第7話 屋敷
艦隊は海府アルシュタに帰港した。
アルシュタの街は、王都アバンハード、西府ロハティンに比べるとそこまで大きな街というわけではない。
中央にアルシュタ総督府が建っており、これが街の中で一番大きな建物である。
港から総督府まで石畳の幅広の街道が真っ直ぐ伸びており、その左右に軍施設と港湾施設が立ち並んでいる。
港のすぐ横には何棟もの物資貯蔵用の倉庫が連なっている。
総督府の左右にも幹線道路が一本通っており、そちらは主に市民たちが使用している。
幹線道路には商店街が立ち並んでおり多くの市民でごった返している。
アルシュタ艦隊の旗艦『コロール』は非常に大型であり、下船しようにも簡単に降りる事もできない。
側舷に梯子をかけ、下船用の小舟に乗り換えて港に向かう。
最初に半数の兵が下船し、街道に花道を作るように二列に整列。
そこにラズルネ司令長官とプリベレジュネ総参謀長、ドラガンたちを乗せた小舟が向かって行った。
数か月ぶりに揺れない地面の上に立ったドラガンだったが、非常に奇妙な事に何故か揺れ続けている感覚に襲われている。
両脇に水兵の敬礼を受け、ラズルネ、プリベレジュネに次いで歩いて行くと、正面に身なりの良い貴族が立っていた。
ラズルネがその貴族――ヴァーレンダー公に首尾を復命すると、ヴァーレンダー公は任務ご苦労と短く労った。
プリベレジュネが、あちらの男性が例の方になりますとドラガンの方に手をかざしヴァーレンダー公に紹介した。
ヴァーレンダー公は暫く無言でドラガンをじっくりと眺め、にこりと表情を崩すとドラガンの下に歩み寄って手を取った。
「そなたがドラガン・カーリクか。お噂はかねがね。ぜひ一度会いしたいと常々思っておった」
「もったいない事でございます」
一体どこから自分の噂などを聞いたのだろうと一瞬ドラガンは訝しんだ。
だが考えてみれば、自分もこの御仁の事をどこかで聞いた覚えがある。
すぐに以前ボヤルカ辺境伯から聞いたという事を思い出した。
「あの状況でよく生き延びてこれたものよ。実に運が強いとみえる」
「多くの仲間が身を挺して僕を生かしてくれました」
ヴァーレンダー公は、後ろの三名に目を移した。
通常、遠洋の漁船はどんなに小さくても二十人以上が乗船しているものである。
それがドラガンを入れてわずかに四人。
残りはここまでに命を落としたという事が容易に想像できる。
「そうか……そうであろうな。だが、彼らもこうしてそなたが生き伸びられた事で、本懐は遂げられたというものであろう」
ドラガンは、このほんのわずかなやり取りで、ああこの人は貴族なんだと実感した。
自分たち平民とは根本的に何か異なる感覚の持ち主なのだと感じた。
ポーレが、この人物の傘下に入るのではなく、この人物の盟友になれるような勢力になりたいと言っていた意味が少しわかった気がする。
「今は色々と複雑な思いがあるだろうから、数日はゆっくりと体を休めるが良かろう」
ヴァーレンダー公は少し困惑した表情のドラガンを見て、かなり小さな声で囁いた。
ドラガンはお心遣い痛み入りますと頭を下げた。
「実はその……まだ腹の調子が……」
ドラガンは腹痛が襲ってきたらしく少し顔を歪めた。
「それはそれは……群衆の面前で恥をかかせてはならんからな。早急に屋敷に入られよ。他の方々も早う」
よく見ると、後ろの三人も腹痛で変な汗をかいていたのだった。
総督府隣の総督屋敷に四人は案内された。
案内してくれたのはクレピーという若い執事だった。
年齢的にはポーレと同じかやや下くらいだろうか。
総督屋敷は、これまで見てきた族長屋敷や辺境伯の屋敷とは比べ物にならない豪奢で立派な建物だった。
とにかく広い。
それを案内してくれているクレピーにそのまま言うと、クレピーは笑い出し掃除が大変なだけですよと言った。
ドラガンたちが通された客間は二部屋で、二人で一部屋を使う感じだった。
ただ一部屋が非常に広く寝床も大きい。
豪奢な椅子と机まで用意されている。
部屋に着くと四人はまずは便所の場所を教えてくれと言って、急いで便所に駆け込んで行った。
何かをやり遂げたような満足げな顔で部屋に戻ると、ドラガンとホロデッツの部屋に医師が来ていた。
医師に促されるままに服を脱ぎ布団に横になると、医師はドラガンの体を触診していく。
医師は画板に挟まれた紙に色々と書き込んでいき、また触診を始める。
ドラガンの触診が終わると今度はホロデッツ。
ホロデッツが終わると隣の部屋に行き、リヴネとペニャッキの番だった。
医師は一通り診察を終えると、ドラガンとホロデッツに、さすが漁師、体が頑丈にできていると言って笑って帰っていった。
夕食はそれぞれの客室に運び込まれ、一緒に執事が何やら紙袋を持ってやってきた。
先ほどの医師の診断で薬が処方されているので食後に飲むようにと案内された。
食事は細かく刻んだ葉物野菜の雑穀粥に漬物のようなものが添えられており、実に味気ないものであった。
これも先ほどの医師の食事指導によるものだと執事は説明した。
食事を終えるとホロデッツはドラガンに、本当にこの薬を飲んでも大丈夫だろうかと耳打ちした。
毒殺されるかも、そう言いたいのだろう。
だがドラガンは、これは恐らくベルベシュティ地区で栽培した生薬の類いだから飲んでも平気だと、ホロデッツを安心させた。
そもそもこの粥もなるべくお腹に優しいものをと考えられている。
その好意を無にしてならないとドラガンは微笑んだ。
夕食を終えると四人は浴場へ案内された。
浴場は石造りの部屋の中に少し深めの浴槽が掘られていて、そこに外から湯が流し込まれている。
どうやら外で執事の一人が水に湯を混ぜ、ちょうどいい温度になってから流し入れてくれているらしい。
浴槽の湯を汲みタオルで体をこすって数か月分の垢を念入りに落としてから、四人は浴槽に体を沈めた。
なんという極楽、ホロデッツが緩みきった顔と声でそう漏らした。
翌日には四人はかなりまで体調を取り戻しており、朝、伸び放題だった髭を剃る余裕すらあった。
こうしたドラガンたちの行動は、逐次クレピーによって報告されていたらしい。
その日の昼には食後にクレピーが来て、外に散髪に出かけましょうと言ってきた。
ドラガンは散髪に行く途中クレピーに、随分と水が豊富だという話をした。
ここアルシュタは、元々アルシュタ川という川の河口に作られた街なのだそうだ。
ちょっと信じられない話だが、アルシュタの街の北の海には大昔火山があったらしい。
その火山が崩壊して海に沈んでしまい、そこにアルシュタ川が流れ込み、崩落した火山縁に土砂が流れ込んだ。
その為アルシュタの海岸沿いは両腕のような特徴的な半島が突き出ており、アルシュタ港の近海は異常に水深が深い。
それに目を付けその半島の片側を軍港に改良した。
軍港ができるとそれに伴い様々な人が住み着くようになり街はどんどん発展していった。
普通生活圏が大きくなると、それに伴い水の確保が困難になっていくものなのだが、ここは元々川の河口だった為、用水路を掘ったりしてこれまで水に関しては一度も困った事が無いのだそうだ。
今は『海府』と呼んでいるが、昔は『水府』と呼んでいたらしいとクレピーは説明してくれた。
散髪が終わると、今度は服を買いに行きましょうと案内された。
リヴネとペニャッキは何でこんなにしてくれるんだろうと訝しんでいる。
だがドラガンは、ヴァーレンダー公からの晩餐の呼び出しの準備なのだとすぐに気が付いた。
リヴネとペニャッキが、いかにも漁師という感じのデザインより機能性重視という服を選んでいると、ドラガンは、それだと恥ずかしい思いをするかもしれませんと笑い出した。
そんな事を言われてもリヴネたちにはどんな服が良いのか皆目見当もつかない。
そこでドラガンが、普段着として使えそうな、それでいて公の場でも見劣りしなさそうな服を選んだ。
試着したリヴネたちからは堅苦しいとかなり不評だった。
するとクレピーが、その堅苦しい服と先ほどの服、二着とも買いましょうと笑い出した。
部屋に戻った四人はドラガンたちの部屋に集まり酒が呑みたいとぼやいた。
ドラガンは、あの医師が良いと言わないと酒は呑めないと思うと笑った。
やれやれという仕草をするホロデッツに、ドラガンは小声で、それよりも村に帰る事を考えた方が良いと少し不安になる事を言い出した。
「恐らくヴァーレンダー公は、我々を村に帰す気はさらさら無いと思います。何とかしてここに留めて、アルシュタの役に立ってもらいたいと考えているはずです。
ドラガンは外に声が漏れないように小声で指摘した。
その表情は非常に険しいものであった。
だがホロデッツは首を傾げた。
「それはお前さんだけじゃないのか? 何で俺たちまで」
「僕を留める為に、まずは三人を囲い込もうとすると思います。僕はこれまで何人かの貴族に会ってきましたが、皆逃げ道をどうやって奪うかを考えていました。恐らく貴族というのはそう言う人たちなんだと思います」
何があっても村に帰る、その意思を示し続けて欲しい、そうドラガンは三人にお願いした。
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