第十一章 星巡邂逅

第1話 先の見えない未来に選択肢はなくて


「えっ。入学の試験ってするのっ?」


 ハティヤはすっとん狂な声をあげた。

 帝都ブダ=デブレツェン郊外──スヴォールフ士官学校研究員寮。


「むしろ、なぜないと思ったのじゃ?」

 ライカン・フェニアが呆れ顔でいなご豆のコーヒーをすする。


「だってぇ、時期的に無理じゃない?」


「ハティヤ一人くらいなら即判定できよう。それに試験内容も言語筆記と計算。実技は体力測定じゃ。落とす試験ではなく個人能力を記録したいだけの試験じゃな」


「もしかして、士官学校って世間から見ると、いい場所じゃないの?」


 見た目五歳児は、肩をすくめた。


「大半は孤児のための手っ取り早い職業訓練という名目で軍部が始めたのじゃ。それがいつの間にか、貴族子弟が社交会で将校の経歴にはくをつけるのための修道院代わりとなったのじゃ」


「でも、貴族と平民が身分関係なく一緒に勉強するんでしょう?」


「建前はそうじゃな。しかし貴族は家で家庭教師を雇ってみっちりやっておる者が多い。試験だけ受けて授業には出てこぬ者がほとんどらしいぞ。とくに皇太子は公務もあるから、最近は試験も皇宮でやっておるそうじゃ」


「フェニア。それ、どこ情報?」

「マダム・キュリー。皇太子の担任だそうじゃ」

「フェニア。彼女と仲良くなるの、早すぎない?」


「仲が良いわけではないのじゃ。仕事をするというのは、いつまでも敵味方にこだわっておっては自分の心労と負担が増えるばかりじゃて」


 くそ。五歳児に仕事のなんたるかをさとされた。言い返せない。


「あの人、いつもあの格好で授業をしてるの?」


「さあの。彼女は元もと皇太子の家庭教師じゃと聞いたな。担当教室はないのかもしれん。皇宮への出入りを皇太子に直接許可されたそうじゃ」


 皇室まで精霊に出入りさせていいのか、帝国。それとも皇太子すら、マダム・キュリーの本性を知らないとか。


「わかった。それで試験はいつあるの」

「明日じゃ。朝九時にマダム・キュリーが呼びに来る」

「ちょっと。それ早く言ってよ。彼女が試験を見るってことは、結局あの皇太子が主導ってことじゃない」

「かもしれんのぅ。あの〝もうけのきみ〟は異例をねじ込むのがお得意らしいぞ」


 嘘がヘタな保護者は視線を窓の外へ向けて、コーヒーをすすった。

 まだ何か隠しているのが、バレバレ。でも問い詰めるのは勘弁してやる。ハティヤは立ち上がった。


「ちょっと外行ってくる」

「それはよいが、迷子になるでないぞ」

「試験に向けて、この辺を走ってくるだけよ。誰かさんと違って迷子には見られないでしょうしね」


  §  §  §


 そして、翌日──の午後。

「あらあら……。後日、再試験をしましょうか」


 漆黒ヴェール越しに答案用紙を眺めるマダム・キュリーが言った。


「えっ。そんなに間違ってました?」

 自信はあったのに。ていうか、ユミルでも合格するレベル。


「次は、進級試験です」

「へ?」


「初等学科では、あなたの学力からすれば役不足のようです。語学と算式は満点です。その上で体力測定は、初等生の上位三名を軽く上回っています……豊富そうですものね。戦闘経験」


「ええ。まあ……そこそこにですが」

 ハティヤは視線をそらせた。


 自分を殺そうとした帝国魔女は穏やかに話を続ける。


「二回生への進級には、座学に生物・化学と基礎魔法学が加わり、体力測定に剣術、弓術、基礎魔法実技が加わります。このうち、座学は化学と魔法学は落としても構いませんが、剣術か弓術のどちらかは合格点を獲得するように」


「教科書すらもらってないうちから、魔法学を試験というのも無理すぎではないですか?」

「そうですね。では、わたくしが前々年に使用したテキストをお貸しします。それで二週間ほどお勉強してみますか?」


 そんな穏やかに言われても。一年間で勉強することを二週間でやれとか鬼教師にもほどがある。ていうか、それならもう初等生から始めればいいじゃん。と言いたい。


「あの、マダム・キュリー」

「なんでしょうか」

「私は一体、何に強いられているのでしょうか?」


 質問の意図が分からないだろうな。私も分からない。

 漆黒ヴェールの奥で、水の精霊は妖しく微笑んだ。


「皇太子殿下のご下命です。学力次第では学年を引き上げても構わない。と」

「あー、なるほど。理解しました」


 やっぱり気に入られちゃったらしい。嫌な相手に目をつけられたものだ。


「では、わたくしのオフィスへ来てくださいますか。テキストをお渡しします」


 渡された生物と化学テキストには「試験設問◯」とメモが書き込まれていた。各教科ごとに二五〇カ所ほど。


(これってズルよね……)


 本能的にヤバいと思ったが、切り口としては悪くないとも思った。ここを中心にしてテキストを読み物として進めていく。半分くらい読んだ時点で、周りの文章は試験問題の答えとなる反応式や理論に対する補強説明だと理解できた。


「要するに、この二五〇問のために一年かけてこの周りの説明を受けるのが授業ってことよね」


 学校って時間の無駄なのでは。いや待てまて、ハティヤ。あなたには最大の難関があるじゃないか。むしろ、これを学びに学校という選択肢を選んだと言っても過言ではない。


『基礎魔法学概論』


 数ページ開いて、おやと思い。十数ページ進めて、むむっと眉をしかめる。

 どこかで聞いたことがある解説だ。と思い始めて、最後の著者名のページを見て、ハティヤはテーブルに突っ伏した。


【著者 レイ・シャラモン 編集者 帝国魔法学会編】


「もうっ、なんか既視感あるんだもん。やっぱり先生だと思ったあ!」


 ひとしきり笑って、やる気が失せた。著者に直接指導されて数年、いまだ指先にすら何も出てこないレベルなんだから、これ以上伸びるわけがない。


「こいつぁだめだ。もうここへ捨てていこう。……フェニア。今日、帰り遅いなあ」


 そこへドアがノックされた。三回。


「はーい」


 ライカン・フェニアは2・2で四回ノックする。ドアノブに手が届かないからだ。マダム・キュリーだろうか。二週間にはまだだいぶ時間があるけれど。

 ドアがまたノックされる。


「はいはーい。お待ちくださいねっ、と」

 ドアを開けた。その隙間から外を覗きこむ。


「おっ。いたぞ、本当にハティヤだっ!」

「ハティヤぁっ!」


 ドアが奪われるように全開し、少女に飛びつかれた。ハティヤは両手で受け止めつつ、その勢いのままに部屋の廊下を押し戻された。


「フレイヤ!? うそっ。なんで……どしたのっ!?」


 事情を訊く前に、フレイヤが声をあげて泣き始めた。

 ハティヤが懸命に背中をさすって宥めるが、いっこうに泣き止まない。困惑してるところにスコールとロギまでが普通に入ってきた。


「あ。これ、家にもある先生の魔法書。ハティヤ、また懲りずに魔法の勉強始めたんだ」


 こいつっ。相変わらず一言多い弟でなによりだ。ハティヤは懐かしさでじんわりと胸が熱くなった。


「二週間後に進級試験受けることになったのよ。今、猛勉強中」

「しんきゅう? ハティヤ。学校、春から通い始めるって、先生が」


「うん……そのはずだったんだけど。その試験がうまくいき過ぎちゃってさ。春から二回生で初めてみないかって担当試験官に薦められたの。その試験勉強よ」


「へぇー。じゃあ、通う学校って何年いるの?」

「たぶん二、三年かな。それよりもずっと前からいる子は六年くらいいるみたい」

「ふーん」


 気のない返事でも、我が家の情報屋。目が周りの物を記憶しようと動き回っている。


「で、スコール。あんた達だけで来たの?」

 長男は窓を開けて、外の様子を見回していた。

「狼も一緒だ」


「えっ……」

 胸が、とくんと弾んだ。


「今、ライカン・フェニアといるはずだ」

「うぐっ。もうっ、そういうこと。今日は帰りが遅いからおかしいと思ってた」

 あのガキんこめ。抜け駆けとは良い度胸だ。今日の食事当番は覚悟しておれ。


「たぶん、マダム・キュリーって人に会いに行ってる」


 自然ハティヤは泣きじゃくる妹の身体を離して、立ち上がっていた。


「だめ」

「……っ?」

「狼をあの人に会わせちゃだめ。その人が私とフェニアを連れ去った人なの」

「知ってるよ」

「……え?」


「狼はとっくに知ってる。その上で、お前の今後について話し合いに行ってる。場合によっては、マダム・キュリーに指示を出したボスに連絡ツナギをつけてくれるように頼みに行ったんだろう。狼はそういうヤツだ」


「……」

「お前さ。帝国背負って、オレ達と戦えるのか?」


 ハティヤは押し黙った。答えなんて持ってなかった。


「今は考えないようにしてる……」

「莫迦野郎っ!」


 スコールが怒鳴った。フレイヤが再会の涙もそのままにスコールを宥めにかかる。だがスコールの怒り、いや焦燥は止まらなかった。


「そんな中途半端な気持ちで、この国から戦争を学ぶんじゃねーよ! そんな気持ちで、オレやウルダの剣を受けて死ねるのかよっ!」


「じゃあ、どうすればよかったのよ!」ハティヤは食ってかかった。


「士官学校じゃなくても、他の道はあったはずだろうが!」


「なかったわよっ。気がついたら病院で、皇太子とか名乗る人がいきなり現れて、勝手に士官学校薦められて、選択肢なんて……なかったんだから」


「ライカン・フェニアは?」

 ロギが訊ねた。鉛筆で帆布に部屋の絵を描き始めている。


「研究所の研究員として働いてる」


「元もと帝国の目的はあの人の頭の中にある知識だったらしいからな。本音はともかく、従ってないとお前の命が危なくなるもんな」

「狼、話したんだ」

「場合によっては、お前の奪還を考えてな……っ」


「スコール……そんな言い方しなくても」

 フレイヤが弱々しく抗議する。そのどっちつかずな慰めが、ハティヤを傷つけた。


「あんたはどうなの。フレイヤ」

「え……っ」

「私が士官学校に行くこと、あんたも気に入らないわけ?」


「フレイヤに八つ当たりしてんじゃねえよ!」スコールが割って入る。


「あんたに訊いてないのよっ。フレイヤに訊いてるのっ!」


「ぼくはどっちでもいいけどな。ハティヤの人生だし」

「あんたにも訊いてないっ!」

 絵描きの手を止めずに言うロギを、ハティヤは黙らせた、


「わたしは……戦ったりするの、怖くてできないから。わからない」


「でしょうね。そうやってスコールや先生に守られて、あの家で何も決めないままの人生は、さぞ気楽で良いでしょうよ。でもね。私は決断したの。自分の将来を自分で決めたの。あんた達とは──」


 ぱんっ。

 スコールが手を振りかぶった直後、室内に乾いた音が爆ぜた。


「はい。喧嘩はそこまで」

 手を合わせたままの姿で、狼が入ってきた。

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