第9話 井戸

 その翌日から数日、ドラガンたちはまた部屋に籠って、ああでもないこうでもないと言い合っていた。


 アリサの反応をドラガンはイマイチと判断したらしい。

大きな水突きは玄関の横に放置されてしまっている。

それを見ると、少し可哀そうなことをしてしまったかもと、アリサは少し反省するのだった。




 数日後、朝早くに工務店を営むモナシーがカーリク家を訪ねてきた。

ドワーフたちが使っている井戸の一つが少し水の溜まりが悪くなったらしく、これから点検に向かうので見学に来ないかとドラガンを誘いに来たのだ。


 モナシーは工務店であり、井戸の点検以外にも、井戸の修理から各家の桶の修理なんかも行っている。

基本的には、木の板をその場で加工し傷んだ部分と交換する。

定期的に釣瓶桶や滑車の交換などもしている。


 工賃はそれなりにかかる。

モナシー一家はそれで食べているのだから、当たり前と言えば当たり前なのだ。


 以前から、呑み仲間のセルゲイからドラガンの話は聞いていた。

モナシーはセルゲイに羨ましいといつも言ってる。

うちは娘二人しかおらずドラガンのような子が欲しかった。

あんなに工作に興味を持つ子なら必ず良い仕事をしてくれるだろうと。


 セルゲイから竜が懐かないという話を聞くと、うちの下の娘を娶らせるから婿によこせとまで言っていた。

モナシーの下の娘はアリサより年上であり、さすがにそれはセルゲイも笑って誤魔化した。


 何度か仕事を見せてやりたいとも言っていたのだが、将来の道を狭めるのもどうかと思うとセルゲイに拒まれていた。


 先日、酒場で井戸の作業を見せてやって欲しいと言ってきたのに、モナシーは少し驚いた。

まさかセルゲイの方からそんな事を言ってくるとは。

あの時は酒も入っていたし、勢いで見せてやると胸を叩いたのだが、そこから今日まで井戸の仕事は入らなかった。




 モナシーはドラガンを連れて依頼のあった井戸へ向かった。

手押し車に、はしご、ロープ、シャベル、ランタン、木の棒、空桶を乗せている。

ドラガンはその中の、はしごに興味津々だった。


 はしごは一本では無く三本あり、はしご同士で固定できるように鉤爪が付いている。

この爪を井戸のヘリに引っ掛け、一番下の足場に次のはしごの鉤爪を引っかける。

そうやって一番下まで、はしごを伸ばしていく。

そうモナシーは説明した。


「このランタンは何に使うの?」


 ドラガンは目を輝かせて道具をあれこれと見ている。


 そもそも井戸の底は陽が入らず暗い。

だが実はそれだけのためではない。


 極稀にだが、ランタンを井戸の底に入れると火が消える井戸がある。

また作業をしているとランタンの明かりが乏しくなることがある。

そうなると作業をしていて、息が苦しくなり目がチカチカしてくる。


 最悪の場合気が遠くなり、死んでしまうことになるのだ。


 ドラガンはその説明に驚いて目を丸くした。

その反応が嬉しかったらしく、モナシーはあははと笑い出した。


「じゃあ、そういうとこでは作業はできないの?」


 釣瓶で汲んだ水を井戸の中に撒き続けると徐々に直る事がある。

それでも駄目なら、中に入り団扇で井戸の水を仰ぐ。

そうすることで徐々に作業をしても大丈夫なようになると、モナシーは説明した。


 モナシーも父親から教わった話なので理屈は全くわからないらしい。



 モナシーは井戸に着くと、まずロープに木の棒を括り付けた。

木の棒は先に石が括り付けられている。

石が下になるように井戸の底に棒を落としていく。

暫く落としていき、ぽちゃんという音がすると、モナシーはロープを引き上げた。


 何をしているのと聞くドラガンに、モナシーは水の深さを見たと説明した。

井戸の水の深さというのは井戸によって異なる。

だが平均して股下くらいの深さがないといけない。


 だが少し水の溜まりが悪くなったと言われたここの井戸は、ほんの少ししか棒が濡れていない。

つまり雨で土砂が入り込み、それが溜まって非常に浅くなってしまっているのである。


 それをこれから本来の深さである粘土の部分まで掘って、外に土砂を掻き出していく。

それがモナシーの今日の仕事なのだ。


 モナシーはランタンに火を灯しロープで縛りゆっくり降ろしていった。

どうやら下の方までランタンの火は点くらしい。

ランタンを引き上げると、いよいよ井戸の中に入る準備を始めた。


 入ってみたい、そうドラガンは懇願したが、モナシーはそれだけは許可できないと頑として拒絶。

危険すぎるからダメとかなり厳しい顔をした。


 露骨に寂しそうな顔をするドラガンに、モナシーは困ってしまう。


「入って見せてやりたいのは山々なんだがな。お前さんに何かあったら、俺がセルゲイに会わせる顔が無いんだよ」


 わかってくれと、モナシーは微笑んだ。


 実はドラガンは出かける前にアリサから、モナシーさんを困らせるなときつく言われている。

それでも中が見たかったとドラガンは気落ちした。

そんなドラガンの髪にモナシーは手を置き、くしゃくしゃと乱すと、ニコリと笑った。


「さあ、早く作業を始めないと今日中に終わらないから人を集めよう。ドラガンも手伝ってくれな!」




 集まったドワーフたちは、モナシーがドラガンを連れてきたことに驚いていた。

ドラガンを養子に迎えたのかとモナシーに聞く者や、アリサと喧嘩でもしたのかとドラガンに聞く者がいる。

その都度、陽気なドワーフたちはゲラゲラ笑いだした。


 モナシーはドワーフたちに工事の説明をすると、靴を脱ぎサンダルに履き替え皮の兜を被る。

井戸の屋根の柱にロープを縛り、反対側に道具を縛り付ける。

井戸にはしごを引っかけると、ランタンを持って井戸の底に降りて行った。


 暫く待つと釣瓶のロープが激しく揺れる。

ドワーフの一人が引き上げると、釣瓶には土砂がたっぷり入れられていた。

釣瓶に追加で桶が縛り付けられていて、それにも土砂がたっぷり入れられていた。

二つの桶の土砂を捨てると、次の合図を待つ。

ドラガンが井戸の底を覗くと小さな明かりが灯っており、ザクザクという土を掘る音が聞こえてきた。



 陽が高くなっても、モナシーはひたすら作業を続けている。

ドワーフの一人が昼休憩にしようと井戸に向かって叫んだのだが、モナシーは水が溜まったら作業ができなくなるからと拒んだ。


 ドワーフたちの中には、いつも酒場で吞んだくれているモナシーしか知らない者も多く、こんなに真面目な人だったんだと言い合っている。

ドラガンはじっと井戸の底を覗き込んでいる。

途中からゾルタンがやってきて、ドラガンと一緒に井戸を覗き込んでいる。


 昼をかなり過ぎたところで、モナシーは井戸から出てきた。

皮の兜から、顔、服まで泥だらけである。

モナシーが井戸から顔を出すと、ドワーフたちは拍手で労った。


「明日か明後日くらいには水が溜まり切ると思うから、それまでは別の井戸を使ってくれ」


 そうモナシーはドワーフたちに説明した。



 まずはその泥を落としたらどうかと、ドワーフのおばさんがモナシーを自宅に連れて行った。

ドワーフたちにとってはちょっとしたお祭りのような感覚になっているらしい。


 ドワーフたちは泥を拭き落としたモナシーを家に招き、食事ができているから食べてってくれと案内した。

まだ陽も高いというにモナシーとドワーフたちはアクアビットで乾杯し始めてしまった。


「僕もこんな風に人に感謝される仕事がしたいな……」


 食事をしながらドラガンはボソッと呟いた。

モナシーにそれが聞こえたらしい。

モナシーはドラガンの頭に手を置くと乱暴に撫でた。


「いいかいドラガン。誰かのためを思って真面目に仕事をすれば、どんな仕事だって感謝はされるんだよ?」


 それを聞いたドワーフの一人がモナシーに、良い事を言うじゃないかと背中をパンパン叩いた。

その通りだとドワーフのおばさんがドラガンの頭を撫でる。

他のドワーフのおばさんが、ドラガンならきっとそんな大人になれるよと微笑んだ。


 さて仕事も終わったし呑みに行くかとモナシーが席を立つと、ドワーフたちは、せっかく良い事を言ってもその一言で台無しだと大笑いした。

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