第5話 水遊び

 数日後、ドラガンの水突きは完成したらしい。


 朝から井戸に行って、釣瓶で水を汲み上げては水突きで吸い取り、木に向かって吹き付けていた。

だが何か納得がいかないらしい。


 自分の部屋に戻ってはまた井戸に行き、木に水を吹きかけては首を傾げて家に戻ってくる。

また部屋に籠って何か改良をし、また井戸に行く。


 何回目かでアリサに怒られた。


「ドラガン、待ちなさい! ここからあなたが歩いてきたとこ、よく見てごらんなさい!」


 アリサはドラガンの奥襟を掴み、無理やりドラガンの顔を廊下に向けた。

ドラガンが泥まみれの足で歩き回ったため、廊下は泥だらけだったのだ。


 どうするのこれと床を指さしているアリサの顔を恐る恐る見てみると、いつもの優しい表情ではなく完全に怒っている顔だった。


「後で拭き掃除しとく。……します」


 ドラガンは露骨に叱られていますという顔をした。

その顔に一瞬アリサはほだされそうになったが、ここは心を鬼にする場面だと思い、必死に怒った顔を作り続け、後でじゃないと叱った。


「……今からやります」


 アリサは険しい表情を崩すと、モップを用意しておくから水を汲んでらっしゃいとドラガンに命じた。


 水突きを持ったまま井戸に向かおうとしたドラガンをアリサは見逃さない。

水突きを取り上げられドラガンはかなり不満気な表情だったが、渋々水を汲みに向かった。


 さすがにアリサが露骨に怒っているという顔をしたせいか、真っ直ぐ水を入れた桶を持ってきた。


 アリサが水桶にモップを入れ廊下を拭き始めると、ドラガンはもう一杯水を汲みに行った。

ドラガンが再度水桶を持ってくると、最初の桶は水がほぼ無くなっていた。


 アリサは新たな水桶から前の水桶に少し水を入れモップを濯いだ。

アリサがモップを桶から出し入れすると、ブボッという少しおかしな音がして水が跳ねた。


 ドラガンはその音に興味を示し、水桶をじっと見つめはじめた。


「姉ちゃん。もう一回やってみて!!」


 アリサはまた始まったと思いながらも、モップを水桶の中で上下させてみてあげた。

だが先ほどの音がしない。


 ドラガンは首を傾げ、モップと水桶をじっと見ていた。

そんなドラガンを見て、アリサの中に少し悪戯心が沸いてきてしまったらしい。


 最初の水桶からモップを抜くと次の水桶にモップを入れ、また上下させた。

ドラガンは最初の水桶から次の水桶に顔を移し、またじっと見つめた。


 アリサはニヤリと笑った。

モップを思いっきり水桶に突っ込んだのだった。


 水が飛び跳ねドラガンの顔にもろにかかった。


 ドラガンはびっくりして腰を下ろしたのだが、そこもまだ水浸し。

頭からお尻まで、びしょ濡れになってしまったのだった。


 姉ちゃん酷いや、そう言って姉を見たドラガンだったが、怒るよりケラケラと笑っている。

アリサも、そんなドラガンを見てケラケラと笑った。


 ドラガンの濡れた髪をかき上げると、最初の桶の水を庭の植木に捨ててくるように言った。


 戻ってきたドラガンは、ぶつぶつと何かを言いながら空の桶を持ってどこかに行こうとしている。

アリサはそんなドラガンの前で手をパンと叩いた。


 ドラガンはビクッとして姉を見ると、聞きたいことがあると言い出した。

没収されていた水突きを持ち出すと、アリサの手を引き井戸へ向かった。



 釣瓶を引き上げ水を汲み上げると、そこに水突きを入れ水を吸い上げる。

水突きを木に向け、勢いよく突き棒を押した。


 勢い良く細い放物線を描きながら水は飛んでいく。

だがどうにもドラガンには不満があるらしい。

水が突き棒の方から漏れてきてしまうと、アリサに相談した。


「隙間が空いてるんじゃないの?」


 隙間が空いている。

そんなことはドラガンも薄々感づいている。


 だからこれまで、何度も何度も突き棒の形を成型して微調整しているのだ。

なのに何回調整しても、どんどん漏れてきてしまうのである。


「うん。だから隙間がどんどん開いてきちゃってるんでしょ?」


 突き棒に布でも巻いて置けば?

そうアリサはアドバイスした。


 ドラガンは目を輝かせ、布ちょうだいとせがんだ。

渋々アリサは、家に戻り裁縫箱から長めの布の切れ端をドラガンに渡した。



 アリサのアドバイスで、水突きは非常に満足のいく出来に仕上がったらしい。

ドラガンはその後、結局、陽が落ちるまで井戸から帰って来なかった。




 その数日後、ドラガンは朝から、友人たちと水突きと弁当を持って川に遊びに行った。

だが、お昼に帰って来てしまったのだった。


「どうしたの? 何かあったの?」


 アリサが問いただすと、ドラガンは唇を噛み俯いてしまった。


 ドラガンの親友アルテムの妹ナタリヤが、アリサに抱き着いてわんわん泣き始めた。

アリサはナタリヤを軽く抱きしめると頭を撫でた。


「川遊びしてたらね、隣村のやつらがきて……出てけって……」


 アルテムが拳を握りしめて声を絞り出した。

よく見るとアルテムの右頬が腫れている。


 ドワーフの親友ゾルタンも、よく見ると頬が赤く腫れている。

恐らく隣村の子たちに暴力を振るわれ、追い出されてしまったのだろう。


「姉ちゃんごめんね。せっかくお弁当作ってもらったのに……」


 何かが無いと思っていた。

水突きが無いのはさすがにすぐに気が付いた。

それ以外にも何かが無いと感じていた。


 自分が持たせた弁当箱を誰も持っていないのだ。

聞けば、隣村のやつらに川に捨てられてしまったのだそうだ。


「じゃあ、あなたたちお昼まだ食べてないの?」


 わんわん泣いてるナタリヤが、うんと頷きさらに声を大きく泣き出した。

アリサは小さくため息をつくと、しゃがんで目線をナタリヤに合わせた。


「ナタリヤ。今からみんなのお昼作るから、一緒に手伝ってちょうだい」


 ナタリヤは涙を拭うと唇を噛み、無言でこくりと頷いた。

アリサはナタリヤの頭を撫でると、良い子ねと言って手を引いて台所へ向かった。


 途中でくるりと振り返り、何か果物を取って来て井戸で冷やしてきてねと、ドラガンたちにお願いした。



 食卓に座り四人は昼食を口にした。


 アリサの料理がどこか胸に沁みるものがあったのだろう。

ドラガン、アルテム、ゾルタンは涙を零した。

そこから、三人はアリサに何があったのか話し始めたのだった。


 どうやら以前から、隣村の子たちとはそりが合わないらしい。


 ドラガンはいつも新しい遊び道具を作って持っていくのだが、貸せ、貸さないと言い合いになり、最後は奪い合いになっているのだとか。


 今日も、ドラガンたちが水突きで遊んでいると、隣村の子たちが貸せと言ってきた。

またいつものことだと思って無視して遊んでいると、隣村の子が河原に置いていた弁当箱に手をかけた。


 お前たちが水突きを貸さないのが悪いと言って、有無を言わさず弁当箱を川に投げ捨てたのだった。


 そこから、アルテムとゾルタンは相手につかみかかり喧嘩になった。

ところが隣村の子は短剣を取り出し、ナタリアの首に押し当て人質にとった。


「水突きをよこせ、じゃないとこのガキがどうなっても知らないぞ」


 そこからアルテムとゾルタンは一方的に殴られ、ドラガンも水突きを奪われた。


「二度とこの場所に来んな、次はこの程度じゃ済まねえからな」


 そう言われたのだそうだ。



 ナタリヤは、またわんわん泣き出してしまった。

アリサがそっと抱き寄せると、ナタリヤはアリサにしがみついて大泣きした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る