第52話 アリョーナ
「あのおてんばだったアリサちゃんがお母さんだなんてね」
アリョーナは大人しくポーレに抱っこされ親指をしゃぶっているエレオノラの頬を指で突いて微笑んだ。
エレオノラはどうやら少し前までぐずっていたらしく、目も鼻も真っ赤である。
その後でポーレの顔をしげしげと見つめ、本当にロマン君にそっくりねとアリサに耳打ちした。
「アリョーナ姉さんは、これまでどうされてたんですか?」
アリョーナはアリサの顔から視線を反らし、少し寂しそうな顔をした。
――アリョーナ・ホロミーはベレメンド村の出身でアリサの三歳上。
ロマン・ペトローヴと同じ歳である。
学生時代から踊りが好きで、将来はロハティンに行って踊り子になるんだと言っていた。
アリョーナはあまり勉強ができる方ではなく、稼業は兄が継いでいた為、両親もやりたいことがあるなら好きにしなさいという感じであった。
学校を卒業するとアリョーナは行商隊と共にロハティンへと向かった。
ちょうど竜車には行商見習いとしてロマンが乗っていた。
ところが、ロハティンに来てみたはいいものの右も左もわからない。
そもそもどうやったら踊り子で食べていけるかすらもわからない。
何を置いてもまずは食と住だと、酒場で働くことになった。
昼の飯盛りよりも夜の給仕の方が給金が高いという理由であった。
だが何気にこの酒場の仕事が踊り子への近道であった。
踊れる給仕がいる酒場としてアリョーナの酒場は人気になっていった。
気が付けばアリョーナ目当てに酒場は連日超満員となった。
その時のお客の一人がマイオリーだったりしている。
だが、ある日突然酒場の主人が急死する。
店からの帰り道に暴漢に襲われたということであった。
不可解な事に公安は犯人不明とわずか半日で調査を打ち切った。
アリョーナたち給仕は各酒場で取り合いとなった。
この頃には、店の噂を聞きつけて給仕の多くは踊り子志望の娘ばかりだったのだ。
アリョーナを引き取ったのは食堂街組合の組合長ボフダン・カルポフカであった。
そこからアリョーナの人生は急転落していくことになる。
ある日、店から帰ると借りていた家が空き巣に入られていた。
金目の物は全て盗まれ踊り子の服まで綺麗に盗まれていた。
そのせいで家の大家と揉め追い出される羽目になってしまう。
カルポフカの提案で食堂街組合の経営する寮に入ることになった。
だがアリョーナが退室してから空き家状態だった、前に住んでいた部屋が出火。
アリョーナは放火犯として公安に逮捕されることになってしまった。
アリョーナは知らぬ存ぜぬを通したのだが、裁判で弁済を課せられることになってしまう。
空き巣に入られたアリョーナに金などあるはずもなく。
カルポフカが借金を肩代わりしてくれるということになった。
だがカルポフカは借金を肩代わりしたのではなく、悪徳高利貸しチェレピンから借りただけだったのだ。
結局、アリョーナは奴隷商に売られることになった。
ところがアリョーナは器量だけは抜群である。
薬漬けにされることはなく、すぐに購入されることになった。
その購入先というのが竜産協会の支部長セルジー・スコーディルだった――
アリサたちは、マイオリーたちを引き連れて再度工員宿舎へと向かった。
工員宿舎には入口が三つある。
正面は先ほどマイオリーが頭の固い門番に追い払われた入口。
他二つのうち一つは建設事務所で、もう一つは工員たちの宿舎である。
初期の工員宿舎は非常に手狭で、現在そこは街の首脳部の執務室、会議室、貴賓の応接室として利用している。
だが、恐らく現在マイオリーたちが必要としているのはそこではないだろう。
アリサは先に宿舎の方に行き、リヴネの妻オリガに空いている部屋が無いか尋ねた。
オリガは机から管理台帳を取り出すと、パラパラとめくり、先日バルタさんの家が完成して引っ越したのでそちらはどうかと案内した。
それなりに良い部屋を貰っていたのでお勧めということであった。
マイオリーは自分たちは夫婦ではないからと言ったのだが、アリョーナがそこが良いと言い出した。
そう言われてしまうとマイオリーも朴念仁ではない為、照れて何も言えなくなってしまったのだった。
案内された部屋に荷物を置くと、二人はドラガンに挨拶に向かうことになった。
「ヤコルダさん、お勤めご苦労様。ドラガンは中にいるかしら?」
アリサがヤコルダに優しく尋ねると、ヤコルダは背筋を伸ばし執務室におられますと報告した。
ありがとうと礼を述べると、アリサはマイオリーたちに建物に入るように促した。
まだ憤りが抑えられないマイオリーはヤコルダを睨んだのだが、ヤコルダの方は気にも止めていないという感じであった。
――サファグンの族長屋敷の門番だったボイコ・ヤコルダは一度ドラガンたちを追い返して牢に繋がれている。
だが後日ドラガンが謝罪し族長を責めた事で族長は考えを改めヤコルダを重宝するようになった。
ただその石頭な仕事ぶりは相変わらずで、来客の怒りはヴラディチャスカ族長や家宰のエルホヴォに向けられていた。
ヤコルダも自分の信念と耳にする族長たちへの苦情でずっと思い悩んでいた。
つい先日の話である。
ヤコルダはエルホヴォに呼び出されることになった。
エルホヴォはヤコルダに、少し相談があるとプリモシュテンの話をした。
族長もお前を手放すのは忍びないと感じてはいるのだが、一方でお前がドラガン・カーリクに恩義を感じているのも知っている。
もしプリモシュテンに行く気があるならば、サファグンと彼らとの橋渡しとして、お前を派遣しようと思うと族長が言ってるのだが、お前はどう考えるのか?
自分がお役に立てるなら。
ヤコルダは二つ返事でプリモシュテン行きを決断したのだった――
アリサはマイオリーたちをドラガンの執務室に案内すると、ドラガンと一言二言会話をし執務室を出て行った。
「ようこそ、プリモシュテンへ。どうですか? あちこち作りかけの場所ばかりでまいっちゃうでしょ?」
ドラガンは二人を木のベンチへ座るように案内した。
いかにも急場で作りましたという拵えで、尻が痛くないように、座布団が三つ置かれている。
これも恐らく、ボロ服を利用した代物なのだろう。
物資不足が尋常じゃないとマイオリーは感じた。
「マイオリーさんは、ここで何かやりたい事って決まってたりしますか?」
そういうからには、何かやって欲しいことがあるのだろうとマイオリーは感じた。
家づくりなどは趣味じゃないので、できれば農業の方だろうかと漠然と思っていただけであった。
「実は物資不足が深刻なんですよ。今は船で定期便という感じで領府ジュヴァヴィから物資を輸送しているんですが、簡易ながら陸路の整備が終わったんです。マイオリーさん、行商隊の護衛をしてもらえませんか?」
道は作ったのだが、そこに敷いている石を地に埋めて轍を作っていかねばならない。
それは非常に時間のかかる作業で、竜車を何往復もさせる必要がある。
その為に、今の段階から行商隊を往復させたいというのがドラガンの意図であった。
「わかった。任せとけ。こう見えて俺は竜車の護衛には自信があるんだ」
マイオリーの冗談にドラガンは笑いを堪えきれず噴き出してしまった。
マイオリーもその顔を見て笑い出した。
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