第60話 グラーデンの屈辱(1)


 この寄り道は、生涯の悔恨を残すことになるだろう。

 馳せ参じてくれた将校らには申し訳ないと思っている。


 グラーデンには流浪の民に墜ちてまで遂行しなければならない使命があった。その途上での寄り道である。彼らと彼らの家族にはいかばかりの負担か。


 それでも、アレを手に入れたかった。


 第一家政フランコフカ・モドラから、「いい加減になさいませ」と久しぶりに窘められた。


 でも、欲しい。どうしても欲しかったのだ。


「でもな、フランコフカよ。そやつ、ワシを脅しつけてきたのだぞ? そんなヤツ、今までおったか?」


「偉大なるバフォメットを騙るアヤカシが脅しつけた時以来と記憶しております。もっとも、御前を脅しつけて、得があるとも思えませんが」


「そうであろう? そうなのよ。だから、面白いと思ぉたわけ。な?」


「な? ではございません。もう一代事業を始められたのです。今さら、めずらかな魔人に出会ったからといって、ホイホイ釣られて行かれては下の者が混乱いたします」


「う~む。でもなあ。欲しいのよ」


「御前。そもそも本人が拒絶したのでございましょう。それをあのようなふざけた文面の公文書を送れば、それこそ追ったハチに刺されるというもの。第一、パンクィナムとは昔飼っていたキマイラの名前ではございませんか。魔人でなくとも呆れますぞ」


「いやぁ、フランコフカ。おぬしの言うことはわかる。非常にわかる。だけどな?」

「それにお伺いしたところ、御前もだいぶ尊大に振る舞われたご様子で」


「うっ。それは、その。ペルリカの手前……やむを得なかった」

「常日頃。あの先生の見識には敵わぬと御前ご自身が、そうお認めになられたではありませぬか」


「いやいやいや、そうなんだけどっ。そうなんだけどな? やっぱり私もまだまだ魔法使いとしての研鑽を積んでるところを見せたかったわけよ」


「公務社交公務社公務社交で、ここ久しく、ご自身の研究に向かわれる寸暇すんかがございましたか。研究テーマも滞りがちでしたし。いささか見栄を張りすぎでございますよ。

 ミカエル様のご病状を憂う余り、かの魔人にナイフを突きつけた時点で、先方の第一印象は最悪でございましょう。

 しかも此度は、ペルリカ先生の取りなしで薬を手に入れられたのに、御前が我を通すあまり、そのご厚意を仇で返すことに……」


 辛辣な第一家政の説教に主人も腕組みして唸ってしまう。


「う~む。それな」


「ペルリカ先生から絶交を宣告されて困るのは、御前だけではございません。先生をあつく信奉されてこられた奥様からも、確実に恨まれましょう」


「それな。ほんとそれな」


 妻レブラとペルリカとの交誼はミュンヒハウゼン家に嫁いできた直後から四〇年を超えた。三〇〇年の牢役を脱して帝国魔法学会から逃げてきた時、妻が皆まで聞かずに匿った。以来、血を分けた姉妹よりも仲がいい。

 あの時は、グラーデンもその手伝いや根回しをやらされたのに、なぜか二人からの感謝がなかった。解せない。


 エウノミアのヘーデルヴァーリ助命に際し、ポジョニとの魔眼取引も仲介した。

 アレは今でも罠だと思っているが、ポジョニ自身は何らかの思惑があってか不気味な沈黙で三〇〇年以上が過ぎた。


 とにかく、今は狼頭の魔術師のことよ。


「フランコフカよ。どうにかならんか」

「どうにもこうにも、少なくとも私欲のおもむくままに力尽くで奪おうと、兵をひねり出したわけでございましょう。貴重な騎兵ばかりを七〇〇も」


「いや、一二〇〇だ」


 とたん、第一家政の顔から感情が消えた。

「御前、それは初耳でございますが」


「なんか呼んだら、これるって言うから」暴走族の集会か。


「まさか、ストロンガ大尉あたりでございますか」

「さすがフランコフカよ。当たりだ」


「そのお褒めの言葉は、光栄に浴しかねます。王都ですら持て余した暴れん坊ではありませんか。ましてや、セニの町は国外でございますよ」


「まあ、その辺は、ほら。いつもの手で、なんとでもなるって」

 第一家政はゆるゆると顔を振って、ひそやかに嘆息した。


「では今回、わたくしはミカエル様の看病に専念させていただきます」

「えっ。マジで?」


 ちょっと意外な顔をする主人に、フランコフカは悪友を突き放す相棒の顔をした。


「東方不敗の魔剣法士も、たまには痛い目に遭ってこその、人生でございましょう」


 使用人とも思えぬ不遜な物言いにも、主人は意に介さなかった。


「ふん。痛い目って言うがな。相手は港町の豪族だぞ? 後詰ごづめ(増援部隊)もなかろう」


 この敵を軽んじた発言は、開戦直前になって、自分に跳ね返ってくる呪詛になった。


「御前。せめてウサギを追う獅子となられませ。今は冬。戦のシーズンはとうに過ぎております。ムラダー・ボレスラフとその一味は、天のとき。地の利を得て、なお人の和さえも得ておれば、まさに城郭シタデル。御前といえども、なまなかには参らぬかと存じます」


「うっ、うむむむ……っ」

「御前。大事の前の小事。そちらを早々に切り上げて使命にお戻りくださいますよう。お願い申し上げます」

「うむむっ。だったら、私がセニに行ってる間に、お前が始めればよいではないか」


 第一家政は目をぱちくりさせた。


「なによ。その目は」

「いえ……実に妙案かと存じます。では、そのように」

 フランコフカは深々と一礼すると、さっさと主の私室から退出した。


「あれ、フランコフカ? マジでっ。本当に動かすのっ? ふ、ふーんだ。いいもんね~。六〇〇年ぶりにお目付役がいなくて清々したし。伸び伸びやっちゃうもんね~っ」


 こうして、グラーデン・フォン・ミュンヒハウゼンはカーロヴァックから先発隊五〇余騎を率いて、ボルブスコへ進発した。


  §  §  §


 その五日後。

 手勢は予定通り一千騎を超え、セニの町北東にあるオグリンに到達した。


 ただ、ここでトラブルが起きた。

 ボルブスコとオグリンの両集落で調達する予定だった戦時物資が、うまく集まらなかった。時期は冬。場所もネヴェーラ王国外となるダルマチア地域。ここで住民から無理やり徴発すれば終生の恨みを買いかねない。


 仕方なく貨幣で買おうとしたが、物流の少ない田舎では貨幣を持ってても冬を越せぬと軒並み断られた。宿泊は空き家を使わせてもらったが、その燃料は村長に金を押しつけて半ば許可を強奪する形で森から伐採することになった。


「うかうかしていたら飢えるか凍死か、悲惨なことになる」


 やはり一千騎は多すぎたか。といって、その半分では侯爵の威厳が保てない。せめて七〇〇騎くらいに留めておくべきだった。城攻めに向かうのではないのだ。町をちょっと驚かせて、オオカミ男を一人連れ戻ってくるだけのピクニックのはずだ。


 大丈夫だ。騎士たちも個々に防寒対策は装備してきている。すぐに凍えるわけではない。セニの町に入れば、貨幣が利く。


 そして、早朝。朝ぼらけの頃。

 なけなしの朝食もそこそこに、オグリンを進発。セニの町を目指した。


「セニの町に着いたら、〝バリボ〟にありつくぞ」


 バリボは、チューシュパイズが正式名で、具だくさんシチューのこと。身分の上下なく家庭料理として知られている。短い訓示にもまだ小旅行感覚は残っていた。


 それから三〇分ほど走った時、先頭の兵が止まった。伝令役の第一隊副騎長が注進にやってくる。


「申し上げますっ。前方に、武装した騎馬。単騎で道を塞いでおります」


「単騎だと。所属は」

「はっ。ヤドカリニヤ商会所属。傭兵カラヤン・ゼレズニーと名乗っております」


「商家の用心棒か? 益体やくたいもない。推し通れ」

 側近が命じる。


「いや、待て。ワイズマン。その名前、聞き覚えがある」

「しかし、御前。傭兵単騎に行軍を止められたとあっては」


「ベッカーよ」

 伝令役は侯爵から自分の名前を呼ばれて緊張した。


「その男。もしかすると国境くにざかいの上に立っておるのではないか?」


 側近達は怪訝な顔をした後、伝令役を見た。


「はっ。確かに王国と協商連合の標識のそばにおりました」

 グラーデンはくくくっと、喉を転がした。


「御前」

「向こうは、やる気のようだ。戦前口上を始める前に、私が出よう」


 あの男にこれ以上真っ当にやられたら、こっちの分が悪くなる。


「戦前口上ですとっ!? 御前、御みずからでございますかっ?」

「ワイズマン。すまん。これは私が起こしたヤツとの喧嘩なのだ」


「喧嘩……っ? 商家の傭兵相手に、御前がでございますか?」

「ああ。今日一日だけ、私のワガママに付き合ってくれ。頼む」


 そう言って、側近の肩に手を置いた。

 冷えた鎧の固さにグラーデンは身を引き締めた。


(貴族を長くやり過ぎたかな。戦も家族も、備えを抜かったわ)

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