第44話 潰走

 潰走。

ロハティン軍のその姿はまさにそう呼ぶにふさわしいものであった。


 簡単に敵に背を向けまいとする者は囲まれて討ち取られ、我先にと逃げる者は追いつかれて討ち取られた。

走りながら厚手の鎧を脱ぎ捨てていく者もいる。

そういう者は矢の餌食となった。


 上空からセイレーンの容赦の無い射撃が行われ、ロハティン軍の兵もマロリタ侯爵軍の兵もばたばたと倒れていく。



 元々ロハティン軍には五人の将がいた。

総大将がマイダン。

マロリタ侯爵軍にも三名の将がいて、前線左翼、弓箭きゅうせん兵、輜重しちょう隊をそれぞれ率いていた。


 輜重隊と軽装歩兵を率いていた二人の将はセイレーン軍の射撃により真っ先に戦死。

その後必死に弓箭兵をまとめ上げていた将がサファグン軍の銛に貫かれて戦死。

竜騎兵を率いた将軍もサファグン軍の銛に貫かれて戦死

そして、総大将のマイダンがチェペラレ団長の銛に貫かれ戦死。


 残るは前線部隊を率いている三人の将だけとなった。


 マイダンを打ち取ったという声を聞き、一人の将が動揺し後方を振り返ったところをベレス将軍麾下の兵に討ち取られた。


 右翼が崩れたのをみた先鋒の将軍は怯むなと周囲の兵を鼓舞しつづけた。

自らも剣を抜き、これまで何人もの兵を討ち取っている。

すると目の前にバーフマチ将軍が姿を現した。

この人物を倒せは士気は戻る。

そうロハティン軍の将軍は考えた。

剣をぶんぶんと振ってバーフマチ将軍目がけて突っ込んだのだが、あと一歩及ばず、その手前で討ち取られてしまったのだった。


 最後に残った左翼の将軍は先鋒隊が崩れたのを見て兵に退けと命じた。

そして自身は単身敵に突っ込みソカル将軍麾下の兵に討ち取られたのだった。


 こうしてロハティン、マロリタ侯連合軍は全ての将を失う事になった。




 皆、我先に西街道をマロリタ侯爵領目がけて逃走。

それをセイレーン軍が上空から街道の赤いシミに変えていく。


 最初の兵がマロリタ侯爵領に逃げ込んだところでセイレーン軍は隊の向きを変えた。

逃げる兵を追うのではなく、逃げてくる兵を迎撃するためである。


 もうすぐマロリタ侯爵領が見える。

上空のセイレーンがそのわずかな希望を容赦なく刈り取っていった。


 セイレーン軍の者たちはここまで色々な話を聞いていた。

彼らが聞いてきた話、それはただ情報伝達の為に飛んでいたセイレーンを彼らが無常にも撃ち殺しているという話である。

セイレーン軍は潰走してくる敵兵に同朋の仇だと言って矢を撃ちこんだ。



 西街道を逃走した者の多くは戦死した。

生きてマロリタ侯爵領に戻った者の多くはランチョ村に逃げ込んだ者たちである。

ランチョ村も独自に武装しており、逃げて来た者たちを武器をとって匿った。


 ランチョ村を焼き払ってしまえ。

ベレス将軍とバーフマチ将軍はそう主張した。

だが、ソカル将軍が強固に反対した。

貴重な竜産の資料を質にとられているような状況である。

もし彼らをこの件で敵とみなすなら、後からいくらでもやりようはある。

彼らは正規の軍隊ではないのだから。


 ベレス将軍とバーフマチ将軍はその意見に納得し、ランチョ村を無視してマロリタ侯の侯爵屋敷へと向かった。




 マロリタ侯は家宰のルサコフカから敗戦の報を聞き非常に驚いた。

勢いよく椅子から立ち上がり、ベルベシュティ産の最高級のアブサンが入った木のグラスを思わず倒してしまった。


「馬鹿な!! ロハティンの正規軍だぞ! 王国の正規軍が敗退したというのか?」


 ルサコフカは敗残の兵がそう伝えてきたと報告した。

するとそこに、サモティノ地区との領土境に敵が集結しているとの報が入った。

ルサコフカの報告の信憑性を裏付けるような報告であった。


「馬鹿な……大陸最強の兵だぞ? 何故そんな敗残兵なんぞに……」


 マロリタ侯は力無く椅子に腰かけた。

こちらの最大にして最強の駒が消え去ったのだ。

もう笑うしかない。


 ロハティンに退避する。

そうマロリタ侯はルサコフカに命じた。

家族にも準備するように言ってくれと依頼した。


 領府スティナはごく普通の都市であり、大軍に押し寄せられたらひとたまりも無い。

だがロハティンは周囲に城壁が張り巡らされ、ある種の要塞となっているのである。

大手門である東門を閉じてしまうだけで長期の籠城戦が可能なのである。

作られてから訓練以外で一度も閉じた事は無いのだが。



 マロリタ侯は腰に剣を下げると家族の住む部屋とは別の方向へ向かった。

家宰執務室の隣の部屋である。

実はこの部屋は廊下からは入れない仕組みになっている。

家宰執務室と侯爵執務室に入口がある。

しかも巧妙に隠された引き戸である。


 ドアを開けると独特の異臭がした。

部屋の片隅には木箱が置いてあり、そこに大量の人間の毛と骨が置かれている。

その隣の木の筒は人間の血が滴っている。


 飯の時間かと中の人物はたずねた。

グレムリンである。

その奥にはそのグレムリンの妻と四人の子供がいる。


「……ドウシタ? 何カアッタノカ?」


 グレムリンはマロリタ侯にたずねた。


「よく聞けシーシュン。ロハティンの正規軍が敗北した。間もなくここを敵兵が取り囲むことになるだろう。俺はロハティンに逃げる。お前はどうする?」


 シーシュンと呼ばれたグレムリンはそれに何も焦った態度を見せず、尖った歯をマロリタ侯に見せつけ不気味に笑う。


「俺ハココニ残ル。内カラ鍵ヲシテオケバ、気付カレル事ハ無イ。コノ屋敷ニ立チ入ッタ者ヲ夜皆殺シニシテヤル」


 それが毎日となれば、やつらはやれ死霊の呪いだ、やれ闇の精霊のしわざだと怖がって逃げていくだろう。

シーシュンはそう言ってギシャギシャという嫌な音を立てて笑った。


「人間ナド、ナント愚カナルコトヨ」


 ギャアギャアと独特の不快は笑い声をあげるグレムリンに、マロリタ侯は静かに剣を抜き突き刺した。

さらに驚いているシーシュンの家族も皆殺しにした。


「血の跡で簡単にここがバレるに決まっているじゃないか! 愚か者はどっちだ!」

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