第16話 毒殺

 次にもたらされる報が事態を把握する決定的な報、そうバラネシュティ首長は言っていた。

その『次の報』は、少なくとも事態の把握を決定的にするものでは無かった。

だがベルベシュティ地区にとってはとつてもなく悪い報であった。


 リュタリー辺境伯が病死したのである。


 リュタリー辺境伯は元々持病があったらしく、医師から薬の処方を受けていた。

毎朝必ず服用するようにと医師からはきつく言われている。

アバンハード滞在中何かと忙しく、ついつい薬の服用を失念していたらしい。


 自分の屋敷に帰ってきてからは、疲れを癒すように久々の我が家でゆっくりと過ごしていた。


 屋敷に戻って五日後の事であった。

朝食から少し遅れ薬の服用を失念していた事に気付き、アバンハードに持っていった薬を服用した。

服用後、眠くて起きていられないと言って寝室に向かった。

妻は高齢だから長旅の疲れがなかなか抜けないのかもと周囲に言っていた。


 夕方、様子を見に行った家宰コブレーベは、リュタリー辺境伯が眠ったまま息を引き取った事を知った。


 コブレーベはスラブータ侯の件を思い出し毒殺を疑ったらしい。

当然、最初に疑われるのは主治医である。

死亡を確認した主治医がコブレーベの取調べを受けることになった。


 主治医は服用した薬を見せて欲しいと言った。

服用した薬を梱包した紙を見て主治医はすぐに、薬が取り換えられていると断言した。

自分の処方した薬には、わかるように必ず隅に黒の墨が入れてある。

最後に服用した薬の包み紙にはそれが無い。


 コブレーベが確認すると、確かに他の薬には梱包の紙の隅に墨が入っている。

念の為全ての薬を確認すると、アバンハードに持っていった薬のいくつかに墨の入っていない薬が混ざっていたのだった。


 コブレーベはリュタリー辺境伯の妻にこの事実を話した。

リュタリー辺境伯の妻は誰がそんな事をと言って涙した。

誰かはわからない、だが一番可能性が高いのはロハティン総督だと私見を述べた。


 リュタリー辺境伯には跡継ぎたる男子が二人いたのだが、長男は若くして他界している。

その長男が生前一人男児を残しており、リュタリー辺境伯は跡継ぎとして大事に育てていた。

リュタリー辺境伯の妻とコブレーベは、亡き息子の妻と跡継ぎの嫡孫マクシムを部屋に呼んだ。

コブレーベは二人に毒殺らしいと明かし、この後どうするべきか相談した。


 マクシム卿はまだ十八歳。

これまで祖父から統治学や経済学など多くを学んできたとはいえ実務経験は皆無である。

ましてや政局に対応する術など知る由も無い。

それは残念ながら女性二人も同様であった。

コブレーベは内政と外交には長けているが、そういった謀略には疎いものがある。

マクシム卿はコブレーベに、誰かを頼るしかないと言った。


 『誰か』

コブレーベが挙げた名前はエルフのドロバンツ族長とボヤルカ辺境伯だった。

だがドロバンツ族長は、すでに王の見舞いの為にアバンハードに発った後。

そこでマクシム卿はボヤルカ辺境伯を訪ねることにしたのだった。




 ボヤルカ辺境伯は数日後に見舞いに出立するところであり、その準備で大忙しであった。


 だがマクシム卿の話を聞いたボヤルカ辺境伯は出立を延期する事にした。

コブレーベは、国王の容体が良くなると謀反を疑われる事になってしまわないかと危惧した。

だがボヤルカ辺境伯は延期と言っても数日の事で、家内でちょっとした問題があったと言い訳すれば良いとコブレーベを安堵させた。


 ボヤルカ辺境伯は、まず一日も早くリュタリー辺境伯を継承する事だと進言した。

その後で、伴侶はもう決まっているのかと尋ねた。

マクシム卿が来年探す事になっていたと答えると、ならばそれは私の方で探してやろうと言ってくれた。

それはつまりはボヤルカ辺境伯の縁者となれという意味である。

マクシム卿は、現状ではそれが無難だと即座に判断した。


 問題は爵位の継承をアバンハードに報告に行かねばならない事である。

恐らくだが、この王国はもう政争が始まってしまっている。

だからアバンハードへの報告は、ある程度落ち着いてからの方が良いだろう。

信頼のおける親族の誰かに話をし、その者と継承で揉めているという事にする。

恐らくその者に声をかける者がいるだろうから、その情報をこっそり共有するのだ。


「『罠』を張るんだ、『敵』の情報を受信する『罠』を! もう平時ではなくなったのだ。だから何事も慎重に慎重を期せ。良いな?」


 ボヤルカ辺境伯はマクシム卿にそう言い含めた。




 リュタリー辺境伯が病死し家督争いが始まったという報がベルベシュティ地区を駆け巡った。

ドラガンたちのいるジャームベック村はリュタリー辺境伯領となっており、ヤローヴェ村長もほとほと困り果てていた。


 ここのところヤローヴェとバラネシュティ首長は毎日顔を合わせており、そこにドラガンが呼ばれている。

政治や陰謀などこれまで一切知らなかったドラガンも、すっかり話に付いていけるようになっていた。


「リュタリー辺境伯が毒殺という事になると、スラブータ侯もやはり……」


 コーヒーを飲みながら、ヤローヴェはバラネシュティに呟くように言った。


「まだ何も見つからへんらしいな。竜車はおろか襲撃の痕跡すら」


 アバンハードを出て西街道を西に行くと、ホストメル侯爵領、次いでオラーネ侯爵領に入る。

ホストメル侯は宰相、オラーネ侯は竜産協会の理事長を務めている。

オラーネ侯爵領を超えると、ヴィシュネヴィ山の山越えとなる。

ヴィシュネヴィ山を越えた先がスラブータ侯爵領であり、もし襲われたのだとすれば、二人の侯爵領かヴィシュネヴィ山の山賊という事になるだろう。


「いうて冒険者も、侯爵領や山賊の館までは調査に入られへんやろからなあ。山道ちょろっと探しただけで、果たして何かしら見つかるもんなんかどうか」


「じゃあ、ホストメル侯かオラーネ侯のどちらかがスラブータ侯を?」


 そうユローヴェに問われ、バラネシュティは腕を組み虚空を見つめ考え込んでしまった。



「竜産協会の理事長……」


 ドラガンはそう呟いた。

その呟きを聞き二人はドラガンの顔をじっと見た。


「まあ可能性の高いんは、そっちの方やろうな」


 オラーネ侯の姉が国王ユーリー二世の王妃でありブラホダトネ公の母でもある。

ブラホダトネ公が泣きつけばオラーネ侯は進んで手を汚すだろう。

そう言って首長はコーヒーを口にした。


「という事は、僕たちのロハティンでの一件がこんな事態に発展してしまったのですか?」


 ドラガンの問いかけに、バラネシュティはどう説明したものかと少し悩んだ。


「それは半分は合うてるんやけど半分は間違うとる。ヴラド、嘘いうんはな、一回ついてもうたら、それがバレへんようにさらに嘘をつかなならんようになるんや」


「僕たちの件を誤魔化そうとして、どんどん大事になっていると?」


「恐らくな。一体どこまでやるつもりなんやろうな。徹底的にとなると、最悪、内乱になってまうと思うんやが……」


 もし内乱となれば全国民の何割という死者が出てしまう。

たかが竜の窃盗が暴かれた、たったそれだけの事で。


「今からでも彼らに引く事はできるのでしょうか?」


 ドラガンの疑問は、改めて事態の深刻さを考えさせるものであった。


「……そうか、そうやな。奴らにとって引くいう事は、すなわち刑場行きいう事なんやな。これはマズイ事になるかもな」


「マズイ事というのは、この国の事ですか?」


「さしあたっては『族長が』やな」



 どうしていったら良いと思うか、ヤローヴェはバラネシュティに尋ねた。

バラネシュティは腕を組み、目を閉じ、無言で考え込んだ。

バラネシュティの次の言葉をヤローヴェとドラガンは静かに待った。


「ロハティンの軍隊を迎撃できるだけの備えを早急に整える必要があるやろうな」


 バラネシュティの言葉に二人は息を飲んだ。

言葉を失ったドラガンに対し、ヤローヴェは多少は冷静であった。


「兵、糧食、武器、他には?」


「あとは森の要塞化やな。それと『特殊部隊』の組織」


 ヤローヴェとバラネシュティは矢継ぎ早に対策を練っていった。


「その『特殊部隊』というのは?」


「エルフの特殊部隊いうたら、昔から『狙撃部隊』と相場が決まっとる!」


 それはこっちでなんとかしようとバラネシュティは言った。

その日の為に訓練と鍛錬をさせておく。

無駄になるに越した事はないが、準備無く来られたら何の対処もできない。


「うちの村でできる備えは何かあるかな?」


「やつらは火を放ってくるやろうから大量の桶がいるやろな。幸いな事に水は『水車』があるから」


 首長はドラガンの顔を見て微笑んだ。

軍事利用されたくはないだろうが勘弁してくれと、ヤローヴェもすまなそうな顔をした。

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