第11話 狼、温泉宿をつくる(5)


 朝食の支度を調えて、俺は台所を出る。

 そこに入浴を済ませてひと息ついた馬車係と出くわした。


「馬車係。食事の用意ができたから、ちょっと馬の調整をしてくるよ」

「狼。それ、おれの仕事だから」


「身体、冷えてるんだろ。これからまた出かけるんだ。もう少し室内で温めておいた方がいい。それに、ちょっと独りで考え事をしたいんだ。みんなの朝食の世話を頼むよ」


「っ……わかった。ごめん」

 そこにウルダとカプリルが笑顔で家に入ってきたので、入浴を促す。汗で湯だつスコールにもタオルを投げた。


「スコール、どうだった。お姫様のお相手は」

「年下相手に……一本も獲れなかった」

「お、おう」マジか。


 俺は邸宅の裏に回って、厩舎に行く。

 うちの巨馬をブラシでグルーミング。考えをまとめていると、たまに力が入ってないと鼻先で肩を小突かれた。


「午後からティミショアラに向かう。目的はオラデアの経済復興の手伝いのつもりだったけど、この国の権威をもっと詳しく知る必要が出てきた」


 誰が国権を振りかざし、誰が抵抗をみせ、反目しているのか。俺は商人を目指してやってきた。それは変わらない。戦争なんか御免だ。だから軍事には関わらないようにしてきた。そっちはカラヤンに任せて、俺はオラデアの債務処理活動に廻りたい。だけど、このまま反乱準備を進めるのも得策じゃない気がする。

 なにより、この状況になっても、ちっとも見えてこないものがある。


「大公サルコテア・アゲラン・ズメイ……この人物が一番得体が知れないな」


 この公国で関わった〝死ねない人ヴァンパイア〟の大半が、彼への畏敬いけいを込めてその名を口にする。

 彼らの世界では、〝龍人〟と呼ばれる宇宙環境に耐性を持つ優性遺伝子を持った家族の長。それだけしかわからない。

 でも推測ならいくらでもできる。

 複製体ホムンクルスが構成するタンパク質遺伝子は、龍人の細胞ゲノムを複製して生産されている可能性が高い。〈パンドラシステム〉に組み込まれた乗組員は、半永久的な宇宙耐性を龍人から与えられたことになり、大公に永久的に頭が上がらなくなる。


〝失楽園事件〟は、いわばその龍人支配からの脱却でもあったはずだ。

 でも、それなら不可解な点がある。


 失楽園事件で逃げたした五六人が、龍公主ニフリートを含めて上層部の人間が多いことだ。

 とくに艦長だったスコール・エヴァーハルトが計画指揮を執っていたことからも、単純な〈ナーガルジュナⅩⅢ〉艦内における内部抗争ですむ図式をとっているようには思えない。


 そもそも大公サルコテアの地位は、艦長よりも上だったと見ていいはずだ。それなのに、直下の地位にして最高責任者であるはずの艦長が率先して艦を降りた。この力関係がいまいちよくわからない。


 ニコラ・コペルニクスの正体が真実に迫っている今、楽園を飛び出す計画は、本当にオリジナルだったのか怪しくなってきた。五六人の研究者が、果たしてそのままこの異世界で土に還ったのか。そこも疑わしくなってきた。


 そこでまた、あの「アバター条項」が出てくる。


 脱走した五六人が全員、医師免許を持っていたらどうだろう。彼らはオリジナルが複製体を殺して入れ替わって出て行く計画ではなく、回路医師としてお互いの疾患を偽証して、登録とは別の外形個体を作製。オリジナルと、複製体のまま艦を飛び出したのではないだろうか。

 これなら保存されている〈パンドラシステム〉のオリジナル登録をいじらずに、別識別情報アカウントの個体が得られるのではないか。


「〝失楽園事件〟の真なる計画とは、龍人ゲノムからの脱出……だめだ。何かしっくりこないな。そもそも再誕を捨てれば、彼らはそれで終わりだ」


 あの計画にコペルニクスの秘書フランチェスカ・スカラーが上司の複製体を保存するために、自分とその複製体もろとも重力制御装置を暴走させた。これが〝失楽園事件〟に画竜点睛を灯す決め手だったとすれば、どうだろう。


 ニコラ・コペルニクスは死んだ。だが殺させないための、事件だったとすれば、どうだ。

 彼女の死をぼかすことが後に続く者への希望となり、大公への牽制にもなる。とすれば、スカラーの献身と忠誠は見直されるべきだ。ニコラ・コペルニクス博士は、そこまでして護らなければならない救世主カリスマなのだ。


 その一方で、〝事故〟も起きた。


 ティボルとニフリートには、その計画の詳細を知らされてなかった。いや飛び入りで参加したために説明が間に合わなくて二次事件になったのかもしれない。


 俺には、絶対に見せたくない相手に見せたティボルの涙を疑うことはできなかった。

 でも、ティボル・ハザウェイにはまだ秘密があるはずだ。そんな気がする。


 そのことがあって、オイゲン・ムトゥはライカン・フェニアとともに死亡したニフリートを人工授精による複製蘇生するために、艦内に残った。

 だがニコラ・コペルニクスのオリジナルを艦内に残したとは言っていない。

 だから〝誰か〟が、今もニコラ・コペルニクスオリジナルの行方を捜し回っている。


「まったく。裏の裏返しかよ。まあ、俺ごときの推理で的を射れたら、この異世界生活もチョロいよな」


 俺がこれまで〈ナーガルジュナⅩⅢ〉の関係人物全員が、勘のいいバケモノ異世界人相手に即興の芝居を演じたことだけは間違いないだろう。


 念入りに、緻密に「天才科学者ライカン・フェニア」を創りあげることに成功した。

 のうのうと、俺とのダンジョン冒険や旅を愉しみながら。


「違うな。博士にまた会えば、そんな恨み言も消えてハグをするんだ。俺は」


 もう嫌いになれない。彼女との約束を果たせる時を楽しみにしている自分がいる。


 となれば、ライカン・フェニアがニフリートの四肢再生を断行したことは、オイゲン・ムトゥに対する嫌がらせではなく、意味があったことになる。


 大公の注意を自分から別の方向へ向けるための誤誘導という意味だ。


 ただ、ライカン・フェニアが十九歳まで成長したのは、守護者達から見ても、まったくの予定外だったはず。


 だから殺された。これは見方を変えれば、彼女の自由への渇望を制止されたと見ることもできる。


 そしてシステム通りに博士が再誕したタイミングを見計らって、帝国軍部の裏組織が極秘裏に誘拐したていで、公国を脱出させた。

 その計画実行主犯であるマダム・キュリーには、あの時の俺の悲嘆とハティヤを返してほしいものだ。


(もしかして、この考えを指摘されるのが嫌で、帝国滞在中、マダム・キュリーはずっと俺から逃げてたのか?)


 そうすると、コペルニクスの肉親同然だった同居人のリンクスに所在を教えていないことにも、一定の理由が見えてくる。


(リンクスは、マークされて泳がされて続けている。大公側の誰かによって)


「ま、本人もあんまりべらべらしゃべってくれるとは思えないけど……」

 グルーミングと蹄鉄のチェックを済ませると、馬着を着せて首筋を撫でてやる。


「それじゃあ、今後はマクガイアさんも、この話題はダメかもな」


 あの人は、筋金入りのコペルニクス派だ。


 中央都にダンジョンの保守管理を課されながら、ことあるごとにドワーフだと卑下しながら、ライカン・フェニア=ニコラ・コペルニクスを助けたのだ。

 その彼が内定ながら家政長就任を認められた。


 タイミングとしては、出来過ぎてる。マシューやオルテナは彼が突然ひらめいたように思っただろうが、当事者の三家政長たちは偶然が重なった顔をしていない。つまり、家政長を望んだのは半分、グラサンドワーフの芝居。


 マクガイアが家政長になることは、これからの戦局上、重要な示唆しさなのではないか。

 その矢印の先は、大公……そんな気がする。


  §  §  §


「では、少し仕事の話をしましょうか」


 子供たちは朝食を終えて、龍公主の私室に移っていた。

 私室は、前は納屋として使われていた小部屋だ。

 先輩同居人のティミーは客間を使用していたが、龍公主から彼女との相部屋を拒否。さりとてやんごとなき都市の象徴。粗略に扱えぬと部屋を譲る案も、彼女は拒否したらしい。


 ここが、いいと。


 どうやら、その納屋。マクガイアの趣味が置いてある部屋で、かなり面白いらしい。さっきから楽しげな声が聞こえてくる。


 俺は、オルテナが持ってきた印刷物──競売物件カタログに手を載せた。


「この中で、温泉を引き込める物件は何件ありますか?」

「温泉?」


「ええ。温泉水または温泉です。この世界で温泉と指定できる基準温度は知りませんが」

「この世界に温泉を規定する法律はねえよ。それでも……六〇件はあったかな」


 結構ある。というか、一回の不動産競売会にしては出品物件が多すぎやしないか。


「温泉水は鉛合金のパイプで最長六〇〇メートルまでインフラ建設可能だ。その費用は自己負担を頼みたいがな」

「例の湿地帯からですか?」


 マクガイアは滅相もないと顔を振った。


「あそこは、それこそアラド神殿があった時代から信徒の沐浴場だったところだ。地下からの温水に川の水が混ざって、あの温度と深さになったらしい。川の水かさによって底の泥を推し上げるから不衛生だ。生活温水には使えねぇよ。

 市街北の丘陵に三〇度程度の温泉水を汲み上げてる管理施設がある。そこから拡張するだけで足りるだろ」


「つまり今後は中央供給暖房セントラルヒーティング方式をとると?」


「うん。今オレの区画は、地熱温水を使った実験運転中だ。割とうまく言ってる。集合住宅には無圧ボイラーを設置して配給してる。あっちはたまにシャワーの湯が切れると苦情が来てるな」


 俺は何度もうなずいた。オラデアの生活インフラの伸びしろはティミショアラの比ではないかもしれない。


「では、この中からデーバの風呂屋と同じ規模の温泉施設を、宿屋として造ろうとしたら、何件ありそうですか」


 マクガイアが目の覚めた顔で手を出してくる。俺はそのごつい手に競売カタログを載せた。オルテナもとなりに寄ってきて、二人で物件を精査する。


「そうだな……二件だ」

 少なくはない。それほどデーバの風呂屋が大きいのだ。

「元は、なんの建物なんですか?」


「現場に行ってみりゃあわかるが、美術館だ」

「美術館ですか?」


「ホリア・シマは町の一等地に、そういう物をあちこちに造ってた。すべて町立で八カ所。集客数は年間五〇人。しかもリピーターはゼロだ。室内噴水に温泉水が使われてるから少し臭うしな」


 税金泥棒。税金道楽。そういえば前世界にもいたわ。成果実績だけ積み上げるために、市民の誰も欲しがってない将来性のない建築に税金をジャブジャブ投入するオジサン達が。


「ちなみに美術館の展示物は?」

「みんな彫刻だ。無名の彫刻作品ばかりで、センスも低い。調査員の報告だと、静かすぎる室内で、物言わないクリシュナ人にじっと見つめられるような心地で落ち着かなかったとよ」


 誰もこない美術館で彫刻が主人のように客を威圧する光景。推して知るべし。

 俺はうなずくと、マクガイアに開いてもらった物件に羽ペンで「候補」と付記する。


「そこ、最低金額三〇万ロットからだぞ。大丈夫か?」

「それをヤドカリニヤ商会で相談してくるんです。これ調度品コミですか?」


「ああ。そっちは二束三文だったから物件につけた。処分はお買い上げ様次第だ。温泉水の配湯使用に関しては行政庁に届けてもらう必要がある。温泉水を営業目的使用にするなら一般家庭の配湯代より五分から一割七分ほどの割高を覚悟しておいてくれ」


「配湯代五分から一割七分……と、わかりました。オークション開催日は、この表紙に書かれてる期日で間違いないですか」


「ああ、二週間後。順延はねえ。売れ残りは三ヶ月後に再出品する。リエカやジェノアにはすでにカタログを数冊刷って、広報員を送ったから内見の申込者の対応を今、手配してるところだ。宿屋開業の件、進めてくれるんなら町の目玉にもしたい。そう会頭に伝えてくれ」


「了解です」


 もう一つの物件は最低金額一六〇万ロット。ホリア・シマの自宅だった。

 経緯からすれば、縁起が悪い。だが、それさえ気にしなければ高級ホテル向きだ。状態もよく、部屋数も多い。ただ地図で場所を見ると、町の北端にあり、市街地から少し遠い。


 だが俺は、ここもいいなと思っている。


「ところで、狼。その宿屋、採算はとれそうか?」

 俺は口吻マズルを掻くと、ちらっとよそ見をした。


「実は、ケルヌンノスの報せで言ってないことがあります」

「あん? またその話か」

「多分、二、三日中に報せが来ると思いますから先に言っておきますね」

「やけに勿体つけるじゃねえか。なんだよ」

 俺は背嚢に、カタログをしまうと、ふたを閉めた。


「北にあった鎖国の壁がケルヌンノスに破壊されています」


「はあ?」

「全てではありませんが、カラヤンを送り込んだ壁の当たりから東へ三キール以上。おそらく今のオラデアの財政状況では、再建不能でしょう」


 あ然と口を開けていたマクガイアが、急にニヤリと笑った。


「それも、お前さんの仕業かぁ?」

「ですから、ケルヌンノスの仕業ですよ。この町にとって神の恩恵というヤツでしょうか」


 マクガイアはがははっと笑い、コーヒーをがぶりと飲んだ。


「それと、マクガイアさんの耳に、ヴァンドルフ領の噂ってなにか聞いていますか?」


「噂、そうだな……。当主が独身で三四、五。これからって時に妙な呪いにかけられて、もう後がヤバいってことまではな。それにあそこは獣族にとってパラダイスだって随分昔に聞いたことがある」


「ヴァンドルフ領が獣族のパラダイスですか」


「ここのドワーフたちが旧市街から追い出された時にな。もうここを見限って、そっちを頼ってみようかって話が起こってな。俺がそいつらを引き留めたんだ。ここで逃げたら、シマの言い分を認めるようなもんだ。逃げるなら給料を払わせてからだ。町がねえならここに造りゃあいいってな。それで三〇年だ」


 マクガイアは本当にリーダーの素養がある。俺はうなずいた。


「賢明な判断だったと思います」

「ああ。だが、そうか……あっちからの温泉客を引き込めれば、確かに物の流れが変わるな」


「はい。ただ、獣族の受け入れは他種族からの嫌悪感、忌避感も根強くあります。それを取り払う努力をこの町の住民に強いることになるでしょう。でも、この町を種族フリーの先駆けにできれば、莫大な利益を見込めるはずです」


「ったくよぉ。簡単に言ってくれるじゃねえか。狼」

 あきれ返った口振りだったが、マクガイアの表情は明るかった。


「正直、今回の不動産オークションは人族相手には旨味がねえと思ってた。だがヴァンドルフ領に声をかけてみるのもいいな。カラヤンは旗を四つ持っていったんだろう?」


「はい」

「うん。向こうはこっちのサインを受け入れてもらった。なら、こっちも受け入れてやるのが筋ってもんだ。よし。──オルテナ」


「あいよ。兄貴にもう一冊カタログを用意させてくるっ」

 女ドワーフがどこか嬉しそうに家政長のいかつい肩を叩いて、家を出て行った。



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