第3話 鉄火の夜をくぐる 後編


 バルナローカ商会の建物はすでに炎に飲みこまれていた。

 その紅蓮の中から骸骨剣士が二体、姿を見せるのとカラヤンが剣を抜くのは同時だった。


「衛兵の姿がねえな。あれのせいでいったん退いたか?」

 眼窩に灯る赤い光は、カラヤンを捕捉するなり声もなく向かってきた。


「狼。火元にとっつぁんはいねぇらしい。周辺を探せ。〝黒狐〟を見つけてこいっ」 

「了解ですっ」  


 俺はそばの小路に飛びこんだ。

 狭い路地に建材が焦げた臭いと煙に、怖気が足から這いのぼってくる。

 鼻の奥で、前世界でのガソリンの臭いが蘇った。思わず嘔吐しかける。この世界に存在しないであろう臭い。あれさえなければ、足はまだ動かせる。


 煙の臭い、ヨシ。火の色や熱も、ヨシ。自分に何度も言い聞かせながらゆっくり走っていると、ふいに記憶のあるニオイを捉えた。


 中年男性のニオイだ。バルナローカ商会で覚えたニオイ。血の臭いもする。とりあえずそれを追ってみる。


 紆余うよ曲折きょくせつ。ニオイを追って小路をどんどん進んでいく。と、次の角を出ようとしたところで、眼前に、闇とは別の鋭い影が迫ってきた。


「──っ!?」


 とっさに跳び退ずさってよける。着地と同時にフードが後ろへはね飛んでいた。ジャストミートされていたら、顔面がサヨナラホームランになっていただろう。


「ここから先には行かせねえっ。──お前、もしかしてムラダーの旦那の連れか!?」 


 三〇代の男が、戦斧を構えたまま驚いた目で俺を見る。

 どうやらニオイの元は、彼のようだ。


「えっと……バルナローカ商会の店番の方でしたっけ?」


「メドヴェだ。あと店番じゃねえ、番頭だ!」

 彼は憤然と吐き捨てた。

「ムラダーの旦那はっ? 一緒なんだろ?」


 店番さんが期待する目で見つめてくる。俺はわざと小首をかしげて、


「え~と。ムラダー・ボレスラフは城門前ですけど」

「はぁっ!? あっ。ちっ。悪かったよ。カラヤンの旦那は今どこだ?」


「火災現場で骨の化け物と戦ってます」

「ちっ。あいつら、まだ店の前うろついてんのか。で、お前は?」


「カラヤンさんに、ご店主を探して町から脱出させるよう言われています。雑木林に馬車を隠してます」


「ありがてぇ! さすが旦那だぜ。ならお前も手伝ってくれ」

「ご店主は無事ですか?」


 俺の問いには答えず、メドヴェは肘を回して全力で手招きしてくる。

 ついて行くと、袋小路に入った。行き止まりだ。高い壁に囲われた空間に見覚えのある小柄な老人が横たわっていた。服は破れ、所どころ焼け焦げてもいた。


「生きてるんですか」

「ああ。なんとかな。あの神父のおかげでな。見つけた時、壁にもたれるような格好だった。あと左の足をケガしている」

 俺は頭に触れた。後頭部に皮下血腫たんこぶをみつけた。頭部からの出血はなく、耳からの出血もない。でも脳震盪のうしんとうは疑うべきか。


 左足にふれてみる。ひどく腫れてる。折れているのは間違いない。でも骨折による外出血はない。大腿骨は無事のようだ。え木をあてるくらいの応急処置しか今はできない。とはいっても、肝心の調度いい枝すらこの場にない。さて、どうしよう。


「探したぞ。ヘーデルヴァーリ」


 突然、低い男の声が暗い小路から音もなく歩いてきた。

 黒フードとローブ。顔はわからない。手に指揮棒タクトくらいの長さの棒を持っていた。


 お、いいな、あれ。ちょうどいい塩梅の長さだ。


「ヘーデルヴァーリって何です?」

「そこの死に損ないの本名だ。もっとも、学会においては裏切り者リストに載っているがな」


 学会……。ふぅん。探してたって事は見失ってたってことだよな。ふぅん。聞いてないことまでぺらぺらご苦労さん。この世界にもいるんだな。ラノベみたいな噛ませ犬。


「メドヴェさん。武器を捨てて。どうやら彼は魔法使いのようです。俺たちに勝ち目はありません」


 声をかけると、メドヴェは悔しそうに戦斧をその場に捨てた。


「ほう、狼男。随分聞き分けよく躾けられているようだな」

 あんたから何も命じられてもいないけどな。忙しいんだよ。こっちは。


「けが人がいます。用件を手短にお願いします」

「ふんっ。躾けられても頭は所詮犬コロか。そのヘーデルヴァーリをこちらに引き渡せ」


「わかりました」

「おい、狼っ!?」


 激しく食ってかかる店番さん。俺は地面の戦斧を拾い上げて、片手で彼の顔前に突きつけた。刃は厚いのに笑えるほど軽くて、おのであることを忘れそうだ。


「俺は自分の命が大事です。強い方に味方するんで。よろしくどうぞ」

「なっ!? そんな急に。……ぐっ。クソ犬が!」


 悪罵とともに掴みかかってくる店番さんに、俺は戦斧を反転。石突きで腹を突く。熊みたいな巨体が壁に叩きつけられて咳き込みながら崩れ落ち、悔しそうにこちらを睨みつけてくる。


 俺は店番さんの目を見つめたまま、戦斧を大上段に振り上げた。

 と、そのままの体勢で、くるりと魔法使いに振り返る。


「魔法使い様。この男はここで始末して、いいですよね」


 様と呼ばれ、お伺いを立てるへりくだった態度に、俺が完全に自分へ尻尾を振っているように思ったのだろうか。

 黒フードの男は居丈高に腕組みしてネチャついた嘲笑を浮かべた。


「ふん。目的はヘーデルヴァーリだ。学会にゴミまで持ち帰っても得点にはならん。好きにしろ」


 得点。得点稼ぎ。明確な上からの指示で店主を連れ去りに来たわけではなかった。

 つまり、この男の独断行動──。いやー、舐められたもんだ。

 お前を魔法使いだとは言ったけど、誰もお前に従うとは言ってないだろう?


「畏まりました。好きにします」

 大上段に構えていた戦斧を、俺は無造作に振り下ろした。


 魔法使いの脳天に──かち割りなう!


 この戦斧はすごい。フードだけでなく腕組みしたままローブまで真っ二つ。骨肉を叩き割るというより布を斬り裂いたような感触で、罪悪感カロリーオフ。被害者から悲鳴ひとつ上がらなかった。


「うわぁ。グッロ。──メドヴェさん。大丈夫ですか?」

「ああ。ちったぁ加減しろよ。いつつつっ」


「すみません。でもこれ、めちゃくちゃ使いやすかったです。マナ石とかついてないのに」


「魔法石じゃねえよ。柄の所に【風】の詠唱痕タトゥが彫ってあんだろ。だから軽いんだ」


「なるほどぉ。……いいなぁ、これ」


「やらねぇよ! 血糊がついちまったから、研ぎに出さねえと売り物にならねえ。本来ならその分の弁償をしてもらうところだ」

 ですよね。


「……けど、助かったよ」熊男、デレる。

「信じてくれたんですね、俺のこと」

「ふんっ。旦那の連れじゃなきゃ、大暴れしてたがな」

 ですよねー。


  §  §  §


 狼牙兵ウルヴズ


 身長一八〇メンチ。魔傀兵デモンズハントという使役魔法の低位とされる骸骨剣士だ。狼の犬歯を触媒に召喚するので、その名がついた。

 知能は人間で十二歳程度。学習能力はないが、「たたかえ」「ここをまもれ」「あっちを見てこい」くらいの簡易命令は理解できる。三体いれば人間の兵士一〇人分の戦力だと言われる。


 だが二体いても、カラヤンには役不足な相手だった。


 最初の一体を一合の刃も交えず、両断。

 骨の強度や対応速度から術者の魔力が〝学生〟とわかる。

 次の二体目が振り下ろした一刀を半身で躱すや、喉笛にあたる頸椎の関節に剣先をねじ込んだ。

 狼牙兵の頭蓋骨がぽろりと取れて、地面に転がる。


 カラヤンはそれを遠くへ蹴った。狼牙兵は頭部を失っても骨振動とかいう原理で敵の方角がわかるそうだ。けれど頭骨の重さを失って骨格全体のバランスを崩すから動きがギクシャクする。

 その間に低姿勢から腰椎となる背骨を切断。骨は上下に別れて白砂に変わった。


「こいつ、とっつぁんを襲ったヤツの手駒じゃねえな」


 魔力の注力がお粗末。狼牙兵は魔力量によって挙動が決まるらしい。

 こいつらは総じて鈍く、一撃にも冴えがない。町の衛兵なら禍々しい外見に欺されて戦意喪失しただろうが、これはその程度の人形だ。


 忘れもしない。

 兵卒から騎士団従士に引き上げられた時、最初の模擬戦闘の相手がコイツだった。しかも召還術者はあのシャラモンだ。


 新米騎士三人がかりで一体倒すのに一〇分砂時計が三回転した。なんとか止めを刺せた時、疲労と死への緊張からその場にしばらく動けなくなったほどだ。

 あれに比べたら、本物の蛇と玩具のヘビほどの差があった。


「剣士どのっ、待たれよ!」

 呼び止められて、カラヤンが視線を向けると衛兵隊が木製の手押し車を押してやってくる。なんだ、いたのかよ。


 先頭にいたのは衛兵隊長。ちょびヒゲのケセグだった。


「ケセグ。おれだ」剣を収めてカラヤンは声をかけた。

「あっ。なんだムラ、カラヤン・ゼレズニーか。──放水用意っ! 急げ!」


 ケセグは部下に消火放水を号令した。木製の手押し車に積んだ細長く筒状の帆布が側溝に入れられ、同じく積んであった木製の手押しポンプを二人がかりで漕いで、放水が始まる。側溝の水は海とつながっていた。


 最初はチョロチョロの蛇水がやがて霧状の驟雨しゅううとなって炎に浴びせかかる。この仕組みをバルナローカ商会がプーラ行政庁に働きかけたというから、悪はずるいが役に立つ。


 カラヤンが炎への消火活動を頼りなく眺めていると、ちょびヒゲが厳めしい顔で横に立った。


「被害の状況は?」カラヤンから切り出す。

「目撃情報の中に、雷が落ちたような音だったという証言が複数あった。周辺住民の死傷者は今のところない」


「死傷者が、いない?」


 ちょびヒゲ隊長は燃えさかる炎のうねりを眺めながら、


「大方、バルナローカの親父さんの仕業だろう。こうなることを予め想定して住民避難をさせたとしか考えられん。

 夜廻り番から、火災は店じまいした後に起きたらしいとの報告も上がってきてる。今、この区画の住民に事情を聞くため探させてる。


 それより問題なのは、この海風だ。守衛庁は避難警報を出し、住民をいったん町の外へ出すことにした。

 あとは、まあなんだ。貴様が倒した魔物に、うちの夜廻り番が三人負傷して、近づけなかった。一応、討伐協力に感謝しておいてやる」


「行きがかり上だ。気にするな。それじゃあ、あの魔物はどこから町に入ってきた?」


「夜廻り番は、倉庫街から現れてこの辺をうろつきだしたと言ってる。貴様こそ、どこから入ってきた?」


 きょろりと大きな眼玉がカラヤンへ向けられる。

「貨物ゲートだ。確かに倉庫街でも同じ魔物と術士を弓で倒した。後始末はそっちで頼む。で、肝心のとっつぁんを見なかったか?」


「安否報告はないな。報せを受けた時はすでにこの有様だった。だがメドヴェら従業員の姿もない。あの親父さんのことだ一緒に避難してるんだろう」


 そこへ、小路から狼頭がひょっこり顔を出した。フードを外していたのですぐわかった。


「狼っ!?」

「あ、カラヤンさん……っ」


 カラヤンの顔を見るなりホッとした様子で狼は大路に出てきた。手にはなぜか戦斧を杖代わりにし、顔や服の前面を汚していた。ちょびヒゲの顔が緊張に強ばる。


「何っ、この町にウェアウルフが侵入しただとっ?」

「違うっ。そうじゃねえ。その、おれの相棒の元冒険者だ。魔物じゃない。──おい、狼。とっつぁんは見つかったか」


 剣を抜こうとする衛兵達用を制して、カラヤンが狼に歩み寄る。血臓の臭いがする。返り血だとわかった。その背後から黒狐を背負ったメドヴェも現れた。


「メドヴェっ。とっつぁん! ──狼。何があった!?」


「事情はここでは話せません。俺にケガはありません。ご店主が軽い火傷と左足を骨折。後頭部を強打してます。命に別状はなさそうですが、治療が必要だと思います」


「わかった。──おい、ケセグ。これまでの借りを今返せ」


 ちょびヒゲ隊長は、部下たちに顔を向けて周囲に逃げ遅れた住民がいないか指示を出しながら、手だけでしっしっとカラヤンたちを追い払う。


「とりあえず、馬車まで戻るぞ」

 三人分の足は、倉庫街を目指した。



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