第5話 ラルガ
ドラガンの何だかよくわからない設計図を見たラルガは胸躍った。
ラルガは以前、ユローヴェ辺境伯領で辺境伯直属の研究所で真珠の養殖について研究していた研究員である。
――ラルガは父を幼くして海難事故で失い、母と姉の手で育てられた。
村でもそれなりに将来を嘱望された子であった。
学校を卒業する時にロハティンの学府に行ってはどうかと打診された。
ただしある程度で帰って来て医師か教師になって欲しいと。
だがラルガはそのどちらにも魅力を感じていなかった。
そんなラルガが就いた職は真珠養殖の研究員だった。
ラルガが研究所に入った時、研究所は研究の仕方そのものを誰も知らないという有様で、記録も満足に付けていなかった。
ただ人が集められ、闇雲にあれやこれや試し、予算を食い潰しているという状態であった。
ラルガは最初こそこんなではいけないと情熱を
定期的に執事が来て小言を言う。
それをネルシャイ所長がのらりくらりとかわす。
翌日からは、また同じように雑談の中で出た案を試してみる。
結果は一月後だと笑い合うのである。
ある日そんな緩い日常が一変する。
ドラガンたちが反乱の首謀者としてユローヴェ辺境伯の屋敷に蟄居になったのである。
そこでザレシエという者がやってきた。
ザレシエの方針は実にわかりやすかった。
研究とはこうやるものだという大きな方針を示し、きっちりと理論を整理していけと諭した。
実験、観察、推測、この三つを積み重ねていく事が研究というものだ。
ラルガはそれに大いに賛同した。
後から聞いた話によれば、ザレシエは以前ロハティンの学府で研究者をしていたのだそうだ。
たった三か月。
その三か月で研究所は大きく変わった。
陰でごく潰しと揶揄されていた研究所は、にわかに活気づいた。
毎日のように突飛なアイデアが出て、それを研究の内容に組み込んでいく。
明らかに皆の意欲と目つきが変わった。
ザレシエたちが去った後も研究所の情熱は消えなかった。
消えないどころか、さらに燃え上がった。
そして一年後、ついに最初の養殖真珠が出来上がったのだった。
ところが、真珠が出来上がってから研究所の雰囲気はかなり悪くなってしまった。
真珠の養殖はできたのだから別の物を研究すべきという意見と、より大粒で綺麗な真珠が作れるように研究を続けようという意見に別れてしまった。
研究所内の意見が真っ二つに別れてしまい、その対立でネルシャイ所長も頭を抱える事態となってしまったのだった。
ユローヴェ辺境伯にも相談したのだが、真珠養殖の技術さえ失われなければそれで良いという態度で、予算はつけるから後は研究所で考えてくれという感じであった。
結局ネルシャイ所長は研究所を二つに別け、半数は真珠養殖の研究を、もう半分は別の研究を行うことになった。
だがそれは後々から考えれば最悪の手だった。
その結果、研究所内で激しい対立が生まれてしまったのだった。
真珠養殖の班は別の研究の班を何も成果を生まないごく潰しと蔑み、別の研究の班は真珠養殖の班を既存の研究に固執する頭の固い愚か者と蔑むようになった。
研究所から一人また一人と人が減って行った。
ネルシャイ所長が責任を取って辞任すると言い出すとやっと研究者たちは自分たちの愚かさに気が付いた。
新たな真珠の研究をしよう。
白い真珠じゃない別の色の真珠を作り出そう。
そういう雰囲気で研究所がまとまった時には、もう研究員は半数にまで減っていたのだった。
そんな時であった。
研究所にプリモシュテン市の噂が舞い込んできたのは。
多くの者はあの時の人たちの街かという程度の反応だったが、ラルガだけはその内容に心が躍った。
既にあの頃の情熱が失せていたラルガは、ネルシャイ所長にプリモシュテンに行きたいと申し出たのだった――
ラルガは研究者であり、ドラガンの図面を見て説明を受けると、これが何なのかという事をおぼろげながら理解した。
お湯を沸かす時に出る湯気を使って風車を回す。
そんな突飛な案を形にするドラガンをラルガは憧憬の目で見た。
「どう思う? 何とかなると思う?」
不安そうな顔をするドラガンに、ラルガはクスリと笑った。
「何とかなるかどうかじゃなく、その案を何とかするのが研究ですよ。小さな事から試してみようじゃないですか」
翌日からドラガンとラルガは、まずは比較的成型が容易な陶器で試してみようと窯元に言って陶器を焼いてもらった。
製品ならば鉄で作るべきだが、研究であれば陶器で十分というのがラルガの意見であった。
急須のような形で蓋が無く、細く長い注ぎ口が二つ、そんな陶器の瓶を作ってもらった。
窯元の話だと形状的に内部に熱が籠り割れる可能性が非常に高いから、いくつか穴を開けた方が良い。
それでも割れるだろうから、いくつか作った方が良いとの事だった。
窯元が憂慮したように初回の陶器は全滅であった。
そこから改良を重ね、やっと試作品ができた。
吹き出し口から水を入れ、焼く時に熱を逃がために開けた穴を塞ぎ、陶器の瓶を熱していく。
片方の注ぎ口を水に浸し、吹き出し口に風車を当てると見事に風車はくるくると回った。
ここまでは二人もそこまでは驚きはしない。
問題はこれがどの程度の力を生むかである。
翌日、ドラガンたちは木の板で水車を作り始めた。
水車が川の流れで回るように、この急須の湯気で水車が回れば、やりようによっては荷車を動かせるかもしれない。
大きさを変えていくつか試してみようという事になり、二人で何日もかけて作り続けた。
その間、窯元には大きさの異なる瓶を作ってもらっていた。
ドラガンとラルガの二人が工作と実験に励んでいる頃、ザレシエとポーレは報復部隊の編制に勤しんでいた。
真っ先に手を挙げたのはチェレモシュネとタロヴァヤであった。
二人は元々山賊の頭領と副頭領である。
この一件の直近の発端が元山賊が竜産協会の営業と揉めた事だと感じていた。
それと二人ともアリサの斡旋で恋人ができ、チェレモシュネに至っては結婚までしている。
そんな大恩あるアリサが惨殺されたという事が許せないというのが最も大きな理由であった。
残り二名ほどと探していた所に手を挙げたのはアルテムとアテニツァであった。
アルテムはわかるがアテニツァが何でと二人は疑問を抱いた。
アテニツァは以前クレピーというヴァーレンダー公の執事と一緒にエモーナ村にやってきた際、わずか一日でホームシックにかかった。
アルシュタから出た事が無かったアテニツァにとってエモーナ村はあまりにも異界であったのだった。
そんな時に仲間の女性たちを呼んで飲んで騒ぎましょうと言ってくれたのがアリサであった。
そのおかげで、そこからは楽しく過ごすことができたといういきさつがある。
エモーナ村を離れる時、アリサからドラガンをよろしくねと言われた事は未だに忘れていない。
プリモシュテン市に来てからも何かと気にかけてくれて、街の中ではトロルは少ないから寂しい思いをしていないかと聞かれた。
あの優しい笑顔を奪った奴らを絶対に許さない。
アテニツァは復讐を誓ったのだった。
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