第41話 税

 スミズニー宅に戻ったドラガンは、緋扇貝とアワビの貝殻をじっと眺めていた。

明らかに何か高級品に化けそう、ドラガンはこの二つからそんな気配を感じ取っている。


 部屋でごろりと寝ころび貝殻を見つめていると扉を叩く音がする。

どうぞと言うと、レシアがそっと戸を開き夕飯だよと言いに来た。

ありがとうと礼を述べ入口を見ると、レシアがまだじっとこちらを見ている。


「どうかしたの?」


「え、あ、その……貝、綺麗だなって」


 真っ赤な顔をするレシアは、細い指をドラガンの持つ貝殻に向ける。


「ああ、これね。レシアは、どっちの貝が綺麗だと思う?」


「えっ? どっちって、そっちのアワビのはお皿じゃないの?」


 耳を赤くしてレシアは首を傾げる。


「そっか、レシアもそういう価値観なのか」


「え? ドラガンはそうじゃないの? だって、いつも食事処でこれにお刺身盛って出されるでしょ?」


 なるほど。

確かに幼い頃からそういう見方をしていれば、それにしか見えないのかもしれない。

いや、ムイノクとエニサラも似たようなことを言っていたので、そういうものなのかもしれない。


「ねえ、レシア。ちょっとこっちに来て、この貝殻を光に当ててよく見てごらん」


 レシアはドラガンの隣に寄り添うように座ると、アワビの貝殻を手に取り、部屋に差し込んで来る夕陽の明かりにかざしてみる。


「あれ、何だろう? 何か虹みたいに綺麗に見える時がある!」


「でしょ? これを切り出して、例えば弁当箱に貼り付けたら綺麗だと思わない?」


 男の人がこんなに近くにいる。

ドラガンの話よりも、レシアはそっちの方で頭が一杯になっている。


「お弁当箱も良いけど。お茶碗でも良いかも」


「そうだね! そういうものでも良いかもしれない!」


 毎日大量に捨てる物が綺麗な装飾になったら素敵だよねと、ドラガンはレシアに微笑みかけた。

まずは試しに何を作ってもらおうか、ドラガンは嬉しそうにアワビの貝殻を光にかざしている。

そんなドラガンの横顔に、レシアは胸の高鳴りが抑えきれなかった。


「ねえ、誰に贈るの?」


「そうだなあ。まずは姉ちゃんかな。結婚式のお祝いに」


「ああ、そうだよね。あの……その次は?」


 レシアは何かを訴えるような顔で、耳と頬を真っ赤に染めながらドラガンの顔をじっと見つめる。

目が合うと急に恥ずかしくなり自分の手に目線を落とした。


「その次か。そうだね、レシアに贈るよ。いつもお世話になってるからね」


「ほんとに? 期待して待ってるからね!」


 レシアの顔がぱっと明るくなった。

すると台所から、食事が冷めるよというアンナの大声が聞こえてきた。




 漁師の仕事というのは肉体労働の塊である。

サファグンのテテヴェンは高齢であり、そこまで身を粉にして働くという感じではない。

その為、それなりに休漁の日が多い。

休漁の日、テテヴェンはゆっくり体を休める日に充てていている。

ドラガンはその日に挨拶回りをしているのである。


 ドラガンを自分の船に乗せるのは春以降と、スミズニーは考えているらしい。

春までは海も荒れていることが多く、遠洋漁業では命の危険があるくらい高い波が発生する。

スミズニーの長男も時化の時に綱に足を取られ、船外に放り出され海の藻屑となってしまっている。


 冬から春に季節が移り穏やかな日が少し続いた後、猛烈な強風が吹く日がある。

この春の最初の強風を迎えてからが遠洋の漁の始まりである。

さらにそこから、少し風が落ち着いてから、スミズニーの船『バハティ丸』に乗せる方向となっている。



 翌日、ドラガンはザレシエを訪ねた。

ザレシエはエモーナ村に来てから造船所の事務兼工員として働いている。

だが船の建造などそうそうあるわけではなく、仕事の多くは船の修理である。

それも些細な修理なら先輩の工員が、あっという間に直してしまう。

その為、ザレシエはもっぱら工員たちが苦手とする事務作業を行っている。

この日もザレシエは事務所の机にかじりついて、伝票の整理に追われていた。


「聞いてくださいよ! あの人たち、伝票処理を平気で半年とか溜め込むんですよ!」


「そういうのよくわからないんだけど、溜め込むとどうなるの?」


 明らかに苛々しているザレシエに、ドラガンは顔が引きつっている。


「半期に一度、収支の計算をするんですけどね。計算が現状と合わんくなる事があるんですよ」


 小まめに処理をしておけばどこが問題なのかすぐにわかるのだが、これが半年前なんて事になると、もはや先方も覚えておらず揉める原因になってしまう。


「おかげで最近の私の仕事は専ら売掛金の回収ですよ。どの人も悪徳高利貸しみたいな目で見てくるんやもん、参ってまいますよ」


 大変みたいだねとドラガンは大笑いした。

笑い事じゃないとザレシエは不貞腐れた顔をしている。


「これをきっちりやってまうと、厳しい税の取り立てに抗えへんからって言うんですよ。それもわからなくはないんですけどね」


「ああ、そういうことなんだ……ザレシエは、その事についてどう思ってるの?」


 ザレシエは表情を曇らせ、すぐには回答しなかった。

小さくため息をつくと目頭を摘まんで、やっと重い口を開いた。


「税については、私も色々調べてみましたよ。いやあ酷いですね。まともに払ったら、誰も生活費はほとんど残らへんでしょうね」


「そんなになんだ! 高い高いとは聞いていたけど」


 どのような税を取るかはそれぞれの領主の考えがあり、大きく別ければ二種類に別けられる。

全員から少しづつ徴収する派と、儲かっている人から多く徴収する派である。

どちらにも一長一短があり、それについてはどちらが良いとは言い難い。


「この大増税は、領主が代替わりして今の領主になってからみたいですね。数か月に一回、増税の通達が来てるみたいです」


「数か月に一回だって! じゃあ僕たちが来てからも何度か増税の通達が来てるの?」


「来てすぐに酒税が上がったらしいですね。で、年始から市場の利用料が上がってます」


 彼らが覚悟するのもわからないでもない、ザレシエは渋い顔をしため息をついた。

そのうち息を吸った吐いたで税金を取られそうとドラガンが苦笑いすると、それなら既に住民税と人頭税が課せられていると、ザレシエは真顔で指摘した。

住民税と人頭税なんて違いが全くわからないと、ザレシエは憤っている。


「この税を最低限まで削ることができたら、その人はこの地区の英雄になれますよ」


「英雄かあ。多分だけど、ポーレさんはそれをしようとしてるんだと思う」


「私も薄々そうやないかと……」


 今まではその準備をポーレ一人で行ってきていたのだろう。

だが、徐々に仕事の片手間でやるには情勢が緊迫してきてしまった。

それで自分の分身となる人物が欲しかったのだろう。


「ザレシエは成功すると思う?」


「どうなんでしょうね。現状では万に一つも見込みは無いように思いますけど」


 ザレシエの予測は少し予想外であった。

確かに住民は増税で逃げ出してしまい、抵抗する人は少なくなっている。

だが、それでも周辺の貴族の理解を得ている以上、それなりに成功の可能性はあると思っていた。


「さすがに万に一つもってことは無いんじゃないの?」


「反乱自体は、私も上手くいく思うてますよ。ここの領主に対する領民の恨みを思えばね。ですけども、その次には国が来ます」


 『国』

つまりはキマリア王国の正規軍が討伐にやってくるという事である。


「だけど反乱を起こされた領主は処刑って国法になってるんじゃないの?」


「それ、よう言われるんですけどね。ですけどその法、執行されたこと無いんですよね」


 どんな法も執行されなければ単なる形骸にすぎない。

現状でその条文は意味を成していないのだ。


「どういうこと? これまで一度も反乱が成功してないってこと?」


「反乱だけやったら何度か成功してますよ。でも毎回同じ解釈で同じ対応をされてるんですよ。カーリクさんやったら、少し考えたらどんな解釈されたか想像つくんやないですか?」


 ドラガンは顎に手を当て、伏し目がちな表情でゆっくりと考え始めた。

反乱軍に対する国の解釈。

反乱を起こされた領主は処刑。

領主を処刑せずに済む解釈。

そこから想像されることは一つ。

反乱を起こしたのは領民ではないという解釈をしたということだろう。


「……謀反人の討伐」


「そういうことです。領民反乱ではなく国家に対する謀反と。恐らくはこの村が反乱を起こしても、同様に反乱軍の指導者を処刑して事を収めるだけやないかと思います」


 本来であれば、領民反乱は領民側の最大の脅迫の道具であるはずなのだ。

だが支配者側の権利が不当に守られ続ければ、支配者側は何をしても良いと勘違いするようになる。

それが悪く出てしまっているのがドゥブノ辺境伯ということだと思われる。


「でもポーレさんは、そんな事、百も承知な気がするんだけどなあ」


「刺し違える気なんかも知れませんね……領主と」


 そんな事になったらまた姉は未亡人になってしまう。

二度の夫の死別は、さすがに姉も精神的に堪えてしまうかもしれない。

何とかしないと。

ドラガンはザレシエの言葉に考え込んでしまった。

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