第4話 酒場

 昼食後、父セルゲイは部屋に戻ろうとするドラガンを連れて庭に向かった。

アリサから薪が少なくなったと報告を受けたためである。


 父は細い丸太を切り株の上に置くと、斧を丸太に少し挿して固定した。

軽く斧を持ち上げ切り株に振り下ろすだけで丸太は真っ二つに裂ける。


 割れた半分に再度斧を挿すと、また振り下ろしさらに二つに裂く。

それをドラガンに渡し、鉈でもう半分に裂いてもらい薪にして貰った。



「井戸の水のことは、そんなに不思議なことなのか?」


 セルゲイは木を裂くとドラガンに尋ねた。

だがドラガンは聞こえていないのか何の返答もしなかった。


 言っても無駄と呆れられたのかなとセルゲイは思い、そのまま木を裂き続けた。

するとドラガンはポツリと呟いた。


「父さんは不思議に思わないの?」


 その態度でセルゲイは、ドラガンがあまりに色々言われすぎて気落ちししてしまっているのだと察した。


「そうだなあ。そんなこと疑問に思ったこともなかったかな」


 そう言うと丸太をまた一本半分に割った。

ドラガンは俯き気味に黙々と丸太を裂いて薪にしていっている。


 それがわかったら何ができるのかと尋ねたが、ドラガンは暫く手を止めて考え込み、わからないと呟いた。


「だけど、いつもみんな水運び大変だなって……」


 何でこんなにこの子は心優しい子なんだろう。

そう思うとセルゲイは、うっかり涙をこぼしそうになった。


 水を貯めておければ、あんなに重労働の水汲みを何度もしなくてすむ。

ドラガンなりにアリサのことを思っての『どうして』だったのだろう。


「だけど、腐った水でお腹下すのは嫌かなあ」


 セルゲイは、がははと笑い出した。


 すでに予定の木を裂き終え、セルゲイは切り株に腰かけている。

首に下げた手拭いで額の汗をぬぐった。


「俺はなドラガン、お前のそういうところ素直に感心するよ」


 セルゲイは黙々と木を裂いているドラガンを見つめそう言うと、ドラガンは拗ねたように口を尖らせ、普通じゃないと言われる事が多いと消え入るような声で呟いた。


 よほど周囲から傷つくことを言われる機会が多いのだろう。

ドラガンは鉈を持つ手を止め俯いてしまった。


 確かに、変な子だと言う口の悪い人もいる。

だが酒場では、いつか大きな事をするんじゃないかと期待する声が大きい。

セルゲイは、そうドラガンを励ました。


「……でも頭悪いってよく言われるよ?」


 ドラガンは完全に気落ちしてしまっており、口を尖らせてそう呟いた。


 セルゲイは、ドラガンの手から鉈を取り上げた。

俯いて木を握っているドラガンの顔をぐいっと持ち上げた。


「ドラガン、よく聞きなさい。この鉈を見てもね、よく切れると褒める人がいる一方で、古臭いと悪く言う人がいるんだよ」


 確かに古臭いと、ドラガンは取り上げられた鉈を見てクスクスと笑い出した。


 セルゲイは、ドラガンの目の前で人差し指を左右に振ると、ちちと舌を鳴らした。


「そうじゃない、そうじゃないんだよ、ドラガン。こういうのは『使い込まれてる』というんだよ」


 使い込まれてるというのは、それだけ『使いやすい』ということになる。

セルゲイは木に鉈を差し、コンと切り株に当て木を裂いた。

こんな風になと、ドラガンに微笑んだ。


 古臭いと使いやすいでは全然違う。

同じ『古い』と言いたいのにである。


 ドラガンだったらどっちが嬉しいか、セルゲイはドラガンの顔を覗き込むながら聞いた。

ドラガンは鉈を見て少し考え込み、考えるまでもないと感じた。


 当然『使い込まれてる』と言われた方が嬉しいに決まっている。


セルゲイは、ならば古臭いなどと言う、口の悪い奴の意見は聞く必要は無いと、ドラガンの目をじっと見て諭した。


「でも聞こえちゃうんだけど?」


 聞こえるのはしょうがない。

だけど落ち込む前に、落ち着いて他の人の声をよく聞いてみればいい。

きっと同じことを丁寧に言ってくれている人が他にいるはずなのだ。


「わかったね。丁寧に言ってくれる人の言葉だけに耳を傾けるんだよ」


 父はドラガンの肩をガシリと掴んで、そう微笑みかけた。


 これからの人生、ドラガンは、きっとあらゆる誹謗にさらされる。

それにいちいち心を病んでしまったら、せっかくの才能が潰されてしまう。

であれば、今のうちから自分の心を守る術を学んでおく必要があるだろう。


 実はこのことは父の吞み仲間たちが言ってきたことである。


 車輪の一件の前までは、酒場でもドラガンを馬鹿にする声が非常に多かった。

セルゲイも心無い事を言う者と喧嘩になったことがある。


 だが、車輪の一件から潮流のようなものが変わった。

そこからそうアドバイスをしてくる人が増えたのである。


 セルゲイはドラガンから取り上げた鉈で、裂いた木を次々に薪に変えていった。

全てを薪の太さに裂き終えると、二人で抱えて薪置きに収めていった。




 夜、セルゲイは夕飯を軽めに済ませると、酒場にドラガンを連れて行った。

どうもセルゲイには、昼間の話に何か思うところがあったらしい。


 いつもの酒場『ほうき星亭』に入ると、父はきょろきょろと周囲を見渡した。


 店の奥、恐らくいつもの席に目的の人物を見つけると、店員にビールを注文しその人物の隣に立ち、やってるかいと声をかけた。


「おお、カーリクさん。珍しいじゃないかドラガンを連れてくるなんて」


 男性はドラガンを見ると酔った赤い顔に笑みをたたえ、隣の椅子に座るように促した。


 男性の名はモナシー。

村で工務店を営む人物である。


 セルゲイが聞きたいことがあると言うと、モナシーは露骨に嫌な顔をした。


「もしかしてドラガンかい? 勘弁してくれよ。俺はおつむの出来はそんなに良くないんだからさあ」


 セルゲイはドラガンの隣に座ると、モナシーを井戸の整備をしている人だと紹介した。


 ドラガンは憧憬の眼差しでモナシーを見ている。

モナシーはその純粋な目を直視できなかったらしく、困り顔でビールを口にした。


 何でも聞いて大丈夫、セルゲイがドラガンに促すと、モナシーは、おいおいとセルゲイの袖を引っ張った。

ドラガンにはそれが面白かったようでケラケラと笑った。



 井戸はどうやって作るのか、ドラガンは、まずそこから聞いた。

モナシーは企業秘密だと言い渋ったのだが、セルゲイがビールを一杯注文すると、あっさりと口を割った。


 前日に、竜の抜け羽根を井戸を作りたい候補地に挿しておく。

そこにお椀を被せ一晩待つ。


 翌朝、井戸に適した地なら、ふわふわした羽根が水を吸って細くまとまっている。

後はそれを目印に、ひたすら水に行き当たるまで掘っていくだけである。


「どうして、それで井戸に適した場所ってわかるの?」


 どうして。

キシュベール地区の工務店の間では『竜脈を探る』という言い方をする。

だが、それがどういう意味かまでは、恐らく誰も知らないだろう。


 そういうものなのだから。

大昔、誰かがそれに気付いたのだろう。

だから、なぜと聞かれても困る。

モナシーは、少しセルゲイを恨み責めるような目で見た。


「ねえ、父さん! 不思議な話だね!」


 ドラガンはそう言って父の方を見た。

だが父は話になんの興味も無いらしく、煎り豆をつまみながら、別のおじさんとビールに興じていた。


「掘ったら水が溜まってるとこに行きつくの?」


 ドラガンはキラキラした瞳で、赤ら顔のモナシーにさらに質問をぶつけた。


「ちちち。そうじゃないんだよ」


 モナシーは舌を鳴らして指を横に振り、得意げにドラガンに言った。

実は井戸の水というのは、途中の地面から沁み出してくるのである。


 地面から水が沁み出すなら、何で泥のように濁らずあんな透明な水になるのだろう?

モナシーの説明で、ドラガンはそんな疑問が過った。

だがすぐに、昼間の、野菜の泥水を放っておいたら綺麗な水に変わったのを思い出した。


 染み出る高さを見て、そこから水を貯められる深さまで掘り進んでいく。

それが井戸を掘るという作業なんだとモナシーは説明した。


「じゃあ地面の下に水が溜まってるわけじゃないの?」


 その質問にモナシーは驚いた。

正直言えば、自分でも井戸の理屈を全て理解しているわけではない。

こういう作業だと、今は亡き父から教え込まれただけなのである。

それをどうやらこの目の前の坊主は、ぼんやりとながらも理解したようなのだ。


 水が溜まりやすい場所があり、そこまで掘っていくと説明すると、つまり井戸も瓶なんだとドラガンは目をらんらんと輝かせた。


「じゃあ何で井戸の水は腐らないの?」


 モナシーはドラガンの問いに、思わずビールを呑む手を止めた。


 はて?


 改めて言われると実に不思議な話だ。

確かにこれまで井戸の水が腐ったという話は聞いた事が無い。

枯れたという話なら枚挙に暇がないのだが。



「腐る前に使うからじゃないのかな?」


 そう言ってビールを手に寄ってきた人物がいる。

ドラガンの担任のザバリー先生である。


 背が高く周囲の人に比べ明らかに肉付きが悪い。

そのくせ鼻の下に髭をたくわえ威厳を演出している。

ただその髭にビールの泡がついて威厳は台無しなのだが。


「ドラガン、相変わらずだね。ちゃんと宿題はやれているのかな?」


 ザバリーの言葉にドラガンは、かなりバツの悪い顔をした。

その顔を見てザバリーは、わははと豪快に笑い出した。

登校日に間に合えばそれで良いと、ザバリーはドラガンの背中をぽんぽんと叩いた。


「だけど先生、それならどうしてこのワインは、樽の中に入れておいても腐らないんでしょうね?」


 給仕の女性がワインをセルゲイの元に置くと、そう疑問を口にした。

モナシーもザバリーも考え込み黙りこんでしまった。


 全く変わらないのかと尋ねると、給仕の女性は、徐々にお酒が強くなってくくらいと答えた。


「ほう! じゃあ仕込みの時期の直前が一番旨いということになるわけか!」


 それは良い事を聞いたかもしれんとザバリーは笑い出した。


 おい今の聞いたかと誰かが言うと、酒場は大盛り上がりになってしまった。



「今度、井戸の整備をするときに見に来ると良いよ。呼びに行ってやるからさ」


 モナシーはそう言ってドラガンの頭を撫でた。


 ふと見ると、父は酔って机に伏して寝てしまっていた。

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