第9話 計画

 ホロデッツの案は、作業には時間がかかり、さらに材料の調達にベルベシュティ地区に行く必要がるので、まずは一旦エモーナ村に戻ろうと思うという話に持っていこうというものだった。

ただ正直言って、そんな浅知恵は彼らには通用しないだろうなとドラガンは思っていた。


 沼地から水を抜くことは可能ではある。

そう言った段階でヴァーレンダー公と家宰ロヴィーが椅子から立ち上がった。

ただ、その為にはベルベシュティ地区に自生している竹が大量に必要という話をすると、ヴァーレンダー公は首をかしげた。


 『竹』とは何か?


 聞いた事があると言って、ロヴィーがヴァーレンダー公に説明した。

残念ながらベスメルチャ連峰の西端、ベルベシュティ地区にしか自生していない植物であると。


「つまり、その『竹』という植物が沼から水を抜いてくれるというのか」


「私がベルベシュティ地区でやっていた時には、水が排出されるところまでは確認できています」


 ドラガンの発言にヴァーレンダー公とロヴィーは顔を見合わせ喜色を露わにした。


「して、それ以降は?」


「残念ながら情勢が悪化し、ベルベシュティ地区を離れなくてはいけなくなってしまって……」


「くそっ、奴らのせいで大事なところが!」


 我々が竹を買い付けに行ってきます、ドラガンがそう進言しようとした時だった。

ロヴィーがそれを遮った。

アルシュタの長年の悩みが解消するかもしれないとあって、ロヴィーは完全に興奮している。

すぐにセイレーンを一団で飛ばし竹を買い付けにいかせましょうと、身を乗り出してドラガンより先に進言してしまったのだった。

ヴァーレンダー公も大喜びで何度も頷き、そちらは任せるとロヴィーに命じた。


 ホロデッツの浅い目論見はあっさりと崩れ去ってしまった。



 ロヴィーは執事に命じ、港湾施設で倉庫整理を行っている体力のあるセイレーンを借りあげた。


 セイレーンはこの街では地位が低い。

理由は単純で、アルシュタで教育を受けた人間たちに比べると平均して教育の質が低いからである。

アルシュタにもロハティンのように学府はあるのだが、そこに通うセイレーンはほとんどいない。

そのせいで、どうしても肉体労働が仕事の基本になってしまう。


 それでも速く飛び続けられるセイレーンは重宝され、飛脚や軍の偵察部隊といった高給の仕事にありつけられる。

だがそうでない者は、港湾での倉庫整理や建築での高所作業の仕事に就く者が多い。


 空を飛べるといっても、そこはどこまでいっても人力である。

物を持って飛ぶには重さには限界があり、そこまで重い物は持っては飛べない。

最初は両手で抱えられる小箱ですら運搬に一苦労である。

だが、複数人で荷物を持って高所に荷物を積ぶという作業を繰り返す事によって、徐々に翼に筋肉が付いたり、翼の上手な使い方を体得したりして、速く飛ぶ事ができるようになる。


 体力がつき速く飛べるようになってくると、倉庫から各商店に荷物を運ぶ仕事に移る者が多い。

そうなると多くの者の目に止まる事になる。

性格が真面目、飛行が速い、遠くの輸送をよく行っているなど、色々なところを見られる事になる。

そうして最終目標である都市間郵便や、総督府や軍からの契約を待つのである。


 つまり、ある意味で高所作業というのはセイレーンたちにとっては人生設計の第一歩なのである。

多くのセイレーンが次のステップを夢見て仕事に精を出している。


 本来は、高所作業というのは仕事を始めたばかりの若年セイレーンが就く仕事である。

ところが中には高所作業の仕事が性に合ってきて、ただ筋肉を付けるのが趣味になっているセイレーンがいる。

給料に上限はあるものの、そういうセイレーンは周囲の者より圧倒的に高給取りだったりもする。

ただしそうした者は、力はあるが体が重く長くは飛べない。


 だが今回の任務に適したのはそういった者とロヴィーは考えたらしい。



 あれからプラマンタは軍を退役した。

それまでの海難救助の仕事を外れヴァーレンダー公の屋敷に執事として仕える事になった。

ロヴィーから任務の内容を聞くと、プラマンタはお任せくださいと胸を叩いた。

プラマンタは細剣を腰に吊るし、八人のマッチョなセイレーンを率いてベルベシュティ地区へと飛んで行った。




 一方のドラガンは、ヴァーレンダー公に工事の内容を説明した。

思った以上の大工事だとヴァーレンダー公は感じたらしい。


 まず抜いた泥水を海に流す排水路を掘る必要がある。

これについては街まで引いてくれば生活排水の下水路があり、それに接続すればよい。

ただ、そこまでそれなりに長い排水路を掘って来なくてはならない。


 沼地は、一旦水を抜いてもどこからともなく水が入り込んでくる。

その為常に水を抜き続けなければならない。

さらに毒蟲が卵を産んでいたりしている。

ある程度水が抜け土地が渇いたところで火を焚く必要があると考えられる。

それ用の大量の落ち葉が必要という事である。


 さらに、広大な沼地の場合は区画をいくつかに区切り、小さな区画にしてから排水をしていかねばならない。

これが極めて困難な土木作業になる。

そもそも底なし沼の区画を区切る事はほぼ不可能と推測する。

その為、周囲の沼から徐々に徐々に中心に向かって順々に水を抜いていかねばならない。

底なし沼の周囲にはどこかに水の流入場所や湧水場所があるはずで、そこを見つけだし切り離す必要もある。


「ある程度目途がついたらトロルたちにやらせば良いと簡単に思っていたが、そこまで行くのにかなり時間がかかりそうだな」


「あれ? 軍が屯田地として運営する予定では無かったのですか?」


「もちろん、最終的にはそうするつもりだ。だが、できる事なら低所得者たちを多く雇ってあげたいと思っているのだよ」


 キンメリア大陸南東ルガフシーナ地区に住む亜人トロルは、人間よりも体が大きく、力もあり体力もある。

冒険者としても有能なのだが、いかんせん知能に劣る者が多い。

中には当然知能の高いトロルもいる。

だがセイレーン同様、独自の教育を施す関係で人間よりも程度の低い教育しか受けられず、相対的に学力の差が顕著になってしまうのだ。


 そのせいでセイレーン同様倉庫整理などの賃金の安い仕事に従事する者が多い。

それでいて根が正直者だから悪い人間に騙されたりして身を崩す者が多い。

気が付くとならず者になっている者も多い。

それが現在社会問題にまでなってしまっている。


 移民が多くなるとどうしても種族間の違いで社会問題になりやすい。

それをどう治めていくかは統治者の腕の見せ所ではある。

だがその匙加減は本当に難しいのだ。


 私も日々対策を考えてはいるのだがと、ヴァーレンダー公は力無く笑った。




 竹が到着するまでドラガンは、毎日夕飯はヴァーレンダー公とロヴィーと同席であった。

ホロデッツたちも同席しているのだが、部屋に帰ると毎回食べた気がしないとぼやいている。

あんな堅苦しい話をしながら、よく飯が食えるもんだとリヴネとペニャッキは言い合っている。


 そんなある日、ついにドラガンは、ヴァーレンダー公に帰郷の話を切り出したのだった。


「ところで、我々の無事というのは村の方には情報としていっているのでしょうか?」


「マーリナ侯に一報を入れておるよ。そこからユローヴェ辺境伯かドゥブノ辺境伯経由で、村の方にも連絡がいっていると思う」


「できればその……一度村に帰り、元気な顔を見せたいと思うのですが」


 ヴァーレンダー公の表情が、それまでのニコニコしたものから少し険しい表情に変わった。

何度も小さくため息をつき、かける言葉を探している。


「沼の工事に私が必要という事ならば、一度村に帰った後、再度こちらに戻りますので」


 本心を言えば帰したくはない。

ヴァーレンダー公の顔にはそうはっきりと書いてあるかのようであった。


「その……なんだ。こちらに村の者を呼ぶことはできぬのか? 仕事も住まいも、何不自由無いように、全て確保させるが?」


「サモティノ地区の人たちは、私なんかの為に、身を挺して街道警備隊と戦ってくれました。彼らを捨てる事は今の私にはできません」


 そう言い切られてしまうと、さすがにヴァーレンダー公もそれ以上を無理強いする事はできなかった。

ただただ、大きくため息をついただけだった。


「実はエモーナ村に来てから、あの船の船長が私をずっと保護してくれていました。その船長が今回の件で亡くなってしまったのです。船も竜も失い船長の家族がどうしているのか非常に気掛かりなのです」


 ドラガンの言う事情は非常に納得ができる。

自分には『バハティ丸』の船長代理としての責務があると言いたいのであろう。


「そうか……たぶん他の三名も同じ心境なのであろうな」


 ヴァーレンダー公がホロデッツたちを眺め見ると、ホロデッツたちも渋い顔をして無言で頷いた。


「亡くなった船員も多数おります。彼らの遺族をどうするかという問題もあります。一度船が難破してしまうと、どうしてもその後は問題が山積になってしまうんです」


「それは、ドゥブノ辺境伯に任せる事はできないのかね?」


「船の問題は船主の問題ですので」


 ヴァーレンダー公は無言で何かをじっと考え込んでいた。

その間、ちらちらと何度もドラガンの顔を見ている。


「本当に村での調整が済んだら、また戻って来てもらえるのか?」


「殿下には命を救われたご恩がございますから。それに、沼地がどうなるのか興味もありますので。できれば僕が戻るまで一本でも多く竹を購入いただければ」


 ドラガンは殊更、戻って来た後の話をした。

そうする事で戻る意思はあるという事を示したのだった。


「向こうの整理にはどの程度かかる見込みなのだね?」


「それはわかりません。ですが、もし不安でしたら誰かを付けていただければ」


 そこまで言ってくれるならばと、ヴァーレンダー公は渋々という感じで承諾した。

排水には時間がかかるという事なので、竹が到着し一部の沼で実験的に排水の機構を取り付けてみた後の事にして欲しい。

随行は複数人を付ける。

送迎の船もアルシュタで用意する。

ヴァーレンダー公はロヴィーとあっという間にそこまでの段取りを取りまとめた。


 再度そなたが戻ってくる日を心待ちにしているとヴァーレンダー公は微笑んだのだった。

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