【完結】抗竜記 ~発明少年、竜世界に抗う~

敷知遠江守

第一章 発端

キシュベール地区ベレメンド村

第1話 ドラガン

 『キンメリア大陸』という大陸がある。


 大陸というが大きな島と言われても多くの者は納得するほどの小さな大陸である。

その大陸の中央には『ベスメルチャ連峰』という東西に峻厳な山々が連なって横たわっている。


 そのベスメルチャ連峰に象徴的な大木があった。


 大木は、大陸西部からであればどこからでも見られるような、それくらい大きな木であった。

ある者はブナだと言い、ある者はカシだと言っていた。

幹の太さから樹齢は万年を超えていると噂される、そんな大木だった。


 いつしかその大木は大陸の御神木と言われるようになっていた。

まるで自分たちを見守ってくれているよう。

大木にはそんな安心感があった。


 ある日、百年に一度と言われる嵐が大陸を襲った。

嵐は各地に雷を落とし各所の木々を燃やしていった。


 嵐が収まり家から山を見た人々は愕然とした。

御神木たる大木が燃えて焼け落ちていたのだった。


 人々は口々に言い合った。


「何という不吉な……きっとこれから良くないことが起こるに違いない」



****



「こらドラガン。学校が長期休暇なんだからって、遊んでないで竜の世話でもしなさいよ」


 長い飴色の髪を白い布で束ねた若き女性が、腰に手を当て少年の前に仁王立ちになった。


 ドラガンと呼ばれた少年は床に紙を敷いて座り込み、手首くらいの太さの木を手にし、小刀で削っている。

女性はそれを遊んでいると感じたらしい。


「やだよ。シニー、僕の事馬鹿にするんだもん」


 ドラガンは口を尖らせ女性の方に体を向けた。


 ドラガンたちカーリク家は竜車の御者を家業にしてる。

ドラガンには学校を卒業したら父と一緒に御者してもらわないといけない。

竜が操れないと家業が継げない。

そのためには普段から竜に慣れ親しんでおく必要がある。


 アリサは腰に手を当てたままドラガンに説教を施した。


「だって……」


「だってじゃない!」


 女性は右足を踏み込んでダンと床を鳴らすと、怒っているという表情を作った。

ドラガンはびくりとし、女性の表情を見て萎縮し下唇を噛んだ。


 女性はその表情にかなり心を揺さぶられたらしい。

眉をひそめ困ったという表情に変えた。


「そんなに嫌なの?」


「シニーは姉ちゃんのいう事聞くから、姉ちゃんにはわからないんだよ」


 仕方ないな。

姉のアリサはため息をつくと、ドラガンの前にしゃがみ込んだ。


 先ほどと同じ話をもう一度、今度はかなり優しい口調で行った。

あなたもわかるでしょ?

そう優しく問いかけた。


「じゃあ別の仕事するもん……」


「そんなこと言わないで。私も一緒にシニーの世話してあげるから。ね?」


 姉に懇願され渋々。

そんな態度でドラガンは、アリサと二人で竜舎へと向かうことになった。



 家の玄関を出て右手、母屋から少し離れた場所に竜舎りゅうしゃはある。


 扉を開けると、竜糞の独特な香りが姉弟の鼻を突いた。

竜舎には三頭繋養けいようできるようになっているが、現在は一頭しか繋がれていない。


 元々は三頭繋がれていた。

だが数年前一頭が老衰で他界した。

一頭は両親が畑仕事に連れて行っている。


 現在竜舎に残っているのは、ドラガンが嫌っている『シニー』と名付けられた青毛の竜だけであった。


 『シニー』はドラガンを見ると、フンと鼻息を荒げた。

興奮しているという風ではなく、明らかに嫌っているという風な態度に見える。


 アリサは尻込みするドラガンを横目に、ずかずかと『シニー』に近づいて行く。

ドラガンを睨み鼻息荒く威嚇を繰り返す『シニー』の前に立ち、こらっと言って叱りつけた。


「ドラガンを威嚇しちゃダメじゃない! あなたにとっては兄弟みたいなものなのよ!」


 アリサの叱りにも聞く耳持たないという態度の『シニー』は、なおもドラガンを威嚇しカリカリと掻くように右前脚を前後に動かした。


 アリサはそんな『シニー』にカチンときたらしい。

おもむろに『シニー』の両角をがっしり掴んで無言で睨みつけた。


 『シニー』はその攻撃的な瞳に恐れをなしたようで、足踏みを止め大人しくした。


「良い子ね。ちゃんとわかってくれたのね」


 そう言ってアリサは『シニー』の首筋を撫で、頭に頭絡とうらくを付けると、竜舎から『シニー』を連れ出した。


 だが『シニー』もただ大人しくしたわけではなかった。

わざわざドラガンの前で糞をしていったのだった。



 アリサは『シニー』を竜舎横に繋ぐと、井戸に水を汲みに行った。


 その間ドラガンは、二つの竜房の寝藁を片付け土を撒いて糞と混ぜ、外の肥料置き場に移した。

竜舎の奥から新しい藁を抱えてきて敷き詰める。


 幼い頃から父に教わりやってきただけあって、ピッチフォークの使い方も慣れたものである。


 道具を片付けアリサの元に行くと、井戸から汲んだ水の入った桶を重そうに持って、よろよろと向かってくるのが見えた。


 ドラガンはブラシと柄杓を用意し、アリサの持ってきた水桶に入れ『シニー』を洗う準備をした。

だが、アリサは洗うのは自分がやるから、水をもう一杯汲んで来てとドラガンに頼んだ。


 ドラガンは空の水桶を持って、少し離れた場所にある近隣家々の共同井戸へ行き、釣瓶を落として水桶を引き上げ自分の水桶に注いだ。

井戸の蓋を閉じると水桶を両手で持ち、アリサの元へと向かった。



 アリサは鼻歌交じりに『シニー』の体に水をかけブラシで刷き取っている。

『シニー』も楽しそうにアリサの鼻歌に合わせ体をゆらゆらとさせ、気持ちよさそうな表情で目をトロンとさせている。


 それでもドラガンが来たことは匂いでわかったらしい。

だがこれ以上やるとアリサに怒られると感じたようで、シニーは大人しくしている。


 最後に二人で四本の脚と少し長い尻尾を水で洗うと、姉は『シニー』を竜舎へと戻した。




 アリサはドラガンと共に空の水桶を持って、もう一度井戸へと向かった。


 ドラガンが水を汲んでいる間、アリサは井戸の柱に括り付けていた紐を引っ張った。


 井戸は周辺の家六件で使用している。

井戸には風雨を避ける屋根が建てられている。

屋根は六本の柱で支えられ、それぞれの柱がどの家の柱かは決められている。

アリサは井戸水で冷すために、朝一で井戸に何かを沈めておいたらしい。


 若干几帳面なところのあるアリサは、わざわざ紐に自分の髪留めを付けていた。

引き上げると小さな黄色いものが二つ布で包まれていた。


 アリサは袋の縛りを解き、中にあった梨の一つをドラガンに差し出した。


「あそこの木陰で一緒に食べましょう」


 そう言うとアリサは、水を汲み終えたドラガンを誘って木陰に腰かけた。


 アリサとドラガンは、五つ歳が離れている。

そのせいか昔からこれといって喧嘩もせず、アリサはドラガンを可愛がり、ドラガンもアリサを慕ってきた。

可愛がったというより溺愛と言った方が正確かもしれない。


 もしかしたらアリサは、母親よりドラガンの世話を焼いてきたのかもしれない。

それくらい姉弟の仲は良かった。



「水桶を持って行って、餌をあげたら遊びに行っても良いわよ」


 アリサは井戸水で冷えた梨を齧りながらドラガンに言った。


 姉ちゃんはどうするのと尋ねると、アリサは夕飯の仕込みをすると言ってほほ笑んだ。

ドラガンには遊んできて良いと言いながら、自分は家事の続きをすると言う。

そんなアリサに、ドラガンもさすがに引け目を感じたらしい。

自分も手伝うと言い出した。


「何? やけに素直じゃない」


「だって。竜の世話手伝ってもらったから……」


 少し照れて小声で言うドラガンに、アリサは何か胸の奥の方をくすぐられる感覚を覚え、思わず頬が緩む。


 人差し指でドラガンの額をつんと突いた。

どうも少し爪が伸びていたらしく、ドラガンは額を指でこすった。


 アリサはそんなドラガンを見てくすくす笑うと、さっき部屋で何を作っていたのか尋ねた。

先ほどの手首くらいの太さの木を思い出し、あれがいったい何になるのか、アリサには想像もできなかった。


「あれにね、先に小さな穴を開けるんだよ。で、棒で押し出すと水が噴き出すんだ」


 梨を齧りながらドラガンは答えた。


 あれが水突きになるのか。

ドワーフじゃないとそんなものは作れないとアリサは思っていた。


 今でこそ、毎日母親を手伝い家事ばかりしているが、アリサにだって当然少女時代はある。

野山で男の子たちに混ざって泥だらけになった時期があるのだ。

その中で水突きで水をかけられた経験だってある。


「この間ゾルタンの父さんに教えてもらったんだ。作れそうなら作ってみろって」


 だから今作ってみているんだよと言って、ドラガンはまた梨を齧った。


「ちゃんとできると良いね」


 アリサはにこりとほほ笑み大空を仰ぎ見た。



 ドラガンが梨を食べ終えるのを見てアリサは立ちあがった。


「お水温くなっちゃうから、竜舎に持っていきましょう」


 そう言うとお尻に付いた土埃を払い、足で地面を少し掘り梨の芯を埋め土を被せた。


 ドラガンも姉の真似をして、二人で水桶を竜舎へと運んだ。

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