第10話 排水

 プラマンタたちセイレーンがベルベシュティ地区から竹を買い入れて戻って来た頃には、トロルたちによって沼地から街の排水路まで溝が掘られていた。

トロルたちはそれなりの給金が出るとあって街のあちこちから集まって来てくれて、スコップを手に毎日朝から夕方まで溝を掘り進んでくれた。



 キンメリア大陸は東西に長く、アルシュタからベルベシュティ地区までは非常に遠い。

買い付けのセイレーンたちは、途中、オスノヴァ侯領、マーリナ侯爵領、サモティノ地区と何度か休憩をとってきたらしい。

向こうでの買い付け交渉もあり、結局、到着までには半月がかかった。


 到着した竹はすぐに仮設で建てられた建設小屋に運ばれ、鉄の棒で中の節が取り除かれた。

さらに細い棒を熱し、左右に無数の小さい穴を開けていった。


 ドラガンは指示をするだけで、実際の作業はトロルたちが行ってくれている。

その中の一人の若者がかなりドラガンを気に入ったようで、作業が終わるとすぐにドラガンの下に来て、これで良いか見てくれとせがんできた。

その若者は名をボヤン・アテニツァといった。


 ドラガンは自分が弟であるせいか、妹や弟といった年齢の子たちに甘えられると嬉しくなる。

すぐにアテニツァのところに向かい、節に穴を開けると管の強度が落ちるからそこを避けるようにと指導した。


 アテニツァは昼休憩の時にドラガンを呼びに来て一緒に昼食を取ろうとせがんだ。

執事はアテニツァに、カーリクさんはお前のような者と食事を共になどしないと叱った。

ドラガンは執事のその物言いが非常に気に入らなかった。

翌日からドラガンは執事と食事を共にせず、トロルのところに行きわいわいと食事をとったのだった。


 その一件からその執事は、ドラガンにあまり良い感情を抱かなくなった。

家宰ロヴィーに些細な事を針小棒大に報告し讒言をした。

初日はヴァーレンダー公もロヴィーも信じてはいなかったが、さすがに二日、三日と続くと、多少疑惑を抱くようになってくる。

ヴァーレンダー公はロヴィーに、一度様子を見て来いと命じた。


 翌日ロヴィーは沼地へ出向き、その執事から説明を受けながら現場を見て周った。

カーリク殿の姿が見えないがどこに行っているのか、その質問に執事は苦々しいという顔をした。

トロルと共に泥だらけになって大喜びで作業をしているドラガンを指さした。

ドラガンだけでなくホロデッツたちも泥だらけだった。


 その姿にロヴィーは笑いが止まらなかった。

屋敷に戻ったロヴィーはヴァーレンダー公に、あの執事は配置換えにしましたとだけ伝えた。



 作業開始から数日して、新たに工事責任者となったユリヴという執事から、ひとまず作業が終わったので視察に来て欲しいと連絡が入った。

ヴァーレンダー公とロヴィーは、まだ作業開始から数日しか経っていないのだぞと言い合い、半信半疑で建築小屋へと向かった。


 ユリヴとドラガンに案内され、小さな沼に向かったヴァーレンダー公たちは首を傾げた。

ぱっと見た感じでは沼の周囲に木の板が打ち込まれているだけにしか見えなかったのだ。

よく見ると囲い板の外には深い溝が掘られ、そこに木で水路が作られ排水路に接続されている。

その木の水路に例の竹の先端の方だけが飛び出ており、そこからちょろちょろと紫色と緑色を混ぜたような沼の水が出ている。


「これはどうなっておるのだ?」


 ヴァーレンダー公は右に左にと首を傾げながらドラガンに尋ねた。


「よく食器を洗う時に『へちま』を使いますよね? あれって水滴に近づけると水を吸いこむんですよね」


「ああ、体を洗った後なんかによく見る光景だな。ちゃんと干しておかないと中々乾かなくてな、臭いが出る事があるのだ」


 キマリア王国の公爵ともあろうお方が随分と庶民的な事をいうものだと、ドラガンは何だか可笑しくなった。

ヴァーレンダー公はそんなドラガンの表情は気にも止めず沼地に釘付けとなっている。


「へちまみたいに穴がたくさん開いてると水を吸う力があるんだと思うんです。ならば穴の空いた棒を刺しこんだら同じように周囲の水を吸い取る事ができるんじゃないかって思ったんですよ」


「……何を言ってるのか、さっぱりわからんな」


 もう少し詳しくとヴァーレンダー公は説明を求めるのだが、ドラガンは発明家ではあるが学者ではない。

その為それ以上の説明ができなかった。

ようはこのまま放置すればここの沼からはどんどん水が抜けて行く。

水源を切り離して沼から水を抜き続ければ、沼は周囲と同じ硬い地面に戻るはず。

それがドラガンの説明であった。


「この木の囲いは何なのだ?」


「外から水が入って来ないようにです。完全には遮れないでしょうけど気休め程度ですね」


 この部分だけでも水が抜け切れば、囲いの一角を残して次の区画の水抜きに移れる。

地道な作業ではあるが、それを繰り返していく事で最終的にこの広大な沼地の水を全て抜く事ができる。


「この一角だけでどの程度かかるとみているのだ?」


「さあ? できればそれを毎日様子を見て観察記録を付けていただきたいのですが」


 ヴァーレンダー公が何かを指示しようとロヴィーを見ると、ロヴィーはしゃがみ込んで興味深げに毒水が流れ出ている竹をしげしげと観察していた。

噴き出しそうになるのをぐっと堪え、ヴァーレンダー公は大きく咳払いをした。

ロヴィーはそれにはっとなり、凄いですねと目を輝かせてヴァーレンダー公を見た。


 もしこの区画が上手くいけば、広大な毒沼が広がるこの辺一帯は巨大な農地に生まれ変わるであろうと、ヴァーレンダー公は嬉しそうに遥か向こうまで広がる毒の沼地を眺め見た。

そうなれば、ある程度食料を賄えるようになり税も軽くする事ができる。

税が軽くできれば市民の生活にも余裕ができる。

アルシュタの未来はこれが上手くいくか否かに関わっている。

この一帯が黄金の実りに、ヴァーレンダー公はそう呟くと何度も頷いた。




 その日の夜、送別会が開かれる事となった。

その中でヴァーレンダー公は、ドラガンに付ける随員を二人紹介した。

一人は、これまでずっとドラガンたちの身の回りの世話をしてきたクレピーという執事。

もう一人は、あのアテニツァというトロルだった。

当初はクレピー一人を付ける予定だったらしい。

だが急遽ロヴィーからこのトロルをと推薦を受けたらしい。


 アテニツァは生まれて初めての豪奢な食事に、どう食べて良いかすらわからず大苦戦している。

どうやら事前に執事たちから粗相の無いようにと散々に言い含められているらしい。

初めて着る正装にもなかなか慣れず、あちこちが気になるようだった。


 それを見たドラガンが、アテニツァが食べやすいように食べたら良いと微笑んだ。

せっかくの美味しい料理を食べ方にばかり気を取られ美味しく味わえなかったら作ってくれた人に申し訳ないだろう。

それを聞いたヴァーレンダー公はがははと笑い出し、アテニツァに、カーリクの言う通りだと指摘した。


 そこからアテニツァは、かなり行儀悪く料理を食べ始めた。

それを見たクレピーは、本当にこのトロルを連れて行くのですかと、眉をひそめながらロヴィーに尋ねた。

ロヴィーはアテニツァを見て、仲良くやるんだぞと言って大笑いした。

喧嘩したら誰が困るかをよく考えるように、クレピーとアテニツァ二人に忠告した。



 部屋に戻ったドラガンはホロデッツに、ヴァーレンダー公はともかくロヴィーはあまり僕たちを信用していないらしいと苦々しい顔で言った。

ホロデッツは意味がわからず、見知った人を付けてもらっただけじゃないかと、それがどうしたという態度であった。


「見知った者を付けたのは、彼らをアルシュタにちゃんと帰さねばならないと僕に思わせるためですよ」


 ドラガンの説明にホロデッツはそういう事かと驚愕の表情をした。


「情に訴えてアルシュタに連れ戻そうってのか。確かにお前さんはそういうのに弱そうだものな。あのロヴィーって家宰、やるなあ」


 伊達にこの大都市アルシュタを治める大貴族ヴァーレンダー公の家宰じゃないとドラガンはかなり不機嫌そうな顔をする。


「帰ったらポーレさんに相談ですね」


「相談って何を? 別にアルシュタに沼地の様子見に戻ってくるだけじゃねえのか?」


「そうしたら、今度こそあれやこれやされて、二度とあの村には戻れなくなりますよ」


 ドラガンの言葉にホロデッツは首を傾げた。

その態度にドラガンは、自分は何かおかしな事を言っただろうかと疑問を抱いた。


「こんな事を言うと気分を害すかもしれんが、お前さんの身の安全の為には、ここに住み着くというのは、かなりアリだと俺は思うんだがなあ」


「確かに僕も、それは考えなくは無いんですけどね」


 ドラガンの最大の望みは安住の地で安らかに暮らす事である。

そういう意味で言えば、強大な軍隊を有し大貴族の治めるアルシュタは恰好の地と思わなくもない。


「実はな、ここに来てからうちらは、あのクレピーという執事から何度もそう説得してもらえないかと頼まれてはいたんだよ」


 いつの間にそんな話をされていたのだろうと、ドラガンはかなり驚いている。

いつも一緒にいたような気がしたのに、本当にいつの間に。


「三人とも断ってたからな。俺たちは四人で村に帰ると約束してるからって言って。ただ、俺なりに考えてはみたんだよ。お前さんにとって村に戻る事にどんな利点があるんだろうってな」


「僕は普通に姉と姪に会いたいですけど?」


 ドラガンの希望をホロデッツは鼻で笑った。


「そんなの彼らが言うように、ここに連れてくれば良いだけの話だろ。デニスを説得できればそれで済む話じゃねえか。お前さんは俺たちと違ってあそこが生まれ故郷じゃないんだから」


 確かにホロデッツの指摘はその通りではある。

だが、それではいけないという気がドラガンはしているのだ。

理由がまだはっきりとはわかっていない。

ここまでアルシュタで生活してきて、このアルシュタは安住の地にはならないと直感で感じているのだった。


「村に戻っても、もう船は無い。仕事が無いって事だ。俺たちは知人に言って漁の仕事はいくらでもある。だけどお前さんはそうじゃない」


 ならばいっその事アルシュタに移住というのは悪い話ではない。

もちろん寂しくはなるが、成功して最後に村に戻って来てくれれば自分たちは満足だ。

ホロデッツ優しい顔をしてドラガンに微笑みかけた。


「そうですねえ。帰ったらその辺りも含めて姉ちゃんに相談しますよ」

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