第22話 ドアの隙間から見えるもの 後編
「なっ? 何を言っている? 意味が分からない」
上目遣いに怪人を見上げる。本当に何を言っているのか分からなかった。
「〝秩序の魔女〟は今日、ここで死ぬのです。それをあなたが学会に報告していただきたい。そう申し上げているのです」
「
ドアをギリギリと閉めつけられて、頭に溜まる
「わ、わがっだ。なんどがずるっ。やりまずぅっ。じ、死ぬ~ぅ!」
「では、こういたしましょう。三日後。カーロヴァック市の郊外。カールシュタットという貧民街に共同墓地がございます。
そこにアンドレアス・ボーデンシュタインという真新しい墓碑に、エウノミアの遺品を置いておきます。それをお持ちになり、帝国へお帰りいただきたいのですが、いかがでしょう」
「む、無理だ。いや、ち違う。そういう意味じゃ、なく、てだな。死亡宣告にはエウノミアの血がいるのだ」
「血?」
「そうだ。血液だ。魔術師は血にマナを溶かし込む術を心得たことで不老を得る。なので、通常人の血液とは別の識別方式がある。それは魔女とて例外ではない。
具体的には、ある魔法をその血液に照射して反応を見ることで魔女を特定するようだ。私は法理魔術師ではないからよく知らんがな」
「〝混沌の魔女〟も、それで判別できるのですか」
「ばっ。ばばっ莫迦ものっ。その名をワシの目の前で口にするとは、殺す気か!」
「できるのですかぁ?」金眼が迫ってくる。
「できる。と思う……。試した者はおらん。あいつは呼べば現れるくせに、捕まえづらいから」
「なぜ捕まらないのでしょうか。学会が
「知らん。いやっ、その……。よくは知らん。聞いた話では、追っ手は差し向けているが、いつも幻を掴まされるんだと言っているらしい。
怖ろしいほどのプレッシャーがあるのに、反撃されたことは一度もないそうだ」
「一度も……幻惑魔法でしょうか?」この怪人、魔法の素養もあるのか。
「違う。そんな法則性のある物じゃないと言っていた。幽霊、精霊、魔界獣? そういった次元のものだと言っていた気がするな。追いかけていたのにいつの間にかいなくなり、いつの間にか憶えのない所へ飛ばされるとも聞く」
「憶えない所へ飛ばされる?」
「時空転移だと、学会長は推測していたな。時空魔法は学会が厳しく禁じる禁忌魔法だ。ディスコルディアは捕らえられれば、魂まで滅ぼされるだろうな」
「わたくしは名前を言っていません」
「あっ」
脊髄が凍った。ドアが開いて、とっさに塞がれていた気道に空気を送りこむと、激しく
「お互い呟かなかった。聞かなかったことにいたしましょう」
「そ、そうだな……ゴホッゴホッ」
「先ほどのお約束。用意しておきます」
「エウノミアの血を、本当に?」
「彼女はもう追われることに疲れておいでなのです。静かに暮らしたいと」
首を振る。〝黄金の林檎会〟は最早そういう存在ではなくなっている。
「手遅れだ。ヤツらの知識は危険だ。今でなくとも、この世界の未来にとって」
「では、帝国魔法学会が思い描く未来とは、どのようなものなのでしょうか。是非お伺いしたく存じますね」
「なにっ? そ……それはっ」なぜだ。言葉が続かない。
怪人は言う。
「魔法の限界。世界の限界。理想の限界。なのに知識だけが無限? いいえ、違いますね。人の欲望に際限がないだけでございます。
一度、学会もおのれの存在意義というものを
会員に名を連ね、権威にふんぞり返るだけが仕事ではないのでしょう? 甘い汁ばかり吸ってないで、たまにはしがみついている樹木の細さを知るべきです」
「し、知った風な口を叩くなっ!」
いかり任せに怒鳴ったが、ドアが閉まることはなかった。
怪人は深々と、その狼の頭を下げてきた。
その慇懃さに誠実さを見て、怒りの矛先を見失う。
「なにとぞ、ポジョニ閣下にお伝えください。〝混沌の魔女〟にケルヌンノスを殺させてはならないと」
「ケルヌンノス? それは精霊王のことではないか。おとぎ話を今この場で持ち出すことに何の意味が……お前、ポジョニ会長を知っているのか。一体何をどこまで知っておるのだ。お前は何者だ?」
「狼と申します。僭越ながら、貴方様のお名前も頂戴いたしたく」
狼だと。見たまんまではないか。ふざけているのか……くそっ。
「ぬっ。……ヨハンセン・トリテミウスだ。帝国正教会マグノリア派の司教だ」
「かたじけなく存じます。それでは、トリテミウス様。約定、
そう言って、頭を下げたままドアを静かに閉めた。
ロックされると、馬車は走り出した。
揺れる車内で座席に這い戻ると、今ごろ心臓が早鐘を打ち始めた。
首をそっと撫でると、ずきずきと痛む。これは
怪人との会話は、夢じゃなかったのだ。
(死ぬかと思った……生き残れた)
おもむろに最後のワインを取りだし、優雅とは無縁の所作で栓をひき抜くとラッパ飲みした。ひどく喉が渇いていた。味も酩酊もしない。ただ喉が渇いていた。
思いがけず、魔の眷属に本名を名乗ってしまったが、大丈夫だろうか。いや、あの頭を垂れた姿勢。なぜか恐怖は抱かせなかった。
「学会が思い描く未来……か」
この歳になって、魔物の類いから説教を受けるとは、腹立たしいことこの上ないわい。
§ § §
ざしゅっ。
遠ざかる馬車を見送りながら生首を踏み崩すと、雪に戻った。
幻影魔法ではない。
とっさに固めた雪に交じった泥が、ちょうど後ろ頭の毛髪に見えただけだ。
薄く開いたドアの隙間から、彼にはそれが
首級を持ってきたと言ったから、首級に見えたのか。
彼自身が魔女の首級を熱望していたから、首級に見えたのかはわからない。
ドアの隙間から覗かせることで視覚情報を少なくし、人の首だと錯覚誘導した心理マジックだ。
ツカサは、この手の心理トリックにはあまり引っ掛かってくれなかったな。
「なあ、本当に殺さなくて良かったのか」
声をかけられて振り返るとティボルが不安そうにしていた。
二人でその場を離れる。
ティボルは森のちょっと奥まった茂みの影で用足ししていたところ、横を次々と駆け去る軽装兵を見つけたらしい。
その数に気圧されてカラヤン達の馬車へ戻るに戻れず、場を離れたところで敵側の馬車を見つけたようだ。そこに、馬車へ近づく俺の頭を見つけて、声をかけてきた。
カラヤンに、また敵前逃亡と見なされるのが嫌だったらしく、取りなしを頼むことを条件に俺の隠密襲撃を恩着せがましく手伝った。
三人の御者を二人で締め堕とした。
トリテミウス以外の〝ご観覧〟は、騒ぐ彼の悲鳴を聞いても馬車に貼りつけた防壁板をいいことに、車内でずっと沈黙していた。
この手の貴族馬車の鍵は外側についている。外の異常に気づいても出て行けない。
トリテミウスの生死不明な情況で彼の馬車が動き出し、次は自分の番かも知れないと思ってずっと息を凝らしているのかもしれない。
もちろん、俺とティボルはその隙に逃げるわけだが。
これは、大きな賭けになりそうだった。
帝国魔法学会のやり方のえげつなさは前から聞いていた。この魔法暴力団に対して、俺の計画死亡工作でどこまで騙しおおせられるのかは正直、分が悪い。
だけど、もし彼がやり遂げたなら、他の魔女にも応用できる。
彼らの禁忌とやらも、〝ハヌマンラングール〟の高度技術も似たようなもんだ。
禁忌が人を殺すわけじゃない。人が禁忌を争いに使うから、恐怖なんだ。
まあ、いいさ。俺は家族を守るだけだ。
さあ、帰ろう。我が家に。
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