第2話 ホムンクルス会議(2)


 メドゥサ会頭は、ハティヤが差し出したコップを受け取り、水を飲むと、


「おひい様が、自分の足で走ってご家老と抱擁を交わされた時の、あの嬉しそうな笑顔。わたくしをはじめ、あの場にいた兵士達もしかと見届けておりましたぞ」


 するとムトゥ家政長は、痛いところを突かれた様子で顔をしかめた。


「ヤドカリニヤ殿。このままでは他の家政長に示しがつかぬのです」


 するとメドゥサ会頭はまなじりをくわっと跳ね上げ、自分の膝をぴしゃりと叩いた。


「周辺都市に影響力を持たれるご家老が、他の顔色を見てどうなさいますっ! それでは、先ほどの怠惰な連中と仰った彼らのために、これからおひい様の四肢をちょん切って戻しますか?

 四肢を得られたのも調査隊のおかげだと使用人達に触れ回っていた、あの嬉しそうなおひい様の手足をお切りなさるのですかっ!?」


 怖っ。蒸し風呂の温度が下がった。たぶん。


「……っ」ムトゥ家政長も反論できずにうつむいた。


「ご家老。わたくしは一豪族の娘でございます。なれど、まず人でございます。女でございます。そしてもうすぐ──、母ともなります」


 その言葉に男どもがハッと彼女を見た。もちろん、その中で一番驚いているのはカラヤンだ。

 メドゥサ会頭は少し照れた様子でうつむくと、また老人を見つめる。


「蝶の美しさはその羽だけでなく、手足もまた蝶の美しさでございましょう。経緯はどうあれ、あのように可憐に成り遊ばされたのです。何となれば、ここが御家の治政まつりごとの見極め所。古い体制しきたりなどさっさと脱ぎ捨てて、新しい体制を築かれるのが上策と考えますが、いかが?」


「うっ。ううむ……っ」

「狼どのも、おひい様のためと思えばこそ、魔女の巧言を受けたのでございましょう」


 俺は長く息をつき、老人を見た。


「ムトゥさん。俺はあのダンジョンで、あなた方の事情の一端を知りました。その内容はおそらく、この場で公言できないこの国の複雑な事情ばかりでした。

 その上で、お願いします。ライカン・フェニアともう一度よく話し合ってくれませんか」


「……善処いたします」やるとは言わない。言えないだろうな。


「その上で、ある人物のことをお訊きしたいことがあります」

「人物?」

「スコール・エヴァーハルト。ティボル・ハザウェイ。この両名のことについて」


 とたん、老人がギロリと俺を見返してくる。

 怒りでも憎しみでもない無の感情。殺すべきか否か。その迷い──虚無の眼光が、俺に向けられる。


 俺は生まれて初めて、〝龍〟の逆鱗に触れたことを実感した。


「スコール・エヴァーハルトだと!?」

 驚きを含んで聞き返してきたカラヤンに、俺はすがるようにそっちを見た。


「カラヤンさんも知ってるんですか?」


「ん。いや。おれの知ってるヤツは帝国貴族だった。エヴァーハルト家といやあ、二〇〇年に渡る〝皇室の裏近衛このえ〟って言ってな。敵味方の両方から恐れられたもんだ。

 爵位も勲功爵ナイトどまりで、代々当主はスコール・エヴァーハルトを名乗り、それ以上の爵位を望まなかったらしい。

 頑強な忠誠心からなる少数精鋭部隊は歴代皇帝から重用されたが、当主の無欲さのために下からは軽んじられ、上からは危険視されてたな。今上皇帝アウルス3世も、一〇年前の政変じゃあ真っ先に皇室側のエヴァーハルト家を襲ったって話だ」

「……マジかあ」


 カラヤンの後ろに座っていたスコールが蒸気で濡れそぼった頭を抱えた。

 カラヤンは戸惑った顔で弟子を振り返ってから、俺を見る。


「おい。どういうこった?」

「説明が難しいんですが、ダンジョンを管理する精霊が、彼の中に流れている血から『スコール・エヴァーハルト』と誤判断したのです」


「なんだとっ!?」

 ムトゥ家政長が立ち上がって、スコールを見た。

「狼どの。あなた方は〝カテドラルターミナル〟にまで入ったのですか……っ!?」


 家政長が剥き出しにした驚きと嫌悪に、俺は素直に謝った。


「申し訳ありません。ライカン・フェニアに誘われるまま拝観させていただきました。あなた方にとっての聖域という認識はありませんでした。

 エヴァーハルトの手記にも〝忌むべき墓地〟とありましたので。その、ただの近未来的な墓地だと」


 ムトゥ家政長の激高を見るにつけ、ライカン・フェニアと共犯意識はなかったと言い張るのは難しそうだった。


「まったく。フェニアめ。余計なことを……やってくれるっ」


 ベンチが軋むほどの勢いで腰を下ろし、ムトゥ家政長はちらりと地金を出した。

 この場に博士がいれば、してやったりとほくそ笑むだろうか。

 余所者の俺は、彼の本気の苛立ちに首をすぼめてしまう。


「あの、それで……スコール・エヴァーハルトのことを」

「無理です。話せません。お察しください」


「あ、はい。あのぅ……それで、ですね。その場所で別の魔女とも交戦しまして」

「交戦っ? 別の魔女とはっ?」聞き返す声に棘が向けられる。


「〝混沌の魔女〟ディスコルディア──おそらくですが」

「ば、莫迦な……っ!?」

 老人は顔をしかめて吐き捨てた。混沌の魔女を知っているらしい。


「それともう一点」

「ぐっ……まだ何かあるのですか」

「交戦した魔女は、使い魔としてこちらの侍女を我々に差し向けてきました。名前はカルセドニー。ニフリート様とウルダの証言で確定しています」


 ムトゥ家政長は湯あたりしたみたいに身体をふらつかせた。とっさにカラヤンが支える。


「確かに、おひい様が出立されて戻られてからも、彼女の姿を見ていなかった。こちらでも籠城戦を……そうか。あれもあなたの献策でしたな。それで彼女は?」


 彼女の上司であったムトゥ家政長を真っ直ぐ見つめてくる。俺は、顔を振った。


「残念ながら、すでに使い魔としてかの魔女の毒牙にかかっており、こちらの損害激しく、やむを得ず排除しました。彼女は、魔法が使えたのですね」


「っ……ええ。帝国魔法学会傘下の魔法学校で治癒魔法習得のため、五年ほど留学させましたが」


 治癒魔法。本当か。俺はじっと老人を見つめた。


「【水】の攻撃魔法を使用されました。その時の人脈は、どなたのツテを?」

「申しわけありません。思い出せません。あまりにも衝撃的な情報が多すぎて」


(でしょうね……こっちは死にかけたんだが)


 砂時計はまだ三分の一も降りてはいなかったが、家政長は立ち上がった。


「失礼。少し頭を冷やして参ります。この場では、皆様と報酬の話をするつもりだったのですが、時と場を変えた方がよさそうです。──ヤドカリニヤ殿も、あまり長風呂ですとお身体に触りますぞ」


 そう言い残して、サウナ小屋を出た。残された後に沈黙が降りた。


「狼。一体全体どういうこった。ダンジョンで何を見てきた」

 カラヤンが焚き石に水を掛けて言った。


「そもそも、スコールとティボルが、家名つきでダンジョンから認められたんだ?」


「俺がダンジョンで知ったこの国の内情、歴史の核心部分です。おそらくこの二人の裏切りが、この国の成立に関わっていると思ってます」


「裏切り? こいつらが?」

「いえいえ。今は違いますよ」

「ああ、そりゃあそうか。ちっ、まどろっこしいんだよ。ちゃんと話せよっ」


 俺は頭のタオルをとって掻いた。

 異世界が絡まなけりゃ、説明はもっと楽だったかもしれない。


「まず歴史からいきます。昔々の大昔に、彼らは船で旅することを自らに課した生活を送っていました。そしてこの土地に行き着いたわけです。

 それでも信仰のため船を下りなかった者と、長い船旅の終着をその地に決め、新しい生活を求めて船を下りた者とで仲違いがあったと思われます。その下船した方の代表格が、その両名のようです。

 そして、なし崩し的に、現在ではすべての仲間が船を下り、ダンジョンと国ができあがりました」


「なんだそりゃ、船で旅することを自らに課した? ……アルゴナウタイか?」


 カラヤンの無造作な返答に、俺はハッとした。


 そうか。ハドリアヌス海の船乗り達が信仰していたのは、ここの話に似ているのか。もっとも、伝説の英雄譚などではなく、現在も続く呪廻譚だが。


「近いですね。それで、その古代文明の利器がダンジョン内に張り巡らされてあって、ムトゥさんとはそれを口外しない前約束になってました。ところが、ダンジョンに入ってみると、問題だらけで。

 俺たちはワケがわからないまま、ただダンジョンから生還するためにダンジョン内を熟知していたライカン・フェニアの案内に従うほかなかったのです。彼女もダンジョンに入る大義名分が欲しかったようです」


「ふむ。それで二人の名前が偶然の一致だってのか?」

 俺はかぶりを振った。


「そうは思ってません。ただ、調べた限りでは時代が古すぎることもあって、確証を掴めないどころか他の情報で補強する糸口もありませんでした。なので、一番知っていそうなムトゥさんに直接訊ねてみようと思ったんです。結果、大当たりしすぎて逆鱗に触れちゃいましたけど」


「報酬がフイになるだけならまだしも、命を狙われかねない、か?」


「あの怒り具合からして、五分五分です。もしもの時は、おひい様がティボルのことを気に入ってくれているので、彼女に命乞いでもしてみようかと思ってます」


 冗談のつもりではなかったけど、カラヤンは顔から緊張を解いた。


「ふんっ。おれもじきに親になるんだ。ムトゥ殿らと一戦交えても、女房と子供だけはセニに還すからな」


 俺はうなずいて、メドゥサ会頭をちらり見る。

 ムトゥ家政長相手に剛毅をふるった彼女も、カラヤンの言葉で緊張の糸が切れたらしい。嗚咽もなく目から汗を流していた。その肩を抱くハティヤも、目に汗をかいていた。


 ただ、友人だけ悪者にされているヘレル殿下だけが、どこか不満そうだったが。

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