第二章 逃避

第1話 安堵

 ボクシャ村の村長宅にドラガンは泊まった。

その夜、あの事件から初めてラスコッドの手紙に目を通した。

普段は大事に保管しているのだが、アリサが尋ねてきたかもという事で、お守りのような感覚で持ち出したのだった。


”感謝を集めろ”


 その言葉を溢れる涙と共に噛みしめた。


 ベアトリスたちに拾われてから今日まで、ベルベシュティ地区で何度か水回りの問題を解決していった。

その都度、エルフだけじゃなく人間たちも感謝し笑顔をドラガンに向けてくれた。


 エルフのドロバンツ族長はそんなドラガンに感謝をし、竜産協会、ロハティン総督と事を構える覚悟だと言ってくれた。

つまりはそれを繰り返せという事だと思う。

最終的に、竜産協会とロハティン、自分たちを天秤にかけ、自分たちを選んでもらえるくらいまで。




 翌朝ドラガンはボクシャ村のエルフの居住区に向かい、昨晩のうちに刺しておいた竜の羽根の様子を見に行った。

十か所以上に試していたのだが、そのうちの一か所に竜脈の反応があった。


 ボクシャ村の首長に、ここを掘れば井戸ができると思うと話をしている時だった、

ドラガンの元に村長が駆けつけてきて、アリサが目を覚ましたと報告したのだった。

ドラガンは大急ぎでアリサの元に向かった。



 アリサは目は覚ましたものの、衰弱していた挙句長く気を失っており、布団から起き上がる事ができないでいた。

体中が痛み裸で寝かされている。

さらに気を失う直前の事が思い出せない。

もしかしたら自分は悪意ある者に捕まったのかもしれない。

そう考えると絶望感に涙が溢れた。


 もしかしたら先ほど自分の様子を見に来たおばさんは、悪意ある者の家政婦なのかもしれない。

不安感から考えはどんどん悪い方へと向かっていった。

これだけはと大事に掴んでいた弟のペンダントも手には持っていない。

布団で顔を隠し涙するしかなかった。



 足音が近づいてくる。

先ほどのおばんさんのものではない。

もっと力強い恐らくは男性の足音。

それも複数人。


 ドアが開いても部屋に人が入ってくる感じでは無かった。

恐怖に震えていると声が聞こえてきた。

聞き覚えのある声。

いやそんなはずは無い。

それでも淡い期待を抱き布団から顔を出してみた。


「あああ……」


 言葉にならない声がアリサの口から漏れ出る。


「姉ちゃん。具合はどう?」


 間違いない。

探し求めていた懐かしき声。


「ドラガン? 本当にドラガンなの?」


「そうだよ姉ちゃん。僕だよ」


 かなり掠れていて消え去りそうな声ではあった。

だが、ずっと聞きたかった姉の声にドラガンは涙が止まらなかった。


 アリサの布団に顔を埋め大声で泣き出した。

アリサもそれ以上声を発せず、ただただ泣きながらドラガンの頭を撫でた。

その光景に、村長と首長、村長の奥さんは貰い泣きした。



 ドラガンはひとしきり泣くと、村長の奥さんにアリサの世話をお願いし部屋を出た。

部屋を出たドラガンはその場に膝から崩れ、また泣き出した。

それを村長と首長が良かったなと言って、背中をさすって宥めた。




 その日の昼は、まだアリサは布団から起き上がる事はできなかった。

夕飯には何とか起き上がる事ができたのだが、それでも布団から出る事はできなかった。

ドラガンはそんな姉を気遣って、同じ部屋で食事を取る事にした。


 アリサは荷物を一切持っておらず、下着すら身に付けていなかった。

そのため村長の奥さんが服を貸し与え、下着も奥さんの新品を譲ってもらった。

村長の奥さんはかなり恰幅が良く、華奢なアリサの体にはかなり余裕があったらしい。

紐で各所を絞ってはいるものの肩が動くたびに服がずれるらしく何度も服を直している。


 夜もドラガンはアリサと同じ部屋で寝る事にした。

アリサが寂しがるという言い訳をしたが、実際には単にドラガンが甘えただけである。



 朝、アリサは便所に行こうとしたのが、残念ながらまだ思うように体が動かない。

そこでアリサはドラガンを呼びつけた。

アリサが呼んでいると聞かされ、ドラガンは何か体調に問題が起こったのかもと慌てて駆けつけた。

ところが便所に連れて行けと言われ、思わず崩れ落ちそうになった。

昼過ぎには何とか一人で便所に立てるようになったようで、ドラガンの呼び出しは無くなった。



 夕食を二人で取ると、ドラガンはアリサに食後のコーヒーを淹れて渡した。

アリサはコーヒーをすするとドラガンの顔をじっと見つめた。


「ドラガン。行商でいったい何があったの?」


 アリサは責めるような目ではなく心配する目でドラガンを見つめている。


「それは……おいおい話すよ……」


「じゃあ聞き方を変えるわね。私に言えないような、何か後ろめたい事はあったの?」


 犯罪行為をしたのかという意味でアリサは尋ねた。

だがドラガンからしたら、犯罪行為を犯したとしてもアリサには打ち明けられると考えている。


「僕たちは何も悪い事はしていない。全てはあいつらが勝手に言ってる事なんだよ」


 アリサはロハティンでの事を何かしら聞いているとドラガンは察した。

ドラガンの回答にアリサは納得の表情を浮かべた。


「そう……じゃあやはり、あなたたちが竜を盗んだわけじゃないのね」


「竜を盗まれたのは僕たちの方なんだよ。それを僕らに暴かれて口封じされたんだ」


 ドラガンがしっかり自分の目を見て訴えかけるのを見て、アリサはドラガンが嘘を言っていないと感じた。

であれば、自分が悲惨な目に遭ったのも決してドラガンのせいじゃない、そう確信を持った。


「父さんのお墓見たよ。あの人のお墓も。あれあなたが作ったの?」


「うん。父さんもロマンさんも、あいつらに……」


 辛い事を思い出しドラガンは徐々に目を潤ませている。

それを見たアリサは手を伸ばしてそっとドラガンの手を握った。


「そんな状況で、どうやって生き延びる事ができたの?」


「ラスコッドさんっていうドワーフの護衛が僕を樽に押し込んだんだ。マイオリーさんって護衛が奴らに投降して僕の入った樽を守ってくれたんだよ」


 自分もここまでかなり悲惨な目に遭ってきたが、ドラガンはそれ以上の悲惨な目に遭っていた。

そう思うとアリサも涙が溢れそうになった。


「街道警備隊に捕まったって聞いたけど、姉ちゃんはどこに行こうとしていたの?」


「私ロハティンの酒場で働いてたのよ。あなたの消息を探りながらね。最近になってベルベシュティ地区で不思議な水汲み器を作った人がいるって噂を聞いてね。もしかしたら、あなたなんじゃないかって」


 アリサは少し首を斜めに傾け、ドラガンに微笑みかけるように話した。


「じゃあここに来ようとしてたの?」


「そうしようとしたんだけどね。酒場を辞めたら公安に拘束されてしまって。公安から開放されたら今度は空き巣に入られて。それで全てを失ってしまって。ロハティンを逃げ出したら今度は街道警備隊に」


 アリサは伏し目がちな表情でドラガンから視線を反らして、ぽつぽつという感じで話した。


「多分それ、全部裏で繋がってるんだよ」


 ドラガンの指摘にアリサは目を丸くして驚いた。


「そうなの? まさか空き巣も?」


「空き巣もそうだと思う。僕も竜産協会のやつに荷物を盗まれたよ。あいつらは公安と街道警備隊を抱え込んでるから、罪を犯す事を何とも思っていないんだよ」


 悔しさで拳を握りしめるドラガンを、アリサはじっと見つめた。

こんなに悔しがる姿をアリサはこれまで見た事が無かった。

そこまでの凄惨な目に遭ったのだろう、そう思うとやるせない気持ちが溢れてきた。



 アリサはドラガンを手招きし、傍に来るように指示した。

ドラガンが首を傾げながらアリサの布団の隣に座ると、アリサはドラガンを優しく抱きしめた。


「ドラガン。二人だけになちゃったね。だけどあなたには私がいるから。私にもあなたがいる。二人でみんなの分まで強く生きていきましょうね」

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