第30話 麻薬

 早朝から憲兵隊があちこちを走り回っていて、街は異様な雰囲気を醸し出している。

競竜場では大きいレースがあるはずだったのだが突如閉鎖となっている。

市民たちの間では漏れ聞こえてくる話から、大変な事件が起こったらしいと噂で持ち切りとなっている。




 昼過ぎ、ヴァーレンダー公の妻アリーナはドラガンたちの様子を見に宿泊所へと向かった。

アリーナはごく普通の普段着であり、引き連れて来た二人の侍女も普段着に着替えさせている。

だが宿泊所の主人も、さすがにその女性が誰なのかは一目でわかった。

宿泊所の主人が腰を抜かしそうに驚いていると、侍女が、かしこまらず普通に接してくださいとお願いした。


 アリーナは宿泊所の主人に、誰かお話しできそうな方はいそうですかと尋ねた。

すると宿泊所の主人は、食堂へとアリーナを案内した。


 食堂ではレシアとベアトリスが座っていた。

二人とも少し焦燥しきった顔で温かい飲み物を飲んでぐったりとしている。


 二人はアリーナを見るとすぐに公爵妃だと気づき背筋を伸ばした。

そんな二人を見てアリーナはクスクスと笑い、お友だちに会いに来ましたよと言って屈託のない笑顔を向けた。

ただその笑顔も疲れ果てている二人の顔を前にすぐに雲った。

具合はどんな感じですかとアリーナが尋ねると、二人は顔を見合わせ小さくため息をついた。



 ベアトリスの話によると、今朝、宿泊所に戻ってきた三人だが全員まだ前後不覚の状況らしい。

ザレシエは頻繁に嘔吐を繰り返しているし、ドラガンは苦しそうにのたうち回っている。


 最も酷いのはペティアで、嘔吐もすれば、のたうち回りもするし、時折狂ったように奇声をあげて暴れる。

暫くすると気を失ってしまうのだが、すぐに起きてまた同じ事を繰り返している。


 ずっとアルディノが付き添っているのだが、早くもお互い限界という感じらしい。


 アリーナは医師は呼んだのかと尋ねた。


 医師は昼前にやってきている。

来る前に麻薬を大量に吸い込んだと聞かされていて、問診もそこそこに、精神安定の香を嗅がせ、薬湯を飲ませ、部屋を閉め切って湯を沸かし汗を出させろと指示していった。

特に女性の方は舌を噛まないように口に布を噛ませるようにとの事だった。


 どうやら憲兵隊から支援の要請があったようで医者も非常に忙しそうで、指示だけするとすぐに宿泊所を出て行ってしまったそうだ。

そこからはレシアがドラガンを、ベアトリスがザレシエを看病している。



 一通り話を聞き終えると、アリーナはまずペティアの様子を見にいく事にした。


 扉を開けると、爽やかな酸味を感じるような良い香りが鼻をくすぐる。

部屋は窓のカーテンが閉められ薄暗くされている。

布団の上にサファグンの女性が極めて薄着で寝ており、その隣にサファグンの男性が壁にもたれかけ眠っている。


 部屋の隅に火鉢が置かれていて湯が沸かされている。

よく見ると、女性サファグンの両手両足には帯状の赤い擦り傷がある。

恐らく枷をはめられていた痕なのだろう。

布団には、枕の横と腰のあたりに大きくシミが付いている。

錯乱し、嘔吐し、失禁までしているのだろう。


 思わず目を背けたくなる実に痛ましい光景である。


 すると突然ペティアが目を覚まし、ああ、ああと声を発し、布団の上をゴロゴロと転がり始める。

両脚をばたばたさせると、口に巻かれた布を噛み、ふうふうと荒く息をする。

その振動で目が覚めたのだろう。

アルディノがペティアの手を握り覆いかぶさって全力で体を押さえつける。


 ペティアもアルディノも力比べの状態になり顔が真っ赤である。

ベアトリスも部屋に入ってきて、ペティアの腰にしがみつく。

暫くその状況が続いたかと思うと、ペティアはとろんとした目をし、ふっと力を抜いた。


 それを見たベアトリスが、急いでペティアの口の布を外し、薬を自分の口に含み口移しでペティアに飲ませた。

ペティアは、うう、ううと声を発して涙を流している。

薬を飲み込んだのを確認するとベアトリスは顔を離した。


 ペティアはアルディノの顔が見えると酷く怯えた顔をし、ごめんなさいと連呼し始めた。

アルディノは聞いているのが辛くなり、口に布を噛ませ、何度も大丈夫だからと言って優しく頭を撫でる。


 この一連の行動で体力を使い果たしたのだろう。

ペティアは静かに眠ってしまった。


 ベアトリスはアリーナの方を見て、朝からずっとこの調子なんですと言って焦燥した顔をした。



 アリーナは侍女に、もう一度医師を呼ぶようにお願いした。


 医者が来るまでの間、アリーナも、ベアトリスやレシアと一緒にドラガンとザレシエの看病をした。

さすがにペティアの惨状を見るのはしんどかったらしい。

そちらはベアトリスとレシアにお願いした。


 侍女が医師を連れて戻って来るまで、何度もペティアの部屋から奇声が聞こえてきた。

その都度アリーナは顔を歪め、苦しそうな顔をし唇を強く噛んだ。


 これが自分が慈しんできたアルシュタの市民が客人に対して行った行為。

そう考えると涙が溢れそうになった。



 かなりの時間が経過し、やっと侍女が医師を連れて戻ってきた。

医師はアリーナの姿を見ると平服しようとした。

だがアリーナは、そんな事は良いからあの三人が一体どうなってしまっているのか教えて欲しいと懇願した。


 医師はアリーナをじっと見つめ、短く麻薬中毒ですと答えた。


 憲兵隊の詰所で聞こえてきた話によると、監禁部屋には強力な麻薬と媚薬が焚かれていたらしい。

ブシク軍令部総長は、何度かペティアの状況を見に来てはいたのだろうが、その時にはやはり口に当て布をしていたのだと思われる。


 憲兵隊の隊員も監禁部屋に入る時には匂いが不快と言って口に当て布を当てていたと聞く。

だがドラガンとザレシエは不快だとは思いながらも、当て布をせずに、ただただ焚かれたものを吸い続けていた。


 それほど長い時間吸っていたわけでも無い二人ですら、嘔吐をし苦しんでいるのである。

何時間も嗅ぎ続けたペティアは、かなり重度の中毒症状を発症していると思われる。


 今、彼らは変な幻覚を見ているのだと思う。

慣れてしまうとそれも心地良くなるものらしいが、今の彼らには不快そのものだろう。


 吸収された麻薬は汗や尿と共に徐々に体外に排出されると聞く。

だから今、湯を沸かしてもらい汗を出してもらっている。


 麻薬中毒に対する薬などというものは存在しない。

だが精神安定や導眠の薬はある。

今はそれを飲ませ、なるべく寝ている間に汗で麻薬を輩出させようとしている。



「じゃあ、数日もすれば!」


 アリーナは表情を明るくした。

ところが医師は、その言葉に表情を暗くした。


「彼らの本当の地獄はそこからです。薬がある程度抜けると、そこから拷問のような苦しみが体を襲うのだそうですよ」

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