第6話 必然の中のマチルダ
港湾都市リエカ。
「あなた、カラヤンの知り合いだったかしら?」
ティボルの見舞いに花を買いに来たら、声をかけられた。
チェヴァピを出す店の奥にある〈
マチルダは驚いて顔を上げると、女性が立っていた。背筋も真っ直ぐで、ロマンスグレーの髪を整えた上品な銀齢夫人だった。
「そうですけど……あなたは」
「ご覧の通り、花屋でしょう?」
笑顔を崩さず即答されて、マチルダは思考の隅で彼女にカラヤンと同じ気配を感じた。
(よくわからないけど……強い。逆らわない方が吉かも)
「あなたこの間、この先の安宿で財布落とした娘さんだったかしら」
「えっ。あ、はい。でも、どうして花屋さんがそのことを?」
「カラヤンがね。五年ぶりにこの店に顔を出したのよ。それが嬉しかったの。だからあなたにお礼が言いたかったのよ」
「あー……はあ」
言葉は通じているのに、会話にならない。相手から一方的に言いたいことを告げられている気分だ。カラヤンの旦那の知り合いらしいけど。
でも、財布を落としたのに、お礼とは? とりあえずの笑顔で応じる。
「カラヤンの旦那──カラヤンさんには、よくしてもらってます」
「そうなのね。ところで。近日にカラヤンと会う予定、あるかしら?」
「えっと。はい。これから、病院へお見舞いの後にセニに戻りますので」
「あらあら。そうなの。じゃあ、まだセニにいるのね」
(……あれ。もしかして今の、しゃべっちゃいけなかったのかな)
一瞬、マチルダは不安になったが、銀齢夫人の朗らかな笑顔にかき消される。
「今、セニで何やってるの?」
「カラヤンさんがですか?」
「ううん。あなた。あとカラヤンと一緒にいたワンちゃんと。何してるの。悪いこと?」
マチルダは思わず破顔し、その前で手を振った。わんちゃんって……似合うっ。
「いいえ。今、石けんを作ってます。高直なお値段ですけど、高級志向のお客様にご好評をいただいて……カラヤンさんは、子供と剣の稽古したり、釣り三昧で」
「そうなの~? ヒマならちょうどいいわね……はい、これね」
小さな花束を手渡された。短く剪定されたガーベラ三本にかすみ草。オレンジ、黄色、赤にかすみ草の白。無難にまとめられた見舞い花だ。
「お花は、一三〇ペニーだけど、今日はお使いを頼むから八〇ペニーでいいわ」
「えっ。あ、はい……っ」
ニコニコとした笑顔に抗えない。何かに急かされて、マチルダは財布から最初につまめた大銅貨二枚を渡す。
女主人は代金を持って奥へ引っこみ、おつりと一緒に手紙を持ってきた。
「それをカラヤンに渡して頂戴」
おつりの後に受け取った手紙の封蝋をみて、マチルダは目を剥いた。
〝母豚の横姿〟
(こ、これって……ま、ま、マンガリッツァ・ファミリーっ!?)
思わず表の看板をあおぎ見て、店の屋号を確認する。間違いなかった。
リエカに三つあるという顔役組織の一郭──通称〝六人兄弟〟。
それじゃあ目の前にいる、この銀齢婦人は……っ!?
「は、はいっ。確かにお預かりしますた」緊張の余り、噛んだ。
震える指で手紙をバッグの中に入れると、マチルダはぺこぺこと頭を下げて病院へ向かった。
自分がこれから病院へ行くことを、マンガリッツァがどうやって知ったのか。マチルダはこの先も気づくことはなかった。
§ § §
病室で、ティボルは元気があり余っていた。
首にコルセットを着けて、廊下まで聞こえる声で看護師をナンパしていた。
「相変わらず節操がないですね。ティボルさん」
マチルダが声をかけると、看護師はここぞとばかりに病室を出て行った。大部屋の他の患者からみっともない舌打ちが聞こえてくる。あんな子供まで、と耳に入るが、無視する。
「おいっ。聞いてるぞ。丁稚の分際で、セニで石けん売りまくってるんだってな」
「わざわざお見舞いに来てあげたのに、その言い草はないと思います。そんなつまらないことをわたしに言うためだけに、船に乗って津波に遭ったんですか? ち・な・み・に。わたし、持ってますから」
マチルダは革袋から銀板を取り出し、摘まんだ指先で鷹揚に振ってみせる。
「お前、それっ! 正式か。本当にボスが許したのか!」
「当然です。仮免ですけどね。二ヶ月で財布の中身を倍にして来い、て言われてました。でも、その後……なんかお店が大変なことになってるみたいで」
「ん……オレもハティヤとスコールから聞いて、驚いた」
沈黙。お互い店を出た直後に、魔女によって主人ごと店が爆破されたのは、実感が湧いていない。おそらく焼失した店を直に見ても信じられなかっただろう。
「あの、ティボルさん」
「だめだ」
「えっ」
「この先も商人として生きるなら、ボスに筋を通してこい。ボスが勝手にしろと仰ってくださって始めて、他の商会に移れ。それがバルナローカ商会で商売を学んだ人間の道理だ。いいな」
「……ぷっ」
「──っ?」
「あはははっ。なに一人で勝手に盛り上がってるんですか。はっずかしいなあ~っ。わたし、バルナローカ商会を辞めたいなんて、ひと言もいってませんよ」
マチルダは持っていた花束をティボルの胸に投げつけた。
「見損なわないでくださいっ。わたしはゲルグー・バルナローカから受けた恩義は一生費やしても返すものだと思ってます。ヤドカリニヤ商会にちょっとお世話になってるくらいで、
「お前……けっ。そうかよ」
ティボルは一瞬、安堵の笑みを浮かべ、次いでちょっとふて腐れた顔を作る。
わたしのこと心配して海まで渡ってきたくせに、可愛くないなあ。マチルダはそっと口許をほころばせた。
「ええ。そうですとも。あと訊きたいことがあったんですけど。手負いの〝百耳〟じゃあ使い物になるかどうか、わからないですよねぇ?」
「うおっほっほっ。言ってくれるねえ。こまっしゃくれ。なんでも訊けよ。答えてやろうじゃないのっ」
首コルセット姿で胸を張る先輩に、マチルダは顔を近づけた。昏い目で。
「セニの地方長官ウゴル・フォン・タマチッチってどんな人物なんですか?」
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