第7話 羊のなる木 前編


 俺は、夜の森の中で奇妙な〝ヒツジ〟に出会った。


 最初は、牧場から逃げてきた迷子だと思った。つぎに、アスワン軍の略奪から羊を守るため森に隠したのだと解釈もしてみた。


 それにしても、どうも様子がおかしい。


 森の下草をムシャムシャと食べているのだが、このヒツジ。腹に細い木の管がついていて、それが地面につながっている。さらによく見ると、地面から若干足が浮いている。


 俺のラノベ脳が、こいつを〝魔物〟と言っている。


 そっと近づいたが、ヒツジはこちらに興味を示さず一心不乱に草を食べている。

 背中に触れてみた。冷たい。死体のようだ。でも羊毛は、もふもふ。きめ細やかで柔らかな繊毛の手触りとぬめり。そしてじっと手をのせているだけで生まれてくる暖かさ。

 たぶん間違いない。この手触りは……。


 ふいに小さな唸り声が背後からした。

 振り返ると、まだ若いオオカミがこちらに牙を剥いていた。


「悪いな。これは俺が最初に見つけたんだ」

 言った直後に、オオカミが他の木から現れて、三頭になった。


「うそぉ……ま、まあ誰も見てないから専守防衛しても、いいよな?」

 俺はベルトに差していたトンファーを抜いて構えた。


   §  §  §


「こいつはひょっとすると……バロメッツかもしれんな」


 その奇妙な魔物を見て、カラヤンは推定した。


 やっぱりだ。〝羊のなる木〟という半木半獣の魔物。

 俺のいた世界では、〝スキタイの羊〟とか、〝ダッタンの羊〟と異名はあるが、正式名称は「プランタ・タルタリカ・バロメッツ」という。


 本来は、羊と同じ荒野に生息して草をはむ。危害を加えてくることはないが、畑に生えるとそこにある植物を全て食べてしまう実害があるので駆除されるという。


 俺のいた世界では、ジョン・マンデヴィルという十四世紀の冒険家が『東方旅行記』の中に記したことで、その存在が広まった。彼の著書は、コロンブスやフロビッシャーなどの冒険家も愛読されたとか。


 もっとも、後世の研究家の間で〝木綿〟の綿花のことだろうと解釈されているが、別の何かの記述では、食べるとカニの味がするのだとか。言ったもん勝ちみたいなところはある。


「おい。狼。お前、こいつを知ってただろ?」

 カラヤンがこちらを見るタイミングで、俺は顔を背けた。


「いや、全然。ちっとも。知りませんでした、よ?」

「なら、おれの目をちゃんと見て、言ってみろ」


「いやー、周りが暗くて。カラヤンさんの顔さえ、どこにあるのか──うあちちっ。松明の火をこっちに近づけないでくださいよ! 顔毛が燃えますっ」


 カラヤンが憮然と俺を見つめてくる。


「まったく。そんなに魔法使いの素性を隠したいのか」

「違います。俺の知識で、魔法使いにされるのが嫌だから隠してるんですっ」


 強く訴えた。が、「やっぱり知ってて隠そうとしてたんじゃねえか」とあげ足を取られて、カラヤンは鼻息で、ふんすと一蹴する。うぬぬっ、信じてもらえない。


「で? コイツを物珍しさだけで俺を呼んだわけじゃないだろ?」

「ええ、まあ。これを育てて売れないかな、と」俺は頬をなでながら言った。

「育てて、売るっ? これをかよっ?」


 カラヤンはすっとん狂な声をあげた。俺はヒツジの背中を撫でながら、


「この毛並み、たぶんカシミヤと呼ばれるヤギの毛に匹敵するほど上質なんです。柔らかくてツヤも良いですし」

「カシミヤ? そんなヤギがいるのか」


 やば。この世界では発見されてないのか。


「あー。多分いるはずです。もっと東の世界に。アスワン帝国なんかが知ってるかもしれませんね」


「ふぅん。つまり、コイツを普通の羊みたいに育てて、毛を刈り取れば羊毛みたいに何かこしらえることができるってわけか」

「ええ。しかも高級品としてヴェネーシアへの輸出も可能でしょう。これ、貴族好みの肌触りなんじゃないでしょうか。問題は、量産できるか。ですが」


「うーん。その辺の商売センスはお前の方が上だ。わかった。とりあえず、この辺に木の枝でも立てて、オオカミが来ないように囲っとけ」


「あれ……バレちゃってました?」

 俺は思わず耳をへなりと垂らした。

 カラヤンは楽しそうに口の端に笑みを浮かべた。


「地面をよく見ろ。飛んだ返り血を、足で踏み消した痕がある。死体はどこまで運んだ? やつらの臭いはその鼻にまだ届いてんだろ。機転は悪くないが始末が甘ぇんだよ。お前もスコール達と同じでおれの特訓受けてみるか? 一〇ロットでいいぞ」


「ね、値上がってるんですけど」

「お前の方が身体ができあがってるし、筋も良い。一ヶ月集中してやれば、一〇ロットで軽々とおれを越えられるだろうぜ」


「ざ、残念ですが、俺は戦いなんてまっぴらです」

「なら、馬車に持ってきてるあの戦斧はなんだ? 気に入ってるなら、使いこなしてこその道具だろ」


 こわいこわい。この推しの強さは前世界の先輩上司を思い出す。


「こ、この話はまた今度にしましょう。カラヤンさんの熱意とご厚意は分かりましたから。今は商売が優先です」


 子供たちの時はあれだけ渋ったのに、俺の時になるとやたら褒めちぎって鍛錬を勧めてくる。元騎士なのに〝地本〟の広報官よりも説得がうますぎる。敵わないな。この人には。


  §  §  §


 夜明け。

 開門と同時に、門番が商人の到来を町に触れ回ってくれた。

 俺たちは商売を始める前に、まずその町の長に挨拶に行く。


 町長は、ドラガンという厳めしい老紳士だった。


「ふむ。ヤドカリニヤ商会。いや、どんな商会にせよ。塩の取引はありがたい。だが、生憎この町は今、何もなくてな。砂漠からきた蛮族どもがみんな持って行きよったわ」


「商売はできそうか──ウッ! ……できそうで、ございますか?」

 カラヤンに足を踏まれて、メドゥサ会頭は言い直す。


「もちろん、取引はしたいのだ。だが、そなた達を満足させるほど、みんな蓄えを持っとらんはずだ」

「取引は貨幣でなくてもよいのです。加工肉や工芸品でも。とくにチーズは他の町へ行けば売れ残ることはないでしょう」


「ほうほう。いや、物々交換は非常にありがたい。だが、本当にいいのか。あまり儲けにはならんぞ?」

「なんの。ヤドカリニヤ商会は起ち上げ間もなくてな。顔見せも兼ねて行商で廻らせてもらっている。です」


「左様か。では、商会は何を売り出されるのかな」

「石けんだ」


「石けん……?」

 メドゥサ会頭が小瓶を渡す。町長はコルク栓を抜いて、中を覗き込む。すぐに立ち昇ってきたバラの香りに目を瞠った。


「ほぉ。これが石けん。いかほどで?」

「それは二〇〇ペニーだ」


「に、二〇〇っ!?」

 町長は目を剥いたが、メドゥサ会頭は自信たっぷりに頷いた。


「うむ。石けんにしては非常識な値だということは承知している。いずれ大量に作ることができれば、値は下げていくつもりだ。興味と余裕がある者だけが手に取ってくれればよい、です」


 メドゥサ会頭。商人になろうと頑張ってる。だがその不慣れさが、となりは見ていられなかったらしい。


「時に、ドラガンどの。ご家族に女性はおられますか」

 カラヤンが堂に入った落ち着きで訊ねた。


「ん? まあ、息子の嫁と、孫三人だが」

「それなら、嫁どのにそれを使ってもらっていただくことはできますか。その石けんは髪や身体も洗える優れものなのです」


「なんとこれで、髪や身体をかっ?」

「そのために錬金術の秘術を用いてバラの香料を入れてみました。もちろん服を洗えば、汚れがよく落ちるし、バラの香りが服へも移せる」


「ふぅむ……っ」

「気になったのなら、試供品として進呈しましょう」

「カラヤンっ。三つしか持ってきておらんうちの一つだぞ。タダは厳しいっ」


 メドゥサ会頭が正直に手の内を晒すスタイルが、珍プレーを発揮する。

 カラヤンが言葉を継ぐ。


「ただし、嫁どのには、必ずどんな具合だったか感想をいただきたい。その石けんはこの辺りには決して出回ることのない、新しい日用品となる予定です。

 手作業で造っているために数は限られており、それでも今、当商会には流行にうるさいリエカからの客が、最先端を早くも嗅ぎつけて訪れています。そのせいでこっちに回す分が、品薄なのです」


 メドゥサ会頭。もうカラヤンを専務で雇った方がいいんじゃないかな。高給で。


「感想はいつまでに?」

「昼前にはいったんこの町を離れて、ヴェリカ・クラドゥシャで夕方までに取引分を売って、毛皮を仕入れようかと思っております」


「それでは夕方まで帰ってこれまい。それともアスワン帝国の兵站でも切ってくるつもりかな?」


 はっはっはっと二人は笑い合う。


「町長殿。なぜ、そう思われる?」

「あんたは見るからに兵士だ。口達者のようだがどこからどう見ても商人には見えない。となりの麗しい女商人どのもな」


「なら、夫婦になら見えるというのだなっ!?」メドゥサ会頭が暴走した。

「いや、それは……」


 さすがの町長もこれには困惑。カラヤンがこの場の主人公を外へ摘まみ出したくてイライラしている。町長は空咳を打って、話を戻した。


「半月ほど前だったか。変な手紙が私の所に届いた。アスワンの兵站を他の町と連繋して襲い、略奪された分を取り戻さないかという内容だった。いわゆる怪文書というヤツだろう」


「ふぅん」しれっとカラヤンが応じた。


「なかなか良いアイディアだと思ったが、怪文書をかいた告発者は、兵站は食糧を運んでくるだけだと思っていたようだな。怪文書の三日後だ。噂がこの町に入ってきた」


「噂?」

「アスワン帝国は、カーロヴァックの六城塞アルサリアを本気で堕とすための兵器を、本国からここまで運んでくるつもりらしい」

「兵器?」

「投石機だ。〝キャノン〟と呼ばれているそうだ」


 俺は思わず半歩後方へ退がっていた。


(投石機じゃない……大砲だ。〝火薬〟はこの世界でもう発見されてんだ)


 前世界で、大砲が攻城兵器だった期間は長い。

 攻城戦における大砲の有用性を証明した戦いは、十五世紀末。オスマン帝国と東ローマ帝国によるコンスタンティノープルの戦いだと言われている。


 この戦いで、オスマン帝国軍の大砲【バリシカ】は、全長約八メートル。重量五〇〇㎏以上の石弾でもって、一・六キロ先の千年王国を支えた分厚い城壁を穿ったという。

 だが、次弾装填のための砲塔冷却に数時間を要し、撃つごとに砲塔が破損するというコストパフォーマンスが最悪のシロモノだった。


 原因は推測になるが、製造コストを抑えるため、この頃すでに確立された青銅製(銅とスズの合金)の鋳造ではなく、あえて旧技術の鉄製の鋳造だったのではないだろうかと俺は思ってる。


 でなければ一発撃つたびに砲塔に亀裂が走るという、材質が均一でなかったことの証拠となる逸話は生まれてこない。


 ちなみに、このバシリカを開発したのは、ハンガリー王国出身のウルバンという西洋人で、後世ではバシリカよりも〝ウルバン砲〟の名で定着した。

 彼は先述のコンスタンティノープルの戦いで、自作したウルバン砲が暴発。死亡したと伝えられている。


 この世界では、どうだろうか。


 ここで攻城兵器を破壊、ないし足止めさせれば、アスワン帝国の兵站と一緒に大砲の将来性まで断つことができるのではないか。

 それともすでに大砲がみずから築いてしまっている実績によって、兵器の技術革新を止めることはもう不可能になっているだろうか。


 この世界の戦争技術の進化を止められるのなら、命を賭ける価値はあるか。

 現れてまだ三ヶ月も経っていない、こんな異世界のために……俺が?


「それは、ヴェリカ・クラドゥシャには行かない方がいいってことですか」

 カラヤンの声で、俺は我に返った。町長との表敬訪問は続いていた。


「いや。あの町にはもうアスワン軍は駐留していまい。主力はカーロヴァックの南東。クーパ川を南北に挟んで、アルサリア城塞と対峙しておるそうだ。

 それに、アスワン帝国は商人には寛容だ。敵国であっても取引には応じてくれるだろう。ヤツらも塩や小麦は重要だからな。……だが、その〝キャノン〟を連れてここを通るのは、忌々しいことだとは思わんか?」


「確かに。行商の道をそのキャノンとやらに塞がれると、干上がっちまいます」


 カラヤンの言葉を最後に、挨拶が終わった。カラヤンがメドゥサ会頭に町長との握手を促し、終了。俺たちは開店準備へと入った。

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