第13話 狼、未来へのカギを託す
「ふぅー……よし。修繕完了。わたしゃ天才だね、っとぉ!」
バチン。俺の背中に両手を叩きつけて、群青の魔女は煙管に火をつけた。
「あっ、あっ……ありがとうござい、まし……たっ」
ひりひりする背中をそのままに、俺は服を着込んだ。
「ウルダ。今どの辺?」
「んー。さっきアルバ・ユリア越えたっちゃー」
幌ごしのウルダの返事が、かじかんでいた。
「トゥルダで休憩して、ダンジョンに入る。北東の通気口だ」
「了解」
「狼。馬車の荷物はどうする」カラヤンが訊ねてくる。
「貴重品と食料品は持っていきます。燃料はトゥルダの町外れにある教会に馬車を預かってもらう代わりに寄付します」
「馬では無理か」
「ええ。北東部は傾斜がひどくて迂回が必要になります。無理に登って雪で滑ったら人でも命がけになりますね」
「わかった」
「なあ、狼ぃ」ティボルが情けない声で、俺にすがってくる。「一生の頼みっ! オレの一生の頼みを聞いてくれぇっ!」
「あんた、ここ三〇〇年。一度も死んでないだろうが」
「説教なんか聞きたくねぇ。オレは幸せだけが欲しいんだ。友達だろう?」
「そうだったっけ?」
カラヤンは日本刀を抜いて、刀身の手入れを始める。
俺は布袋から、小さなリンゴ二個と携帯食料を一本取りだす。群青の魔女が手を出してくるので、携帯食料のほうを渡して二人でかじる。
「アルサリアさんは、ダンジョンもご覧になりますか」
「そうさね。山登りの時期には悪そうだけど、いい機会だ。古代魔法技術を見学して研究の肥やしになれば言うこたぁないねえ」
「──狼しゃん……っ!」
ウルダが小声で鋭く声をかけてきた。幌内はすぐに息をひそめた。
俺はリンゴをくわえて幌を出ると、助手席に跳び乗った。
前方七〇〇メートル先。ウルダと俺の目で小さく判別できる程度。トゥルダの町の前で騎馬が数頭、歩兵が十数人。中央軍だ。検問を張って待ち構えている。
向こうはこちらをまだ捕捉できてないのか視線は感じない。見える数は一個小隊だが、トゥルダの町規模は中の下。そこから考えても、あれだけとは考えにくい。
「ウルダ。ダンジョンの伝令に飛んでくれ。内容は──敵の北東拠点はトゥルダ。一個中隊」
「了解」
預けてくる手綱ごとウルダの手をつかみ、俺は強く引き寄せて抱きしめた。馬車を停める。
「……っ!?」
「ウルダ。ごめんな。ずっと外で、寒かったろう」
ウルダは俺の胸の中で囁いてくる。
「狼しゃん……どげんして? どげんして、うちなんか助けてくれたと?」
グリシモンに捕まった時、ウルダが俺に何を叫んでいたのか今も思い出せない。思い出す必要はない気がする。俺は頑なな想いを解きほぐすように灰髪を撫でてやる。
「ウルダが大切だからに決まってるだろ。ムトゥさんの頼みはもう忘れたよ。俺が、俺の意志で、命を賭けてウルダを守りたかった。ウルダはどんなピンチでも弱音なんて吐かない強い子だもんな。そんなウルダを失いたくなかった。いや、失って心から悲しかったんだ」
「狼しゃんは……もう、死なんと?」
「ああ。もうウルダを独りにしたりなんか、しない。約束する」
俺は、少女の赤い頬に毛むくじゃらの頬を押し当てた。そのままたっぷり一分、お互いを温めるまで動かない。
「……うん。行ってくる」
ウルダからそっと離れた。ほんのり熱の戻った手で、俺の頬毛を撫でてくる。剣だこだらけの手は、まだ年齢相応に小さかった。
「……狼しゃん、大好き」
俺は再び馬車を進ませる。
「いいなあ。お前だけ」
ティボルがとなりに座ってくるなり、俺から手綱を奪い取る。何の話だ。
「なあ、狼ぃ。さっきの話だけどさぁ」
「うるっさいなあ。あれ、見たらわかるだろ。ちょっとは緊張しろよ」
「する必要ねーだろ。オレの恋路はあんな検問くらいじゃ阻めやしないのさ」
何言ってんだよ、コイツ。俺はどっと肩を落とした。自分の正体を晒して開き直ったようだ。いつものお調子者に戻ってるのが、ティボルらしいが、ウザい。
「なら。先生に三〇〇年分の恨みを込めて、拳でぶっ飛ばされる覚悟はできてるんだな?」
「んっ。そりゃあ……おっ、おう。今、覚悟した」
大丈夫かよ。この恋する機械人間は。
「なら、ここの戦いを凌げたら、そのきっかけをやるよ。あとは自分で手当てしてくれ」
「本当かっ? けど、きっかけだけぇ? 最後まで面倒見てくれよぉ」
「知らねえよ、あんたの恋路なんか。自分の恋路だろ。検問くらいじゃ阻めないんだろ。ならひとりで当たって砕けてくれ。骨は拾ってやらないから」
「さ、さては、お前もペルリカのこと狙ってんじゃねえよな?」
「三〇〇年も自分のカノジョ放置してた馬鹿野郎に言われたくない」
「うっ。それは……。ま、マジかよ……っ」
リアクションが男子高校生のそれ。今から動揺しすぎだろ。美人女教師に憧れるボーイズトークさせんなよ。香ばしいわ。
「そういえば、俺。この間、先生と五分だけダンスを踊ったよ」
「ぬあっにぃ!? てててめぇ、何してくれてんだよぉ!」
ぬあっにぃとか、平成のラブコメ漫画でも見たことないぞ。誰だよ、こいつに基礎恋愛情報インプットしたの。初代ヘーデルヴァーリはペルリカ先生とどういう付き合いをしてたんだか。
そんな馬鹿話をしていると、あっさり検問に到着して兵士に呼び止められた。
馬車を停止。ティボルが〈ヤドカリニヤ商会〉の手代証明の木札を出す。ここだけ商人モード。
「目的地は。この町には何用か」
「オラデア経由で、ティミショアラまで。この町には三日ほどの宿泊して商売を。町外れの修道院で旅の安全を祈り、燃料を少し寄進します」
「積荷は」
「食料品と木炭、石けん。それから……塩まだあったっけ?」
助手席から、俺は無言でうなずく。
「荷台に人を乗せているな」
「へい。護衛に雇った傭兵の先生と、行きずりの女巡礼者の二人です」
「おい。傭兵一名と女巡礼者だ」
兵士が確認の合図を飛ばす。兵士が二人、荷台の後ろにまわってカーテンを剥いだ。
「確認した。積み荷も問題ない」
「よし。行っていいぞ」
「へい。どうもご苦労様で」
「あと、山沿いの道は当分の間は、封鎖だ」
「えっ?」
思わず俺が聞き返した。兵士が奇妙な目で見据えてくるので、慌てて弁解する。
「山沿いの道ということは、修道院の道ですよね。修道院に燃料を寄付する約束をしています。残りの冬場を凌ぐ大切な燃料と、当てにされていたのですが」
兵士は少し考えて、ちょっと待っていろと騎士にお伺いをたてに馬車を離れた。
「おい、狼。その修道院と、そんな約束してたのかよ」
「面識はある。ライカン・フェニアを迎えに行った時、そこでオラデアまでの道を聞いた。あの山の中腹にあるんだ。この冬場、町まで大容量のソリ馬車が使える上に、木炭のつまった麻袋を持っていって拒める修道士は、そうそういないさ」
「なるほどな。この悪党め」
「ふむふむ。悪くない褒め言葉だね」
兵士が戻ってきた。俺たちはとっさに口を噤む。
「宮廷魔術師エリス・オー様の通達だ。山道を使う者は
「わかりました。あの道は、雪崩の危険もあると修道院長も言っていました。オラデアに向かう際には、一度この町に戻ってくることにします」
「ああ、そうしろ。よしっ。もう行っていいぞ!」
命じられるまま、馬車は町に入っていった。
「ティボル。今の聞いたか」
「うくくっ。大公の思考データを受け継いだアンドロイド軍は、次の主人をエリス・オーと認めたらしいな」
「中央軍はもう、大公の復権を目論む軍隊ではないのか?」
「ああ。お前が大公の〝核〟をぶっ潰したとはいえ、この展開はオレも驚きだ」
「あんたへの影響は?」
「ない。俺は大公が統括評議会にも秘密で造った
けど大公が思考データを送った対象三〇〇は、すべて登録済みの
「それじゃあ、大公の思考データってなんなんだ?」
「おそらく、方舟に関する一切だろうぜ」
「ということは、設備図とその制御、運営方法か。それなら17階層より上の設備も共有情報として把握されてるな。あとは、攻城戦の合図を待つだけか」
「そういうこと。そしてルビコン川を渡るための
俺は下あごをもふりながら、うなずいた。
「ティボル」
「ああ。わかってる。オレはここで抜けさせてもらうぜ」
俺は上着のポケットから、小さなカギを差し出した。
ティボルは手綱を握ったまま条件反射的に受け取る。
「ん。こりゃあ、どこのだ?」
「後ろにある、俺用のチェスト。その中にさらに鍵のかかったちょっと大きめの宝石箱がある。その箱のカギは捨てた。物理的に破壊して開けてくれ」
「なんだよ。遺産の分け前でもくれんのか?」
となりの軽口を、俺は取り合わなかった。
「その中に、ペルリカ先生の眼帯を作る材料が入ってる」
「眼帯の材料? ……おい、ウソだろ。〝水の黒羽衣〟が見つかったのかっ!?」
ティボルの顔がようやく真剣に驚いた。さすが初代ヘーデルヴァーリ。まだ憶えていたらしい。
「その宝石箱を、リエカの〈メルクーアブル商会〉に持ち込んでくれ。モデラートさんに直接見せるんだ。バラ柄の眼帯を織ってほしいと頼めば、話が通るはずだ」
「マジか……」
「その完成した帯をもう一度、あんたからだと言って、プレゼントしてみろよ。それで先生が怒り出したら土下座でもして許しを請えばいい。俺にできることは、それだけだよ」
「……っ」
返事がないので横を見たら、ティボルはカギを握りしめたまま鼻水まで垂らして泣いていた。
「ティボルっ。どうしたよ、その顔。めちゃくちゃブサイクになってるぞ」
からかってやったのに、無反応。おまけに、
「……お゛んに着ぶ」
マジレスだ。俺は思いがけず可笑しくなって喉を鳴らした。
泣くほど惚れてるのに、手放した愛を取り返す手だてを何ひとつ打てず、じっと口を噤んで三百年も耐え続けていたコイツは、なんて愛すべき馬鹿野郎なんだろう。
「ああ、着てくれ。そうでないとこっちも割に合わない。その眼帯はもともと俺が先生から依頼を受けていたものだからな。俺から渡してたら、先生は完全に俺に墜ちてたはずなんだ」
「……うん」
「もう大公は、ティボル・ハザウェイには何も手出しできない。だから絶対に幸せになれよ」
「お前も、お前らも、生きて還ってこいよっ」
「当然だって。龍公主四人いて、家政長も四人いる。負ける気がしない。というか、その後が大変なんだ。ティボルに頼みたいのは、その宝石箱と一緒に入っている書状をバトゥ都督補に渡してくれ。眼帯を発注した後ならヒマだろ?」
「そんなに重要な内容なのか」
俺はフードの下で鼻先を振った。
「いや。大したことじゃない。ちょっとした提案書だ。意見が通るかどうかは五分五分。却下されても、俺は恨まないよ」
「なら、なんで宝石箱に入れてんだ?」
「そりゃあ。誰かに見られたら恥ずかしい内容だからだよ。盗み見るなよ。親展だからな」
この国の未来予想図だとは、余所者の口から言うべきではない。
公国は古い壁を壊し腐った柱を壊して、ようやく新しい風が入ってきた。その風を追風にするのも逆風にするのも、彼ら〝
俺はこの世界をよりよい物にしようなんて思っちゃあいない。ただ、子供が飢えを凌ぐために剣を振らなければならない世界は、異世界だろうとクソだと思ってる。
馬鹿げた戦争をやるのは、馬鹿な大人だけでいい。
俺は、上着ポケットから小さなリンゴを取り出してかぶりつく。
きっと俺ってやつは、このポケットを叩けば食べたいだけのリンゴを出せる魔法使いになれたら、なにも言うことはないのだろう。
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