第43話 漆

 翌日、ドラガンは二つ隣のカルノバト村に向かった。

目的は漆器職人に会う事。

ムイノクとエニサラも一緒である。



 漆の木はベルベシュティの森に自生しているのだが、ベルベシュティ地区では価値を見出しておらず『かぶれ木』と呼んで駆除している。

サモティノ地区では、それを自分の村の近くに植え船の防腐塗料として使用している。

漁師になってから知ったのだが、漆の樹液を塗り火で炙ると、非常に艶のある綺麗な黒色で固まる。

これが実に美しい黒なのだ。


 だが、流通している漆器はそこまで美しい黒を出してはいない。

恐らくだが普段使っている漆器は、そこまで美術的な価値を見出していないからだと思われる。

ただ、手箱のように艶々になっている漆器も存在はしている。

その差がどこにあるのか。

それが知りたいと考えたのだった。



 ポーレからの書状を持って先に村長に挨拶に行くと、村長のクラスネは、よく来てくださった、まずはお茶でもと歓待してくれた。

ドラガンとしては早く漆器工房に行きたかったのだが、エニサラがお茶菓子くらい食べましょうよと言い出した。

誘いを無下に断るのもとムイノクまで言い始めてしまい、少し雑談をする事になった。


 歓談と言ってもドゥブノ辺境伯領の村長の話題はどこも決まっていて、重税に対する愚痴である。


 村では増税のたびに空き家が増えている。

その多くはユローヴェ辺境伯領やマーリナ侯爵領など、近隣の貴族領に移住してしまっている。

八百屋と雑貨屋などが売上税に耐えかね店を閉めてしまってから、その流れはさらに加速してしまっている。

空き家になった建物は管理が行き届かないから、すぐに廃墟になってしまう。

廃墟になれば、暴風の時に板が飛び周辺の家に迷惑がかかる。

飛んできた板に家を破損されても本格的に修理する金が無く、適当に板を釘で打ち付けるだけの修理になってしまう。

次に何かあると、その家もそれを機に村を出て行くことになる。

悪循環だと村長は憤った。


 今回の市場利用料の値上げは、ついに人間たちからの徴収が限界に達したと感じたらしく、サファグンたちからも巻き上げようという魂胆だ。

それにサファグンたちは怒り狂っており、ユローヴェ辺境伯領の市場に持ち込むと言っている船もある。


「来るところまで来ているって感じなんですね」


「それは違うな。『とっくに限界は超えている』が正しい状況だろう」


 ドラガンと村長がため息をつくと、ムイノクとエニサラもため息をついた。

場の雰囲気が暗くなってしまった事を村長は察し、申し訳ないと謝罪した。


「せっかくの客人だというに、だいぶ辛気臭くなってしまったな。そうだった、漆器工房へ行くんだったね。私が案内するよ」



 一行は村長の案内で漆器工房へと向かうことになった。

だが、ドラガンたちは工房の中に入りすぐに違和感を覚えた。

漆器の元になる木の器が一切置かれていない。

燭台はあるが長く火を灯した形跡が無い。

それどころか工房の床には薄っすら埃が積もっている。

恐らく、もう何日もここには人が立ち入っていないだろう。


 村長もどうやらそれに気が付いたらしい。

工房に隣接している事務室にも行ってみたのだが、事務室も工房同様、暫く人が立ち入った形跡が無かった。


「病気でもしているのでしょうか?」


「それなりの歳だったからなあ。廃業してしまったのかもしれないなあ」


 漆工房は長く赤字すれすれの経営だったらしく、毎回、村長の所に収支報告書だけを持って来る状態だったのだそうだ。

二か月前もその状態だったそうで、それを機に廃業したのかもというのが村長の推測だった。


「様子だけでも見に行ってみませんか?」



 一行は、工房から少し離れた漆職人のコザチェという人物の家に向かった。

手入れのされた庭から村を捨てたわけではないことがわかり、まずは胸を撫で下ろした。


 村長が、いるかいと言って玄関を開けると、中から若いサファグンの女性が顔を出した。

その女性を村長は『ペティアちゃん』と呼び、改めてコザチェさんはいるかなと尋ねた。


 ペティアは姓をムグリシュというらしく、コザチェの工房でデザインの勉強をしている娘らしい。

紫かかった黒髪は長く波打っている。

サファグンらしく目が大きく、額が広い。

体は細いのだが、出るところはしっかりと出ている。

ムイノクが思わず見惚れるほどの美人である。

いつか自分の漆工房を開こうと、毎日コザチェの家に来て漆のデザインを学んでいるのだそうだ。


 ペティアは村長から事情を聞くと、まずは家に上がって客間で待っていてくれと部屋を案内した。

言われるままに客間で待っていると、先ほどのペティアと共に、指先の真っ黒な初老の男性が入室してきた。

初老の男性――コザチェは開いた座布団に座ると、村長から事情を聞いた。


「悪いが工房はもう稼働できないんだ」


 コザチェの話によると、漆掻きの職人と磨き職人が村を捨ててしまったらしい。


 漆器作りは分業制になっている。

漆掻きが漆の木から漆を採取する。

加工職人が木材から器を作り、漆職人が漆を塗る。

それを磨き職人が磨きあげて漆器は完成する。


 どれもそれなりの重労働であり、漆掻きに至っては最悪命を落とす事もあるらしい。

それなのに漆器は丈夫なので、そこまで頻繁に売れるわけでは無い。

その上、重税で売上の多くは領主に巻き上げられてしまう。


 漆器はここサモティノ地区の名産なのだが、いかんせん日用雑貨の為、取引額が安い。

ドラガンの案は、そこに付加価値を付けて工芸品として高額で取引させようと言うものだった。

そう思って漆器工房を訪ねたのだが、よもやその工房が倒産してただなんて。

ドラガンの失意は相当だった。


 それが態度に出ていたのだろう。

コザチェはドラガンに何を作って欲しかったのかと尋ねた。


 ドラガンは小さな鞄からアワビの貝殻を出した。

そこから剝ぎ取った小さな欠片を漆職人に見せた。


「実は、これで装飾した漆の小物入れを作ってもらおうと思っていたんです。先日、姉が結婚しまして。その姉に贈ろうかと」


「このアワビの貝殻を装飾に?」


 コザチェは薄く剥がされた貝殻の破片を手に取って見ている。

だが、コザチェもアワビの貝殻はアワビを食べる時の皿だと思っており、この子は何を言っているのだろうという顔をしている。


「例えば、これを花びらに見立てて、漆黒の中に花を咲かせることはできないかなって」


 ペティアがアワビの貝殻を手にし光にかざしてみている。

どうやらペティアはドラガンの言っている事がイメージできたらしく、かなり興味を示している。


 だがコザチェにはどうにもイメージができないらしい。

ドラガンの顔を見て首を傾げている。


「単なる漆の箱を、お前さんは姉に贈る気なのか?」


「美しい装飾の箱なら姉も喜ぶと思います」


 コザチェは暫く考え込んだ。

無言で茶を啜り考え続けた。

途中何度もペティアがやったようにアワビの貝殻を陽にかざし、その色を確認している。

どうやらドラガンの意図に遅ればせながら気が付いたらしい。

その上で申し訳ないと断ってきた。


「やりたい事は何となく頭には浮かんだ。面白そうだとも思う。職人として胸も躍る。だが悪い事は言わないから、ユローヴェ辺境伯領の村の職人に頼みなさい」


 ドゥブノ辺境伯領の漆工房はもう終わったんだと、コザチェは悔しさを露骨に顔に出して断りを入れた。


「どうしてですか? お金ならそれなりに用意しますよ?」


 それでも食い下がろうとするドラガンに、コザチェは無言で首を横に振る。


「まず人手が無い。仮に近くの村の工房と連携して作ったとしよう。その間の家族の生活費が賄えないんだよ」


「どういうことですか? 作成の報酬ならそれなりの額を……」


 実はドラガンはユローヴェ辺境伯とサファグンの族長から、新たな特産品ができるためなら資金を提供すると言われて来てるのだ。

その為、後払いにはなってしまうが、物さえできれば両者からかなりのお金が出ることになっている。


「どれだけ用意されても、『漆税』でほとんど持ってかれてしまうんだよ」


 はっきりと状況を言ってやらないと目の前の青年は納得しないとコザチェは感じたらしい。

職人としては、あまり懐事情というものは話したくは無かった。

だがやむを得ないと感じた。


「漆を扱うというだけで『漆税』が取られるんだよ。さっきも言った通り、漆器工房は分業制だ。その工程で何度も漆を扱う。その都度『漆税』を取られるんだよ。漆器が完成するまでに、何度も何度も何度も何度も!」


 『漆税』が導入された当時は、漆器一個につき一回として申告していた。

だがある時、工房を視察したドゥブノ辺境伯の執事が職人たちを脱税で投獄したのだ。

その時点でドゥブノ辺境伯領の漆工房は全てが廃業を余儀なくされた。


「じゃあ今流通している漆器って……」


「全てがユローヴェ辺境伯領の生産だ」


 全員が言葉を失っている。

ドラガンだけでなく、村長もムイノクもエニサラも。

コザチェとペティアは悔しさで俯いてしまっている。



 ドラガンは、ここまでの話を噛みしめるようにじっくりと考えた。

そこで一つ以前から思っていた疑問を村長にぶつけてみることにした。


「サファグンの居住区は、サファグンの税制に従って税を取られていると伺いましたが、合っていますか?」


「ああ、合っている。例えば人間がサファグンの居住区の食堂広場で店を営んでも、サファグンの税制に従い族長に納めることになっている」


 村長もドラガンが何を言いたいかわからず、少し探り探りの返答である。


「であれば、漆器の製作をサファグンの居住区で行えば、税はサファグンの税制で済むのではないのでしょうか?」


 もちろん、漆掻きの方はそういうわけにはいかない。

だから漆掻きの方だけ人間の居住区で納税する。

当然漆搔きの方はそれでは暮らせないから、漆工房として収益を分配することにすれば、少なくとも全てを人間の居住区で行うより、税は安く済むのではないか?


「なるほど! それは盲点だったな。確かにそうなるだろうな。だが漆器は職人技なんだぞ? 揺れる筏の上でどうやって?」


「砂浜もサファグンの居住区ですよね?」


 ドラガンの言葉にその場の全員がなるほどと唸った。

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