第9話 魔狼の王(8)


 子供たちが〝クマの門〟に戻ってきた早々、熱を出した。

 真冬の夜に。全身に取りついたヒルをこそぎ落としたせいだ。


 最初、細菌による感染症を疑ったが、どうもそうではないらしい。

 おそらく〝魔狼の王〟は、食べた物を【闇】マナに変換。そのエネルギーを全身に通電させることで、各結合個体へ栄養を送っているらしい。

 

 スコールの申告で、三〇体以上の魔狼と接触したようだから、その電磁場に入り続けたことによる、いわゆる【闇】マナの中毒を起こしたのではないか、と俺は見ている。

 この世界の外部から現れた徨魔が、この世界のマナ原理でも動く。有益なデータとして頭の隅に留めておくことにする。


 二人と入れ替わりに、ヴェルデが復調してくれた。彼に二人の看病を頼んで、俺はマグガイアの自宅へ向かう。

 もちろん、報告も兼ねた叱責を受けに行くためだ。


「おそくなりました」

「おう、来たか」


 マクガイア家の長テーブルには、家主のマクガイアを始めとするドワーフ三兄妹。カラヤンと副官の二名。ティボルとアルバストルの計八名が座っていた。

 俺はティボルのとなり。アルバストルの対面に座る。

 マシューをチラリと見ると兄に殴られた様子もない。それどころかニヤつきが止まらない様子だった。

 自分の手柄話を盛ったな。マシュー。


「昨夜は、随分とご活躍だったみてぇだな」

 カラヤンの機嫌が悪い。声で分かる。

「そのことで、今朝は報告をするつもりでした」

「うん。なら。すぐに頼む」


 俺は席を立って、昨夜の報告をした。

 索敵魔法を使い、北の森周辺の〝魔狼の王〟の動きを把握。一カ所だけ動かない敵影に対し、急襲をかけた。蒸し焼きの方法や、閃光焼弾を使っての離脱。それから偵察に出した子供たちの救出などを話した。


「──なお、斥候が作製した地図に関しましては、後ほど提出をいたします。以上です」


「狼。今回のことで、何か申し開きはあるか」

 マクガイアがおごそかな口調で言った。


「はい。この度は、俺の一存で先走った行動を起こし、マクガイアさん達の作戦立案に変更を来したであろうことは、途中から予測できていました。誠にご迷惑をおかけしたこと、心から謝罪します」


 俺は腰を直角に折って、頭を下げた。


「ちょお、ちょお待てやっ!? ……狼。そりゃあねかろうがっ」

 マシューが慌てた。長兄にどういう説明をしたのか見えてきた。

「ワシらはあいつらの巣を蒸し焼きにしたんじゃぞ。これであいつらの戦力は衰える。ここでの戦いは有利になるじゃろぉが」


 俺は非情なまでに厳しく顔を振った。悪いが、昨夜のことは英雄譚ではすまないんだ。


「昨夜の〝魔狼の王〟との戦い。数は問題じゃない。俺たちは、ヤツらのヒエラルキーをくずした。これが、おそらくだけど、企画立案中の作戦に支障を来しているかと思う」


「はあっ? なっ。わけがわからんてっ」


「子供たちを宿に連れ帰った後。俺は、備品にヒルが入っていないかをチェックして、またあの森に入ってみた。俺だけでな」


「えっ!?」マシューは目を見開いた。


「洞窟の周りに〝魔狼の王〟の護衛となる大型の魔狼がいなかった。それで洞窟の中にも入ってみた」

「ほんまか。それで、どがぁした!」


「〝魔狼の王〟は死んでたよ。数千数万の卵と一緒にな」


 マシューはガッツポーズした。けれど誰もそれを讃えようとはしなかった。


「それで、他の〝魔狼の王〟の行き先は」

 カラヤンが厳しい声で問いかける。俺はとっさにうつむいてしまった。

「わかりません」


「へっ?」マシューは呆気にとられた声を洩らした。


「すぐにその場で索敵魔法を使いましたが、〝魔狼の王〟の生命反応の痕跡がどこにもなく、また森に巣くっていた〝アーテルヴァーミキュラ〟の生息も消えていました。一方で、子供たちはごく一般的なヒルに襲われていました」


 日本固有種のヤマビルでも活動期は五月~一〇月の夏から秋にかけてだが、冬眠しない。気温一〇度くらいで、湿度が六〇%以上あれば、活動するといわれている。この世界のヒルも同じ性質を持っていると思われる。


「スコールとウルダのこともあるが、らしくねぇ失態だったな。狼」

「はい。申し訳ありませんでした」

 改めて俺は頭を下げた。


「ちょっ、ちょっと。隊長さん。どういうことですかのぉ? ワシらのやったことは間違いじゃった言うんかのぉ?」


 マシューはテーブルから身を乗り出して、カラヤンに食ってかかった。

 カラヤンは主座のマクガイアを一瞥して、吐息する。


「〝魔狼の王〟の女王アリと目される旗艦は、産卵期に入って動けなかった。つまり、このオラデアの町周辺を襲うのは、旗艦への食糧を集める働きアリの役割だった。現在その小型・中型の魔狼を駆逐艦・護衛艦と呼称している。

 マクガイアがあの星形城塞を改造して準備していたのは、その食糧集めに来るその働きアリを迎え撃つためだった」

「お、おうおう。そりゃあもちろん知っとります。……ん。それがどがぁな意味を持つんじゃ?」


 マシューは周りを見回して、最後に俺を見る。


「狼っ。どがぁなことになるんじゃ?」

「順番を間違えたんだよ。俺たちは」

「順番? 順番ってなんのならっ」


 俺は慎重に言葉を選んで説明する。


「マクガイアさん達の作戦立案は、このヴァラディヌムに食糧を狩りに来た、働きアリを全滅させることにあった。ヒルのひと欠片も残さず焼き殺す、殲滅戦だ。

 そのために町の人々を収容して彼らを守りつつ、魔狼にとってのエサは星形要塞にしかない状態にすることで、あえてヤツらを要塞一点に集める計画だったんだ」


「殲滅戦……ヤツらを集める」


「働きアリの魔狼が全滅したら、〝魔狼の王〟は必然、飢えて弱る。そのタイミングを見計らって、動けない旗艦ごと巣を急襲するつもりだったんだ」


 マシューはじれったそうに主座を見た。


「ほしたら、兄貴っ。兄貴はあの洞窟の存在を最初から知っとったんか?」

「お前に報せたら、真っ先にそっちを潰そうと言い出しかねんからな。それを狼に説明しておかなかったのは、オレのミスだ。

 むしろ途中でこっちの意図に気づくとは、な。欲を言やぁ巣を潰す前に気づいて欲しかったが、そこまでは望まねぇよ」


 怒るでも失望するでもなく淡々とした答えに、マシューは深くうな垂れた。


「なあ、マシュー。〝魔狼の王〟がオロシグの東の集落群を食った時、どうしてこの町にすぐ来なかったと思う?」


 マクガイアが訊いた。

 マシューには聞こえてないのか、昏い表情が変わらない。


「オレは、ヤツらが産卵期に入ったからだと思った。ヤツらがいくら村を食い尽くす悪魔でも、増やすためには一カ所に留まる必要がある。外敵の侵入もなく、安全に卵を産み、孵化を待てる場所がな。ヤツらはオレら人間のように年がら年中、発情して増やしてるわけじゃねえからな。

 少なくとも、ある一定の栄養を蓄えたらどこかで立ち止まるだろうとは思ってた。それがたまたまオラデアだった。生き物ってのはそういうもんだ」


「……」


「だから、そのタイミングで〝魔狼の王〟は産卵する個体と、そうでない個体に別れる。食糧を調達する個体は種の保存のため死にもの狂いになるが、産卵する個体は食糧だけを渇望する。なら、その供給を断っちまえば、どうなると思う」


「……〝女王〟は、餓死する?」


「いいや、違うな。女王はすでに産んだ卵を食い始めるのよ。新しい卵を産むためにな」

「なっ、なんでそこまでして」


「さあな。産卵期で女王アリが飢えるってことは、そういうことなんだ。この時期に女王アリは狂ってでも産まなきゃいけねぇ。それがあの〝魔狼の王〟の役目だ。そしてそれが終われば、役目を終えた身体は死ぬ。結果、子供がそれを食って生をつなぐのさ。ヤツらもオレらも大した違いはありゃしねぇのさ」


「なら、兄貴はなんで、ワシにあのままほうっとけ言わんかったんなら?」

「……」

「兄貴……。あん時、ワシゃあ、どうがぁすればよかったんかのぉ」

「さあな。もう起きちまった結果に用はねえよ」


 にべもなく言って、マクガイアは俺の蒸留酒を銅製のマグカップにドボドボと注いだ。ひと息にあおると、どこか吹っ切るように酒臭い呼気を吐いた。


「自分で考えろ。オレは次の作戦をまた練り直さなくちゃならねぇからな」


「ガイ兄ちゃん!」オルテナが立ち上がって長兄にかみついた。「それじゃあ、兄貴と犬助はお咎めナシかよっ」

「あん? こいつらたった二人だけで旗艦を落としたんだぞ? 卵も孵化ふかすることなく全滅だとよ。念のため、あとで何人か人をやって確認にさせるがな。それで罰したら、次に誰が〝魔狼の王〟を落とそうって気になるんだ?」


「そっ、そりゃあ……けどよっ」


 マクガイアは話は終わりだと言わんばかりに顔を振った。


「そんなにテメーの兄貴の鼻っ柱をへし折りたいんなら、おめぇがドワーフ組合を仕切ってみるか。オレは構わんぞ。それより、オルテナ」


「はあっ、あたいっ?」

 女ドワーフは面食らった顔で自分を指差した。


「おめぇ。狼に〝飛燕〟ラスタチカおろさずに私物化しようとして揉めたそうだな。耳に入ってるぞ」


 直後、オルテナの顔色が土気色になった。


「違う。違うんだっ。ガイ兄ちゃん、あれは──」

「兄弟ゲンカはいいが、商売で揉めるのは許さん。違約相殺の三割は、おめぇの給料から補填だ」

「さ、三割ぃ!? か、勘弁してくれよ~っ」


「莫迦野郎っ。狼はうちの提携先〈ヤドカリニヤ商会〉のツナギ役だぞ。元もと〝飛燕〟の命名権をもらった上に、〈ホヴォトニツェの金床〉とも共同技術提携して、こっちにかなり分のいい契約をとったんだろうが。

 それですっとん狂なマネして勝手に跳ねたのは、おめぇ一人の落ち度だ。あと、おめぇが〝飛燕〟を改造して巻き取りを三倍速にしてたことも聞いてるからな」


「待ってよ、兄ちゃん。違う。あれはあたいのひえん──」

「一流の職人が、安全性を度外視した物を作るなんざ、論外だ。狼が大ケガしなかった幸運を差し引いても、三割だ。言ったからな。この話はこれでしまいだ」


 オルテナは天井を仰いだ。


(おおっ。まさに天網恢々かいかいにして漏らしてなーい)

 思わず拍手してしまいそうな名裁きだ。


「あと、狼よ」

「あ、はい」俺にもあるのか。

「一応、こんなんでも女だ。手加減してやってくれな」

「はい。以後、気をつけます」

 ……漏らしてなーい。


  §  §  §


「で、カラヤン。調査はどうなった?」

 マクガイアが半分になった蒸留酒のボトルをカラヤンに渡しながら言った。

 我らが隊長は、ショットグラスに注ぐとあおた。


「くぅ……。ひと通りの証拠は揃ったと見ていいだろう。あとはどっちを揺さぶるかだ」

「いや、まだだ。まだあれじゃあ足りねぇ」

「というと?」


「龍公主と家政長との関係が冷め切ってる証拠が欲しい。それで大公に恐れながらと訴えることができるはずだ。両者の信頼関係の破綻こそが、大公の親心を揺さぶるところまで持っていくことができるはずなんだ」


 カラヤンはとっさにティボルを見た。俺のとなりでティボルが肩をすくめて応じる。


「アルバストル。宮殿内の侵入は」

「現在も内偵中です……ですが、アラム家龍公主に問題が」

「どういう問題だ」

「あの。率直に言って、勘が良すぎるんです。こちらは家政長と龍公主様の関係を観察しているのに、すぐに気づかれてこちらに寄ってこられるんです」


 困惑する密偵の報告にカラヤンもマクガイアもほっこりしたのか、穏やかな笑い声をあげた。


「こりゃあ、直接本人から訊いた方がいいのかもしれねぇぞ? マクガイア」


「まあ、糸口程度ならそれもいいが、客観的な事実とやらにはならねえよ。カプリル様の主観が入っちまったら、単なる駄々っ子にされちまうだけじゃねえのか」


「……うーん、確かにそうだな」

「信頼関係の事実確認は、立場ある第三者証言が重要なピースだ。もっとも侍従官周辺はみんな、家政長の手駒だろうがな」


「あのぉ」俺が手を挙げた。

「なんだ、狼」

「カプリル様の交友関係はどうなってますか」

「うん。それが、あまり宮殿から出してもらえないようでな。交友に飢えている様子だった」

 カラヤンがうなじを掻きながら言った。


「だったら、こちらから友達を紹介してあげるというのは、どうでしょうか」

「友達を紹介? どういうこった」


「ニフリート様です。彼女から文通相手にならないかという主旨の手紙を書いてもらうのです。その中で、お互いの家政長のグチでも拾えれば、提出物の証拠にもなりますし、重要証言が出来そうな人物を懐柔することも可能だと愚考しますが」


「うむ。とはいえ、今や西方都督。統帥のトップだからな。そんな余暇があるのか微妙だし、四龍不干渉とやらがどこまで及んでるのかだな。どうだ、マクガイア」

「うーむ。アイディアは悪くねえとは思う。だが家政長は間違いなく検閲にかけるだろうな」


 俺は我が意を得たりと大きく頷いてた。


「それでいいのです。龍公主が書いた文書を家政長が焼却隠滅するのは、それなりに不都合な事実だったからでしょう。その灰を持ってきてもらえれば、俺がなんとかやってみます」


「ほほう。すっかり魔法使いだな」カラヤンがニヤリと笑う。

「茶化しはナシですよ。あと、俺たちの名誉挽回の機会をいただければ」

「〝魔狼の王〟のか?」


 俺がうなずくと、消沈していたマシューが顔を上げた。


「はい。スコール達を使って、再度ヤツらの周回ルートを追わせます。次はティミショアラ領でしょうから」

「よし。わかった。スコール達が復調したら、声をかけてくれ」

「それから、もう一つ」

「まだ、あるのか」

 俺は頭を掻いて、少しだけ提案を渋った。

「なんだよ、狼。はっきり言え」

「実は、カラヤン隊第7小隊を、ティミショアラに入れたいのですが」

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