第20話 狼、温泉宿をつくる(14)


 クリセール砦は、集落の西。少し盛り上がった丘の上にあった。


 そこの風を遮れる石壁が残った大広間に二〇〇人近い人が集められているようだ。

 周囲にはなけなしの暖として、篝火で取り囲んでいる。

 どうやら、集落住民を脅して、町を一時的に占拠したらしい。


 なんのために。

 もちろん、この集落で俺を奇襲するためだろう。たぶん。


 一方、スコールとウルダは、集落住民を解放しようと躍起になっているようだ。

 当初の目的を忘れ、愛と勇気の方向性がブレまくってる。

 人質となった住民の周りの見張りは三〇人前後。さすがに二人だけで襲撃するには夜陰に乗じるしかない数だ。


(うちの子には、ちょうどいい足止めかな)


 不幸中の幸いとして、人質の中にカラヤン隊員が混じっている。どうやら、ここがカラヤン隊の駐屯地だったようだ。そのため住民達も必要以上に怯え騒ぐこともなく、じっと寒さに耐え忍んでいるようだった。


 武闘派のウルダはともかく、スコールがそのことに気づけば、後はなんとかするだろう。


 俺は町の外に馬車を隠し、一人、クリセール砦跡と集落の中間にある教会へ向かった。


 ここには数人の警備体制の下、幾人かが聖堂に集まって何かしている。警備とは言っても固めている扉は教会の表玄関ばかり。勝手口には誰も張り付いていなかったので、そっちからお邪魔する。


 それにしても、本当に〝秩序の昏瞑とばり〟便利すぎる。このまま大した欠点もない使用法なら、南西の方角に向かって、毎日五回の礼拝をしなければなるまい。


「ノリスティッ。ノリスティッ! しっかりしろっ! ──おい神父っ。弟をなんとか助けてくれっ」

「なんとかと申されましても……ただの刺し傷ではないとしか、私には」


「くそっ! 誰か。誰もいい。弟を、ノリスティを助けてくれ。おれのたった一人の家族なんだ!」


 酒灼けしたダミ声で喚き散らしているのが、リーダーのスンダーロ・バイク。クセの強い黒髪の男。公営浴場の受付にいたあの支配人だ。


「誰でもいいのなら、助けましょうか?」


 声をかけると、スンダーロは一瞬表情を明るくさせたが、俺の顔を見るなり憎悪に凍りついた。


「お前。あの時の……そうかお前が、狼かっ」

「あれあれ。態度が硬いですねえ。助けない方がいいですか? それじゃあ、帰らせてもらいますね」


 背中をそむけた肩に、抜き身の細剣レイピアがのった。支配人は割とできる剣士らしい。


「弟を助けられるんなら、やれ。お前の手下にやられたんだからなっ」


「ふぅん。そっちからケンカを売っておいて、相手に反撃されたら、今度は被害者面をして喚く手合いか。虫がよすぎるんじゃないのか?」


「なんとでも言え。弟を助けろっ。そしたら……この場だけは見逃してやる」

「断る」


 細剣が俺の首筋の毛を斬り払った。


「あの状態から躱すとはな。やっぱりお前、ただもんじゃないな」

「なあ。俺を斬る間に、弟は死ぬけど。いいのか?」


「ッ!? そん時は、ノリスティの墓に、お前の首を手向けるっ」

「なら、弟はもっと生きたかったと、あんたの耳許で囁き続けるだろうよっ」


 スンダーロは、細剣を多段突きで俺の首を狩ろうと向かってくる。


 俺はすぐに躱しきれなくなり、そばにあった燭台を掴んで受け流す。さらに燭台をすばやく下に向け、枝で刀身を抑えこんだ。その拍子に落ちかけたロウソクを掴み、相手の細剣を握る手に熱く溶けた火口を押しつける。


「ぐあっちちっ! こ、この野郎……よくもっ!」


 床に落ちた細剣の柄を足先で蹴り上げると、俺は空中で掴み、切っ先を向ける。

「スンダーロ。弟はこの町まで生きて戻ってこれた幸運も、残り少ない。少し大人しくしてろ。弟は治療してやる」

「っ……目的は」


「クリマス・ボッターの頭の中が知りたい」

「……それだけか」


「後は、いろいろ訊きたいが、じゃれ合いはここまでだ。とにかくそこをどけ」

「話だと? そんなことで、なぜ助けるっ」


 その問いを無視してスンダーロを押しのける。俺はベンチに横たわる青年のそばに近寄った。

 燭台を近づけてノリスティの顔色を窺う。土気ばんで虫の息だ。シャツをはだけさせて胸が露わになっている。


 心臓の場所に幅一センチほどの小さなナイフの刺創。血はほとんど出てない。戦闘でのこととは言え、うちの子の凄まじい暗殺技術の高さにため息が洩れる。


 俺はその傷口に手をかざし、【水】と【風】のハイブリッドを流し込んだ。生じた傷の高度さゆえに傷口はあっさり塞がった。虫の息だった呼吸が、明らかに太くなる。


「ノリスティっ!?」

「スンダーロ。水だ。少しずつ飲ませてやれ。それで意識が回復したら、どこかベッドに運んでやるといい」


 俺は少し離れる。兄が修道女からコップをもらい、弟の虚ろな口許に水を流し込んでやる。

 すると、剣の切っ先が三つ。俺の胸に突きつけられた。


「おい、お前たちやめろ!」

 コップを持ったまま、スンダーロが低い声で叫ぶ。


「スンダーロ。こいつの首をあの女に持っていけば、三〇〇ロットだぞ」


 あの女、ねえ。しかし、安い。どういうわけか俺の首は、どこへ行っても高級毛皮帽子の値段から値上がりしない。解せぬ。


「ヨルシュ。頼む。今夜だけ、そいつを見逃してくれ。弟の命を救ったんだ」

「だが元を正せば、ノリスを殺そうとしたヤツらだぞ」


「先に待ち伏せて襲ったのはオレ達だ。ノリスも人から恨みを買うような剣士になったが、少なくとも戦場での不覚だ。死んでても文句は言えなかった。とにかく、拾ってもらった弟の命を仇で返したくない。頼む」


 どうやら、スンダーロにとってよほど自慢の弟らしい。


「ちっ……おい、お前ら。剣を引け」

 取り巻き達が剣を収めると、聖堂の一番後ろのベンチに座り込んだ。

「狼、なぜ弟を助けた」スンダーロが訊ねる。

「同じ質問だな」

「お前が無視しただけだろ」


「大した理由じゃない」


「この情況で、それを言うのか。ここはお前にとって敵のど真ん中だってことを忘れるなよ。おれの感謝を続けさせたいのなら口と頭を動かすべきだな」


 閑古鳥だった風呂屋の支配人がそれ言うかよ。俺は肩をすくめた。


「弟が後ろ手に縛られていたのは、俺が従者に、『捕まえた敵はとりあえず殺さず縛っておけ』と命じてきたからだ。そのことを反射的に実行していた。でもさっき弟を見た限り、あの傷は精度が高すぎた」


「どういうことだ。技術が高いと言いたいのか?」


 俺はうまく説明できそうにもなくて首毛をもふる。


「それもあるが、きれい過ぎると言い直そうか。おそらく動けない状態から刺した傷だ。俺はそんなことを、これまで指示した覚えがない」


「お前の従者……もしかして、子供か?」

「不本意だがな。だが大目に見ろとは言わない」


「いや、戦場にしたのはこっちだ。その子らも、食うためにか?」


「もちろんだ。でもあの刺し傷は闘争の末じゃなかった。親代わりの贔屓目で言わせてもらえば、彼らなりに俺の役に立ちたいと願って功を焦った結果だ。戦闘技術があまりにも高いために、心が追いつけてない。たまに情報を聞き出す行為と人をいたぶる行為を同じに考えているところがある」


「ゼナとハストンは?」

「交戦ポイントの森の樹に縛っている。脳震盪と首のねんざだ。生きてはいるはずだが、なかなか頑固だったから少し責めた」


「お前が、二人を捕らえたのか?」

「いいや。だが責めたのは俺だ。急いで情報が欲しかったからな」


「嘘だろ。あの二人は弟のためにつけた護衛だ。団の中でも選りすぐりの手練れだぞ?」

「ここには、従者の尻ぬぐいをしにきた。俺が証拠だ」


 いまだ信じられない様子でスンダーロはベンチに腰掛けた。俺は横に座り、話を続けた。


「俺の従者二人は、ノリスティを再逮捕するために俺の手を飛び出して、ここに来た。ところが、町の住民が砦跡に集められて監視されているのを見て、そっちに興味が移ったらしい。今、どうやって助け出すか二人で相談でもしているだろう」


「ぐっ。舐められたもんだな。たった二人でやれると?」

「もうすぐ夜だ。この町の情況を見ると、もうじき現実になるな」


 スンダーロは呆れた様子で頭髪を掻き、投げやりに自分の股をひっぱたいた。


「お前、ふざけているのかっ? こっちはプロの傭兵団だぞ」


「推測はどれだけ塗り重ねても所詮、推測だ。それよりも俺は、なぜボッターという男から命を狙われるかわからない。だから直接、訊きに来た。リーダーが面識のある支配人で、その上、話になるヤツでよかったよ」


「くそがっ。調子の狂う野郎だぜ」


 スンダーロはごついあごを掻いて、


「言っとくけどな。今、オレ達はボッターに雇われていない。公営浴場の支配人もクビになった」


「えっ。クビっ!? 部下の話と違うぞ」


「ゼナとハストンは末端だ。知ってるのはここの幹部だけだ。今は別の依頼主に雇われてる。もちろん、依頼主の名前は言えん。責められたって口を割る気はねえ」


「ここの連中は、ボッターの指図で動いてない?」

「ああ。ボッターにはもう、五〇人も手駒を雇う気概は残ってねえ。自分のケツについた火を消すことで手一杯だ」


「なら、競売の妨害計画は本当にない?」

 スンダーロは依頼主と命の恩人との間で、言葉を探しているようだった。


「オレ達は、ある人物から頼まれて、この町でお前を足止めしろと言われてる」

「悪いが、競売の客を乗せてる。町に戻らないわけにはいかない」


「わかった。この教会を出て三〇分だけ待ってやる。それで弟の件もチャラだ。決めろ」


「ああ。それでいいが、始める前に戦前口上ってのをやる」

「戦前口上? ふふっ……今どき古風だな」


「場所は、クリセール砦だ」

「なに?」


「住民を集落に戻せ。これ以上、俺とアンタの事情で住民に恨まれる意味がないからな。俺は商人だ。客の機嫌を損ねて、儲けを減らしたくないんだよ」


 俺は、教会を出た。

 勝手口から出て表に回り、殺気立つ警備を無言で払いのけて、路地に立つ。

 胸に【風】を蓄えて膨らませると、クリセール砦跡に向かって号令を、飛ばした。


「スコぉール! ウルダぁ! 集合!」

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