第42話 ボタン
「ところでザレシエ。これをちょっと見てくれないかな?」
ドラガンは小さな鞄から、アワビの殻を二枚取り出しザレシエに渡した。
「アワビの殻やないですか。これがどうかしたんですか?」
陽にかざしてみて欲しいとうち一枚を手に取り、こんな感じでと陽に当てる。
「どう? 綺麗だと思わない? これ」
ザレシエはドラガンからアワビの殻を借り受けると、同じように陽にかざしてみる。
内側の殻に光が当たると、虹色に殻が反射し実に美しい色が映し出される。
「言われてみるまで興味もありませんでしたけど、よう見たらかなり綺麗ですね」
「だよね! これをさ、工芸品にできないかなって思ってるんだけど、どう思う?」
確かにこの綺麗さは上手く活用できれば、芸術品として価値がでるかもしれない。
ドラガンの発想力に、ザレシエは感服している。
「なるほど。確かに言われてみたら、薄く剥いで漆で固めたら面白いかもしれませんね」
「そっか! 僕は穴開けて接着を考えてたんだけど、確かに漆器で固めたら剥がれにくいかもね」
飲んでいたお茶を机に置くと、ザレシエは机の中から、私はこういうのが良いと思ったと言って、小さなブローチを取り出した。
「これってカメオだっけ?」
「ええ。普通カメオいうと真っ白い石なんかを掘るもんなんやけど、それ貝殻を掘ってるんですよ」
絵柄は船を斜め前から見た絵である。
児戯レベルのいかにも試しに作ってみたという程度ではあるが、しっかりと船だとわかる代物にはなっている。
「凄い綺麗だね! 誰が掘ったのこれ?」
ザレシエは自分を指さし、ニコリと笑った。
ドラガンは、えっと声をあげ、もう一度カメオをじっと見た。
「凄いじゃん! どうやって作ってるの? これ」
「針みたいな細い細工刀で少しづつ削ってくんです。本職やないんで大雑把な絵しか掘れませんけどね」
これがその細工刀だと、机から少し太目の針を木の棒に差し込んだ物を取り出した。
ドラガンは細工刀を手に取り、へえと感心しながら軽く自分の手を引掻いてみている。
「ザレシエって手先器用なんだね。これ誰かに贈るの?」
「はい。アリサさんに結婚祝いで贈ろう思って」
少し照れて言うザレシエに、ドラガンは心が温かくなるのを感じている。
再度カメオを手に取り、自分も何か物を作って贈ってあげようと決心した。
「そうなんだ。ありがとう。姉ちゃん喜ぶよ」
カメオをじっと見ていたドラガンは、ふと思いつくことがあった。
カメオをザレシエに返却すると、今度は緋扇貝を見せた。
「ねえザレシエ。この貝でカメオって作れないかな?」
「また、えらい派手な色の貝ですね」
緋扇貝を手に、ザレシエは先ほどのアワビの殻同様に陽にかざしてみている。
だがアワビの殻のようには色は変わらないらしい。
「どうかな? これでできたら、かなり綺麗なものができると思わない?」
なるほどドラガンの考えているような事が何となく理解できた。
この赤や黄の貝殻でカメオができれば、装飾品として価値が出ると考えたのだろう。
「残念ですけど、カメオってかなり厚みのあるもんやないとダメなんですよ」
「そうなんだ。面白いと思ったのに」
ドラガンとしてはかなりいけると思っていたのだろう。
残念そうに緋扇貝の貝殻を爪で擦って削れないか試している。
その光景に、ザレシエは思わずクスリと笑ってしまった。
「服のボタンにしたら人気になるんやないですかね?」
「ああ、それいいね! さすがザレシエ!」
家に帰ったドラガンは、さっそく緋扇貝を削ってみている。
削るといってもドラガンは鉄の
さすがに部屋で作業をすると粉が飛び散ってしまうので、外の小屋で作業している。
最初に気になって見に来たのはレシアだった。
レシアは日中は市場で水揚げの記録係をしている。
競りで決まった値段を、ただひたすら紙に書いていくだけの仕事である。
ドラガンは家でのレシアを見ているので単に内向的としか思っていないが、職場でのレシアの評判は、あまり芳しくは無い。
とにかく人と関わるのを極端に避けているのだ。
それを可愛いという人もいるが、多くの漁師は苛々すると感じるらしい。
あんな陰気臭い娘じゃなく、もっと明るい娘をと言う漁師が多い。
「今度は何してるの?」
レシアはドラガンの作業の邪魔にならないように、隣にしゃみこんで作業を見ている。
「ボタンをね、これで作れないかなって」
ドラガンは加工している貝殻を一つ手に取り、レシアに手渡した。
「ボタンって服のボタン?」
「そそ。七色のボタンだよ。人気出ると思わない?」
ドラガンは先ほどのとは違う色のボタンをレシアに手渡した。
レシアはその二つを自分の服に当てて感じを試してみている。
「ああ確かに。ねえドラガン。これ、できたらちょうだい。私、服に付けてみようと思うから」
レシアは嬉しそうにドラガンにおねだりした。
だがドラガンからの反応は、レシアが想像していたものとは少し違っていた。
「へえ、レシアって裁縫やれるんだね」
「うん、何で? ああ! どんくさいから何もできないと思ってるんでしょ?」
目を泳がせたドラガンに、レシアは酷いと言って拗ねた顔をした。
そこにアンナが、どうできたのと聞きながらやってきた。
ドラガンはボタンの大きさに切って磨いた貝殻をアンナにも手渡した。
「それに糸を通す小さい穴を二つ開けると完成です」
「へえ。これってあの緋扇貝? ボタンにするとこんな風になるんだね」
アンナもレシア同様、自分の服にボタンを当てて感触を試してみている。
かなり良い感じだとアンナも感じたらしい。
「磨いたらそんなに綺麗になりましたよ」
「これ穴開けたら譲ってよ。付け替えてみるから」
母の言葉にレシアは素早く反応し、ダメとかなり強めに制した。
私が貰うのと言って、母を睨みつける。
アンナは沢山あるんだから少しくらい良いじゃないと笑うのだが、レシアは私が先に貰うと譲らなかった。
そんな娘の態度に、アンナは目を細め、ふうんと何かを察したような含み笑いをする。
レシアが首を傾げると、アンナは、今回のは試作品みたいだから完成品ができたら貰うことにすると笑って家に入って行った。
その後もドラガンはボタン作りに勤しんでいた。
その光景をレシアは隣でじっとしゃがみこんで見続けている。
完成したボタンに
そのドラガンの態度に、レシアは少し気分を害した顔をする。
「そんなんじゃ嫌! ちゃんと贈り物って形にして欲しいの!」
はいはいと面倒そうに返事すると、ドラガンは片付けをして、文具屋に色の付いた紙を購入しに行った。
紙で袋を作り、そこに何色かのボタンを入れると、これで良いかなとレシアに尋ねた。
レシアは頬を赤らめて、ありがとうと嬉しそうに微笑む。
「ちゃんと大事にするね!」
「いやいや、ボタンだから。ちゃんと服に付けて使ってよ」
夜、テテヴェンが珍しくスミズニー宅に来て、ドラガンに呑みに行こうと誘ってきた。
スミズニーも誘ったのだが、何かを察しているらしく、今日はいいと珍しく断った。
食堂広場に行くとドラガンは、テテヴェンにコウトを紹介。
コウトはテテヴェンの注文を聞くと、カタの良いカレイが入っているがどうかと薦めてきた。
テテヴェンが歯が良くないと遠慮すると、コウトは、包丁を入れますから大丈夫だと思うと笑った。
ドラガンには全く意味がわからなかったが、席に着き食べてみたら意味がわかった。
刺身に切れ込みが入れてあり、かなり身の弾力を軟らかく感じるようにしてくれてあったのだった。
「あの人間、良い腕をしておるな。魚の事をかなり勉強したとみえる」
刺身を塩を溶いた薄い酢に付け、少しだけ塩味と酸味を付けてから口に入れる。
生のままでも美味なのだが、この食べ方をしたら病みつきになってしまうとテテヴェンは笑い出した。
「コウトは研究熱心な奴ですからね。来年になればもっと腕をあげると思いますよ」
「そうかそうか。それは来年が楽しみだな!」
にこりとほほ笑むと、テテヴェンは椰子酒をくいっと飲んで大きく息を吐いた。
ドラガンも薄いビールを飲み同じく大きく息を吐く。
「どうかされたんです? 呑みに誘ってくれるなんて珍しい」
ビールを静かに机に置き、ドラガンは微笑みながら尋ねた。
「ドラガン、どうかな? 海にゃ慣れたかな?」
「おかげさまで。船も上手く漕げるようになりましたよ」
テテヴェンは、酒を吹き出さんばかりに笑い出した。
「確かになあ。まさか、こがいにちゃんと漕げるようになるたあな」
「僕がいなくなって漁は大丈夫ですか?」
テテヴェンはドラガンの冗談に、あれだけ漕げないと泣いてた小僧が随分と大きなことを言うようになったもんだと爆笑であった。
だが一通り笑うと、その笑顔をすっと消した。
「今年を持って引退することにしたんじゃ。船を降りる」
何となく予感はしていた。
いつもならコウトの肴目当てに、誘えば絶対に断らないスミズニーが遠慮をしてきた。
何か重い話があるのだろうと推察もしていた。
「……そうですか。お歳ですものね。船や漁場はどうされるんです?」
「冒険者をしとった甥っ子が、今、遠洋の船に乗っとってな。そいつに譲ることにした」
ドラガンも何度かテテヴェン宅を訪れていて、顔を合わせたことがある。
冒険者をしていたというだけあって、なかなかに精悍そうな顔をした人である。
テテヴェンは年齢のせいもあり、頭髪も髭も真っ白で、元が何色だったのかはわからない。
甥っ子さんは、髪の色も、サファグン特有の口の両端のちょろりと長い髭も赤錆び色をしている。
「そうですか。長い間お疲れさまでした」
「最初は賓客じゃ聞いとったけえ、あまり期待はしとらんかったが、あがいに頑張るたあな。われさんのような者と一緒にやれて楽しかったよ」
その後、二人は夜遅くまでじっくりと酒を酌み交わした。
テテヴェンは最後に、良い魚が採れたら食べにくるから教えてくれと言って家路についたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます