第7話 狼、温泉宿をつくる(1)


 オラデア新市街。〝クマの門〟

 町に着いたのは、夕方。とりあえず食事と寝床の確保で、定宿じょうやどにしている居酒屋に入った。

 ところが、宿泊を断られた。

「申し訳ない。情報管理の関係上、宿泊客は受けないことになったんだ」

「ちょっと何言ってるかわからないのですけど」

 俺が困惑をみせると、ドワーフ店主は上を指差した。

「詳しいことは、マクガイアに聞いてくれ。二◯三号室にいるから」


 その客室は、俺たちがいつも泊まってた部屋だった。

 スコールと馬車係に食事の手配を頼むと、俺はひとり、その客室に行ってみた。部屋のドアの前に「家政長室(仮)」の張り板。

 一体どういうことだ。俺はノックして声をかけた。

「マクガイアさん。〈ヤドカリニヤ商会〉ですが」


 ──おう、はいんな。


 許可が出て中にドアを開けると、六人部屋のベッドが取り払われて事務デスクが九台。そこにドワーフとクリシャナが入り混じった感じで九人。一心不乱にデスクワークしていた。


 グラサンドワーフは窓を背にして座っていた。


「よう、狼。帰ったな。足も無事に戻ったようだな」

 マクガイアがマグカップ片手に、応じる。


「ただいまです。ええ、おかげさまで」

 俺は挨拶しながら、デスクに羊皮紙のメモを置いた。


 それ以上の言葉はかけない。家政長の目を見て鼻先を小さく振る。この場での情報開示はやめた方がいい。マクガイアもすぐ察してくれて黙ってそれを受け取ってポケットに入れてくれた。


「それで。これは何事ですか」

 新家政長は少し疲れた笑みを浮かべると、ごつい肩をすくめて見せた。


「ホリア・シマの負債ツケを清算してるとこだ。主計はとなりの部屋。法務は二◯一号室でやってる」


「でも、ここまだ居酒屋ですよね?」

「〝クマの門〟は当面、宿泊営業を止めて、飲食のみの営業だ」

「どうしてこんな場所で……?」

「一応、ここのオーナーが、オレだからいいんだよ」


 なるほど。だが質問から外れている。


「下で情報管理って言われましたけど、これって宮殿の執務室で行うものでは?」

「その宮殿を今日から修繕に入らせたんだよ。競売けいばいにかける目的でな」

「ええっ、競売っ!? 宮殿を売っちゃうんですか」


 俺は前のめりで驚いた。〝魔狼の王〟を彼らの手で討伐したのはまだ二日前だ。決断が早い。

 マクガイアはマグカップからコーヒーをすするとため息をついた。


「お前さんとカラヤン達がデーバまで出張って怪物退治をしてる間に準備してたことだ。お嬢にも売却の承諾を得てる。というか、あっさり承諾された。ずっとあの宮殿にいい思い出がないんだとさ」

「はあ」


「で、今朝は、宮殿に出仕した侍従官・行政官七二人を家政長就任挨拶と同時に背任罪で逮捕。返す刀で午前中に、議会で前家政長ホリア・シマを被疑者死亡のまま公金横領・背任の罪で告発した」


「告発……。ティボル達が集めた証拠ですね」


「ああ。名誉の戦死をお遂げになったとあるバカヤロウ様が、アラム家の財政に穴どころか、ここ数年にわたって粉飾決算で債権者の目を誤魔化し続けた。挙げ句には、年期末の予算収支報告を目前にして、今わかっているだけでも約一億五六〇〇万ロットの債務不能デフォルトに陥らせていた。事実上の財政破綻だよ」


 都政の倒産。俺はあまりのことに驚きの声すら出せなかった。

 マクガイアの話は続く。


「このことは、家政長に内定した日。すでに他の家政長お三方に報せてあった。最悪の情況って形で宮殿を含めた私産売却と財政支援の承諾を取り付けてたんだが、どうも現実に実行することになりそうだ。

 新旧市街の両方から行政庁本務とは別に、有志の政務と経理スタッフを集めて、いま特捜監査チームを起ち上げたところだ。それが、ここだ」


 俺は落ちそうな下あごを支えつつ、もふる。


「でも旧市街は温泉でそこそこ潤ってたはずじゃ……あ、そうか。デーバの町」

 マクガイアはマグカップを持ったまま、イスに短躯を預けた。


「あれで利益が落ち込んだんなら、まだマシだったんだがな。この町の温泉は今も出続けちゃあいるが、経営は潤ってなんかいなかった。それも、ホリア・シマの情報操作だったのさ」


 銀龍公主セレブローネ肝煎きもいりで大成功を収めた風呂屋事業のあおりを受けたという推測さえ聞こえがいい。マクガイアの表情を伺うに、実際はもうずいぶん前から公営浴場は赤字経営が続いていたのだろう。


 ホリア・シマは、執政長としても経営者としても不適格者だった。その本人はもうどこにもいない。町に人種間の差別意識が薄らいだとしても、その原因糾明は虚しすぎる。


 マクガイアはマグカップが空になると、つまらなさそうにため息をついた。


「まあ、オレもずっと町の外で他人事の顔をしてたからな。公営浴場の経営を責められねえ。改めて当事者になって泡食ってるよ」


「それじゃあ、宮殿の従者達は?」


「当然、一名の例外もなく今月いっぱいで全員解雇だ。総務を始め主計関連部署の管理職員は今ごろ牢屋で、オレかホリア・シマを呪ってやがるだろうがな。

 侍従騎士も衛兵としての再雇用でもかまわねぇという者だけを残し、あとは任を解いて自分たちの所領に帰ってもらう」


 えらいことになった。貴族でもある軍人達を下階級の警察官として雇い直すわけか。


「なりふり構ってられないわけですね」


「あったりめぇだ。むしろホリア・シマの後に就いたドワーフの家政長に手を貸してもいいと手を挙げたクリシュナがいてくれたことに驚いてる。──なあ?」


 職人気質で他力を当てにしなかったらしいマクガイアが部屋のスタッフに声をかけると、見目麗しいクリシュナの男女職員が苦笑を返した。


「それで結局、議会のほうは?」


「うん。さっきも言ったホリア・シマの粉飾決算を証拠に財政破綻を議題に出して、龍公主カプリル・アラム・ズメイの名において、強制解散した。ただし、無給でアラム家の財政立て直し協議に力を貸してもいいという議員だけ残ってもらった。五七あった議席も、十四席になったかな」


「議会根回しもなく一日でそこまでの大ナタを振って、よく一〇人以上も残りましたね」


「オレも驚いてる。単にアラム家をドワーフの独壇場にさせたくないというを差し引いてもな」


「マクガイアさん。それ、ちょっと卑屈すぎませんか」

 俺がいさめると、グラサンドワーフはがははっと笑った。


「今日一日、あちこちに気配りをばらまき過ぎて、もうわけがわからなくなっちまったよ。最初はお嬢を護りたい一心だったが、こんな大事を背負うことになるとはな」


「家政長就任、後悔してますか」


「ふんっ、愚問だな。そいつをしないために、オレはフタを開けたんだよ」

 マクガイアは怒るどころかニカリと笑ってきた。

「とはいえなあ。次から次へとシマの不手際が湧き出てきやがるんで……正直、頭が痛てぇんだ」


 それなら、ここはひとつ俺もひと肌脱がなくてはならない。マクガイアは人をそんな気にさせるのだ。


「それなら、ティミショアラで〈ヤドカリニヤ商会〉会頭がニフリート様の護衛として雇われているので、何かお手伝いできることはないか相談に行ってきますよ」


「おおっ。そりゃあ願ってもねえっ。……けど、なんで会頭が護衛なんざしてんだ?」

 やぶ蛇だったかな。


「いえ、もう護衛の件はお役御免になるはずなので、近々に郷里セニへ戻ります。……ところで、カプリル様は今どちらでお過ごしですか」


「オレんちだ。一応、仮住まいってことでな。ティミーが面倒見てくれてるはずだ」


 好奇心旺盛な少女のようだから、コウジカビにも興味を持って一緒にやってるかも。


「マシューとオルテナもここですか」

「マシューはとなりの主計長を任せた。オルテナは〈ジェットストリート商会〉の会頭代行で動いてもらってる」


 ドワーフ三兄妹もフル回転してるな。感心していると、ドアが開いてマシューが木札の束を抱えて入ってきた。


「おお。なんじゃあ、狼。もう戻ってきたんか」

「ええ。おかげさまで、足もまた生やせましたよ」

「ふぅん。魔法使いは何かと都合がええんじゃのぉ」


 さすが怪物相手に戦い抜いてきた異世界人、部位欠損の再生ごときでは動じない。


「こっちはシマ一人が滅茶わやしくさったせいで往生おうじょうしとってのぉ。何でもええから、手伝ぉてくれぇや」


「ええ、聞きました。そのことでティミショアラにうちの会頭がまだいると思うので、何かお手伝いできることはないか明日相談に行ってきます」


「ほんまか。そりゃあええわ。のぉ、兄貴」


「マシュー。ちょいと雑用になるが、それ用に狼に資料持たせてやってくれ。競売物件リストもつけてな」


「おう、わかった。任しとき」


 うお、ちゃっかりティミショアラの金持ちに買わせる気かよ。さすが元商売人。

 木札の束をスタッフのデスクに配るとマシューが部屋を出ようとするので、俺もその流れに乗って部屋を退室する。


 渡したメモを、当事者としてマクガイアはどう対処するか。あるいはしないか。それは俺が知っていいことじゃない。勝手な話だが、俺にはどうすることもできない。ただ声をかけられた時、全力を出すことだけ考えよう。


  §  §  §


「ぷはぁ~っ! 仕事の後の一杯はぼけぇうまいのぉ」

〝クマの門〟一階の酒場で、マシューはビールの泡を飛ばした。ちなみに、マクガイアはまだ仕事中だ。

 スコールやウルダ、馬車係は普通に食事を摂りつつ、ダメな大人を見るような目でドワーフを眺めている。


「おや、いい飲みっぷりだねえ、兄さん。さすがドワーフだねえ」


 そして、リンクス婆さんはワインを飲みながら、久しぶりの呑み仲間を見つけてご満悦だ。

 俺も酒は飲むが、今日は考え事をしたいと言って、ご相伴しょうばんを断った。


「ご飯食べたら、この町の公営浴場に行ってみようと思うんだけど。どうする?」

「風呂屋? ここにもデーバみたいなヤツがあるんだ?」


 スコールが乗ってきた。俺は小首を傾げて、


「実はあることしか知らないんだ。この町にある風呂屋を確認してこようと思ってね」

「あー。たぶんおれ、そこ通りかかったよ」馬車係が言った。「でも夜はやめた方がいいかなあ」


「というと?」


「オラデア・バロック宮殿の近くだったよ。宮殿の丘の下にあってね。降りたらすぐのところだった。ただ貴族が出入りするどころか、通行人もない場所だったよ」


「う。マジかあ……」俺は耳の後ろを掻いた。「名前とか覚えてる?」

「〝レジーナ・マリア公営浴場〟だったかな。ちらっと看板を見ただけだけど」


「わかった。明日の朝に行ってみよう。入浴するかどうかも、その時決めるよ」

「了解」

「さて、今夜はどこに泊まろうかな」


「それなら決めてきたぜ」

 スコールとウルダがどこか誇らしげに言った。


「どこにしたの?」

「〝船の調べ〟ってところ」

 ここ、海ないけど?


  §  §  §


 宿屋〝船の調べ〟。

 場所は新市街の北。川沿いに立つ石造りの三階建て。

 どこかお城風な白い漆喰は厚化粧。灯るランタンはなぜかピンク色。

 表看板は宿屋で、中身は娼妓館だった。


 ちなみに〝船〟とは、この世界の性風俗業界用語で、つまり男女がナニしている状態なのだそうな。看板表記としては不適切だが、むしろ春をひさぐことを目的としている客にすれば娼妓館とわかりやすいのだそうだ。

 完全にからかわれたな。とは口にしない。これも社会勉強だ。俺も勉強になった。


「なんか……ごめん」

「まさか、そげな場所やて気づかんかったっちゃけん」

 スコールとウルダが意気消沈した様子でうなだれている。


「いいよ。大人しく、マクガイアさんに良い宿を紹介してもらおう」

「だね」

 俺と馬車係が御者台に戻ろうとすると、幌からリンクス婆さんが赤ら顔を出した。

「狼。城に行くよ」

「はい?」


「そこで三日。留まるんだ。星がその城に集まってくる兆しがあるよ」

「城って、宮殿のことだよな」


 俺がおもむろにスコールとウルダを見ると、二人はプイッと顔を反らせてそそくさと幌の中に逃げた。……そういうことかよ。


「リンクス。あの子らをからかったな」

 俺が、めっとにらんだが、〝星儀の魔女〟は取り合わない。


「勘違いしたのはあの子達だよ。そりゃあきみに知らせろとは言わなかったけどさ」


 ふんっとつむじを曲げた顔をすると老婆は幌に引っこんだ。

 まったくもう。占い師ならちゃんと教えろっての。手綱を握ると、助手席から馬車係が不安そうにこちらを見る。


「狼。どうする?」

「旧市街の城壁は目の前だ。行ってみよう。ついでに例の公営浴場を外から見ることもできるだろ。もし、また城違いだったら、悪いけど門限までにこの町を出てティミショアラに行こう」

「うん、そうだね」

 一応、方針が決まると、馬車は西側の跳ね橋から旧市街に入った。



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