第58話 帰宅
「今行商に行っとる冒険者に例の井戸の話を撒いて貰うとる。早ければ来週にも何かしら反応があると思う」
ドロバンツ族長はそう言うが、『何かしらの反応』は、ドラガンの家族やベレメンド村の生き残りだけがするわけでは無い。
奴らも反応するだろう。
しかも早ければ来週にも。
「大丈夫でしょうか? その……奴らが乗り込んできたりとか……」
ドラガンの心配をドロバンツは鼻で笑った。
「来るんやったら来たら良え。うちらも武器を取るよ。君の井戸と水路に救われた命を思たら、皆それくらいできるよ」
ドロバンツはその後、自分たちが、かつてどうやって人間の侵攻に抗ったか、祖父が孫に昔話を読み聞かせるように楽しそうに話した。
――キシュベール地区同様、ベルベシュティ地区でもキマリア王国の正規軍の侵攻があった。
キシュベール地区同様、突然、ベルベシュティの森に人間が移り住んできた。
人間たちは非常に狂暴で、そこに住んでいたエルフは武器によって追い払われた。
家だけでなく畑も奪われた。
それまで親族だけの小さな集団で生活していたエルフたちは簡単に追い払われ、抵抗した者は容赦なく殺された。
まだ侵攻を受けていないベルベシュティの森の奥に住んでいた者たちは、この状況に強い危機感を抱いた。
住処を奪われたエルフたちは森の奥に逃げ込み、そこで一人の長老を族長に据え部族としてまとまる事になった。
当時エルフたちには金属の物を使うという習慣が無く、ベスメルチャ連峰で採掘できる黒曜石が金属の代わりだった。
武器と言っても弓矢しかなく、その矢も黒曜石の欠片を矢尻にしていた。
当初エルフたちは追い払えれば良いと思っており、人間たちを威嚇していた。
だが若いエルフが捕まり惨たらしく惨殺された事で、エルフたちの怒りは頂点に達した。
最後に残った慈悲が消えた。
そこからエルフたちは、ベルベシュティの森で毒草と毒キノコを採取し煮詰めた。
黒曜石にその毒液を塗り込み、人間を片っ端から射貫いていった。
突然バタバタと死人が出た事に恐怖した人間たちは、正規軍を呼び寄せた。
正規軍は金属鎧を身に付けており、盾も持っていて、中々に手ごわかった。
だが彼らも、全身に鎧を身にまとっているわけでは無く、むき出しになっている部分も多い。
エルフたちは森の茂みに隠れ、指揮官と思しき人物を次々に狙撃していった。
下級、中級指揮官が次々に倒れていき、最終的に上級指揮官が大量の兵を指揮するというかなり歪な軍隊編成となっていた。
実はこれこそがエルフの長老の考えた戦術だった
キマリアの正規軍は、もはや単純な命令しか下せないようになっていて、行軍速度も遅々とし、およそまともな軍事行動がとれない。
だが正規軍の総司令官も愚かではない。
ならばと全軍を率いてエルフの長老のいる森の奥を目指した。
長老の屋敷が見え、総司令官が総攻撃の命を下す、まさにその時だった。
剣を掲げた手がだらりと下がり、剣が地に落ちた。
兵たちが総司令官を見ると、その首を毒矢が貫通していたのだった。
それを合図に四方の木々から毒矢の一斉射撃が始まった。
四方八方から射撃を受け続けるも、指揮官がおらず、兵たちは全く成す術がない。
正規兵はバタバタとその場に倒れていった。
撤退しようにも、いつの間にやら後方に大量の弓箭兵が布陣しており、間断なく毒弓を撃ってくる。
兵たちは口々に降伏の意志を叫んだ。
だがエルフたちは、お前たちは助けてと叫ぶエルフを助けたのかと言って容赦なく射殺した。
そこから兵たちは狂騒に陥り、我先にとベルベシュティの森から逃げ出した。
運悪くエルフの村に迷い込んだ兵は、それまでの恨みを晴らされるように、惨たらしく拷問を受け惨殺された。
生き残った兵は、数えるほどしかいなかったらしい。
ほぼ全滅。
正規軍が全滅した事を知り、移住した人間もその多くが逃げ出した。
逃げ遅れた人間たちはエルフの慈悲を求め、地位協定を結んで居住区を貰う事になった。
軍隊が落として行った鉄製の武器や鎧は、森に残った人間たちによって、溶かされて農具などにされエルフに譲渡された。
人間たちの製鉄技術を重宝したエルフたちも農場を貸し与え、次第に両者は共存していく事になった――
久しぶりにドラガンはジャームベック村に戻った。
プラジェニ家に帰る前にバラネシュティ首長の家に行き、ドロバンツ族長からの手紙を渡した。
バラネシュティはその場で手紙を読むと、ご活躍だったようだなとニコリと微笑んだ。
「ベアトリスがお前さんが帰って来へんって、何遍もうちに来とったで?」
毎回キイキイうるさかったと、バラネシュティは面倒そうに言った。
「あれ? おかしいな。族長に呼ばれたから行ってくるって言ったはずだけどなあ」
キイキイうるさかったというベアトリスが容易に想像できて、ドラガンもげんなりした。
「その日に帰ってくると思うとったみたいやで? 私もまさか、ひと月近くも帰って来へんとは思うてなかったよ。知らんで。ベアトリスに怒られるで」
バラネシュティは人の悪そうな目で煽るように言った。
まさにこの後、修羅場が訪れるとわかり、ドラガンは明らかに焦った。
「えっと……間に入っていただく事なんてできたりは……」
「……勘弁してくれ」
プラジェニ宅に帰るのはおよそ三週間ぶりである。
三週間前は盛夏という感じで、子供たちが水突きで涼しそうに遊んでいた。
すでに夏の長期休暇が終わり学校が再開している。
ドアの前に立ち、ドアの横に掛けられた木の鈴を木槌でコンコンと叩く。
静かにドアが開きイリーナが顔を出した。
イリーナはニコリと微笑むとドラガンの肩に手を置き、おかえりなさいと言って何度も頷くように頭を振った。
ドラガンの手を引き居間へと誘った。
居間では、かなり機嫌の悪そうな顔のベアトリスが、ぷいと顔を背けていた。
イリーナがヴラドが帰ったわよと言っても、そっけなく、そうなんだと呟いただけだった。
「何拗ねとんのよ。首長さんに居場所聞いて会いにいこう思うたくらい心配してたくせに」
いきなりドラガンが不在時の内情をイリーナにばらされ、ベアトリスは耳を赤くしてぴょこぴょこ上下させた。
「急におらへんくなったから、その辺で野垂れ死んだんやないかて思うただけですぅ!」
ベアトリスは、ふんと言ってドラガンから顔を背けた。
「素直やないわあ。数日おきに首長さんの家行って、いつ帰ってくるんって聞いてたくせに」
イリーナの暴露に、ベアトリスはかなり動揺した。
だが咳払いをし、必死に心を落ち着かせた。
「もう帰って来へんかもって思うたからや!」
「ほんまにそれだけ?」
イリーナに煽られ、ベアトリスはゆらりとイリーナの方に顔を向けた。
頬が真っ赤に染まっている。
「どういう意味よ? お姉ちゃんが弟の心配して何の問題があんの?」
「それやったら弟が帰ってきたんやから、その態度は無いんやないの?」
ベアトリスは睨むようにドラガンを見ると、椅子から立ち上がり、つかつかと向かってきた。
じっとドラガンの顔を見つめたと思ったら鼻を摘まんだ。
「今までどこに行ってたんよ。何も言わんと何日家を空けるんよ」
「いや、あの……族長に頼み事をされてしまいまして……」
実はバラネシュティから、ドラガンが他の村で何かやっているという話は、ベアトリスも聞いてはいる。
それがドラガンの口から事前に聞けなかった事に腹を立てている。
……少なくともベアトリスの中ではそういう事になっている。
「頼み事に入る前に、うちに来る事くらいできたんと違うの?」
「族長から、この村の事は秘匿にしろと言われてしまって……」
ドラガンの説明に、ベアトリスはさらに表情を険しくした。
「はあ? 族長はうちらの村を腫れ物やと思うてんの?」
「いや、あの、そうじゃなく。これにはその、訳があって……」
実は他の村で、この村同様に水路と井戸を作っていた事、そのせいで地区の北東の外れと南東の外れを何度も往復していた事、その間に族長に政治的に動いてもらった事をベアトリスに説明した。
「ふうん。私たちの事を忘れて、他所の村でよろしくやってたんや」
そう言ってベアトリスは、下から覗き込むようにドラガンを見た。
「何ですそれ? 僕は真面目に工事に取り組んでましたよ」
「ほんまに? 綺麗な娘にデレデレしてたんと違うやろうね?」
ベアトリスは、ドラガンの顔を右から左からじろじろと見ている。
イリーナは居間の椅子に腰かけ、二人のやり取りをくすくす笑って聞いている。
その辺にしておいてあげたらと言っても、ベアトリスは機嫌をそこねたままだった。
「わかった。そしたら、お姉ちゃんって呼んでくれたら許してあげる」
ベアトリスは急に笑顔になりドラガンに提案した。
ドラガンは何と理不尽なと思ったが、それで機嫌を治してくれるならとも思った。
「……お」
「お?」
「やっぱ、無理! だってそんな見た目じゃないもん!」
ドラガンは顔を赤らめて、首をぶんぶんと左右に振った。
「なんでやねん! そんで、また胸の事言いおって、こいつめ!」
ベアトリスは嬉しそうにドラガンの頬をつねった。
ドラガンもドラガンで、そんな事は言ってないと笑いながら言った。
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