第3話 疑問

「お! 良い匂いがしているな」


 父はおもむろに鍋の蓋を開け味見をしようとした。

それをアリサがピシャリと手を叩き蓋を閉じた。


「父さん。味見も良いけど、せめて手ぐらい洗ってからにしてよね」


 父は、はいはいと返事をすると、口うるさい娘だとぶつくさ言って外に手を洗いに行った。


 アリサは竈から一旦鍋を下げフライパンを乗せた。


 竈の横に鉄篭を引っかけ、そこにパンを入れて温めていく。

その傍らで塩漬け肉を薄く切りフライパンに乗せ焼いていく。

実に手際が良い。


 アリサが昼食を用意する間、母は飲み物を用意していた。

母はドラガンが少し元気が無いことに気が付いたらしい。


「どうしたのドラガン。学校は長期休みでしょ? 遊びに行ったりしないの?」


 母のイリーナは、若干うつむき気味のドラガンに視線を合わせると、優しそうな顔で覗き込んだ。


 視界に母の顔が入るとドラガンはそっと顔を背けた。

困り顔をした母はアリサに何があったのか尋ねた。


 アリサはドラガンの顔を一瞥すると、また竜に意地悪されたのよと報告した。


「アリサにはそんなこと無いのに、何でドラガンにだけああなのかしらね」


 母もやれやれという顔をして、優しくドラガンの頭を撫でた。


 カーリク家の竜は『シミー』だけじゃ無い。

他に『ミツニー』という栗毛の竜もいる。

『ミツニー』も『シミー』同様ドラガンを見ると威嚇し意地悪をする。


 さらに言えば、今はもう死んでしまったのだが、以前もう一頭『オレン』という竜がいた。

この『オレン』もドラガンに同様の態度をとっていた。

しかも、ドラガンがまだイリーナに抱かれている頃から既にそうだったのだ。


「さっきだってね、私が竜房から連れ出したら、わざわざドラガンの前で糞するのよ」


 父も母もそれは酷いと言って笑い出した。


 ドラガンは口を尖らせ泣き出しそうになっている。

その表情を見た母はドラガンの肩を優しく抱き寄せると、困っちゃったねと微笑んだ。


 アリサは温めたパンを各人の席に配布し、焼いた塩漬け肉も皿に乗せて配布すると席に着いた。

四人は食事に感謝をささげると、それぞれ昼食を口にした。


「だけどさ、あんなに竜に懐かれないと御者の仕事は難しいよね」


 アリサの言葉に父のセルゲイは何を言ってるんだという顔をした。


「別に御者になんてならなくたっていいさ」


 ドラガンができる仕事をやったら良いと、ドラガンを一瞥して言った。


 アリサは、それだと竜車の許可が無駄になると指摘したが、父はアリサの心配を鼻で笑った。


「お前は俺をいくつだと思ってるんだ? 俺はまだ若いんだから、今から老後の心配なんてしてもらう必要無いよ」


 不満顔をする父に、アリサはそうだけどと眉をひそめた。


「ドラガンが上手く竜が操れず何かあったら、その方が信用に関わるよ」


 御者はお客様を乗せて竜車を走らせる。

お客様に何かあったらその時点で廃業なんだ、そうアリサに説明した。


「アリサが心配するのもわかるけど、ドラガンは賢い子だから何かしら別の仕事が見つかるさ」


 そう言ってセルゲイはアリサに微笑んだ。



 『賢い子』ねえ……。

アリサは疑いの目で塩漬け肉に苦戦しているドラガンを眺め見た。


 アリサにはよくわからないが、何年か前から、村人の中でドラガンに対し何かを期待する人が増えている。


 学校の成績は極めて悪く、何かと見るとぼうっと考え事をしているドラガン。

一体この子に何を期待することがあるのだろう?



「ねえ母さん。水が腐るってホントなの?」


 ドラガンは食べる手を止めると、母に問いかけた。

イリーナはキラキラした目をするドラガンに少し困った顔をした。


「そうね。水は溜めておくと腐っちゃうわね」


 イリーナが優しく言うとドラガンは、腐ったらどうなるのと重ねて問いかけた。

イリーナは好奇心に満ちたドラガンの瞳に心をくすぐられたらしく、優しく頭を撫でた。


 白く濁って沼みたいな臭いがする。

さらに放置すると緑色の藻が沸くこともある。

最悪の場合悪い虫が湧くことだってある。

そうイリーナは説明した。


「じゃあ、何で井戸の水は腐らないの?」


 ドラガンがそう聞くと、それなんだよねとアリサが呟いた。

言われてみれば不思議よねと、イリーナはセルゲイの顔を見た。

セルゲイは少し嫌な顔をして俺に聞くなという態度を取った。


 どうしてと言われてもわかるわけがない。

村の中で答えられる人が果たしているのかどうか。


 セルゲイは面倒そうに、学校が始まったら先生に聞いてみたら良いと案内した。


「そうやってすぐに先生に押し付けて。またこの前みたいに、村中巻き込む大騒ぎになっても知らないからね」



 アリサの言う『この前』は竜車のことだった。


 なぜ、竜車には車輪がついているのか?

冬のソリのように、雪の積もっていない時も板ではダメなのか?


 ドラガンが疑問に思う事は大人でもわからないことが多いらしい。

大半の人はそういうものだと納得し、深く考えずに生活している。


 ところがドラガンの担任のザバリー先生が、酒場でそのことを呑み仲間に話した。

そこから酒場は大論争になった。


 半月近くにわたって、村中を巻き込む話題になってしまったのだった。



 ドラガンたちの住む『ベレメンド村』は『キシュベール地区』という地域に属している。

『キシュベール地区』は『ドワーフ』という亜人が混住している地域である。


 この疑問はドワーフのコミュニティでもかなり話題になったらしい。

ドワーフたちも酒場に来て俺はこう思うんだと独自の推論を話していた。


 最終的に、村長のペトローヴさんが多くの村民を引きつれてドラガンの家に来た。


 地上で冬用のそりを付けて人力で引いてみることになった。

理論はわからないが、車輪の方が楽に引けるということで納得したらしい。


 ザバリー先生は、恐らくだが地面に接してる部分が小さい方が良いのではないかと結論付けた。


 じゃあ冬のソリは何で軽く引けるのか?

氷を板の上に乗せると滑って落ちるからそれと同じことだろう、ザバリー先生はそう説明した。


 こうして大論争は徐々に収束していった。



「アリサはそう言うがね、あれがきっかけになって荷車をより軽く引けるようになって、竜への負担を少し軽くすることができたんだよ」


 ドワーフの鍛冶師たちもかなり驚いていたらしい。


 今まで大きな車輪一対だったのが、固定された中型の後輪と、可動式の小さな前輪に変更になった。

さらに車輪には『山トカゲ』という魔物のデコボコしたなめし皮を巻いた。


 その話はドワーフのコミュニティで大きな話題になり、近隣の村々の竜車の車輪が取り換えられることになった。


 竜車はまだまだ改良の余地がかなり残っている。

改良できれば運べる荷物が増え村が潤う。


 ドワーフたちは未だにこの話題で盛り上がっているらしい。



 キシュベール地区は『ヴィシュネヴィ山』という山で大陸中央部とは隔てられてる。

大陸中央部に行くには、このヴィシュネヴィ山を越えていかねばならない。


 『山の民』と呼ばれるドワーフたちは、主食が芋類であるためそこまで難儀はしていない。

だがドラガンたち人間は麦のような穀物が主食である。


 山がちなキシュベール地区では、そこまで穀物の収穫ができない。

そのため、多くは大陸北部『サモティノ地区』からの輸入に頼っているのである。


 その輸送は竜車によって行われる。


 これまで山越えの途中で竜がバテることが多く非常に難儀していた。

この車輪の変更によって竜が途中でバテる事が少なくなった。

御者を生業とする者はそう言って喜んだ。



「父さんドラガンのおかげで、面識もない商売仲間にまで感謝されたんだよ」


 食事をとり終えたセルゲイは席を立つと、ドラガンの頭に手を置き乱暴に髪をくしゃくしゃに混ぜた。

ドラガンは酷く迷惑そうな顔をしたが、セルゲイは非常に嬉しそうだった。


 きっとドラガンは、いつか凄いことを成し遂げてくれる。

セルゲイは誇らしげにドラガンを見たのだった。

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