発狂します」


「やっぱダメじゃん!」

「でも……試す価値はあるかもしれません」

「先生っ」

 ハティヤも悲鳴に近い声をあげた。


 黒狐は、精算を続ける従業員三人をおいて背を向けると、部屋を出た。


「ちと記録を調べてきてやろう。少し待て。水でよければおかわりを持ってこさせよう」

 どケチ爺。その場の全員が、空腹の目で黒狐を見送った。

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