第59話 帰還

 ポーレたちがプリモシュテン市を発ってからもう二月以上が経過している。


 ロハティンが陥落したという話は風の便りで聞こえてきてはいる。

だがポーレたちに関しては全く音沙汰が無い。

プリモシュテン市の中でも、もしかしたらという不吉な予感を口にする者が出始めている。



 一人残されたエレオノラはドラガンとレシアと共に過ごしている。

エレオノラの境遇は街の中の多くの者が知っている。

その為、エレオノラの顔を見ると街の人たちは殊更笑顔を作ってエレオノラに話しかけるようにしている。


 母アリサに似て社交的なエレオノラは、その都度愛想を振りまいている。

ドラガンからは暇なら研究室においでと誘われており、街の多くの人が立ち入りを許可されていない研究室にエレオノラは頻繁に遊びに出かけている。


 それでもやはり父が帰って来ないという寂しさは日に日に募っているらしく、夜中に急に泣き出してドラガンにしがみ付いたり、ドラガンが研究室に行こうとすると、行っちゃ嫌だと泣き出す事が増えてきている。




 ロハティン陥落から半月が過ぎたある日の事だった。

北街道を西から小さな子供たちを連れた一団がやってきた。


 ザレシエはプリモシュテン市が見えると、隣にいるヴェトリノに、ここが私たちの故郷プリモシュテン市だと紹介した。

そんな姿を見回りをしていた人物が目ざとく見つけ近寄って来た。


 その人物――フリスティナはヴェトリノを見ると、懐かしいと言って抱き着いた。

ヴェトリノも久しぶりと言って抱き着き返した。

子供たちもフリスティナお姉ちゃんだと言って大はしゃぎであった。


「随分遅くなってもうたな。子供たちの足に合わせてたもんやから、どうしても遅くなってもうて。疲れで途中体調崩す子もおってな」


 ザレシエは子供たちを引き連れ、工員宿舎に行く途中、フリスティナにそう説明した。

するとフリスティナは驚くことを口にした。


「え? 嘘やろ? うちらが最初なん? ポーレさんたちもチェレモシュネたちもまだ来てへんの? 嘘やん」


 正直、自分たちが圧倒的に最後だと思っていた。

きっとチェレモシュネたちが最初に着いていて、ザレシエたちは子供たちと一緒だからと報告してくれているものとばかり思っていた。


「皆、どこで油売っとんねん……」




 ザレシエが帰ったと報告を受けたドラガンは、煤まみれの顔で研究室から飛び出して来た。

ドラガンとしては、全員で一緒に帰って来るものとばかり思っていた。

ところが四人足りない。

特にポーレがいないというのは、ドラガンにとってはかなりショックであった。


 ザレシエたちだけでも帰って来てくれた。

それをこそ喜ぶべき、頭ではわかっているのだが、どうしてもそれが顔に出てしまっていた。

その精一杯作った笑顔でザレシエはドラガンの気持ちを察してしまった。


「パン。ポーレさんたちもちゃんと生きてますよ。ちょっとどっかで道草食ってるだけの話やと思いますから」


 ザレシエにそう慰められ、ドラガンはやっと自然な笑顔を見せた。


「そうだよね。あの四人だって待ってる人がいるって事くらい知ってるはずだもんね」


 そこまで言ったところで、ドラガンはザレシエの後ろで今にも騒ぎ出しそうな子供たちに目をやった。

中々に躾が行き届いているらしく、勝手に椅子に座り出した事はともかくとして、一番小さな子たちを椅子に座らせ、大きな子たちは床に座って、小さな子たちが騒ぎ出さないように面倒をみている。


 ザレシエがヴェトリノを紹介すると、ヴェトリノはお世話になりますと言って頭を下げた。

その後ヴェトリノの口から、日記の話、物語の話、学校の話が語られると、ドラガンは感激してヴェトリノの手を取った。


「その話、ぜひ、僕にも応援させてください。僕の知っている事は全て話します。だから必ず物語として完成させて、大陸中に売りに出しましょう!」


 ヴェトリノは恐縮して何かお手伝いしたいと言い出した。

子供たちの食事の話もあるからと。

もちろんこの街が子供たちの食事を無償で提供してくれているのは、ザレシエから説明を受けて知っている。

だがそれではヴェトリノの気が済まないのだ。


「じゃあ、こうしましょう。学校のお手伝いをしてください。先生たちもヴェトリノさんのような若くて美人の人がいると元気が出ると思いますので」


 そう言ってドラガンは笑い出した。

ネヴホディー先生はともかくザバリー先生はそんな事は無いのではとザレシエが指摘。

ネヴホディー先生が聞いたら怒るとアテニツァが笑い出すと、ドラガンも笑い出した。




 ヴェトリノたちは、ドラガン自らの案内で学校へと向かった。

ヴェトリノの紹介を受けると、真っ先にネヴホディーがヴェトリノの手を取った。


「あなたの事はロハティンで孤児院の子を教育していた頃に噂で聞いていましたよ。そうですか、まさかこんな綺麗なお嬢さんだったとはね」


 ヴェトリノも孤児院の名前を聞くと、じゃああの貧民街の熱血先生がお二人なんですかと憧憬の眼差しでネヴホディーたちを見た。


 正直、資金繰りが上手くいかず何度も挫けそうになった。

その都度、貧民街の先生たちの噂を耳にし、再度心を奮い立たせていた。

ヴェトリノにとって二人は心の師であった。


 孤児院が潰されたと聞いた日、実はヴェトリノは二人を訪ねて貧民街に行こうとしていたのだ。

もしよければ自分と一緒に学校をやってもらえないかと誘おうとしたのだ。

だがヴァーレンダー公たちがやってきて、街が大混乱となりそれどころでは無くなった。

ヴァーレンダー公たちが撤収した後で貧民街を訪れたのだが、もう既に二人はいなかった。


 プリモシュテン市に来て良かった。

ヴェトリノは心の底からそう思っている。

決して大きくない、雨露がしのげる程度という簡素な校舎。

広い校庭に見た事もない遊具。

校舎の隣には孤児院が建てられている。

食堂広場が隣接されている。


 まさにヴェトリノが理想とした学校がそこにある。

子供たちは両親のいる子もいない子も皆兄弟。

そして親となる人が二人の教師なのだ。

子供は繊細で心が満たされない事が多く、それを空腹という形で訴える。

そんな子供たちをケアするのが食堂広場で働く人たちなのだ。


「ネヴホディー先生、これで女の子たちの相談に乗って貰えますね。男性の我々には、なかなか女の子たちの考えがよくわかりませんでしたからね」


 ザバリーがそう言ってネヴホディーに笑いかけた。

するとすかさず女の子の学生が、先生たちはデリカシーが無くて困ると指摘した。


 ヴェトリノが学生たちに挨拶すると女の子の学生たちが、わっとヴェトリノを取り囲んだ。

男の子の学生はヴェトリノと一緒にやってきたサファグンの男の子たちを誘って、早速遊びに行ってしまった。


「さすがに子供たちは順応が早いですね」


 ドラガンはザバリーにそう言って微笑んだ。

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