第15話 失踪
ドロバンツ族長が王都アバンハードに出立して暫く後、ベルベシュティ地区に不穏な噂が流れた。
ドロバンツが国王のお見舞いに向かう少し前に、スラブータ侯がアバンハードに向かっている。
スラブータ侯イェウヘンは御歳六五で、現国王ユーリー二世の二歳年上である。
若い頃から父の下で領地の内政に勤しんできた。
特に経済について熱心に研究しており、殖産、税制改革で領地を発展させ、貴族内でも非常に評価の高い人物である。
スラブータ侯爵領は小さな伯爵領を挟んでいるものの西府ロハティンのすぐ南である。
先代のロハティン総督はそんなスラブータ侯を一目置いており、何かと助言を求めてきていた。
スラブータ侯もロハティン総督に可能な限り助言してきた。
先代のロハティン総督はロッジルナ公といい現王ユーリー二世の従兄にあたる。
ロッジルナ公には跡継ぎとなる男児がおらず、残念ながら公爵家は断絶。
ロハティン総督は、ユーリー二世の次男であるブラホダトネ公ヴァレリーが務める事になった。
若きブラホダトネ公は、老いたスラブータ侯の助言を口やかましいと感じ無視した。
スラブータ侯もそんなブラホダトネ公にそれ以上の関わりを止め、一線を画した付き合いをするようになった。
それをブラホダトネ公はスラブータ侯が自分の威光に屈したと勘違いしたらしい。
そこからブラホダトネ公はスラブータ侯に対し会釈一つしなくなった。
議会では縁者を侍らせ我が物顔で闊歩している。
そんなブラホダトネ公を覇気があると評する者がいる。
その一方で増長が過ぎると眉をひそめる者がいるという状況である。
スラブータ侯は当然後者である。
自領の税収が増える話であり、ロハティン総督の勢力を削げる良い機会と感じたからである。
すでに工事は始まっており、整地と区画割りが終わり、現在は水道橋の建設に入っている。
そのスラブータ侯がアバンハードから帰らないらしい。
もう帰還予定を十日も過ぎている。
ただそれだけであれば、アバンハードでの滞在が長引いているのだろうと、誰も疑問に思わなかっただろう。
貴族の予定が後倒しになる事など『よくある事』だからである。
同じく国王のお見舞いに行っていたリュタリー辺境伯が、帰り道に新市場建設の件で話をしようと侯府ネドイカの侯爵屋敷を訪れた。
ところがスラブータ侯はまだ帰っていなかったのだった。
そんな馬鹿なとリュタリー辺境伯は声を荒らげた。
自分たちがアバンハードに入る二日前にスラブータ侯はアバンハードを発ったのだ、そんな事があるわけがない。
リュタリー辺境伯とスラブータ侯は、共に西街道を通って帰ってきている。
伯爵ならまだしも侯爵となればそれなりに随員が多く、途中の休憩所で休憩していれば嫌でも目に入る。
しかも余程の事が無ければ小さな休憩所は利用せず大きな休憩所を利用する。
もし緊急で小さな休憩所を利用したとしても、無理にでも大きな休憩所に場所を移すものである。
貴賓の歓待に慣れない休憩所を無理に利用すると、先方にも負担をかけてしまうからである。
もしリュタリー辺境伯がスラブータ侯を追い越したのなら、余程の事が無い限りわかるはずなのだ。
ところがリュタリー辺境伯一行は、帰宅路でスラブータ侯一行を全く目撃しなかったのである。
スラブータ侯は自分たちが姿を目撃する前に大急ぎで自領に戻ったのだと、リュタリー辺境伯は思っていたのだ。
スラブータ侯の子は娘ばかりで、唯一の嫡子ダニーロには先立たれている。
ダニーロにはセルヒーという遺児がおり、家宰ソシュノはセルヒー卿に当主代行をお願いした。
セルヒー卿は最初の執務として、万事屋に祖父の捜索依頼を出した。
報酬はそれなりの額を用意したようで、複数の冒険者たちが捜索に出かけたそうだが未だ何も報告は無い。
ドラガンたちの住むジャームベック村にもこの噂が流れてくると、主に酒場と井戸を中心に、連日、男性も女性も憶測に基づく噂話をしている。
当然ドラガンの耳にも入ってくる。
ヤローヴェ村長もバラネシュティ首長も頻繁に顔を合わせるようになり、そこにドラガンを呼ぶ事も多かった。
二人の懸念はいくつもあるのが、その中でも最大のものは族長が無事帰れるかどうかだった。
もしスラブータ侯が害されたとしたら、ここまでの流れで最も怪しいのは、当然ブラホダトネ公という事になる。
表立ってはスラブータ侯はブラホダトネ公とは敵対していないはずで、そのスラブータ侯が害されたのだとしたら、その原因は間違いなく例の新市場建設計画であろう。
もしもブラホダトネ公が新市場建設計画を知ったとしたら、当然それを企画したのがドロバンツ族長だという事も知っただろう。
「首長はどこまで奴らに計画が抜けてると思う?」
あれだけ派手に市場を造っているのだから別にバレても不思議は無い。
族長たちは、それもロハティンへの牽制と考えていたはずである。
だから族長はドワーフとサファグンの族長を巻き込んだのだ。
「だけども、族長が殺害されるなんて事になったら意見の相違だけでは済まへんぞ?」
地位協定違反などというレベルではない。
亜人の浄化と受け取られ、下手したら五種族の地区で大規模な暴動騒ぎになるかもしれない。
「だが、もしも全面対立になったら国は向こうに付くだろう。我らも少ない被害というわけにはいかんぞ?」
「そらブラホダトネ公は王子やからな。そやけどもベルベシュティ地区全部を敵に回すんやぞ? そう簡単にいかへん事くらいわかりそうなもんやが……」
何か勝算があるのでしょうかと、不安そうな顔でドラガンが二人に尋ねた。
ヤローヴェは小さく息を吐きコーヒーを口にした。
「普通にやれば兵数ではうちらは圧倒的に不利だ。だが、当然うちらも抵抗をする。奴らも過大な損害を出す事になるだろう。それを承知で攻めてくる事があれば、それは、我らが一枚岩じゃなくなった時だろうな」
ヤローヴェの説明にドラガンは表情を曇らせた。
「……つまり、さらなる要人暗殺があるという事ですか?」
「おいおい、さらなるって。まだスラブータ侯は殺害されたとは限らんのだぞ? ましてや族長は」
「すみません失言でした」
そう言ってドラガンは苦笑いし、ヤローヴェも笑い出した。
だがバラネシュティは両手の指を卓上で絡め、思いつめたような顔をする。
「残念やけども、スラブータ侯は殺害されたとみて良えやろう。こないに長い期間、貴族が行方不明などという事はありえへん」
向こうで拘束されたというならわかるが、アバンハードを出立したところを見たというのだから生きているとは考えにくい。
恐らくは帰路何者かに襲撃を受け、竜車ごと隠匿されたと考えるのが妥当だろう。
「誘拐の可能性もあるのではないか?」
バラネシュティの見解にヤローヴェが私見を述べた。
「誘拐か……無くはないな。だが、そしたら護衛は? 誘拐の現場に護衛が争った跡くらいはあるはずやろ?」
「じゃあ護衛が!」
ヤローヴェが机から身を乗り出すとバラネシュティは両手の平をヤローヴェに向け、少し落ち着けという仕草をした。
「護衛は一人二人とちゃうねんぞ? スラブータ侯にバレずに全員を買収する事なんできへんやろ?」
「……なるほど。しかし一体スラブータ侯の身に何が起こったのやら」
ヤローヴェが腕を組むと、バラネシュティもそれに合わせるように腕を組んだ。
「何にせよ、次にもたらされる報が事態を把握する決定的な報になるんやろうな……」
あの日を境にジャームベック村には、製粉小屋を自分の村にも作ろうとベルベシュティ地区全体から毎日のように人が訪れている。
基本は穀物屋のテルヌヴァテと大工のコシフツェヴォが対応しているのだが、二人でもわからないことが多々ある。
その都度ドラガンが呼び出され説明をしている。
「ヴラド。またテルヌヴァテさんが来とるよ?」
居間で姉と二人苦戦しながら竹籠を作っていたところにベアトリスが呼びに来た。
「え? また? もういい加減にして欲しいなあ……」
「しゃあないでしょ? どこの村も製粉自動でやりたいんやから」
ほら、待ってるんだから早く行ってあげなよと、ベアトリスは急かした。
「あのまま作ったら良いだけじゃん」
「あのまま作っても上手く動かへんのと違うの? 私はそう聞いたよ?」
誰から聞いたのとドラガンが聞くと、たまたま来ている人が言い合ってるのを聞いたとベアトリスは答えた。
「無尽蔵に臼を増やそうとか、材木ケチって水くるまを小さくしようとか、変な事するから上手くいかないんだよ。あのまま作れば良いのに」
「ほな、そう言うてやったら良えやないの。私にぶうぶう言うてもしゃあないでしょ?」
姉ちゃんを真似てて最近口うるさいんだよなと、ドラガンは小声で愚痴った。
どうもそれがベアトリスに聞こえたらしく耳を引っ張られた。
「誰が何やって? もう一度、同じ事を言うてみ!」
アリサにも聞こえたようで、反対の耳を引っ張られた。
「私が何だって? よく聞こえなかったんだけど!」
おおい、まだかいと、玄関からテルヌヴァテの声が聞こえてきた。
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