第53話 連続失踪事件
アルテムは昼食を食べようと一人横貫通りの食堂街にある酒場『昇竜亭』へと向かった。
女性の給仕は五人。
どの娘もやせ細って疲れ切った顔をしている。
奥では恰幅の良い男が鼻歌交じりに料理を作っている。
紫紺の髪は短めで、額に特徴的な大きなほくろがある。
(あれがアリサさんを破滅に追いやったボフダン・カルポフカ……)
アルテムはそう思うとその場で斬り刻んでやりたいという衝動に駆られた。
だがザレシエから軽挙な行動は厳禁と口酸っぱく言われている。
七人の中でこの街の闇組織に顔が知られていないのはザレシエとアテニツァの二人だけである。
ただしアテニツァはロハティンには珍しいトロルで、ザレシエは武芸が少し劣る。
そうなると残り五人の中からという事になるのだが、マクレシュはトロルの上に前回の救出作戦で大暴れしていて論外。
恐らくはポーレも顔は知られていないはずだが、竜窃盗事件の容疑者ロマン・ペトローヴと瓜二つでありこれも論外。
チェレモシュネたちは捕虜として連行されているし、その上チェレモシュネとタロヴァヤはどう見ても胡散臭く論外。
そういう判断から消去法でアルテムが視察に来ているのである。
この周辺では行商が来なくなってから無期限休業している店が非常に多い。
通りのかなり東にあった『森の庵亭』という店など、休業してからどれだけ経つのか見当もつかないほどボロボロである。
開いているお店の中ではこの『昇竜亭』はかなり繁盛している方である。
そもそも他に比べて明らかに安い。
ヴェトリノは行商が来なくなってからロハティンの物価上昇が止まらないと言っていたが、どうやってこれだけ安く提供できるのだろう。
そんな事を考えていたら、給仕の一人がふらついて料理を零してしまった。
すると奥からカルポフカが出てきて激怒した。
給仕の女性がお腹が空いてしまってと泣きながら言い訳すると髪を掴み、こぼした料理に顔を押し付けた。
最後にこの分は給料から天引きだと言って店の奥へ下がって行った。
他の給仕もカルポフカの怒りを買うのを恐れその給仕には関わらないようにして、無言で零した料理を片付けた。
その日の夜、自分の店を閉め自宅に帰ろうとしている男がいた。
指には大きな宝石のついた指輪を何個もはめている。
目に特徴的な隈があり、そのせいか必要以上に悪人面に見える。
両脇に用心棒を従えている。
用心棒は、その人物をチェレピンと呼んだ。
『金貸しチェレピン』ことヴィクトル・チェレピンである。
「先日からベーチェが行方知れずらしいです。夜中にふと消えてしまったのだとか」
用心棒からの報告にチェレピンはふんと鼻を鳴らした。
「野良犬が一匹いなくなったところで何をそんな騒ぐことがある。仮にヴァーレンダー公が来た所でここの城壁はそうは簡単には崩せんよ。被害の多さに泣いて帰るのがオチさ」
チェレピンがそう言って顔をニヤつかせると、目の前から二人連れの男性がこちらに向かって歩いて来た。
用心棒は用心しチェレピンの両脇に近づく。
目の前の二人はチェレピンたちを避けるように左右に別れた。
同じ頃、『昇竜亭』から自宅に帰ろうとした男がいた。
年齢は五十代。
細身で豊かな赤錆色の口髭と顎髭が特徴的な人物である。
医師会長ウラジスラフ・シュペトフカその人である。
この街では医療費は街から補助金が出ていて僅かな銅銭で診てもらえる事になっている。
それは街の住人だけでなく、旅行者や行商など、ありとあらゆる人が分け隔てなく受けられる事になっている。
だがシュペトフカが医師会長になってから、街の外から来た者から高額の医療費を請求するようになった。
当然その分も補助金は請求し補助金分が儲けとなっている。
ドラガンとアリサの母イリーナは、この人物のせいで殺されたと言っても過言では無い。
ドラガンが許せないと言って名前をあげた人物の一人である。
シュペトフカは用心深く酒場を出た後も明るい路地ばかりを通った。
だが家の少し前の短い道だけが暗い。
そこにさしかかったシュペトフカは、そのまま姿を消してしまったのだった。
チェレピンとシュペトフカが行方不明になったという報をブロドゥイから聞いて、公安委員長ダニーロ・イレムニアは焦った。
すぐに総督府に駆けつけ家宰のヴィヴシアに報告。
ヴィヴシアは、チェレピンだけじゃなく公安の秘密調査員だったベーチェも行方不明になっている事を知ると、どうやら敵の工作員が入り込んでいるらしいと呟いた。
虱潰しに調査をしろ、そうイレムニアに命じたのだった。
その二日後の事であった。
そのイレムニアも行方不明になった。
公安委員長の失踪はさすがに洒落にならない。
公安だけでなく警察も必死になって捜索を行った。
ところが目撃者すらいない。
焦ったブロドゥイは部下を使って手あたり次第に怪しいやつらを捕まえて尋問していった。
だが解放された者たちが公安は
大聖堂の大神父トカチェフ・ブリャンカには日課がある。
それは自分の屋敷から少し離れたところにある自分専用の娼館に通う事である。
その娼館は奴隷商のキリーロ・バタリノエが経営している娼館の一室である。
表の顔は清貧を気取る聖職者、裏の顔は幼女に性的苦痛を与えて喜ぶ変質者。
それが大神父ブリャンカであった。
元々ロハティンには奴隷商が二人いた。
先のヴァーレンダー公たちの救出作戦で殺害された、表向きは宝石商だったオレクサンドル・ヤニフ、それとこのバタリノエ。
バタリノエの娼館は元々は孤児院であった。
ブリャンカに資金を断たれて潰されてしまった孤児院をバタリノエが綺麗にして娼館として使っているのだ。
同様にザバリー先生たちが世話になっていた孤児院も娼館に建て直されている。
孤児院が潰されたのはこの区画を一大娼館区にする為で、それを手助けしているのがブリャンカであったのだった。
ブリャンカはいつものように夜のお祈りが終わると大聖堂から抜け出し横貫通りを超えて娼館へと向かった。
いつも見る神父としての出で立ちでは無く極めてラフな格好で、しかも帽子も被っている為、市民は誰もブリャンカだとは気づかないらしい。
ブリャンカは娼館に来て少し違和感を覚えた。
いつも入口にいる客引きがいない。
一般用の娼館から通路を通ってその奥にブリャンカ用の娼館がある。
戸を開けたブリャンカはいつもの匂いがしていない事に気がついた。
バナナのような甘い匂いである。
だがブリャンカはバタリノエの部下が仕事をさぼったのだと感じたらしい。
少し気分を害しながら奥へと足を踏み入れた。
ところが幼女たちが誰もいない。
それどころか、そこには大柄な男が座っていた。
大柄な男はブリャンカを何度も何度も殴りつけ、ぐったりしたところを袋に詰め、堂々と娼館を出て行った。
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