第5話 シャラモン先生の魔女講座


 朝起きると窓ぎわのイスに腰かけ、長い髪を娘ハティヤに梳かしてもらう。

 彼女が六歳の時に任せてからずっと続いている。

 最初は櫛を髪にすべらせるのもおぼつかなくて、ただシャラモン神父の長い髪に触れたかったのだろうと苦笑していたが、今は父娘のやすらかな時間になっている。


「それで。どうしたんですか?」

 シャラモン神父は、訊ねた。

 せっかくの時間に、友人が深刻な顔で入ってきたのだ。


(友人……友人か)


 帝国奉職時代、お互い相手に興味がなかった。

 一〇年後。彼が友人に思える日が来ようとは思わなかった。単にシャラモン神父が魔法研究の外に関心がなかっただけかもしれない。子供もいなかった。


 狼牙兵を召喚させる指示で、シャラモンが作り出した牙兵をこの男はわずか三人で沈黙させた。あの時の新米騎士は、十年経ってもどこか落ち着きがなくて誰かのために動き回っている。


 その男が、シャラモン神父に声もかけずベッドで石化する。鬱陶しいことおびただしい。自問自答なら、自分の部屋ですればいいのに。


「なあ、魔女を知っているか」

 呟くように言った。部屋からほうきで掃き出したいほど陰気な声だった。


「ええ、直接会ったことはありませんが」ウソだった。

「知ってる名前とか、あるのか」

「名前ですか? そうですね……すぐには思いつきませんが」


「ディ……ディス……コルディアとかは?」

「今、なんと?」聞き取れない。


「ディスコルディアだ。〝混沌の女神〟とか」


 よりにもよって、なんて厄介な話を持ち込んでくるのだ。この人は。

 シャラモン神父は、我知らず嘆息する。これは祟るかも。


「先生? 誰なんです?」


 ハティヤが背中ごしに私の顔を覗き込んでくる。その瞳は好奇心でまぶしいほどだ。シャラモン神父は親の目で、「めっ」と制動をかけてから言った。


「黄金の林檎会のリーダーと目されている女魔法使いです」

 あえて魔女とは言わない。


「黄金のリンゴ?」おいしそうと娘が声を洩らす。


「くそっ……また知らねぇ名前が出てきやがった」

 懊悩おうのうに頭をかきむしって、たちまちカラヤンの頭皮が真っ赤になった。


「知らなくて当然です。魔法世界の話ですから。黄金の林檎会。別名〝不和の林檎会〟と言いましてね。魔法研究の場を戦場に求めようとする〝楽園の林檎会〟の分派です。

 帝国魔法学会も危険視している秘密結社で、その会員メンバーはディスコルディア、エウノミア、アストライア、エイレーネの四人で、黄昏の四魔女とも呼ばれています」


「アストライア……たしか、正義と秩序の女神じゃなかったか?」カラヤンが言った。


「ふふ。そうです。ジナイダ騎士団の守護神に推薦したのは私ですから。エイレネは平和と秩序の女神。エウノミアは繁栄と秩序の女神です。ですが、それとは別ですね」


「なら、なんで魔女の名が女神の名前なんだ?」

「彼女たちが、宗教、とくに神を馬鹿にしているからですよ」


「は?」


「あえて人々が信奉する女神の名を冠して悪業を働くことで、冒涜し、毀損し、まあ俗っぽく言えば茶化しているんです。そのくせ、医学や薬学などの知識は神泉のごとしです。対して、人心の救いを自分たちの領域に引き寄せたい宗教は、彼女たちを敵視し、魔法学を否定し、魔術師を排斥していきました」


「子供の喧嘩かよ」


「まさにそうです。これに対して、魔法学会は表向きはなんら対抗手段を講じませんでした。理由は簡単です。宗教の領域では魔法は理解できぬと割り切ったからです」


「先生。でもそれって、やっぱり馬鹿にしてますよね」


 ハティヤがこっそり言った。


「ええ。魔法世界は、宗教を俗行為と見なして距離を置いてきましたからね」

「宗教が俗? 人間くさい行為だってのか?」


「そうです。宗教は文字が読めなくても成立するお手軽な分野です。神聖だの、偉大だの唱えつつも、その地位を利用して金貨をせしめ、広大な土地を占有し、その教えをもって無辜の民を侵略戦争へと駆り立てる。歴史がそう証言しています」


「魔法だって、悪魔と契約するって聞くが?」 


「ええ。宗教をよくする浅学者は必ずそう言います。しかし、悪魔というモノは本来宗教の産物で、魔法世界にそんな〝異形の生物〟はいません。混同しているんです。


 魔法は、森羅万象の法則と理性的に契約することで、一部を活用する万有応用学です。それに対して、宗教が魔法を敵と想定し、見下し、彼らのヘリクツを魔法使いは十段も、二十段も高いところから冷めた目で観察しています。


 魔女とは、その観察を諦め、宗教が掲げる理想〝神道楽土〟が虚構であることを実証し、嘲笑うため、混沌を作り出そうとしています」


 ハティヤが肩を優しく叩いて、髪の手入れが終わったのを教えてくれる。光を失っていた頃の名残だ。頷いて礼を言う。

 この日課が、これからも続いて欲しいと思うシャラモン神父だった。


  §  §  §


「話を戻しましょうか。ディスコルディアのことでしたね」


 シャラモン神父は、半ば強引に話題を戻した。


「ああ。その魔女が〝金獅子帝〟の魔眼を盗んでいったらしい。そのすぐ後に、とっつぁんが急に記憶を戻したらしくて、どうもそいつがエウノミアの〝過去視〟の魔眼だと言い出してる」


「っ。エウノミアの〝過去視〟……そうなりますか。道理でおかしいと思っていたのです」


「なにがだ?」


「〝金獅子帝〟の施術がなければ、狼さんはこの世界で生きていけなかったはずだったんです。これは言いましたよね?」


「ああ、狼は魔法で生かされてて、〝アバ・シャムエル〟って死んだはずの……死んでないのか。それじゃあ、奪われた魔眼は最初から〝未来視〟の魔眼じゃなかったのか」


「はい。狼さんはこの件、何か言ってませんでしたか」

「とっつぁんを連れ去ろうと魔法学会のヤツが現れて、とっつぁんをヘーデルヴァーリと呼んだらしい」


 私は思わず息を呑んだ。


「ヘーデルヴァーリ……あのご店主が」

「ああ。知り合いか。一体誰なんだ?」


「その前に、もう少し確認させてください。ご店主はもしかして、盗まれた魔眼を取り戻したいと言っているのですか?」


 カラヤンから返事はない。それが答えだった。


「奪還を頼まれ、受けるかどうか迷っているのですね」

 カラヤンは俯いたまま、大きな息の固まりを吐いた。


「帝国軍に入る前からだ。とっつぁんとは二〇年の付き合いになる。ガキの時代のおれも、冒険者のおれも、盗賊のおれも知っている。貸しもあるが借りもある。できれば力になってやりたい。だがなあ」


「ええ。わかります。相手が悪すぎます。魔女などに関わるべきではありません。魔女から恨まれれば、良くて破滅。悪くて、死後も魂の玩具となる覚悟はしなければならないと相場が決まっていますから」


「くそっ。どうあがいても、おれにいい出目はまわってこねぇか」


 ハティヤがベッドの縁に腰かける。こんな異世界の暗部の話を聞いても面白くもないだろうに。

 シャラモン神父はイスから立ち上がり、窓の外を眺めながら言った。


「今から三〇年ほど前でしょうか。魔法学会の最高位であらせられる、ポジョニ大導師から、私の所へ魔法裁判に関する陪審意見の打診がありました」


 罪状──、封緘クローズド魔女デネブの解放。


 人間世界でいうところの、脱獄幇助ほうじょにあたる。刑罰は、三年以上六年以下の入牢と、鞭打ちが各国共通だ。


 だが、魔法学会は極刑を宣告した。死刑である。


 これは逃げた収監者が魔女であるところが大きい。魔女を手助けする者は傀儡化されて復帰不可能と見なされるためだ。


 ところが、被告人は傀儡化されていなかった。


『三〇〇年も暗い石室の中で閉じ込められ、空が見たい。春の風を受けたい。と泣いているのです。私は学会の掟に背く未熟な魔術師でしたが、エウノミアを、彼女を解き放ったことに後悔はありません』


 被告人の名は、ヘーデルヴァーリと言った。


 本職は〝彫律師チューナー〟。武器や防具、携帯道具に詠唱痕タトゥを彫り、それらに魔法効果を付与する細工を施せる魔工技師だった。


 ヘーデルヴァーリが封緘魔女の幽閉先にいたのは、石室に施された魔封じの詠唱痕の彫り直しを任されていたからだ。工期は二年。


 その間に、石室を隔てた交流があったことを誰ひとり予想できなかった。


「私は、被告人の落ち度は、エウノミアの境遇に同情しつつも説得を怠り、逃亡を手助けしたこと。一方で、監視を置かず被告人と魔女だけの環境を作り出した学会にも一定の過失責任はあると返書しました」


「相変わらず、雪山に置いてきた鍋みたいな意見だな」

 カラヤンが少し呆れた声を洩らした。意味がわからない。


「昔もあなたに言われた記憶があります。どういう意味なんですか?」

「冷えて硬い鍋だが、その鍋の存在がいつか誰かの役に立つんだろうなってこった」


 悪口ですらなかった。聞くんじゃなかった。


「ヘーデルヴァーリという名はそこで初めて知りましたが、裁判に興味もなかった。私はただ意見を求められただけなので、それに答えただけです」


「でも、先生がその名前を覚えていたのは、どうしてですか」

 良い質問です。そう応じて、娘の髪をそっと撫でた。


  §  §  §


「ポジョニ大導師は、ただ裁判内容に疑義があったわけではなかったのです」


 判決は、魔法学会員、除籍処分。および学会からの永久追放が言い渡された。


「ほう。減刑されたのか。……そこに何か裏があるのか?」

 物事の決定を覆すのだ、そこに思惑がなければ意味がない。


「後で知ったことですが、エウノミアがポジョニ大導師に司法取引を持ちかけたようです。『自分の魔眼は〝過去視〟だ。それと交換に彼の罪を減刑して欲しい』と。

 私への陪審意見の打診前にです。つまり、表の裁判量刑の意見ではなく、裏の司法取引の是非を問う陪審票決をとらされていたのです」


 ポジョニ大導師は昔からそういうところがあった。茶目っ気感覚で陰謀を巡らせる。魔女ほど悪質ではないが、陰謀の毒は確実に相手を苦しめる。

 学会でもっとも頼りにされ、そして油断してはならない魔法使いだ。


「でも、エウノミアはヘーデルヴァーリを死なせたくなかったから、自分の魔眼を差し出したんですよね。ちょっと怖いけど、ロマンスですね」


「ハティヤ。それは一般的な感覚です。魔法世界では、みずからの魔眼を明け渡す気概があるのなら、最初から自分が出頭すれば話はもっと早かったはずです。

 自分の保身を図りつつ、巻き込んだ相手を救い出そうとするから、話はこじれるのです。

 それに覚えておいてください。魔法学会は、魔女のロマンスに共感するほど甘い所ではないのです」


「でもぉ、先生ぇ」

 娘は頬を膨らませて不平を言う。見ていて飽きない。

「シャラモン。魔法学会は、とっつぁんに何をしたんだ?」


 カラヤンは怪訝を口にする。


「記憶の改ざんと、記憶の転写でしょう。そしてそのための監視です」

「改ざんと、転写だぁ? 役所の書類じゃあねぇんだぞ」


 ふいに笑いのツボに入りかけて、シャラモン神父は緩みかけた唇に力を込めた。


「魔法学会は、ヘーデルヴァーリ本人の記憶を父親として、ゲルグー・バルナローカという新しい人格を複写することで、親子二代で魔眼を守り続けている外形を作り出し、彼を魔眼に縛り付けたのです。


 さらに、〝過去視エウノミア〟の魔眼を〝金獅子帝〟の魔眼と誤った情報を上書きすることで、魔女の愛を切り離し、原罪の重さだけを背負わせたのです。しかし同時にそれは、〝エウノミア〟の魔眼だと気づける魔女をおびき寄せるエサでした」


 かくして、魔女は現れ、〝金獅子帝〟は偽物とあばかれり。だ。

 だが、ディスコルディアにとってみれば、ある意味〝本命〟の魔眼だったかもしれない。


「仲間の魔眼をかえしに来た。ってわけでもねえのか……」

 カラヤンの茫然とした声に、私はゆるゆると顔を振った。


「エウノミアは、ヘーデルヴァーリの減刑の対価にしたことで、自分の魔眼に未練などなかったはずです。そして、事件から数十年が経っています。今さら仲間のために取り戻すというのは、いかにも芝居がかりすぎています。

 なにより〝過去視〟の魔眼は、〝未来視〟の魔眼ほどではありませんが、魔法具としては一級品ですから。

 今回のことで、あなたは〝金獅子帝〟の魔眼が偽物で、魔女エウノミアの魔眼だと知りました。でも、当のゲルグー・バルナローカの記憶も複製された偽物であれば、ご店主はかつての恋人の所有物を取り返せと〝言わされている〟可能性もあります。魔法学会によって」


「うっ。つまり、おれは魔法学会の命令で動こうとしてるわけか」

「でも、先生」ハティヤが言った。


「未来が見える〝未来視〟を使って未来を変えようとするのなら、わかる気がしますけど、〝過去視〟の魔眼で過去を見ても、害があるようには思えませんけど」


「果たして本当にそうでしょうか」

「えっ?」


「ただ過去を見ることと、見えた過去から学ぶことは、その先の未来に大きな影響が出ます。

 たとえば、狼さんの過去を見るだけなら何も変わりませんが、狼さんの過去からこの世界で応用がきく有益な知識を引き出すことができれば、この世界の未来を変えることができるのです。

 未来視も同じです。占いのように結果だけ見て一喜一憂し、努力を怠れば、未来はすぐに過去となって何もしなかったのと同じになりますよ」


 カラヤンが腰かけたベッドから立ち上がった。目に少しだけ力が戻っていた。


「シャラモン、助かった。明日ちょっと狼と出てくる。三日くらい、ここにいてくれ」

「えっ!? 三日もっ?」ハティヤが目を見開いた。

「どちらへ?」


 カラヤンはドアを開けて、振り返った。その表情はこちらが驚くほど厳しかった。 


「カーロヴァックだ。五日前からアスワン帝国が約八万。カーロヴァック大要塞に取りついているそうだ。魔女が魔眼を試すとしたら、そこだろう」




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