第28話 子供がケンカするには理由がある 前編
セニの町唯一の教会へ向かうと、彼は帰宅する子供たちを見送っていた。
「先生、じゃあねえ!」
「先生、またねー」
「馬車には気をつけるんですよ。ポム。ちゃんと前を見て帰るんですよ」
はぁい! 四人の子供たちは雪玉をつくって雪合戦しながら駆けていく。
「おかえりなさい」
レイ・シャラモンは笑顔で迎えてくれた。俺たちはまず、彼に握手を交わした。
「ただいま戻りました。シャラモン神父」
「ええ。あなた方だけですか? 三人は一緒ではないのですか」
俺はうなずいた。ウルダをしっかり家族に含めてくれたことが嬉しい。
「まだカーロヴァックです。ペルリカ先生の介添えを頼みました」
「師匠の? 向こうでまた何かあったようですね。まあ、中へどうぞ」
教会の中に通されると、窓が少ない割に意外と明るい。
玄関口が狭いだけで、中の広さは町の公民館くらいだ。やや高い天井と整然と並ぶベンチと奥行きのない小机。荘厳なステンドグラスがあるわけじゃない。
聖堂の隅で陶器の壺に入った焚き火が唯一の暖房。そこで手を炙りながら奥様方が談笑している。俺が入ってくると奇異な視線を向けられた。神父のファンだろうか。
「シャラモン一家は?」
「今日は低学年の日なので、彼らはお休みです。家で羽を伸ばしているでしょう」
「でも、さっきギャルプもユミルも見ませんでしたが」
「ユミルの学力はすでに、今日ここに通った子に教えられるくらいですよ」
マジか。さすがわが借りパク王女ユミル様。望遠鏡をまだ返してもらっていない。
俺たちは、彼の執務室らしい六畳ほどの小部屋に案内された。
「聖堂の女性たちはいいんですか?」
「ええ、構いません。ここには帰還の報告だけですか?」
すると俺のとなりでカラヤンが言いにくそうに切り出した。
「その……メドゥサが、身籠もった」
「え、相手はどなたですか?」
「おれだっ!」
素の真顔で聞き返されて、カラヤンもムキになった。
ベタな会話なのに、横で俺は声にして笑ってしまった。
「それはそれは。おめでとうございます。出産月はいつになりそうですか」
改めて真面目に訊ねられて、カラヤンも戸惑った様子でボアキャップをとり、頭皮をかく。
「ペルリカ、先生の話では、夏頃だろうと言ってた」
「そうですか。それでしたら、このまま未婚というのはいかがでしょう」
「うん。だから報告がてら、相談に来た」
シャラモン神父はおもむろに額に手を置いて、ようやく微笑んだ。
「申し訳ありませんね。あなたが人の親になるというのが、どうにも実感が沸かないのですよ」
カラヤンも渋面のまま、イスにどかりと腰を下ろした。
「おめぇにまで言われるとこっちも立つ瀬がねぇ。おれだって実感できずにおたおたしてる。それに」
「ええ。町の外で暮らし始めたノボメストの人々が不穏です。呑気に慶事を進めていいものかどうか」
「不穏?」俺は思わず聞き返した。
「町の人から聞いた話では、彼らはこの町に買い物どころか、物乞いにも来ないのだそうです」
「そりゃあ、国が違うから。ってわけでもなさそうか?」
カラヤンが懸念を投げる。シャラモン神父は首を横に振った。
「あの、俺が立て札を立てたからでは?」とりあえず懺悔してみる。
「狼さん。あの立て札には一定の効果はあったと思いますよ。ただ、町の人の噂では、あの立て札でカーロヴァックに移ったのは、以前の町でそれなりの社会的地位を持った人だけのようなのです」
「それじゃあ……」
「ええ。あの町を造った人々は、自分達の力で自らを救済するしか術がないのです」
シャラモン神父はまっすぐ俺を見た。
「おかしいと思いませんか? 同じ町を逃げ出し、同じ境遇に墜ちたはずの仲間なのに、彼らはあたかも、いまだノボメストの序列身分らしく振る舞おうとしているのだそうです。上だけでなく下もです」
俺とカラヤンは顔を見合わせた。
それからカラヤンは今後の式典のことを聞いて、メドゥサ会頭の所へ戻った。
俺は、シャラモン神父とシェアハウスへ帰宅する。
もうずいぶん戻っていない気がする。この家路がひどく懐かしい。
出迎えてくれた子供たちも、なんだか一回り大きくなった気さえした。
「何か変わったことなかった?」
「ユミルが、狼の望遠鏡を壊した」ロギから早速の通報。
やっぱり、やったか。俺はがっくりとうなだれた。
「そう言えば、ユミルは?」
「狼が帰ってきたの知って、部屋でひざ抱えてるわよ」
次女フレイヤが言った。普段一等星ハティヤの影に隠れがちだが、その長女が家を空けて責任感が生まれたのかもしれない。自分から俺に話ができるようになっていた。
「ロギ。呼んできてくれる?」
「おれがぁ? 狼が自分で部屋に行けばいいじゃん」
「ロギ。狼とユミルが仲直りするの手伝いな」
「うん。頼むよ。俺は怒ってないって伝えてきてくれないか」俺が片手おかみする。
「ちぇっ、しゃあねーなあ」
少年は面倒くさそうに部屋に入ると、幼い少女を連れてきた。
ユミルは胸に望遠鏡を握りしめてやってきた。半べそ。
「ごめん、なさい」
「うん。いいよ。たくさん見れた?」
少女はうなずく。俺が差し出した手に望遠鏡がのる。
おおう。凸レンズに大きなヒビが縦断していた。
「ユミル。町の子たちに望遠鏡とられそうになって、頑張って守ったんだよね」
四女グローアが絶妙な間合いで妹の肩を持つ。。
「その子らは?」
「あたいらがボコった」ギャルプがニカリと誇らしげに笑う。「とくに、ロギが一番に向かってったんだ。おれの妹に何すんだあって」
「ギャル。それ言うなって言ったろ」
ツンデレ兄貴だな、ロギ。俺はユミルの頭に手を置いた。
「ユミルもよく望遠鏡を守ってくれたね。工房が今忙しいからすぐには無理だけど、レンズは作り直すよ」
「ごめんなさい……」
俺はうなずき、荷物の中から革で包んだ予備のレンズを出すと、その場で交換する。大した修繕じゃないが、壊れた物は直せるのだと見せることが大切だと思った。
カメラの望遠レンズと同じで、レンズ周りの胴体を茶筒のフタみたいにひねれば外れるように作った。
「次に壊れたら、レンズの換えはしばらくないからね。……はい。大事に使って」
ユミルを中心に、子供たちが歓喜に沸いた。なんか俺まで嬉しくなってくる。
するとユミルは望遠鏡をロギに押しつけると自室に入った。
今度は木皮の画用紙を持って戻ってきた。ああ、もっと白い紙を作ってあげたい。そうだ。クレヨンはできるぞ。検品で出たハチミツの不良品をロウソクにでもするかと持って帰っている。ヨシ。つくって旅土産にしよう。
「あのね。あのね。……このあいだ。これ見たの。望遠鏡で」
真剣な面持ちで見せてくれたのは、どうやら人物のようだ。
馬に乗った人。長髪。性別は分からないが、目がつり上がっていた。
児童心理学において、幼児が描いた絵に目をつり上げた〝人〟が現れた時は恐怖、憎悪の対象であり、警鐘サインといわれる。軽視してはならない。
「ユミル。この人、誰。いつのこと?」
「知らない。雪がたくさんふった日の次の日。山のほう」
山は東に〝ディナル・カルスト〟がある。森もだ。
俺はシャラモン神父に振り返った。
神父は暖炉にかけられた鍋をかき回しながら、
「十日ほど前のことだったと記憶していますね」
突然、俺の耳にスミリヴァル会頭代行の声が蘇った。
『十日前。森で十五人。組織的な不告伐採は六月以上の牢獄となる。これに森林管理局の保護官三〇人とぶつかった。むこうに一人の死人も出ている』
「神父は、この絵を見ましたか」
「ええ、もちろん。授業中なのに何かに取り憑かれたみたいに描いていましたから。望遠鏡ごしに先方と偶然目が合ったのかもしれません。相当怖かったようです。
ただ、私の〝索敵〟にも引っ掛からなかったので、もうこの辺にはいないのかもしれませんが」
シャラモン神父が落ち着いている。この人物はここ十日間は現れていないようだ。
「これを目撃したのは朝、ですかね」
「ええ。教会学校に出かける前だったとユミルから聞いていますよ」
俺は子供たちに向き直った。
「ユミル。これもらっていい? 上手に描けてるし、なんか興味が出てきた」
「いいよー」嬉しそうだった。
「ロギ。望遠鏡を持って、きて。──ユミル、どこで見たか案内してくれない?」
「いいよー」
荷解きもせずに、俺とユミルは家を出た。ロギと一緒に他の子らも無言でついてくる。上二人の姉兄がいない間に結束力がさらに強まっているのが、頼もしい。
「ロギ。町の子とケンカしたの、いつ?」
ユミルの手を引きながら、俺は後ろを振り返った。
「もしかして、ユミルがこの絵を描いた翌日か、その次の日くらいなんじゃないのか」
「え……なんでっ?」
「この絵の人物は、ユミルの存在以前に、この町に望遠鏡があることに気づいたんだ。だからユミルを狙ったんじゃなく、望遠鏡を狙ったんだと思う」
「望遠鏡を? なんで?」
「望遠鏡に朝陽が当たって、ユミルが見た人物からは強い光に見えたはずなんだ。反射光って言ってね。だからユミルの姿は見えてなくても、望遠鏡の存在に気づいた可能性は充分にある。実は、望遠鏡は軍隊が持ってる道具でもあるんだ」
「軍隊っ!? ……だから、目がつり上がってたのか」
俺はうなずいておいた。軍とは直接関係ないとは思いたいが。
「でもその人物がこの町に現れたら町の人たちに怪しまれてる。だからその人は、子供を差し向けたんじゃないか。そう俺は考える。だからロギたちの目から見て、その子らはこの町の子じゃないのかも、って思ってね」
「おら、ロギ。やっぱ、狼には言っとこうぜ。あたいらと頭のデキが違うよ」
ギャルプが兄弟の背中を張る。いい音がした。ちょっと痛そう。
「でぇっ。いちいち叩くなって。うん……初めて見る顔だった」
「シャラモン神父には」
「言った。けど、最近の先生、教会で学校始めたばかりでいろんな子供を見てるから、おれ達が初めて見る子供が町の住人かどうか判断つかないみたいだった」
確かに、スミリヴァル会頭代行もシャラモン神父も知らない子供を見ても、外からの偵察だとは考えが及んでいない。
「人数とか、わかる?」
「四人。おれ、ケンカ弱くて。ほとんど……ギャルプがやっつけた」
得意げにガッツポーズしてみせる、三女。マジか、
「でも、最初に向かっていったのはロギなんだろ。すごいじゃないか。家族を守るその勇気は大切にしないとな」
「ふんっ。戦場だったら、そんなの……真っ先に死ぬヤツだ」可愛くないなあ。
「かもね。でも、ロギがその勇気を奮わなかったら、ユミルは望遠鏡を奪われていたかもしれないし、ギャルプも怒ってなかったよ。ロギが弱かったとしても、その勇気は立派な正義だよ」
ロギは照れた様子で視線を落としたが、それでもすぐ悔しそうに唇を噛んだ。
「そっか。ロギも、スコールみたいに強くなりたいんだ」
「そんなの……決まってんだろ」
減らず口を叩く。彼の兄もつい数ヶ月前、俺にそう言ったように。
「それなら、狼の名においてロギ・シャラモンに問う。君は何ができる?」
「えっ。なんだよ、急に」
「ユミルやシャラモン神父、家族みんなを守るために、君は何ができる?」
ロギはしばらくうつむいて、それから泣きそうに顰めた顔を左右に振った。
なんでそこで諦めるんだよ。もっと自分を爆発させていいんだよ。
それから、少年はおもむろにポケットから羊皮紙のメモ紙を取り出した。
羊皮紙は、実はなにげに高額商品だ。おそらくシャラモン神父の書斎から失敬してきた物かもしれない。
受け取って、俺は目を瞠った。
ロギが言う。
「たぶん、ユミルが見たヤツって、こいつだと思う」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます