西府ロハティン
第17話 準備
翌日からドラガンは万事屋に通うことになった。
カーリク家では、それまで家事をやってくれていたアリサがいなくなり、その分を母が行っている。
カーリク家は、御者以外に農場も共同経営しており、御者の仕事が無い時は農場で働いている。
本来であれば竜の世話はドラガンに任せたいところなのだが、竜がドラガンに懐かない。
その為、竜の世話も父セルゲイが行わないといけない。
そこでドラガンには午前中は農場で働いてもらうことにした。
ドラガンは運動神経は極悪なのだが若いので体力は余っている。
さらに集中力もずば抜けている。
摘果をお願いすれば完璧に摘果をこなすし、麦踏みをお願いすれば丁寧に麦踏みをする。
ただ一度何かに興味を持つとそれに集中し仕事はそっちのけになってしまう。
水路を開けてくれとドラガンに頼んだら、そこからドラガンは戻って来なくなってしまった。
何かあったのかもと焦って様子を見に行くと、ドラガンは水路に枯れ葉を流してじっと様子を見ていた。
アリサの苦労が偲ばれると農夫たちは笑い合った。
昼食を取ってからは万事屋に行き、護身の訓練が始まる。
ラスコッドは当初、スタンダードに剣が使えるようにドラガンを仕込もうとした。
ところがドラガンは両刃剣も片刃剣も全く使いこなせない。
両刃剣ではラスコッドがちょっと槍で弾くと、ドラガンは自分側の刃を簡単に顔にぶつけてしまう。
片刃刀では、懸命に振っているうちに刃が自分の方に向いてしまう。
実戦なら自分の剣で怪我をするという状況である。
次に槍を使わせることにした。
ところが、突こうと後ろに槍を引いた時に石突を地面に引っ掛け前につんのめった。
実戦であれば、地面に突っ伏したドラガンに武器を突き立てれば簡単に打ち取れてしまう。
結局、弓が一番無難という結論に落ち着いた。
ラスコッドは弓があまり得意ではなく、そこから指導は冒険者の一人ヘオリー・マイオリーが行うことになった。
マイオリーの得意な得物は弓と短剣で速射に定評がある。
マイオリーは矢を三本指に挟み、立て続けに的を射てみせた。
ドラガンは拍手し素直に凄いと感嘆したのだが、マイオリーは煽られたと感じたらしい。
的の前にドラガンを立たせ、齧っていたリンゴを頭上に掲げさせた。
「動くと死ぬことになるぞ」
マイオリーは狙いをリンゴに定めた。
だがマイオリーがニヤリと口元を歪めたのを見たラスコッドは、木の槍をマイオリーに投げつけた。
そのせいで矢は勢いを削がれ、りんごを大きく逸れドラガンの股の間を通って行った。
危ないだろとマイオリーはラスコッドに苦情を言った。
ドラガンの股の物が使い物にならなくなったらどうするんだと。
「あぶねえのはおめえだ! ドラガン坊に何かあったら承知せんぞ!」
マイオリーはちっと舌打ちするとドラガンを呼び寄せた。
ラスコッドは万事屋に戻り、主人に先ほどの出来事を話した。
万事屋の主人は、可能な限り立ち会うと言ってラスコッドを安心させた。
行商は、春夏秋冬、年に四度行われる。
キシュベール地区全体を九つの班に別けて、村々でまとまってキシュベール地区用の市場に向かう。
班は十日で交代となる。
なので十日の間に全てを売り切る必要がある。
ただ全てが売り切れるような事は無く、売れ残ったものは同じ市場の通年店舗に売却することになる。
通年店舗には、通常の販売額よりかなり安く、処分価格に近い値段で売却される。
それを通年店舗は手数料を含め季節店舗より割高で販売する。
だが通年店舗は商売が上手で、それでもほとんどの商品を売り切るのである。
西府ロハティンまでは片道三日。
市場の準備などで前後一日かかり、その後村人からの依頼品の購入をするのに一日二日かかる。
一度出発すると帰還するのはだいたい二十日後ということになる。
ロマン、セルゲイと共にドラガンも行商に行くことになった為、この二十日間アリサは、家に一人残されるイリーナの元に帰ることにしたらしい。
父の古い鞄にドラガンも自分の着替えを詰め込んでいった。
着替えを数点、下着も入れると鞄はパンパンになった。
そこにお気に入りの毛布を丸めて備えた。
さらに大事にしている短剣と、万事屋の主人が初仕事を祝して作ってくれた弓矢も置いた。
「ちょっとドラガン。あなたロハティンに移住でもするの? そんな大荷物で」
イリーナがドラガンの荷物を見て大笑いした。
さらにドラガンが枕を持ってくると、さすがに父が叱った。
「あのなあ、行商というのは旅なんだ。旅というのは、いかに少ない荷物で快適さを得られるかなんだぞ」
そう言ってセルゲイは荷物を作る方針から教えた。
ところがドラガンは、この枕じゃないと寝れないと言い出した。
「嘘つけ! お前物作ってる途中でその辺で普通に寝るじゃねえか!」
ドラガンは口を尖らせ、そういう時もあるけどと口ごもった。
「そういう時を基本にするの!」
セルゲイは人差し指でドラガンの額を弾いた。
イリーナはこのやりとりが面白いらしく、お腹を抱えて笑っている。
「行商の間ってどこで寝るの?」
ドラガンの質問に、セルゲイは言ってなかったかと逆に尋ねた。
ドラガンは、ぶんぶんと横に顔を振っている。
移動中であれば途中の休憩所で他の村の連中と雑魚寝である。
ロハティンに着けば、それぞれの村の店舗に宿泊用の部屋があるのでそこで寝ることになる。
ただ部屋は四部屋しかないので父と同部屋ということになるだろう。
「え? そんな知らないおじさんたちと一緒に寝るの? 父さんもいびきがうるさいからなあ。僕寝れるのかなあ」
ドラガンが文句を言うとそれが嫌なら竜車で寝ろと、セルゲイは突き放すように言った。
ただし、竜車は布団も無く荷物の隙間で寝返りもうてず小さくなって寝なければならない。
冬は寒風が吹き込み極寒、夏は虫に刺されまくる。
寝心地は最悪。
ちなみに休憩所は布団もあり広々と寝れる。
虫よけの香も焚いてくれるし、冬には火鉢も置いてくれる。
ただしいびきの大合唱。
「嫌すぎる……」
ドラガンが父の説明にげんなりして大きくため息を付くと、嫌なら辞めるかと父は聞いた。
せっかく姉ちゃんと母さんがロマンさんに頼んでくれたのに、そんな事できるわけがない。
結局、毛布はなんとか許可されたが枕は許可されなかった。
他にも持っていきたいものがあったようだが、これ以上は靴下一本許さんと父に言われてしまったのだった。
翌日、竜車を広場に運び荷物の積み込みを行った。
荷物は、なるべく左右重さが同じになるように置かないと竜の負担になるし、車輪にも負担になってしまう。
その為セルゲイの指示で行われ、それをドワーフたちが手伝った。
その間ドラガンはロマンの付き人として積荷の内容確認と伝票の作成をしている。
さらに注文票を受け取り、それを一覧表にしていった。
木の箱に座り木の板に紙を挟みカリカリと書き込みをしていると、横からロマンに間違いを指摘された。
「ドラガンは勉強できないと聞いていたけど字は綺麗なんだな」
そう言ってロマンはドラガンの書いた書類に目を通している。
字が綺麗というのはアリサもよく褒めてくれる。
だが、いつもちっとも褒められた気がしない。
何故なら先ほどのロマンもそうであるが、字が綺麗の前に必ず『勉強できないわりに』と付けられるからである。
それを聞いたロマンは、普段のアリサの接し方が目に浮かぶようで大笑いした。
読み書き算術ができれば、他の勉強なんて困りはしない。
それ以上に、学校で教わらない仕事で新たに覚えるようなことがたくさんある。
これから一つ一つ覚えていけば良いからと、ロマンはドラガンを優しく慰めた。
ドラガンが算術が苦手と拗ねた顔をすると、ロマンはドラガンの肩に手を置いた。
「算術なんて慣れだよ、慣れ。寝てても数字が目に浮かぶくらい叩きこんでやるから安心しろ」
……どこをどう安心しろと?
ドラガンが顔を引きつらせると、ロマンは肩を叩いて笑い出した。
算術は行商の基本だから苦手で許される事ではないから仕方ない。
ロマンは優しく微笑みドラガンの頭を撫でた。
「ところでドラガン。万事屋さんからちゃんと護身術は習ったのか?」
ロマンは書類をトントンを揃えている。
「習ったというか……なんと言うか……」
ドラガンは、ごにょごにょと口ごもった。
「どっちなんだよ。商売ではそんな曖昧な態度は許されないぞ?」
ロマンは眉をひそめドラガンを叱った。
するとドラガンは泣き出しそうな顔をした。
「何かあったら物陰に隠れてじっとしてろって言われた……」
ロマンはじっとドラガンの顔を見つめた。
「確かにそれは護身とは言わんな……」
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