第60話 来訪者たち
ザレシエたちが戻って一週間ほど後、ドラガンとラルガの研究はついに一つの転換点を迎えた。
湯を沸かし、その湯気の力でものを動かす。
そんな誰も想像していないものを、ついに二人は作り上げてしまったのだった。
最初は純粋に湯気を筒に送り込むだけの代物だった。
湯気が筒の中の筒を押し、中の筒に付けられた棒の先が車輪に付けられていて車輪が回る。
車輪は勢いで筒を押し返し、再度筒を引っ張る際に湯気が入り込んで勢いよく押し出す。
これを繰り返す事で車輪が回り続けるのである。
ある程度回ると勢いが付き、車輪はかなりの高速回転となる。
この最初の車輪にさらに大きな車輪を回させて船を動かせないか。
それを実験し続けていた。
船の後方に回転ドラムを設置し水車を回す要領でドラムを回せば船が進んでくれたりしないだろうか?
そう考えて船に湯沸かし器を取り付けてみた。
確かにドラムは回る。
推進も得られる。
だが、はっきり言って実用に耐えられる代物では無かった。
回転が遅いし力も弱いのだ。
力の弱さを克服するのは簡単である。
釜を大きくして湯をじゃんじゃん沸かせば良い。
湯気を送る筒を二つに増やせば、湯気が多すぎて筒が破裂したりもしないだろう。
問題は回転の速度の方。
車輪の大きさを小さくすれば、当然車輪は高速で回る。
だが、それだと後方のドラムも小さくなってしまう。
ある時、ドラガンとラルガは同時にヒントを得た。
ドラガンはベアトリスの所に遊びに行って、ラルガは学校に子供たちの様子を見にいって。
ドラガンが見たのはベアトリスがラズヴァンをあやすために作った『紙車』。
ラルガが見たのは棒の引っ張りっこで遊ぶ子供たち。
ドラガンはラルガに、海の中で『紙車』を回せば小さな力でも推進力になるかもとラルガに提案した。
一方のラルガは、筒の中の筒を両側から交互に押せばもっと力強く車輪が回転するのではないかと提案した。
そこから数日、ドラガンとラルガはああでもないこうでもないと言い合って、寝食も忘れて設計図の描画に夢中になった。
エレオノラが毎日工房に入り浸って遊んでいたのだが、ドラガンがちっとも構ってくれなくて、つまらなそうな顔をしていた。
ゲデルレー兄弟は、その描き終えた設計図を見て心を躍らせた。
弟のリハールドは、暫く休み無しだと張り切って工房に向かった。
兄のバルナバーシュは、ドラガンたちを見て嬉しそうな顔で拳を握りしめた。
「こっちは俺たちに任せて、船ん方ん準備ばお願いします」
ロハティンの陥落から、大陸の情勢が少し落ち着いた。
それはどうやら多くの人が実感している事らしい。
西街道に徐々に人の往来が戻って来た。
プリモシュテン市を横切る北街道も日に日に利用する人が増えていく。
そんな中、プリモシュテン市に大量の移民がやってきた。
人間とエルフの集団――全員元ジャームベック村の人たちである。
先頭の女性が、細長い耳をぴょこぴょこと上下させて興味深げに街を見ている。
父親の手を引き、あちこち指差して大はしゃぎしている。
その女性が赤ちゃんをあやしているベアトリスを見つけ、荷物をを父に預けて駆けて行った。
「ベアトリス姉ちゃん! お久しぶりです!」
ベアトリスは目の前のエルフの女性が誰かちっともわからなかった。
綺麗な長い黒髪を丁寧に編み込んでいて、白を基調としたワンピースに身を包み、薄い緑の外套を羽織っている。
ここまでの旅程で少しワンピースの裾が汚れてしまっている。
背は少し低め。
悔しいが自分よりもかなり胸が大きい。
顔も非常に整っていて、エルフにしては目が大きい。
はて、こんな女性、知り合いにいただろうか?
「ええ? もしかして姉ちゃん、私のこと忘れてもうたん? 酷いなあ。材木屋のダニエラですよ」
あまりの衝撃的な出来事にベアトリスは思わず抱いていたラズヴァンを落としそうになってしまった。
まさかあの泣き虫ダニエラがこんな清楚な美人に育っただなんて……
そこからダニエラはベアトリスに連れられて工員宿舎へと向かった。
同じく移住希望のダニエラの両親や、コウト、エニサラ、ザレシエの両親、他何人かのエルフたちも引き連れて。
その途中ダニエラはベアトリスにここまでの事を色々と話した。
――ダニエラは村が無くなるあの一件の後から、ずっと両親にドラガンの所に行きたいと言い続けていたのだそうだ。
だがダニエラの父ヨヌツは頑として首を縦に振らなかった。
学生なんだから余計な事を考えず勉強をしなさいと頭ごなしに怒られダニエラは拗ねた。
だが実際の所、自分一人でドラガンのいるサモティノ地区の何とかという村までは行ける気がしない。
悶々としながらも学生生活を送るしか無かった。
昨年の秋、ダニエラはヨヌツに学校を出たらプリモシュテン市に行くと宣言した。
旧ジャームベック村のエルフたちは日に日に住みづらくなっている。
吸収された側だからと肩身の狭い思いをさせられている。
そんな村に住み続けるくらいなら、ドラガンのいる街に私は行く。
人間たちはそこまでではないようだが、エルフ側では旧ジャームベック村の者たちは職を奪われ、かなり肩身の狭い思いを強いられていた。
それはヨヌツも感じていた事であった。
ある日酒場で、ヨヌツはロベアスカに村を出ようと思っていると相談した。
マチシェニのように材木屋は他のエルフに譲って、自分たちはカーリクさんのいる街に移住しようと思うと。
するとロベアスカは意外な事を言い出した。
「あの街への移住希望はお前たちだけと違う。そのうち正式に募るから、それまで我慢せい」
その日を境に、ダニエラは学校でもしきりに卒業したらプリモシュテン市に行くと公言した。
学校の先生はそんなダニエラに、プリモシュテン市は今建設途上の街だと聞くが、そこに行って何をしたいんだとたずねた。
最初はドラガンのお嫁さんになると夢見がちな事を言って先生を呆れさせていたのだが、次第にその『やりたいこと』は具体的になっていき、最終的には『ドラガンのように生活の役にたつものを発明したい』と言うようになった。
だとしたら村にいる間、ドラガンの作った水汲み器、水路、製粉小屋を徹底的に研究したら良いと先生にアドバイスされた。
そこからダニエラは毎日のようにドラガンの作った物を観察した。
見れば見るほどよくできている。
構造は実にシンプル。
まずやりたい事、完成したらできるようになる事というのがはっきりと前面にあり、真っ直ぐそれを目指していて無駄が無い。
そしてその全ては身の回りにあるものを応用している。
知れば知るほどドラガンがいかに凄いかが実感できる。
早くドラガンに会いたい。
その気持ちだけが強くなっていった。
ロベアスカの募集に真っ先に手を挙げたのもダニエラたちブレテリン一家であった。
ところがいざ出発という日に大陸東部で大規模な戦闘が起きた。
どうやらプリモシュテン市も攻められたらしいという噂が流れてきた。
ダニエラは毎日のように村の小さな寺に行き水神アパ・プルーにドラガンたちの無事を祈った。
その甲斐あってか反乱は無事鎮圧された。
しかも劣勢だった王国軍の反撃の起点は、プリモシュテン市のドラガンたちの新兵器だという噂が流れてきた。
ダニエラは飛び上がらんばかりに喜んだ――
「もしかしてダニエラ? うわあ、暫く会わないうちに凄い美人になったね」
ダニエラはその声にポロリと涙を零した。
ドラガンが村を去ってから今日まで、この声をずっと聴きたかった。
あの一緒に水突きを作って頭を撫でられた日を思い出し、心の奥底から何かが凄い勢いで吹き出してくるのを感じる。
たまらずダニエラは駆け出し、ドラガンに抱き着いて泣き始めた。
ドラガンはあの時のように、泣いているダニエラの頭を優しく撫でた。
「大丈夫だよ。そんなに泣かなくても。よく来たねダニエラ。プリモシュテン市にようこそ」
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