第53話 漁
村に戻ってひと月が経った。
九月ともなると、それまでの熱い日ばかりが続くという感じでは無くなり、涼しい日が少しづつ増えてくる。
ポーレが帰って来た事でスミズニーは安心して船に乗れるようになった。
それまでは副船長のアナトリー・ホロデッツが船長代行をしており、そのせいであまり遠洋には繰り出せず水揚げが渋かったらしい。
スミズニーは、ポーレが帰って来たのも当然嬉しかったのだが、それ以上にドラガンが帰って来たのが嬉しかったらしい。
ドラガンが拘束され蟄居している間、とにかく家の中がピリピリしていたのだそうだ。
どうせスミズニーがデリカシーの無い事を言ってレシアが怒ったとかだろうとドラガンは感じた。
母ちゃんもピリピリしていたと言うのでなおさらだろう。
ところがアンナから話を聞くと、どうやら少しだけ違っていた。
ドラガンが拘束されてから、とにかくレシアの情緒が不安定だったらしい。
くだらないことで落ち込み、気に掛けると何でもないと言って部屋に逃げていく。
その態度にアンナが徐々に苛々を募らせていったらしい。
そんな状況なのにスミズニーがレシアをからかって喧嘩をするものだから余計に苛々する。
途中から何かある度に、いい加減にしろとスミズニーとレシア両方に激怒していたのだそうだ。
村に戻って来て数日は、ドラガンもあちこちに行って忙しく、家に帰って来るのが遅かった。
だがレシアは久々に一日中ニコニコしていた。
ドラガンの仕事が少し落ち着いて、例の漆箱を貰うと、レシアは天にも昇らん勢いで大喜びした。
そこから暇さえあればドラガンに付き添っている。
ドラガンがアリサに漆箱を届ける時も、顔を赤くしてポーレ宅に付いて来た。
アリサに会いたいというから連れてきたのに、いざアリサに会うと一言もしゃべれず俯いてしまっている。
アリサは少し困った顔をして、レシアにお腹触ってみると尋ねた。
レシアは顔を上げると、はいと返事をし、明るい顔でアリサの大きなお腹をさすった。
アリサは、ドラガンにもさすってごらんと言ったのだが、何かあったら困るからいいと拒絶。
その態度がアリサには気に入らなかったようで、新たな家族なのだからちゃんと挨拶なさいと叱られた。
ドラガンは、渋々という感じでアリサの大きなお腹をさすった。
「あれ? 何か今トンって」
「今、この子蹴ったみたいね」
痛くないのと聞くドラガンに、痛くないわけじゃないけど元気良いなって微笑ましくなるとアリサは慈愛に満ちた顔で答えた。
「もしかしたら僕の顔が早く見たいのかも」
「泣いてても思わず笑っちゃう顔だからね」
「姉ちゃん、それどういう意味?」
アリサが笑い出すとレシアも笑い出した。
ドラガンは二人から視線を反らし憮然とした顔をしていているが、それも女性二人には可笑しかったらしい。
数日後ドラガンは、初めて『バハティ丸』に乗り込むことになった。
遠洋の船は、海竜に曳いてもらって遠い漁場に向かう。
漁場に向かった後は、それぞれ違う漁の仕方で魚を獲る。
網を仕掛ける船もあれば、無数に竿を立てて魚を釣り上げる船もある。
かがり火を焚いてイカを釣ったりする船もあるし、巨大なマグロを格闘の末釣り上げる船もある。
『バハティ丸』は、本来の漁はカツオの一本釣り漁である。
漁場まで行くと、竜が魚の群れを探し出す。
探り出したあとは手綱を長くしてもらい、竜は船に魚群を誘い込むように泳ぐ。
船員たちは魚群に竿を入れ魚を釣り上げていく。
漁場は一か所ではなく数か所あり、それを順番に周って行く。
漁場から漁場へは半日以上かかることもあり、一度漁に出ると帰りは数日後になってしまうのだ。
その間、食事は基本的にパンと魚である。
船には厨房もあり、魚を煮込んでスープを作ったり竈で焼いたりする。
それをパンと一緒に食べるのである。
料理をするとアラが出る。
それをまとめて海に撒く。
暫くすると、そのアラを食べに魚が寄ってくる。
竜はその魚を食べるのである。
船には船長以外に乗組員が多数おり、皆、釣り上げの際は竿を持って釣り上げる。
そうでない時にはそれぞれの持ち場というものがある。
ある者は食事を作り、ある者は竜を操る。
船長のスミズニーは副船長のホロデッツと交代で船楼で天気などを観察している。
ドラガンは甲板員。
ようは雑用係である。
普段はまったりと過ごし、漁が始まると竿を持ち、それが終わると甲板の掃除を行う。
船員の寝床の用意や部屋の掃除も甲板員の仕事である。
初めての遠洋漁業であるドラガンは随所で足を引っ張りまくり、他の船員の顔をほころばせていた。
とにかく寝れない。
甲板の下に広い船室があるのだが、風通しが悪く、おじさんたちの体臭が漂っており、生臭くもあり臭いが非常に酷い。
さらに湿気も高く蒸し暑い。
船が揺れるので部屋に網を張りその上で寝るのだが、寝返りがうちづらくとにかく寝付けないのだ。
ただ数日も過ぎると体が疲れてきて、食事よりも睡眠を優先したくなる。
食事をとらず寝ていると炊事係が叩き起こしに来て、体が資本だからと少しでも食べるように言われる。
ホロデッツが付きっきりで指導したおかげで、かろうじて周囲に付いて来てはいた。
ただ日程の中ほどからは、寝ているのか起きているのか、もはや本人にも判断がつかないような状況になっていた。
ドラガンは限界だから日程を切り上げようと、船員たちからも何度もスミズニーに相談に来ていた。
スミズニーもさんざん悩んだのだが、ホロデッツが、あいつはまだまだやれるよと笑った。
あの状況で竿をちゃんと振っている。
大した胆力だよとスミズニーに言った。
スミズニーもホロデッツがそう言うならと日程を継続することにした。
ただし、ホロデッツがちゃんと判断を下してくれと頼んだ。
そんなこんなで数日が過ぎた。
もはやドラガンは朝になってもぐったりして起きてはこれなかったが、船員たちはドラガンを起こさないようにそっと起きるようにしていた。
食事をとり最初の漁が始まる頃ドラガンも目が覚める。
周囲を見渡すと誰もおらず焦って甲板に行く。
するとホロデッツが、遅いぞと笑って魚を釣るように命ずるのだった。
初めての遠洋漁業は、何とか全ての日程を終えて無事港に戻って来た。
船員たちは船を降りると、最後の仕事として竜の手入れをして竜舎に運び入れる。
だが竜はドラガンを見ると威嚇を始めたのだった。
船員たちが必死に落ち着かせようとしたのだが、竜はドラガンに威嚇を繰り返してしまう。
船員たちは顔を見合わせ、ドラガンには竜を触らせないようにしようと言い合ったのだった。
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