第4話 カラヤン包囲網(3)



 その場の全員が目を剥いた。

「資本提携だあ? それじゃあ、お前は本当にとっつぁんに石けんの技術を八万六〇〇〇で売るつもりなのか」


「いえ、まだ提案段階ですので、なんとも。現段階で、先にロカルダの技術習得を待って、ヤドカリニヤ商会には五〇〇〇で売るつもりでした。まだ半分程度しか教えてませんが」

「ふんっ。それで」


「バルナローカ商会とマンガリッツァ・ファミリー出資で、このセニに工場を建設し、彼を工場長に置きます。五〇人体制で一日生産量は約三万個。

 完成品を三つの商会に卸して販売します。そのために三商会による石けんの〝株仲間カルテル〟を結ぼう。──というのが、手紙にあった〝黒狐〟の提案を踏まえた上での、今後のヤドカリニヤ商会の戦略構想になります。俺はこの申し出が、あの石けんに悪い虫がつかない予防策として、悪くない話だと思っています」


「つまり、新規参入を認めず、同業他社の排斥。とどのつまりは、利益の独占か」


 タマチッチ長官がぼそりと言った。さすが商業都市の法律家。商売にも詳しい。俺は顔を振った。


「当面の利益独占は間違いありませんが、同業他社の排斥ではないと〝黒狐〟は言っています。ところで、長官はあの石けんを使われましたか」


「ん。ああ。妻が言うので、まあ……使ってみた」

「どうでした」

「まあ。うん。悔しいが、入浴後のさっぱりした感覚は素晴らしかった。これまでの入浴が味気ないほどになぁ。君らが独占して売れば、その利益は計り知れないだろう」


「あれをヤドカリニヤ商会だけで独占すれば、どうなると思いますか」


 タマチッチ長官は、真摯な眼差しで虚空を見た。

「うぅむ。既存の石けん業界から恨みを買うかもしれん、いや買うだろう。ヴェネーシアで認知されれば、これまで服を洗う道具でしかなかった石けんの評価が一変する。画期的といっても言い過ぎじゃない。皆その技術を欲しがるだろう」


「そのための〝株仲間〟。またその三商会合同出資による工場は必要だと思いませんか」

「うん。いや、私は最初から反対しているわけではない。ただ、バルナローカ商会とマンガリッツァ・ファミリー。この組み合わせが、最悪だと言っている」


「具体的に、どう最悪なんですか」

「本当に知らないのかぁ? まったく常識があるのかないかさっぱりだな。君は」


 タマチッチ長官は、供された紅茶をすすって続けた。


「彼らは、ここハドリアヌス海沿岸。とくにジェノヴァ協商連合とネヴェーラ王国にまたがる販売シェアの二強だ。主席と次席の争いで一騎打ち状態がここ二五年くらい続いている」


「つまり、あの二人が互いの手を取ることはないはずだと?」

「ネコとネズミが和解するほどにな。それに上位二強が同盟を結んでしまえば、彼らが争ってできた隙間になんとか食い込んできた連中は商売が立ち行かなくなってしまう」


「いんや。そこまで大事になることたぁねえだろうよ」

 カラヤンが仏頂面でビールジョッキをあおる。

「そのための資本提携だ。あいつらは生産方法が得られても、しばらく自分達のところでは生産しねえよ」


「生産しない? なぜ言い切れる」

 タマチッチ長官は怪訝をハゲ頭に向ける。


「あんたが今言ったばかりじゃねえか。販売シェア──自分達の利益圏域をヤドカリニヤ商会に突き崩されないためだ」


「カラヤン。我々は石けんしか売らないのだぞ?」

 メドゥサ会頭が訝しむ。カラヤンは長く息を吐き出した。バルナローカ商会の提案、実は面倒くさい裏があるようだ。


「資本提携を申し込んだのは狼だが、プーラのとっつぁんは、それに加えて〝株仲間〟の設立を提案という形で、その話の上をこっちに持ちかけてきた。

 はっきり言って、この株仲間はヤドカリニヤ商会のためじゃねえ。ババルナローカ商会とマンガリッツァのためだ」


 カラヤンの説明によれば、バルナローカ商会とマンガリッツァ・ファミリーは、これまで石けん製造業には手を出してこなかったようだ。


 実際、石けんという日用品その物が地味──単価が安く、儲けが少ない商品だった。

 ずっと商売の視野に入れてこなかったから、今回まったくの新規参入になる。とすれば、どうしても現況の商売に隙を作ってしまうことになるらしい。


「たかだか石けんのために他の商会から販売シェアを食われたんじゃあ、目も当てられん。とっつぁんも商売人として、そんな屈辱は願い下げなんだろうよ」


 そこで、新商品部門の設立を考えた。

 俺の石けんを普通の石けんと同じ棚で売らせるのではなく、別に棚を用意して売り出させようと考えてる。これが〝株仲間〟の設立につながるそうだ。


 株仲間──。

 歴史の授業で江戸時代の経済というのは、鎌倉・室町時代の荘園問題と同じくらい面倒くさいシステムだ。

 当時の江戸の経済情勢はモグリやまがい物が横行し、相場の安定しない放任市場経済だった。


 そこで問屋商らが市場取引を業種によって組合ギルドを作った。


 そのギルド参加者だけに江戸市中の営業権を認める代わりに、営業認可料として相当額の金銭を幕府に上納させていた。

 これにより、江戸の組合に入らなかった上方の安い商品の販売を難しくし、江戸市中の商品相場を守った、といわれている。これが〝株仲間〟と呼ばれた。


 だが、この江戸流通保護政策は劇薬で、組合談合による相場操縦の温床になった。とくに米相場を不当に釣り上げて暴利を得た豪商が乱立することとなった。これに業を煮やした幕府から株仲間解散命令が出たこともある。


 余談だが、時代劇や落語などで、たまに商家の主人が「寄合い」と言っているセリフがあるのは、おおむねこの組合談合のことだ。料亭で集まって今後の相場値を公然と話し合うのだ。江戸時代はそれだけ経済を統制あるいは保護する法律がなく、商人も「○○家御用達」など、出入りの大名家を広告看板にするなどして権威を借りるほど自衛手段が少なかった。


 もちろん、現代では自由価格競争の観点から、談合は原則、違法だ。

 

 そして、この世界にも株仲間は存在した。さらにバルナローカ商会はこの組合システムを逆手に取ろうとしているようだ。世界がどんなに変わろうと、人の発想というのは金目的のために行き着くところは同じなのかも知れない。


 カラヤンの指摘する株仲間に隠れる〝黒狐〟の思惑は、こうだ。

 まず最初に、資本提携という形で石けん商売に関わり、株仲間という共同体をさっさと作らせてしまう。この時点で、当然バルナローカ商会とマンガリッツァ・ファミリーには製造ノウハウもあることを公称する。


 だが実際に操業するのは製造技術を持つヤドカリニヤ商会。共同名義の工場を立ち上げ、自分達の商会を仮留めだけして、当面の間、製造をヤドカリニヤ商会だけに独走させ、販売を二商会が設定金額に応じて販売する。


 メーカー希望の小売価格は二〇〇ペニーだが、彼らはそれ以上の価格で売っても儲けを出せる流通網を持っているのだ。


 数年後。石けん商売が軌道に乗り、消費者の認知と供給が安定した時期を見計らって改めて新規参入していく。製造ラインも販売ルートも準備万端にして。ヤドカリニヤ商会が走って地固めたした後を通っていけば、左うちわで儲けられるわけだ。


「それまでは、狼の石けんの優先販売権を確保するのが目的となるだろう。お前から安く仕入れて、大都市で高く売るだけでも大儲けだ。株仲間は、そのための一〇年二〇年先の布石を打っておくための大義名分なのさ」


「うぬぬ。商人とは、そこまで先見の明を働かせるものなのか」


 老獪な商人の経営戦略に唸る新米会頭を、カラヤンは愉快そうに笑った。


「メドゥサ。こんなのは先見の明なんて言わねえぞ。ただのバクチだ。少なくとも〝黒狐〟は商品の出来と、狼の幸運にかけたんだ。お前が商売でヘタを打ったり、誰かにねたまれて足を掛けられてコケれば、あいつらも工場に出資した金を失うことになる。

 この契約が成立すれば、当面あいつらは借金取りの目で、お前とこの町を見守ることになるだろう」


 重圧に頭を低くしつつうなずくメドゥサ会頭を見て、不安に感じたのだろう。タマチッチ長官は禿頭を見る。


「カラヤン・ゼレズニー。ヤドカリニヤ商会は本当に大丈夫なのか。行政としては、土地の確保と税制優遇しかできんぞ」


「あん? スミリヴァルとは、もうそこまで折り合いがついてるのか」

「あっ。ああ、もちろん……。実は、すでに意見交換の席を何度か持った。現段階で、赤字続きのレンガ工房を取り壊すことで話を進めているんだが。どうだろう」


 とたん、カラヤンが対岸の信頼を疑うように目をすがめた。


「ほぉう。──おい、メドゥサ」

「うむ。まったく父上からそんな話は聞いておらん」

「い、いやっ。本当だ。こういうこともあろうかと思ってだな」

「ったく。金のニオイに敏い連中は、いらん気を回したもんだな。タマチッチさんよ」


 タマチッチ長官は、面目を失って渋い顔をした。 


「この町の振興する好機だと思ったんだ。どこの地方都市も若者の仕事が少ない。食い詰めて冒険者になるなら、まだいい方だ。兵士の徴募に参加すれば、王都へ行ったきり町に還らずだ。仕事さえあれば、パラミダのような無茶をやる奴も減る。そうだろ?」


「そして税収も増えて、あんたの評価も上がるな。いいことずくめだな」

「ああ、そうともっ。だからこの通りだ……妻のことで騒がせたことは詫びておく。だから工場誘致の件、よろしく頼むっ」


 頭を下げる地方長官に、カラヤンはとなりの会頭に目でお伺いを立てる。

 メドゥサ会頭は肩をすくめただけだった。

 タマチッチ長官は愛想笑いを浮かべると、そそくさと席を立ってあっという間に〝爆走鳥亭〟の外に見えなくなった。


「詫びておくと言ったんなら、ちったあ悪びれていけってんだ」


「なあ、カラヤン……」

「あん?」

「なんで、私にそこまで肩入れをしてくれるのだ?」

「は? な、なんだよ……どした、急に」


「あんたや狼どののおかげで、町のみんなが私を、私の商会を当てにし始めている。カラヤン。私が船を下りて商会を起ち上げたのを、自分のせいだと負い目を感じているのであれば……」


「ちょっと待て。本当にどうした。急に何を思い詰め始めてんだ。おれは……そりゃあ、まあ、お前が船を下りて商売を始めるといった時に真っ先に同意して、そそのかした自覚はある。あとは、そうだな。三年もほったらかしにした罪滅ぼしも、なくはない」


 あ゛~っ。じれったいっ!


 俺は空気の読める魔人間まにんげんだ。このいい歳をしたカップルの甘酸っぱい空気がたまらんので、席を立つ。


「お、おい、狼っ」

「帰ります。先に家で待ってもらっているあの二人に、言づてをリエカに持って帰ってもらわなければなりません」

「うん。そうか。それじゃあ、おれも──」


「ロジェリオさん。二人にビールを」

「あいよっ」

「狼っ、お前っ!」

 カラヤンが苦り切った目で俺を見つめてくる。


「商売はこれからですが、ようやくこの町にも落ち着けるようになったのです。二人で積もる話をしてください。もちろん。お二人に気を利かせたつもりはないですよ。シャラモン神父だって同じことを言ったと思います。あなたはもっと目の前の功労者をねぎらうべきだ。と」


 すると今度はメドゥサ会頭まで俺を見つめてくる。俺は言わせなかった。


「すみませんが、二時間以上。彼を足止めしてください。別件で商談があります」

「お、おう」


 両手に樽ジョッキを持ったロジェリオとアイサインですれ違い、俺は居酒屋を出た。

 二人には聞かせられない話を、あのカラヤンの弟達としなければならない。

 今夜も、気づけば、俺は月を追いながら歩いていた。



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